紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

倫子さんに会いたい。

 

 棗庄に居た頃のことを最近よく思い出す。

 

私の人生が一番輝いた、夢のような一年間。

 

その私の記憶の中に一番強く残ってるのが倫子さんという女性だ。

 

 不器用で、口が悪くて、下ネタが好きで、情に厚くて、感情のコントロールが下手くそな困った人。

 

 棗庄に到着して、ボスに支配されていた私の前に彼女は突然現れた。

 

 女性にしては高い身長に、長いダウンコートをまとった市場の女ボスのような出で立ちで、「なんか日本人いるらしんだけどほんと?」といいながら、のっそりと私の目の前に現れた。

 

 その日から私はさながら餌をもらいに行くどら猫のように倫子さんの家に入り浸った。

 

 「一人で頑張る!」

 

とか言ってカッコつけて中国に来たくせに自分は死ぬほどカッコ悪いな。

 

と思いながら人のいい倫子さんに甘えた。

 

 私は棗庄に居た頃たくさん無茶なことをした。

 

刺激とワクワクとを求める巨大な好奇心に勝てなくて、欲望に任せて危ないことをたくさんしたのだ。

 

 でも、それが成功しても。失敗して死にかけても、倫子さんの家で倫子さんに話せばなんでも面白コンテンツに変えてしまえた。

ネタにできた。

 

だから、どんなに辛いことがあっても次の日になれば起き上がって次のトラブルに頭から突っ込んでいけたのだ。

 

そしてまた夜になったらボロボロになって、西門で買った弁当片手に倫子さんの家に駆け込んで騒ぎ散らかした。

 

私はそんな日々がどれだけ幸せなのか知らなかったのだ。

 

「ちょっと聞いてくださいよ!!」

 

と、駆けこめる場所がある有り難さを私は知らなかった。

当たり前のこととして消費してた。

 

もっと大切にすればよかったなあ、と後悔する。

 

本当にロクでもない話しかしなかった。

 

私がアイドルにwechatを送るか一時間悩んでいたら勝手に送信ボタンを押しやがったこともあった。

「なんつーことしてくれてんですか!!」

 

と抗議したら、

 

「まあまあこれを機に一発やれたら儲けものと思って、うぷぷぷぷ」

 

と笑われた時は本気で「この女三回くらい殺してえなあ…!」と思った。

 

ちなみに私は「ご飯行きましょう!」という無邪気なwechatを送ろうと苦悶していたのだが、そこから何をどう飛躍したら一発云々の話になるのか、彼女の妄想力には舌を巻くものがある。

 

でも、本当に死にたくなるほど悲しい時は、本気で寄り添ってくれた。

 あまりに私が泣くから、何を言えばわからなくなった倫子さんがザボンをくれたこともあった。

 

私は泣きながらでも食欲に勝てず、ザボンをモサモサと食べて元気になった。

 

そんな私を見て、

 

「食い物は全てを解決する」

 

と倫子さんはニヤリと笑った。

 

日本に帰国して、京都の一人暮らしのマンションに戻って、寝ぼけて倫子さんの家に行こうとしてドアを開けた時、ここが棗庄じゃなくて、私に駆け込む先はないことを思い知らされる。

 

正直、同性の友達が少ない自分にとって倫子さんは初めてできたなんでも話せる同性の友達だったのだ。

 

倫子さんになんでも話せて、

倫子さんといると楽しかったのは、

 

倫子さん自身も完璧じゃなかったからだと思う。

彼女には彼女の痛みと苦しみと後悔があって、一人きりでそんなものと戦ってる彼女は、彼女自身にはわからないかもしれないけどとても人間らしくて魅力的だった。

 

 彼女も困難を抱えてるから、

私も自分の困難を彼女にさらけ出してしまうことができたのだと思う。

 

 私は棗庄から帰国してからも相変わらず勝手に生きたし、気ままに生活してたけど、棗庄にいた頃と違って信じられないほど大きな孤独を抱え込む羽目になった。

 

そして、パワーを失い、結果的に自分が最も大切にしていた自由さを喪失した。

 

去年の今日、私はバックパック一つだけ背中に背負って中国横断の旅に出た。

 

 それからいろんな冒険をして、信じられないほど危険で馬鹿な真似を繰り返したのに。

 

その一つ一つに快感を感じていた。

 

幸せだったのだ。

 

危ないことを繰り返して、危機に陥って助かった時冷や汗がすっと引いていくような感触がくせになってやめられなかった。

 

それは棗庄にいるときも同じこと。

 

繰り返す無謀さを冒険に変えてしまえる強さが、自分自身の強さと過信してたけどそうではなかった。

 

 無茶を繰り返し死にかける私の傍には必ず、いつも死にかけてる私を大きな口を開けて豪快に開けて笑ってる倫子さんがいたのだ。

 

「チクショー!この女!人の不幸で気持ちよさそうに爆笑しやがって….!」

 

と、自分まで笑いながら自分に喝を入れてまた次のトラブルに突撃していたあのパワーは私一人の強さではなかった。

 

私が棗庄にいたあの頃、常に人とつながって、帰る場所と飛び込む誰かがいたから私は強かったのだ。

 

それに気づいた今となっては、私はすっかり自由を喪失し、目の前に並べられる刺激をぼんやりと力なく眺めているだけのつまらない女に成り下がった。

 

自分で冒険することを放棄した、怠け者でつまらない私。

 

去年の私が見たら蹴っ飛ばしたしたくなるであろう、あまりにつまらない私。

去年の倫子さんと私がいたら、今の私の悪口で三時間は盛り上がれることであろう。

 

 私は、取り戻したい。

 

誰が止めても止められなかった見切り発車のパワー系バカの私自身を。

どこまでも身軽に走って行けた自由さを。

 

 人に頼ることを覚えて冒険を放棄した自分を捨てて、また棗庄にいた頃の自由な自分に戻りたい。

 

じゃないと、あのドアを開けて

 

「聞いてくださいよ!!!」

 

って話すことがない。

 

不毛なしがらみを捨てて、自由に自分の夢を追いかける人生を選びたい。

 

 私は私の人生を取り戻す。

 

私は必ず、中国に戻るのだ。

 

一瞬見失いかけたけど、私には私の人生かけて叶えなければならない夢がある。

 

それをみすみす一時の感情に任せて投げ出してしまおうとしていた。

 

どんとしてろよ、紋浪。

 

疲れ果てて、無心でバイトをしながら一日中棗庄のことを思い出した今日。

 

私はようやく自分を取り戻せた気がする。

 

中国に行く。

 

必ず、中国に行く。

 

自由でパワー系バカな自分を取り戻して何度でも冒険を求めて中国を目指すのだ。

 

扉が開きかけてるのに、落とし穴に落ちかけてしまっていた。

 

倫子さんに会いたい。

 

また、面白コンテンツを引っさげて会いに行きたい。

辛いこととか揉め事を、笑いに変えて必死に生きたい。

 

 私の人生で私が自分の生きる意味を見失いそうになるたびに、私はこの先何度でも棗庄のことを思い出す。

 

そしてその記憶のすべてのコマに倫子さんがいない瞬間がない。

 

  目の前のまやかしの温もりに目を奪われないで。

 

1日でいいから何でもない棗庄の一日をもう一度だけやりたい。

 

でも、過去として過ぎ去った日々は戻ってこないから。

 

私たちは前にしか進めないから。

 

それでもそれでも、私は倫子さんに会いたいのだ。

 

意味がないと冷酷に笑う人がいても、

棗庄まで走って行って、思い出話だけダラダラとしたい。

 

人生は理屈じゃない。

 

人間は衝動と感覚で生きてる。

 

 開発途上の学校の中をぐるぐると散歩したい。

 

棗庄に行きたい。

倫子さんに会いたい。

 

夏休み、体制を立て直して不毛な自由を阻むしがらみにカタをつけて。

 

アルバイトしてお金を貯めて。

 

旅に出る準備をしよう。自由を取り戻す旅。

 

その始まりは棗庄でなければならない。

倫子さんでなければならない。

 

長く怠っていたトレーニングと、

感覚を取り戻すためにアップを始めるよ。

 

そして、また限りなく自由で愛する自分を携えて棗庄から始めたいのだ。

 

 冒険の夏は去年の夏。

 

今年の夏は取り戻す夏。

 

実を結ぶ秋のために、戦うしかねえなあ。

 

 

 

 

 

 

肉体労働者になった夜。

 

「ふざけんな!あたしは15の頃から中卒肉体労働者」

 

 

私が結構好きなフィメールラッパーの椿氏より。

 

1分13秒あたりからどうぞ。

 

さてさて、肉体労働

 

事の発端は、前回の旅行から帰ってきた時。

 

圧倒的に金がなくなっていた!

 

てなわけで夏に向けてアルバイトをすることになったんだけど、大衆中華料理屋のアルバイトにもなれたし暇だったので、前々から興味があった派遣に登録してみることにした。

 

そんなわけで、適当に見繕った派遣に登録して、紹介された軽作業の現場に行ったのが今夜。

 

6時から10時までのシフトで入ることになった。

 

最寄りの駅から送迎バスが出ているという事だったので、待ってたらバスが来た。

 

「○○派遣から来ました!」

 

というと、ガラの悪い運転手のにいちゃんが顎で座るように合図した。

 

(今、たしかに人権がなくなる音が聞こえたぞ…!)

 

と、若干興奮する私。

 

バスに揺られる事15分程度。

 

現場に着くと、携帯電話を没収されて、

そこの抜けかけたボロボロの黒い長靴みたいな作業靴を履いて。

 指定された色のヘルメットを被った。

 

後で聞いたけど、このヘルメットの色は派遣会社ごとに違うらしい。

 

 てなわけで、すっかり労働者の出で立ちになった私は、気のいい兄さんに連れられて作業場へと連行された。

 

「体力勝負になるからね〜」

 

と言って兄さんは去った。

 

私の仕事は、無限に供給されるラックの中のダンボールをひたすらベルトコンベアの上に乗せていく事だった。

 

 封筒とか紙袋は青いレールに。

ダンボールは黒いレールに。

 

頭の中がダンボールと封筒だけになる。

 

ラックが空になれば、

「おねがいしまーす」

と叫ぶと、ガラの悪いおっさんが空になったラックと、ダンボールがたっぷり入ったラックを交換してくれる。

 

交換されたらまた最初から。

 

ラックが空になるたびに、「お願いしまーす」と叫ぶだけ。

 

 脳みそが全く動いてない感覚。

 

何だか私までベルトコンベアになった気分だった。

 

ダンボールは重い。

 

ラックは大きいから、てっぺんのダンボールに手が届かない。

 

崩れてきた荷物の下敷きになりそうになったり、仕事は命がけだった!

 

 間違えて仕分けると、怖いおばさんのゲキが飛ぶ。

 

 そのババアの恐ろしかった事。

 

ババアが恐ろしいから間違えないように脳みそを動かす。

 

でも肉体労働で疲れて腰が痛くて意識が朦朧としてくる。

 

でもババアは怖い。

 

まるで鞭で打たれるのが嫌で荷馬車を必死で引くロバみたいだ。

 

ベルトコンベアに沿って無数の人が、無数のダンボールを無言で乗せていくだけの空間は異常だった。

 

最初は辛くて。

少ししたら腰が痛くて。

そして更にすると何も考えなくなった。

 

ただ目の前のラックが空っぽになることだけが嬉しいのだ。

 

もはや洗脳されている。

 

手遅れである。

 

ラック内から頭をぶつけてもヘルメットがあるから痛くない。

 

そうか、だから今私はヘルメットを被っていたのか。

 

などと意味のわからないことを思った。

 

ベルトコンベアの頭上には無数に太いパイプが通っていて、そのパイプからわずかな冷風が出ている。

どうやらクーラーのようだ。

 

このパイプを自分の方に向けて作業をすると、快適だぞ、と隣のおっさんが教えてくれた。

 

私は最初は愛想笑いでこのアドバイスを流したものの、

あまりの暑さに耐えかねて、パイプに手を出して自分に向けると一抹の快適さに唸った。

 

やはり年長者のアドバイスには、耳を傾けておくものなのだ。

 

そして、看守…じゃなくて作業場の監督が

「ベルトコンベア止め!」

と言って、ゴミ拾いをしてゴミ捨てをしに行った時、ゴミ捨て場の時計を見ると、9時になっていた。

 

ええ…私三時間もノンストップでベルトコンベアにダンボール乗せてたの…!

 

と自分にドン引きしてしまった。

 

どうりで、腰が痛くて汗が止まらないはずだ。

 

そのあとは、ひたすらトラックに向けて都道府県別に仕分けされた段ボールが入ったラックを引きずり回して行く。

 

「10時までまだたっぷり時間があります!みなさんしっかり働きましょう!」

 

と看守がアナウンスしてる時間はもう9時45分。

 

最後まで人を使い倒そうという根性が垣間見れてとてもいいと思った。

 

巨大な冷蔵庫を引きずって広大な作業場を迷い歩き、そんなことを無数に繰り返した。

 

そして私は文字通り10時しっかりまで働いて、携帯を返してもらった。

 

待合室は日本語は聞こえず、ベトナムなのか。

 

中国語でもない東南アジア風の言葉が飛び交っていた。

 

なぜ。私はこんなことをしているんだ??

 

なぜ。私はここにいるんだ?

 

てか、ここはどこなんだ?

 

日本なの?

 

そんな朦朧とした意識の中でバスに乗り込んで、私は駅について電車に乗り込み。

 

スマホをいじりながらようやく現実世界に帰ってこれた気がした。

 

 でも。

 

カオスで訳がわからないことばかりで疲れ果てたけど、変な爽快感があった。

 

もう一回くらい行ってもいいかなあ。

 

と思った。

 

でも、このバイトの話を面白コンテンツとして両親に話したらめちゃくちゃ怒られたし。

ケビンは、「可哀想!」って泣いちゃったし。

 

多分もう行くことはないような気もする。

 

軽作業のはずだったのに、飛んだ重労働だったしね!

 

でも、久々に何も考えないで無になって。

 

気がついたら夜になってるあの不思議な感覚は癖になりそうなくらいに気持ちが良かった。

 

でも。腰痛は勘弁だから次こそは軽作業の現場に行きたいものだなあ、と思いながら私は帰路につくのであった。

 

おしまい。

 

 

ついに香港人現る!? 杭州の西湖に沈みたい。

 

 

にーはお。

私です。

紋浪です!

 

さて、南京二日目の朝目が覚めたら、

朝の10時を回ってました。

 

この日は朝から、ゆっくりと朝ごはんを食べて散歩するつもりだったのだが全てキャンセル。

 

目的地へ向かいます。

 

この日の目的は南京大虐殺記念館の参観だったんだけど、これについてはまた別記事でしっかり書くので今回は飛ばす。

 

 その後、どんよりとした気持ちで高鉄に乗り込もうとしたら、なんとまたしてもない座席を割り当てられた。

 

存在しない座席を割り当てられたので当然のごとく抗議に行くと、

「こちらのミスだわー」

とのことで無料で一等席に変わった。

 

ふっかふっかの一等席の座席に私はご機嫌。

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ふっかふっか最高。

あと2時間くらい乗っときたいなあ。

 

と思ってたら1時間半で杭州についたぞ。

 

地下鉄に乗り換えてドミトリーの近くの駅で降りて。

 

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古い町並みを再現した街の中にあるホステルに荷物を置いたらもう四時を回って。

 

私は西湖目指して走り出す。

 

香港兄さんから西湖は夕暮れが一番綺麗だよ、と聞いていたからである。

 

地下鉄乗って、夜市を駆け抜けて、いきなり目の前に現れた西湖に私は息を飲んだ。

 

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あまりに綺麗で、ゆるゆる歩く。

 

sumika,しんどいかもしれないけど絶対今日の夕方に西湖にいくんだよ!明日の夕方予報は雨なんだ。夕方の西湖は今日が君のラストチャンスなんだから」

 

「うるせー。うるせー。自由勝手にさせろ」

 

香港兄さんのいうことを素直に聞きたくなくてそうはいったものの。

やはりおすすめされたからには気になっていそいそ出かけてきたけど。

 

あんたは正しかったよ!

 

と叫びたかった。

 

本当に美しかった。

 

あまりにも嬉しかったのと、南京を出たことで気が緩んでそこらへんにいた中国人にスマホを渡してバシャバシャ写真を撮ってもらう。

 

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前からはもちろん、後ろ姿までお願いする。

私は強欲で図々しい女なのだ。

 

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達成感にこの笑顔である。

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えええ、やっぱり私超可愛いじゃんね。

最高だなあ!

 

まあそんな戯言は置いといて。

 

てくてくと歩き始めるよ。

 

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美しい。

夕暮れの風は気持ちが良くて、気持ちよくて風に髪の毛がさらわれてボサボサになってもゆるゆる歩く。

 

が、ここでも私は中国の雄大さを舐めていた!!

 

世界遺産にも登録されてる西湖。

 

一周、10キロです♡

(後で調べた)

 

とことこ歩いても、歩いても歩いても歩いても際限なく現れる道。

 

ええ、なんでこんなに歩いてるのに終わりがないんだ?

 

と若干怖くなってくる。

 

疲れ果てて途中で麺を食べて、また歩いて歩いて。いつの間にか夜になって。

 

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サイケデリックなイルミネーションを死んだ目で見ながら歩き続けたら疲れ果てて眠たくなってきた。

 

が、ここで寝たら確実に遭難なので、泣きそうになりながら歩く。

 

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これは有名な遊女の墓らしい。

私も埋めてくれと思った。

 

虚ろな目で「ゆ、優雅な旅!優雅な旅いいい」と呟きながら歩く私をギョッとした目で見てる中国人を無視して歩き続けて、歩いて歩いて。

 

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たまに現れる謎のモニュメントで気を紛らわせながら歩いて歩いて。

 

思い出したようなイルミネーションに心癒されて。

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この時すでに時刻は10時回ったくらい。

 

「hello,Sumika.杭州の旅はどう?楽しんでる?今日は何食べていた?何してる?」

 

ときた香港人のwechatを

 

「いやまだ西湖を散歩してるよ。西湖マジで大きいわ。」

 

といったら。

 

お前は死ぬ気か?

 

と絶句していた。

うるせー、お前が夕方行けと言ったから夜になったんだ。

 

ええん、もう紋浪つかれたよおおお。

 

一周終わった頃には足がもう動かなくなったのでタクシーを止めて。

中国人の女の子たちと相乗りでホステルまで戻った。

 

 道中死んだ目をしてる私を心配した中国女子が私に飴ちゃんをくれた。

梅のキャンディ。

 

酸っぱさと甘さが容赦なく私の体の水分を奪い、私はタクシーを降りたら真っ先に水を買いに走る羽目になった。

 

 疲れ果てて万歩計を見たらその日も狂った数字を叩き出していた。

 

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が。前日さらに狂った数字を出していたので、

 

あんまたいした距離歩いてねえなあ。

 

と訳の分からん感覚のバグった感想を持って終わった。

 

そして次の日も例にも漏れずに寝坊した私は、この度のテーマを「寝坊と体力耐久レース」に変えようか考えながらまた朝から適当な店で麺を食べて1日スタート。

 

この日の目的地は霊隠寺という有名なお寺。

 

おめあては石像群です。

 

バスに乗り込んで一本ですぐつくお手軽さにご機嫌になりながらてくてく歩く。

 

この日はすでに筋肉痛が限界を超えて一歩歩く事に激痛。

 

涙流しながらニコニコ歩くやばい人の完成だ。

 

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ちょっと雲南省の石林を彷彿させる光景に私は大興奮。

 

石窟も洛陽のよりも綺麗に残ってて見応えがある。


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一つ一つ目に収めるように眺めながら、

こんな素敵な風景横目に。

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こんな岩の間を通り抜けて。

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石窟を背にしたお坊さんたちの姿はなんだか絵になるよね。

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中国のお坊さんたちの動きやすさを極めた法衣が結構好き。

お寺で見かけるたびにこっそり写真を撮って密かに集めてる。

 

さて、のろのろ歩いててっぺんまで登って。

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しっかりお祈り。

 

そしていよいよど真ん中の霊隠寺へ。

 

何やら物々しい共産党のスローガンが景観をぶち壊してるけど、そんなの関係ねえ!

 

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中に入ってまたお祈り。

なんの神様かは分からないけど切実に祈りたいことがあったから、ひたすら祈っておく。

 

本殿の仏像は壮大だった。

 

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上海の玉仏禅寺と似てるけど、スケールが違う。

 

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ポカン口を開けていつまでも見てしまう。


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そのままぼんやりとお寺を出たらもう夕暮れだった。

 

気がついたらお昼ご飯を食べていなかったことに気がついて猛烈にお腹が減ってくる。

 

とりあえずホステルの近くに戻ってご飯食べて、そのあとまた西湖でも見に行こうかしらん。

 

そんなことを呑気に考えていた私はこの30分後に核弾頭が落ちることを知らない。

 

この旅行の間、私を心配していた香港のお兄さんはひたすらに私にwechatを送りつけていた。

 

その心配は多岐にわたり。

 

  • ちゃんと食べているのか。
  • 食べたなら何を食べたのか
  • もうホテルに帰ったのか
  • 遅い時間に出歩くな危ないぞ
  • この名所を見逃したらもったいないぞ
  • この名物を食べ逃すな

 

などなどである。

 

旅の寂しさと頼りなさもあって。

そして返信しないとさらにばんばん送ってくるから、律儀に返信していたのだけど。

 

南京二日目の朝ごはんにラーメン食べて。

杭州1日目の昼に牛肉麺食べて。

夜には焼きそば食べて。

杭州二日目の朝にはまた刀削麺という麺類の写真を送った結果。

 

香港人がキレた。

 

霊隠寺のバスで寝過ごして、二駅分歩いてヘトヘトになってホステルに帰り着いた私に、香港人の着信。

 

いつもはメッセージなのに珍しく電話だから、何かあったのかと思って電話に出ると、

 

「今日は昼ごはん食べた?え?食べてない?そのまま飢えた状態でいて。くれぐれも麺なんて口に入れないでね。6時に地下鉄の武林広場駅のBの出口で待ってる。」

 

と言いたいことだけ言って電話を切られてしまった。

 

え?

 

なになに?

 

香港兄さん今、杭州にいるの?来るの?

 

蘇州で仕事してたんじゃなかったっけ?

 

トラブルと刺激に飢えていて、腹が減ってる私はとりあえず行ってみることにした。

 

5時50までは懇々と眠り、またしても寝坊をぶちかまして、約束の駅に着いたのは6時ジャスト。

 

そこから必死の形相でBの出口まで走って階段を駆け上り、キョロキョロと三ヶ月前に京都で拾った姿を頭の中に再現しながら彼を探してると後ろから頭を小突かれた。

 

振り向いたら、香港兄さんがいた。

 

「久しぶりだねえ」

 

と呑気に笑う香港兄さんに、唖然とする私。

 

スマートに私の手から重たいカバンを取り上げて道路側を歩き始める香港兄さんに私は、

 

(これが英国仕込みのレディーファーストか…)

 

と刮目した。

 

もともと香港はイギリスに占領されてた歴史があって英国文化が色濃く残ってる上に、彼は英国の名門大学の院を卒業したという徹底っぷり。

 

熊本田舎女の私は、なんだか気後れしてトボトボと訳もわからないまま着いて行くことにした。

 

高級ブランドが軒を連ねる普段なら私が絶対寄り付かないデパートに慣れた足取りで入り込み、エレベーターに乗って最上階のレストランフロアへ。

 

沢山の高そうなレストランの中から一軒の綺麗なお店に足を踏みいれようとする香港兄さんのTシャツの裾を左手でひしと掴み、右手で汚いがま口財布を握りしめて私は恥を忍んで言ったさ。

 

「ケビンくん、私、お金がないです…。

今夜は夜市で食べ歩くか、蘭州ラーメン食べに行こうよ。私奢るよ!」

 

と死にたくなりながら提案する私を華麗に無視して、

 

「二人なんですけど大丈夫ですか?」

 

と優雅にウェイトレスに聞く香港兄さん。

 

そのまま引きずられるようにしてお店に入る。

 

出てきたお水がこれ。

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これに喜んで写真を撮る私を香港兄さんはかわいそうな生き物を見る目で見つめていた。

 

「何食べたい?」

 

と聞いてくれたので、

 

「角煮食べたい!杭州の名物でしょ!」

 

とやけくそになって言うと、

 

「それを教えたのは僕だよね?」

 

とピシャリと一刀両断されて終わった。

 

運ばれてきたお皿は綺麗で、メニューを見てる香港兄さんは真剣な顔で、私はなんとなく手持ち無沙汰な気分だった。

 

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注文が終わったあと、香港兄さんは私の相手をしてくれた。

 

Sumika,生活が苦しいなら今すぐ香港においでよ。こんなに痩せてかわいそうに」

 

どうやら大いなる勘違いをしている。

 

そう。前回私が彼にあった時は三月で。

私が就活で最も激しくやけ食いをしていた時代で、今より5キロ太っていたのだ。

そして、現在その頃より7キロ痩せているので、彼の目から見れば私がいきなり痩せたように見えるのだろう。

 

彼の話を要約するには、

毎日麺ばかり食べて、せっかく来たのに名物も食べれずにかわいそうだと思った。

美味しいものを食べさせてあげたかった。

麺ばかり食うな。

夜遅くに人気のない道を歩いて快感を覚えるな。

 

とのこと。

 

私は色々言いたいことはあったけど、せっかく心配して来てくれたんだから。

 

ご飯をくれる人に悪い人はいないんだから。

 

と思って、神妙そうに頷いておくことにした。

 

因みに彼は私に飯を食べさせるために新幹線に乗って杭州まで来たらしい。

 

仏かよ。

 

 来た料理は全部豪華で絶品で私は本当につつーっと涙が出て来てしまった。

 

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肉の小籠包

 

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魚と豚肉の角煮

 

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杭州の名物龍井茶の茶葉で炒めた海老料理。

 

が、その料理より私を驚かせたのは香港兄さんのレディーファーストっぷりだった。

 

コップの水が半分を切れば注いでくれる。

角煮は饅頭に挟んで食べるんだけど、香港兄さんは私のために饅頭にお肉の美味しいところを挟んで食べやすくしてくれた。

 

私は一体なんの接待を受けてるんだ…。

 

とまたしても香港レディーファーストに圧倒される。

 

でも一番嬉しかったのは、小籠包の食べ方を教えてくれたこと。

 

茶の本香港人に小籠包の食べ方を習えるなんて、私はラッキーだなあと思った。

 

「こんな美味しいものを食べさせてくれるなんてあなたは本当にいい人だね」

 

と言ったら、一言手短に。

 

「心配。」

 

と返されてしまった。

 

お会計の時にがま口を取り出そうとする私を、視線一つで威嚇して、お兄さんはさっさと会計を済ませて。

 

「なんで君はそんなにお金を払おうとするの?」

 

と不思議そうに聞くので。

 

「日本では男性が全部払う文化はそこまで徹底してないし、君にここまでしてもらうなんてなんだか悪いよ。」

 

と言って、レシートを見せてくれるように頼むと、彼はレシートをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱の中に捨ててしまった。

 

素直にお礼を言えばよかったかなあ。

 

と後悔して、反省して。

 

「ありがとう。本当に美味しかった。感動して涙が出るくらい美味しかった」

 

と言うと、今度はにっこり笑って。

 

「じゃあ僕も幸せだ」

 

と言ってのける彼を見て、これが正解なんだな。と思った。

 

帰りに香港兄さんは夜の街に連れて行ってくれた。

 

一つ一つモニュメントとか道端のちょっとした史跡をわかりやすく解説してくれた。

 

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私が杭州名物の龍井茶を買いたい、というとお茶屋さんに連れて行ってくれた。

 

そして、お茶を買ってホクホクとしてる私に紙袋を渡して来た。

 

ポケットに財布とスマホを入れていた彼の唯一の荷物は私へのプレゼントだったのだ!

 

袋を開けると、香港のスターバックス限定のマグカップと、綺麗な缶に入った香港ブランドのクッキーだった。

 

「さっき買ったお茶。ぜひこれで飲んでね。」

 

とマグカップを指差して笑う香港兄さんにくらっと来そうになる私は落研らしく振る舞うことにする。

 

「ケビンくんあのさ。私に会うつもりで出張に来たの?さっきさ、私が貧乏ご飯ばかりで心配で思わず杭州に来たって言ったよね?なのにお土産用意してるの矛盾してない?」

 

「ノーコメント」

 

「じゃあ、私がケビンくんに頼んでたスマホのカバーも持って来てくれてもよかったのでは??」

 

「強欲な女だな!」

 

香港ではタオバオ(中国の通販サイト)が使えるので、私は彼にスマホカバーを代わりに買ってもらって次に会う時に渡してもらうように頼んでいたのだが。

 

どうやらそれはさっぱり頭から抜け落ちていたようだ。

 

なんだか照れ臭かったけど、しっかりお礼を言ったほうがいいことはさっきのご飯割り勘レシートゴミ箱事件で理解していたので。

 

「ありがとう。私プレゼント貰ったことあんまりないから、結構嬉しくて言葉が出ないや。本当ありがとう」

 

と頭を下げると、困ったような顔をしていた。

 

しょうがねえだろ。

日本人はレディーファーストに慣れてねえんだよ。

 

スマートにプレゼントを受け取ることなんて出来ない。

 

 因みに、ケビンは彼の英語名である。

 

「僕は君に失礼なこと言ったでしょ?君が怒ってないか気にしてた。」

 

なんのことか考えたら南京に行く前に言われた「君の中国語じゃ心配」発言である。

 

 

「ああ、もういいよ。ケビンくん悪気があったわけじゃないことわかってたよ。」

 

 ホステルまで地下鉄で帰ると主張する私に、地下鉄の駅からが危険だろと切り捨てて、タクシーを呼んでくれた。

 

乗り込む時に私が天井に頭をぶつけないように、タクシーのドアのへりに手を当てていてくれた。

 

なんとなく名残惜しい気分だった。

 

意地はらずに南京を案内して貰えばよかったなあ、ともう一回後悔した。

 

ホステルについてタクシーの会計をしようとすると、会計は終わっていた。

 

最後まで完璧なレディーファーストの前に私は完膚なきまでに叩きのめされて呆然と貰った紙袋を両手に抱きしめた。

 

負けねえ。

七月にあいつが日本に来た時、絶対に日本女子の接待能力を見せつけてやる。

何がレディーファーストだ!

avとアニメの国の女を舐めるなよ!

 

と、謎の対抗意識を燃やしてしまうから、私はどうにも恋愛に縁がないのかもしれない。

 

クッキーの缶を開けると、クッキーだけじゃなくて、パラリと綺麗な絵葉書としおりが入っていた。

 

 香港人は電撃のように現れて、嵐のように去って行ったものの。

 

この香港人の存在が後に私の価値観をひっくり返してかき混ぜて、

この香港人のプレゼントが次の日の私を混乱の渦に叩き落とすのはまた別の話。

 

そろそろ七千文字を突破するので、今日はこの辺でサヨナラなのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの中国旅行

 

 就活を終えて2ヶ月になる。

いい加減退屈に耐えられなくなり旅行に行くことにした。

 

行き先は、もちろん中国である。

 

今回の主な目的は杭州の西湖である。

 

そして、南京。

 

6月1日から4までは一人で旅行して5からは家族が来て上海を案内する約束だった。

 

  31の夜に上海に入り、1日に南京に移動することにしていた。

 

この旅行の前に私は放置に放置を重ねてなんの形にもなってないゼミの発表を乗り切らなければならなかった。

 

 徹夜に徹夜を重ねて、栄養ドリンクをゴクゴクと飲み続けて、廃人のようになって廃棄物のようなクオリティのレジュメを作り上げ、朦朧とした意識の中発表を終えてドタドタと電車に駆け込んだ。

 

今回の旅のテーマは優雅な旅

 

これはネタで言ってるんじゃなくて、ガチ。

椎名林檎など聞きながら、少しかかとの高い靴を履いて、お洒落なワンピースなど着て、ドミトリーではなくホテルに泊まる、ちょっとオシャンな旅を目指していたのである。

 

 1日の早朝の高鉄のチケットを買っていたので、優雅な旅にふさわしく慌ただしい朝にならないように、駅から近い宿を検索してとってあった。

だが、これがとにかくたどり着くのが大変だった。

 

まず、今回の旅行では空港から虹橋駅まで直結してると言う空港バスにチャレンジすると決めていた。

 

ので、バス乗り場に行くと、

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まあなんと言うことでしょう。

 

空港バスは今虹橋駅にいると書いてあるではありませんか!!

 

虹橋駅と浦東空港は上海の端っこと端っこなので、

「これは1時間くらい待たないとバスがこねえなあ」

と踏んだ私は、さっさと諦めて地下鉄に乗り込んだ。

 

地下鉄はとにかく混んでいて、周りではハイテンションな中国人が友達とマシンガントークを繰り広げ、恋人達は「ここはてめーらの部屋のベッドじゃねーぞ」と野次を飛ばしたくなるレベルのアツアツっぷりを発揮してる。

 

 私はげっそりとスーツケース片手に地下鉄がホテルの最寄の駅に着くのを待った。

 

 1時間と少し地下鉄に揺られて駅に着くと、もうすっかり夜も更けてる10時ごろ。

 

ここからさらにバスに乗り込む。

 

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スーツケースを盾に、「カリオストロの城」の銭形警部派の部下ばりの勢いでバスに突撃しながら、「ああ、私は今中国にいるんだ」と謎の実感を覚えた。

 

【参考画像】

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そこからバスに15分ほど乗って、迷いながらホテルに着いたのが11時。

 

お腹がペコペコだったので荷物を置いて適当に食べ物を探しに行くことにした。

 

ここで中国のSIMカードが入った携帯を開くと大量の微信が来ていた。

 

この通知の犯人は友人の香港人である。

 

この香港人については前の登場人物紹介で軽く触れたから、これも読んでおいてくれ。

 

 

3月に京都で拾った香港人

 

生粋の香港人で、英語広東語中国語日本語を自由自在に使いこなす、香港超名門国立大学の先生。ハイパーエリートお兄さん。

 

日本語の練習相手が欲しいと言ってたので、

 

「私でよければどうぞ。

その代わり英語と中国語おしえてぽよよ」

 

と言ったら、契約成立。交渉成立。

 

1週間に2回ほど電話でおしゃべりする関係である。

 

 そんな香港兄さんが、蘇州の大学で出張講義をやっているからさあ大変。

sumika,君は蘇州に来るべきなんだ。一緒に周庄に行って、上海を案内してあげる。一人で旅行なんて君の中国語じゃ、、、心配で。」

 

あ?てめえ今なんつった?

 

君の中国語じゃ…。

 

そうか。そうだよな。劉ちゃんもボスもみんな私を心配する。

 

薄々わかってたよ。

私の中国語はきっとまだまだ拙いのだ。

 

でも、私だってこのレベルになるまで3年血反吐吐きながらやってきたのに、悲しくて腹を立てて。

 

「ええ、ええ。左様でございますか。でしたらあたくしは絶対に貴方様には迷惑はかけませんからご安心なすってもうほっといてくださるかしらん。」

 

とキレて行方をくらませた。

 

なにが上海だ。

なにが周庄だ。

 

 

全部行ったことあるもん。バカにしないでよ。

 

てな訳で交渉は決裂。

 

「南京は日本人一人じゃ危ないよ。1日僕は仕事だから先に杭州に行ってから2日に南京においでよ。僕が案内してあげる。」

 

と、なおも言う彼の微信を受け流して、私は予定通り1日に南京に行くことにした。

 

 腹が立っていたし、腹も空いていたのだ。

 

てな訳で深夜食堂よろしく見つけたのは蘭州ラーメンのお店。

 

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さすが上海。

きれいな店内で私もご機嫌になる。

 

この麺を頼んで、

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来たのがこの麺。

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写真はイメージです、と書いてあったけど、写真より実物の方がよい、という稀有な例に出くわして私はとにかく驚いた。

 

これをずるずると幸せに食べてホテルに戻るとホテルの立派さにまた幸せが溢れ出す。

 

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私が五人くらい寝れそうな大きなベッドにダイブしてゆっくりと目をつぶった。

 

畜生、ここにゴージャスなカレピッピがいれば私は今世界一幸せな人間なのに!!!!

 

うおおおお、悔しいぜ!

 

現実の私は自腹で250元の宿代を払って、一人で二人用のでかいベッドに横たわっていた。

 

圧倒的敗北者である。

 

すごすごとシャワーを浴びて、布団に潜り込んでこんこんと眠った。

 

明日は6時の高鉄に乗るんだから。

明日は5時に駅に着かなくちゃ。

明日は4時半には起きなくちゃ。

 

 

そして、夜が明けて。

 

時計を見たら、5時45分。

 

 

もう死んだ方がいいぞ、私は。

 

泣きながら起き出して、ホテルのお兄さんにタクシーを呼んでもらって、髪の毛振り乱して駆け出した。

 

 優雅な旅を場外ホームランしてるスタートに私も自分にドン引きしてる。

 

   結局間に合わず切符を買い換えて、6時半の電車に変更。

 南京に着くのは9時になったけど、まあオッケー。

 

 誤差だよこの程度。

 

 そして高鉄の中でもこんこんと眠った。

 

あっという間に南京について、優雅でリッチな私はさっさとタクシーを飛ばしてホテルに荷物を投げ捨てて、観光の前にお昼ごはん。

 

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南京の名物鸭血粉丝汤という料理

 

茶色の四角いのは鸭血、書いて字のごとく鴨血を固めた食材。

 

多分これを読んでる人のほとんどが顔をしかめただろう。

 

しかし、この鸭血こそが南京の名物なのだ!

 

なのだ!

 

と断言してるが、これも香港人から習った。

 

私の為に、南京で絶対行くべき場所や食べるべきものを大量に送ってきてくれたからだ。

 

 私は彼が送ってきたメッセージに従い、旅をすることにした。

なんてったって彼は南京で1年間交換留学してたのだから。

南京についてはプロフェッショナルなのだ。

 

変な意地はらずについてきて貰えばよかったなあ。

 

と若干後悔した。

 

食べ終わったら夫子廟に行った。

ホテルから近かったからである。

 

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こんな門から入って、


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古い町並みを再現してある街道を抜けていく。


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ここは科挙の会場だったらしい。

 

ふむふむと解説を読みながら先に進む。

 

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そして、境内へ!

 

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赤いのは日本の絵馬みたいなものなんだけど、

私は中国のお寺のこの赤いやつが大好き。
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ここはもともと遊郭だったらしい。

 

おお。なんか優雅な感じになってきたじゃん。

私の旅行。

こうでなくちゃね。

 

そう、ここでやめときゃ良かったんだ。

 

が、何をトチ狂ったのか、私の頭の中のもう一人の私が

「you!行っちゃいなよ中山陵!」

と喚き始めた。

 

ちなみに中山陵は孫文さんのお墓である。

 

そして。脳内アドレナリン出まくってる私は、

 

行くしかねえな。

 

と思ってしまったのである。

 

馬鹿、馬鹿。

本当に馬鹿な女。

 

で、地下鉄乗って、中山陵へ。

 

標識をたどって歩いていく歩く。

 

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こんな道を、

「本当にあってんのかよ…」

と思いながら歩き続ける。

 

標識に目をやると。

 

「中山陵まであと1.6キロ!」

 

とか平気で書いてある。

 

死にたい。

 

化粧は汗で剥がれ落ち、ワンピースは太ももにまとわりつき、厚底の靴は歩くたびに足が痛い。

 

それでもなんの執念に突き動かされたか、私は歩き続けた。

 

ああ、もしも私が中国共産党の幹部だったらきっと車を回してもらえたんだろうなあ。

 

と。使い物にならない頭で考えた。

 

ベンチが目に入ったけど座らなかった。

 

ここで座ってしまったらもう立ち上がれなくなる気がしたからである。

 

そんな風に歩き続けること1時間と少し。

 

ついにたどり着く。

 

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が、この時私は到着した喜びよりも、

 

げえ!まだこんなに階段あるの!なんの冗談だよ!

 

と泣きたくなった。

 

が、泣いてもここに私の涙を拭ってくれるステキなボーイはいない。

 

ダラダラ汗を流しながら階段を一段ずつ登る。

 

さながら荒地の魔女である。

 

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ハアハア言いながら階段を上り、たどり着いた私はこの表情。

 

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か、かわいい!

やり遂げた顔してるううう!

なんでこんなにかわいいの!私!

 

疲れ果ててもう変なテンションになってバシャバシャ自撮りして、登ってきた方向を見下ろして、

 

こんなに登ったんだなあ。

 

と満足した。

 

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天井にある国民党の旗の絵をぼんやりと見つめた。

 

「いいかい、Sumika。中山陵に行ったら必ず天井を見るんだ。そこに国民党の旗が描かれてる。中国国内にこの旗が掲げられてるのはそこだけなんだ。だから、その旗を見るだけで中山陵に行く価値があるんだ。忘れないでね。」

 

と、香港人が言ってたのを思い出しながらぼんやりと天井を見つめた。

 

真っ青な旗。

かつては中国全土にはためき、

今はこの場所だけにしか存在を許されない。

 

たしかに圧巻だった。

 

じっくり見つめて、またひいひい言いながら降りて、明孝陵にも行った。

 

散々歩いて、歩いて、歩いて、

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たどり着いたら、

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閉まってた。

 

私は声を上げて泣きたくなったけど、

 

そのタイミングで棗庄からアイドルの音声メッセージが届いたので持ちこたえた。

 

私が南京にいた時棗庄では日本人会が開かれてたらしい。

 

もしもこの会のことを知ってたら私は一切合切を投げ出してアイドルのもとに走ったであろう。

 

が、なぜか日本人らしくなく連絡が異常に遅い棗庄日本人会の人々は、その宴会のことを私に知らせたのは1日前。

 

その時には私は全てのホテルと高鉄を抑えていたし。

 

香港人に、

「私は一人で立派にやれるんだ!」

と、たんかをきったあとだった。

 

これで棗庄に行ったら私のメンツが立たねえ。

男が廃る。

 

と歯を食いしばったのに、

明孝陵は閉まっていた。

 

ちきしょう!!!!

 

まあそのほかにも色々面白いものが観れたからいいけどさ。

 

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アイドルの声で気を取り直した私はすたすたと帰り道を歩いた。

暗い中でも歩いた。

 

くじけそうになるとアイドルの声を聞いた。

 

ああ、今すぐ棗庄にワープしたい。

 

が、そんな妄想しててもしょうがないのでガンガン歩く。

 

そして、ホテルに着いたのは5時半。

 

私は倒れ込んで深い深い眠りについた。

 

が、猛烈な足の痛みに目を覚ました。

 

時刻はまだ夜8時。

 

猛烈に腹が減ったが、動きたくないのでベッドでゴロゴロしてると、

 

Sumika,夕飯は食べた?」

 

と呑気な微信が来た。

 

「明日食べるよ。今日疲れたからおやすみなさい」

 

「なんの冗談かな?ふざけたこと言ってないでさっさと食べてこい」

 

と、いくつかのレストランの名前を送りつけてきた。

 

百度で検索をかけて一番近いレストランはなんとホテルから歩いて500メートルと近かったので、せっかくだし、腹も減ってたので行くことにした。

 

が。おそるべし香港人。このレストランが凄まじかった。

 

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川床である。

 

たくさん美味しそうな料理があったが、ひとり旅だし貧乏学生なのでドキドキしながらメニューを見ると信じられないほどリーズナブル!

 

中国の食べ物はとにかく一品がでかいので、

悩みまくりながら豆腐のにんにく炒めと肉焼売とご飯を頼んだ。

 

そしてたくさん歩いた自分へのご褒美に、

酸梅湯という梅ジュースと、

青島ビールをオーダーした。

 

せめてビールで山東気分を味わうことにしたのである。

 

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豆腐をご飯にぶっかけながらパクパク食べて、川からの風を感じて、私の幸福度数は限界点を突破した。

 

ほろ酔い気分で店を出て夜の風を楽しみながら、お散歩した。

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水に映る光はとても綺麗で、このままドボンと川に落ちてみたかった。

 

疲れていたからかビール一本ですっかり酔っ払ってしまっていた。

 

見るもの全てがキラキラに見えて、なんでもできるような甘い気持ちになった。

 

こんな夜の空気が吸い込みたくて、私は飽きもせずに中国を歩き回るのだと思う。

 

限りなく自由な気分だった。

 

頼りない足取りでホテルに戻り、ベッドに倒れこんで、その日の歩数を見ると

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まあなんということでしょうか。

 

過去最高記録を更新していた。

 

優雅な旅が、サバイバルに姿を変えていくのをひしひしと感じながら筋肉痛を無視して目を閉じてその日を終わらせる。

 

香港人は、

「僕は君に豆腐を食べて欲しくてあのレストランを紹介したんじゃない!そもそもあのレストランは…うんぬんかんぬん」

 

とかなんとか言ってたけど、それでも私は幸せだった。

 

美味しかったよ豆腐。

美味しかったよ焼売。

ビールは誰がなんと言おうと山東が一番なんだよ。

 

その日は夢を見た。

 

水に映る棗庄の街並み。

 

汚くて未開発で、うるさい町。

 

私の原点。

 

そんな風にして南京の夜は更け行き、次の日私は盛大な寝坊をかますのだけど、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

登場人物紹介(日本編)

 

ニーハオ。

私です。紋浪です。

 

帰国してもう半年たちました。

 

この間たくさんの人に出会い、私の毎日を彩る人の顔ぶれもガラリと変わりましたね。

 

てな訳で、本日のお題は。

 

登場人物紹介(日本編)

 

です!

 

と言っても新しい人のほとんどが中国人だったり?

切っても切っても切れない私と中国の縁が止まらない!

 

てなわけではじめていきましょう。

 

家族とかはこっちに載せといたから。

こっち見ててくれ。

 

さて、始めていきましょうか。

 

 

中国で一年働いてた女子大生の5年目。

思いの外就活を早く終えて、腑抜けのような毎日を送ってる。

 友達なし、金なし、男なし。

の色気のない毎日で、居場所はバイト先。

 

バイト先のお客の人たちと狂った会話を楽しんでる。

 

もともとおかしかった頭に中国語がトッピングされて、クレイジーに拍車がかかってもう誰も彼女を止められない。

 

私とバイト先

 

バイト先

→京都某所。大衆中華料理店。

何十年と歴史を持つ老舗。

店長率いる三人家族が切り盛りしている。

 

店長

仕事が生きがい。

生涯現役。

70過ぎとは思えない元気さで店をリードしてる。

すぐ嘘をつく。

そしてすぐ騙される私を見て笑うのが日課

人の顔をよく見ていて、悲しい気持ちでバイトないくとなぜか気がついて餃子をくれたりする。

 

奥さん

 

店長の奥さん。

一日中鍋を振ったら家事をしたり忙しい。

太陽のような優しさと抱擁感でバイトの癒し。

店の良心。

おすそ分けが趣味。

彼女のおすそ分けで私のダイエット計画は頓挫し続けている。

 

息子さん

店長夫婦の息子。

一見無愛想。

でも一番優しい。意外に毒舌。

店長の抜けてるところを絶妙にカバーして店を誰よりみてるさんの実力者。

ラストに入ると一緒に皿を洗いながらいろんな話をしてくれる。とても楽しい。

 

ドクター先生

 

常連さん。

元お医者さん。品のいい老紳士。

おしゃべりが大好き。

私のことを中国人と間違えたきっかけで友達になった。

 毎日来る。私も毎日バイト。

必然的に毎日顔をつき合わせて話してる。

私の毎日の密かな楽しみ。

 

曾先生

 

中国人の常連さん。

店長のアパートに住んでる。

 

彼については後述。

 

私と友達

 

ちゃいちゃい

モラトリアム続行中。

卒業し損ねた落語狂い。

落語を見ると「滾ってしまいますわ〜」と絶叫する。

ごめん嘘。それは嘘。

卒業し損ねた私と傷の舐め合いをしている。

 

chan momo

共産主義者のラッパー

 

ことねっち

落研の先輩。

社会人2年目の落語おばけ。

 

孤独の東京暮らしの生粋の京都人。

 

で、いつ結婚してくれるんですかね?

 

まつりさん

 

悩める大学教員志望の院生。

私の永遠の心友

映画を見たり、食事に行ったり、買い物したり、彼女の隣でだけ私は女子で居られるのだ。(迫真

 

私と中華圏のみなさん

 

香港くん

京都で拾った香港人のお兄さん。

迷ってるところを助けたのをきっかけに知り合いになった。

英語、中国語、広東語、日本語を操る、香港超名門国立大学教員のハイパーエリート。

 

私の唯一の香港人の知り合い。

 

そんなすごい人とは知らず、金閣寺まで送っていく道中にAVや風俗の話しかしなかったことが悔やまれる。

 

性格が底なしに優しい仏。

携帯が壊れてもwechatが使えなくても中国語が分からなくても英語が分からなくても助けてくれる。

 

「香港の人ってなんでこんなに優しいの?」

と私の言葉を、

「それはね。自分がいなければ何もできないほど相手がダメになれば後々有利だからだよ」

と爆破した実力者。

 

深センくん

 

言語交換の掲示板で知り合った深センボーイ。

が、侮るなかれ。

彼は、本地深圳人なのだ。

 低い声で美しい普通語を話すぞ!

フォトグラファー。

慈悲の大海を胸の中に持ってる。

 

就活中なんども電話で励ましてくれたり、綺麗な写真を送ってくれたりした菩薩。

 

「你工作找到以后来深圳吧。我肯定要照顾你」

 

と、殺し文句を吐き出した。

 

これこそが中国男子。刮目せよ!!!

 

  とにかくいい声。

声がいい。それは大切なこと。

普通語最高。

 

男の低い声の普通語聴くとアドレナリンが出る。

ドバドバ。

たまんねえな。

 

曾先生

 

私の大学に一年限り出張できてる中国人の先生。広東省広州出身。

 

店長の持ち物のアパートに住んでいて、店長の友達。

たまに無給で店を手伝わされている。かわいそう。

店長の嘘にもよく騙される。かわいそう。

 

でもその全てを「社会経験ですね」と受け流す阿弥陀様。

 

 日本語はネイティブ並み。

明治時代の日本と広東省また中国華南地方の関係について研究している。

 

実は結構毒舌で、かなり辛口でいろんな批判を行う。

中国人らしからぬ見解や意見も多くて聞いて話してると全然飽きない。楽しい。

 

10月に帰国予定。

 

耐えられねえ。死ぬしかない。

 

 

まとめ

 

お気付きだろうか?

いや、気付いたよね。

 

中国版より圧倒的に人数が少ないことに。

 

そう。

私は今無力。

 

そして中国にちょっと詳しい人は気がついたはずである。

 

そう。この圧倒的広東語圏

 

中国にいた頃は山東に住んでいたから、広東省や香港は外国(まず全て外国なのだが)のように遠く感じていたんだけど、帰国してから関わった人は全て広東語圏の皆さんだった。

 

 広東省や香港は魔都だとかカオスなイメージがあってなんとなく怖くて敬遠していたんだけど、出会った人はみんな底なしに親切で、感動することばかりなのだ。

 

広東語は、中国語と全く異なる言語です。

 

日本語と韓国語レベルで違います。

 

でも、広東省や香港の人たちの母語はこの広東語なんですね。

 

生まれながらのバイリンガルの彼らが単一言語の国に生まれ育った私にとっては宝石箱のように面白さが詰まった存在なんですね。

 

 香港人深セン人と知り合って、話を聞くうちに広東語圏で同じでも全然違うこと。

 

そして最後に先生と知り合って、総合的に見た広東語圏のことを教えてもらって私の興味はますます広がっていくばかり。

 

中華圏はだからこそやめられない。

だからこそ癖になる。抜け出せない。

 

てな訳で今年の夏休みは香港と広東省に行ってきます。

 

みんなからいろんな場所を教えてもらって今からとても楽しみ。

 

腹黒香港人と甘口アート深セン人と広州天然大学教員、日本にいても私の周りを彩る中華系男子に最大の感謝とラブを。

 

でも、実際そろそろ劉ちゃんみたいなピリリと毒牙聞いた中華女子ともお近付きになりたいなあ。

 

そんなわけでこのページは時々更新されるよ。

 

次回からのブログはこれらの人たちも出てくると思うからまあたまに分からなくなったら参考にしてくれ。

 

 

 

 

 

中国語就活に活きるかどうか問題に終止符を打ちたい。

 

こんにちは!

お久しぶりです。私です。

 

 最近何もすることがなさすぎて、香港人から

「sumiiちゃんは死ぬのを待ってるの?」

と言われた紋浪です。

 

 この香港人も相当面白いんだけど、今回のテーマは香港人ではなくて、ズバリ!

 

「中国語は就活に活きるか否かどうかの問題について!」

 

です。

 

とにかくよく聞かれるので、今回は思い切り語りたいと思います。

 

まず、結論から言うと中国語は就活に於いては大量殺戮キリングマシーンです。

 

 かなり使えます。

 

私はそれまで、自己分析もしたことないし、

面接対策もほとんどした事がなくて周りと比べてスタートが大幅に遅れていました。

挙句12月から就活を始めるというわけのわからないポンコツ就活生でした。

 

毎日本当に不安で仕方がなかったのを覚えています。

 

でも、内定を勝ち取ったのはやっぱり中国語という大きな武器があったからだと思います。

 

 

 

 私は12月に帰国して、就活の準備して、

1月に就活をスタートさせて、

3月には大手化粧品メーカーの中国関連事業部を視野に入れた内定を頂いて就活を終えました。

 

将来は中国語をガンガン使って働く予定です。

 

今めちゃくちゃ幸せです。

 

国内最大大手のマスコミはミスマッチで選考辞退しました。

ESは落ちたことがないです。

 

 

  中国語は、私にとって就活をするときいつも心強く支えてくれる参謀でした。切り札でした。

 

中国語があったから私のような平凡な人間でも比較的ストレスフリーに就活ができたんじゃないかなあと思っています。

 

私は、中国の田舎町で1年間日本留学斡旋会社でインターン生として働いていました。

中国語能力に関しては、HSK6級を持っています。

 

その他、ESに書いたのは3年間にわたる落研での活動。

飲食店でのアルバイト、中国語の通訳アルバイト経験です。

 

就活は本当に大変でしたが、結構楽しいことも多かったです。

 

やってる中で、就活での中国語の活かし方もかなりわかったので中国語を勉強する後輩たちのためにも書き残していきます。

 

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その1 企業はあなたの語学力を理解できない!?

 

TOPIK,DELI,DELF

 

なんのことかわかりますか?

 

これは、韓国語、フランス語、スペイン語の検定です。

 

 そして私、中国語学習者が情熱を注ぐHSKも中国語と関わりのない人たちにしてみればこれらの検定と同じでよくわからない何かなんです。

 

平気で、「HSKって1級が一番すごいの?」と聞いてきます。

 

 ※HSKは6段階で、6級が一番難しい級です。

 

だから、間違っても面接官や人事の方たちが

「HSK6級?なに?」

みたいな反応をしても、

 

「面接官無能」

 

などと言ってはいけない

 

面接官の方も人事の方々も中国語ができるあなたを採用するためにあるわけじゃないんです。

彼らはいい人材を取るためにいます。

そして、彼らは人を見るプロです。

あなたの面接官への苛立ちの表情、バカにした表情、一瞬の感情による表情の動きを絶対に見逃しません。

 

そこでエンドです。サヨナラです。

 

じゃあ、HSK6級や中国語検定の資格は無駄なのでしょうか?

 

そんなことはありません。

 

アピールする方法を変えましょう。

 

単にHSKを持ってます! と踏ん反り返らないで、

 

「通訳のバイト経験があります」

「1年間中国人の家庭で生活しました」

「中国人の友達の家に遊びに行ってホームステイしました。」

「実際に中国現地でインターン生としてビジネスの現場で働きました」

「中国人の同世代の友達と友達になって一緒に旅行したり毎日ご飯食べたりしました」

「中国現地の企業の内定を持ってます」

 

以上、全て私が使ったエピソードです。

 

このように具体的な経験や、わかりやすいエピソードを語る練習をしましょう。

 

この方が親切じゃないですか。

 

わかりやすいじゃないですか。

 

そして、わかりやすいエピソードは面接官や人事の方の記憶に残りやすいです。

 

「中国現地の企業で簡単な通翻訳の業務をやりました」

 

と言えば、HSK6級と言うより、よっぽど面接官の方々はあなたが中国語を流暢に話すことを想像しやすいと思います。

 

私のようなインターンでなくても、

 

「中国現地で日本語が話せない中国人の友達になって一緒に旅行しました」

 

みたいな普通ので大丈夫だと思います。

 

大事なことは自分の語学力をわかりやすく面接官にプレゼンすることです。

 

面接官や人事の方々に中国語を操るあなたを想像させることを考えて話してください。

 

自分のフィールドから出ずに、ESにHSK6級と書き続けるだけではなにも生まれない。

 

その2 中国語を使える場のある企業を選ぶ

 

中国語がすきですか?

 

私は大好きです。

 

帰国するときボスや同居人をはじめとする中国の仲間たちの手を離し、高鉄に泣きながら乗り込んだあの瞬間、絶対にまた中国に戻ると決めていました。

 

そのためならばどんな艱難辛苦であろうと舐め回す覚悟がありました。

 

 が、帰国した私を待ち受けていたのは中国に戻るにはどうすればいいのか全くわからない現実でした。

 

 片っ端から中国に拠点を持ってる企業の説明会に通い詰めました。

 

中国に行きたかったから、説明会の後は「実際に中国で活躍されてる先輩社員の方はいらっしゃいますか?」と聞きました。

 

yesという答えをもらっても絶対にここで終わらずに、

 

「だいたいどのくらいの期間で皆さん行かれるものなんでしょうか?」

 

と詰めます。

 

ここで不機嫌になる人もいましたし、

「五年、十年」

と答えられることも本当に多かったです。

 

そんな時は丁寧にお礼を言って、一つ一つリストから消していくのです。

リストがゼロになったらまた新しいリストを作るんです。

 

 日経新聞の電子版で「中国」と検索をかけて、進出していたり、中国市場強化、などの記述を見るとすかさずリストに加えました。

 

  ヒールを何足も何足も履きつぶして、毎日大阪に通い詰めました。

 

中国語だけでなく、語学に自信がある人は往往にして商社や物流を希望すると思いますが、

きっと商社や物流には同じような語学がすきな人が集まります。

 

そこで潰し合いをすることを否定はしませんが、私はあまりオススメはしません。

 

最初は国際系ばかり見ていた私ですが、

大手機械メーカーで働いている先輩から、

「機械メーカーの海外事業部は今人が足りないしアジアが熱い。受けてみたらどうか?」

と言われて、理系が大の苦手な私も挑戦してみることにしました。

 

そして、この世の中にまだまだ中国に打って出れる人を必要とする企業の多さに驚きました。

 

機械メーカーや素材は軒並みESが通り、専攻の調子も上々。

 

中国語、と固執しすぎて業界を絞りすぎていたことを知りました。

 

が、私はここで壁にぶち当たります。

 

機械メーカーで働く自分を想像できなかったんです。

 中国に行くために2.3年と言われる機械メーカーでしたが、私はその中身に興味と自分の居場所を見つけられませんでした。

 

そして悩みながら、

中国にいた頃のことを思い出しました。

 

私が中国で学んだことはなに?

 

中国で得たことは?

 

中国にどうして行きたい?

 

一日中考えた時、思い出したことはメイクでした。

 

日本では常時スッピンで、化粧など知らなかった私に。

 

顔に自信のなかった私に、一つ一つ丁寧に化粧を教えてくれた同居人。

 

私の泣き顔を丁寧に拭き取って、口紅を引いてくれたあの瞬間が私の始まりだったと思った。

 

だから、何か美に関係するもので、中国に出ていければ、私は中国に何か返すことができて、やりがいを持って仕事をできるのではないか、と仮説を立てました。

 

化粧品会社のリストを図書館から見つけてきて、片っ端から検索をかけてホームページに入り、IR情報を探り、中国進出情報があるとメモしました。

 

その中でも中国営業事業部を持ち、現在中国営業に最も力を入れている会社を見つけ出しました。

 

この頃私は毎日大阪に通い、5時間はパソコンを開いて受ける企業を探し、三時間はESを書いていたと思う。

 

そして、私は無理を承知で化粧品メーカーの選考に渾身のESを提出しました。

 

専攻の会場に行くとみんな綺麗でおしゃれな人ばかりでしたが、

私は有り余る贅肉をリクルートスーツに詰め込んで、この目の前の美人を全部なぎ倒して内定を勝ち取ると決めていました。

 

  泣きそうになったら自信がない時は、中国で化粧をしてもらって嬉しかったあの日を思い出しました。

 

 面接の時は、中国のあの日のこと、インターンのことを積極的に話しました。

 

 

よく、留学や海外は受けが悪いと言われますが、

私は自分の一番好きなこと楽しかったこと誇れることが留学ならその話をしていいと思います。

 

無理をして別の話をするより好きなことを話す方がいい顔をしていると思うし、実際に感触も良かったからです。

 

その3 中国語はあなたの全てなのか?

 

中国語だけでなく留学経験者の人に沢山あってきました。

 

留学経験者の多くの人が、留学以外の話をしません。

 

海外経験は本当に人生の財産とは思いますが、果たしてそれはあなたの人生のすべてなのか、と私は常々疑問に思います。

 

高校生の時の部活の汗、

大学の時のバイトのこと、

サークルのこと、

受験のこととか、大学のゼミや研究のこと。

 

いろんなものを忘れないことは本当に大切だと思います。

 

就活の集団面接の時、私の一つ前の女の子が

「私は中国の四川に挨拶レベルで留学して、

HSK6級に合格しました。」

と自己PRをしたことがありました。

 

その時、私の頭は一瞬真っ暗になって。

次の瞬間

 

「私の大学時代に最も力を入れたことは落語研究会の活動です。

話すのが苦手だから克服しようと思って始めたことですが地域密着型のボランティアで100箇所近くの老人ホームを回って慰問公演をしました」

 

と言ったんですね。

 

私も自己PRでは中国のことを話すつもりでした。

ESにも中国インターンのことをびっしりと書いていたのです。

 

が、頭の中を切り替えて落語の話をしました。

 

面接官は当然驚いて、

中国のことを聞いてきました。

 

私は、山東の田舎でのインターンの話をしました。

隣の未確認生物のような得体の知れない女が、山東の田舎でビジネス経験をしていたと話し出したことに空気が凍って。

 

さあ、今度顔が青くなるのは四川留学美少女です。

 

彼女は見るからに動揺してその後の受け答えができなくなってしまいました。

 

このパターンは本当に多くて、留学経験者のやりがちな失敗として①留学経験を過信しすぎる

②留学経験がウケが悪いというわけのわからない噂を信じて活かしきれてない

の二種類が大きくあると思います。

 

留学は本当に素敵で素晴らしいことですが、それだけがあなたの人生というわけではないはずです。

 

残酷な話、留学してHSK6級取っただけの人なら、自分の会社の社員を一人中国に送り込んで一年中国語勉強させれば簡単に作り出すことができるんですよ。

 

だからこそ、留学した、というラベルだけを自分に貼り付けて戦わないで、サークル、大学の勉強、バイト経験、たくさんのラベルを貼り付けて自分だけのブレンドを作っていくことが本当に大切だと思っています。

 

 

あとがき。

 

クラスタ、界隈、という言葉が嫌いです。

徒党を組んで新参者の参入を拒んでいるのは、そのコンテンツのど真ん中にどっかり偉そうな顔をして居座ってる人たちのせいだと思ってます。

 

だから、私は中国にインターンに行ったときも日本人のいない街に行きました。

 

私はいつもアウェイでいたいとおもってます。

徒党を組んだら成長は止まります。

生きることは試練です。戦争なのです。

 

中国語を持ってるのに、就活が決まらない、と仲間内でうだうだ言ってる前に中国進出してる企業を、日本に星の数ほどある中国語を生かすステージを探し当てて戦って行きましょう、明日も明後日も。

 

そしていつかは就活よりもっと怖い中国市場で勝負かけていくんですよ、打って出たいんですよ私はね。

 

これから中国語を勉強する人。

中国語を使って就活したい人。

 

そんな人たちにこのブログが届くことを祈って、今日はこの辺でさよなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒を飲む女

 

ブログのお題を募集したらこんなのが来ていた。

 

 

 

酒と、女。

 

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まあ私が女だから、女が書く酒の話ということで筆をとってみようと思う。

 

 

 

中国にいた頃、とにかくひどい飲み方をしていた。

死ぬまで飲む、飛ぶまで飲む、潰れるまで飲む。

そして周りに迷惑をかけまくる。

 

そんなロクでもない飲み方をした。

 

地面にお好み焼きを作ったこともあったし、

とんでもないことを口走ったこともあった。

 

ボス、劉ちゃん、佐藤夫妻、駐在員のお兄さんたち。

 

中国で私に関わった人々全てが私から酒で迷惑をかけられていたように思う。

 

が、一番迷惑をかけられていたのはやっぱり日本人の人たちだったように思う。

 

 強がり抜きでいうと、中国で寂しいと思ったことはなかった。

 

私の周りには常に誰かがいたし、友達もたくさんできた。

ボスは問題がたくさんたくさんたくさんある人だったけどまあまあ優しくて、(ボス曰く)一休さんと将軍のような関係だった。

 

が、私は中国にいた頃かつてないほど酒ばかり飲んでいたのだ。

 飲む理由を探して飲んで、挙げ句の果てには自分で買って飲み続けた。

 

なんでだったのだろうか?

 

 理由はたくさんあると思うけど、多分私は嬉しかったのだと思う。

 

毎週佐藤夫妻の家で、お酒を飲み、時には駐在員のお兄さんたちがやってくる。

 

その瞬間は私にはなんのストレスもないのだ。

 

毎日外国人としてなんとなく中国人の求める日本人を演じることをし続けなければならないように思い込んで、オーバーリアクションでご機嫌な外人を演じて。

 

 百パーセントの思いを口にする為にはなかなか語学力が付いて行かず、歯がゆい思いと幾度とない諦めと失敗が繰り返された。

 

でも、数週間に一度日本人に囲まれてお酒を飲んでいるときは、私は自分の気持ちや言いたいことを口にするのになんのストレスもなくて、母国語の甘みと豊かさを心ゆくまで享受したものだった。

 

私はお酒に酔いつぶれるのと同時にその心地よさにも酔いしれていたのだろう。

 

 ここではたとえ飲んで潰れても死なないし、

わけわからんおっさん(ボス)に振り回されることもない。

 

そう思うともうだめだった。

 

その瞬間は自分が普通の自分でいれることが幸せだった。

 

そう、中国でお酒は私にとって、鎧のようにまとった外国人の自分を脱ぎ捨てる幸せな瞬間を運んでくるものだったのだ。

 

そして、それと同時に中国人と仲良くなるための手段でもあった。

 

幾度となくボスに連れていかれた商談の飲み会では、珍しいお酒を勧められるたびに、

 

「ええ!こんなお酒日本にはないよ!初めて見た!」

 

と大げさに驚いて、勢いよく飲み干したものだった。

 

 恐ろしいほど度数が強くて、ほんのり甘くて。

 

私がグラスを空けるたびに大喜びされるのが嬉しかった。

 

私は外国人としてちやほやされることもちゃんと楽しんではいたのだ。

 

だけどやっぱり、ボスが飲ませてくれたり、商談の席で飲ませてもらえる高いお酒よりも、

週末に倫子さんたちと一緒に飲む、日本から持ってきた日本酒とか、中国の安いお酒は美味しかったなあと思う。

 

 だから、日本に帰ってお酒を飲むことはなくなった。

 

 お酒で吹っ飛ばしたい鎧や、装った自分がいなくなったからだ。

 

が、その2ヶ月後。

3月には、私はとにかく毎日夜になればお酒を飲んだ。

何本も何本も度数の高いお酒を空けた。

 

そして一人で具合が悪くなって、

 

「酒を殺すなら酒しかない!」

 

などと、トンチンカンなことを言いながらヤケクソに迎え酒をかまして、朦朧としていた。

 

就活である。

 

毎日毎日繰り返される説明会、面接、グループディスカッション。

 

周りの人たちが自動的にライバルになってしまう中で、私は再び鎧を纏って剣を取り、戦士へと身を変えた。

 

そして、戦地である大阪から京都の家に帰ると、ハイヒールを脱ぎ、リクルートスーツを脱いで、冷蔵庫からお酒を取り出して一気に飲み干した。

 

ぼんやりしていると、ただ楽しかった頃に戻れる気がしたのだろうか。

 

 酔うまで飲んで、そのまま眠る。

 

あの頃、お酒をたくさん飲んだのはやっぱり、体の中をアルコール消毒するように自分で演じる何かから離脱したかったのだろう。

 

そして、就活が終わりお酒を飲むことはなくなった。

 

最近はたまに一人で飲んだりすることもあるけれど、そんなことをするよりは中国語の映画でも見た方がよっぽど幸せで満たされた気持ちになる。

 

 酒を飲んでは映画が理解できなくなるから飲まない。

 

のんでも理解できるようになるのが理想なのだけれども…。

 

私は今、何も装ってなくてそのままの私としてただ静かに平凡に生活するから。

 

脱ぎ捨てたい自分がいないからお酒を飲まない。

 

これが答えとするなら、お酒は私にとって立場や理性を吹っ飛ばすもので。

普通の人と同じごくごく一般的な思いをお酒に対して抱いている。

 

 

 だから、この話で私が言いたいことはね、

落語研究会の皆さん、中国の皆さん、大学の皆さん、私がやらかした酒の失態その全てに対して本当にごめんなさい。すいませんでした。

 

んで、綺麗さっぱり忘れてくれよな!

 

だって、古くからこう言うでしょう。

 

「無礼講」

 

失態、ダメだったこと、悪かったこと、

その全てを水ではなく、酒に流して、酔いが覚めるように忘れてくださいよ、ね?ね?ね?

 

 

そんな感じで今日はおやすみなさいー。