激烈!中国ビザセンター予約日記その①
にーはお。
紋浪です。
前回
ダラダラと中国に行けなくなって、でも4年ぶりにいくことになったということを書いた。(雑すぎるまとめ)
さて、今回はビザ申請のお話である。
実は私は今回自分でビザ申請をするのは初めてで、かなり緊張している。
2018年中国にいた頃は、危うく私のこの「紋浪ちゃんの覚書き」と言うブログを「中国パパ活愛人日記」に書き換えようとしやがったボスの権力と人脈と闇の力によってビザが降りていたので、
真っ当にしっかり自分で書類を揃えて申請するのは今回が初めて。
ボスについて知りたくなった人はこの辺りを読んでくれたらいいんじゃないかな。
知ってもいいこと一つもないけどね!
ウオッカ10杯分くらい自分に酔いしれて綺麗にまとめてるけど、とんだ変態オヤジに騙されかけてたもので、その節お世話になった中国人にはマジで謝りたいし改めてお礼を言うべきだろう。
話を元に戻す。
とにかく、情報をTwitterや知恵袋から拾い集めてきて調べたところ、
まずビザを取る前に、
航空券→中国に入る航空券と中国を出る航空券の
便名の記入をしなければいけないから。
ホテルの予約証明書→中国でホテルを取ったという証明書の提出が必要。もしも友達の家に泊まるなら、その友達に招聘状を作ってもらうこと。
この二つが必要ということから、
航空券とホテルを押さえた。
まーた、このホテルっつーのがめんどくせえんだよ。
それが、
中国、外国人が泊まれるホテルとそうじゃないホテルがある問題。
中国では、外国人は中国についたら48時間以内に最寄りの公安に居留許可を届け出ないといけないんだけど、じゃあ外国人がいつもそんなめんどくさいことしてるかと聞かれたら当然そうではない。
じゃあ誰が公安にこれを出してくれてるのかというと、ホテルがまとめて出してくれているのである。
ただ、中国の制度上(私もよくわかってないけど聞いた話を繋ぎ合わせるに)、この外国人を泊める手続きをホテルがやるにはホテルが特別な許可を取らないといけないらしく、
この許可を取ってるホテルは外国人を泊めてくれるけど、取ってなければ泊めてはもらえない。
そして、さらにややこしいのは
中国言ってることとやってることがバラバラ問題。
我ら外国人サイドもこのように中国のすべてのホテルが外国人を受け入れてくれないということはわかっているので予約時にかなり気を使って外国人が泊まれるかどうかを確認しながらホテルを探す。
の、だが。
ホームページに外国人okと書いてあっても、
現地に着くと平気で無理です!と言われる。
さらにひどい時は電話で確認したのに、
「あの答えは間違えだったヨ!」
と言われて外に放り出される。
ちなみに、私も過去に放り出されているよ!
↑
その追い出された時の日記。
…とにかく。
学生時代と違って時間に限りもあるし、中国にいる時間を1秒も無駄にしたくないので、
確実に泊まれるホテルを探すべく私は普段はあんまりしない手を使うことにした。
目には目を、歯には歯を、中国人には中国人を。
というのは、私が昔作った言葉だけれども。
中国に住んでる中国人の友人たちに、
予約しようとしてるホテルに電話してもらい、
しっかりはっきり「外国人が泊まれるホテルなのか?」と確認してもらうことにした。
なぜか知らんけど、私が自分で問い合わせて、
「あ、やっぱり無理だったテヘペロ☆」
みたいなことが発生したことは数多くあるけれど、
中国人に頼んだ場合こういうことになったことは今までに一度もないので、ここはお願いすることにした。
てなわけで。
wechatを手に取って、中国の友人たちにこのホテル問題に対して救援を求めたところ浮上する
中国人、人の話を聞かないで好き勝手勧める問題
に直面する羽目になった。
まずは、連絡を取るならこの人。
広東の先生!!
広東の先生とは、私が大学5年生の時に王将でバイトをしていた時に出会った中国の大学の先生である。
1年間だけ研究の為に日本の京都の大学に来ていて、店長の建てたマンションに住んでいた。
日本人と日本と日本語を研究者として研究している先生は、チャイナなコミュ力を遺憾なく発揮しあっという間に店長を骨抜きにし、バイト生だった私は今時珍しい中国大好き女子大生だったこともあり、先生から中国語を習い、私は先生の論文の手伝いをしていた友達のような先生のような人である。
先生があんまりにも、自分の地元広州に来い来いと言うので、広州にも会いに行ったし、
なんなら店長を連れて行ったこともあった。
ネイティブレベルの日本語を自由自在に操り、
うっかり日本人と間違えそうになるが、
彼の脳みそにインプットされてるのは間違えなく中国人脳回路である。
今回、処理水の件や、独裁体制の強化や反日の空気も私が最後に中国に行った2020年1月2日よりも確実に日中関係が悪くなっているのと、
現地の空気感が全くわからないので、
上海以外は全て知り合いがいる街に絞り込んで渡航先を決めた。
故に、先生がいる広州は10日のうち4日を過ごす滞在先なので、ここのホテルを抑える必要がある。
と、いうわけで。
いくつかめぼしいホテルを見つけてきて、
wechatで先生にメッセージを送ってみる。
「先生〜!紋浪です!1月中国行くんですけど、観光ビザ申請のためにホテル予約しないといけないんです。だから、ちょっと面倒ごとですみませんが、この三つのホテルでどこが便利かと、外国人が泊まれるかどうかホテルに確認していただけませんか…?」
「紋浪さんー!久しぶりですね!え!中国来ますか?広州ですね!歓迎歓迎!どこ行きます?何食べます?私のおすすめは…!」
「そうなんですけどまずホテルを、」
「この前行った時は〇〇ってレストランに行きましたけど、紋浪さんあそこ好きでしたよね!また行きますか?」
「ホテルを………」
お得意の「話を元に戻す」
が一向に発動できない。一向に話が元に戻らない。
私が5回目くらいの「ほてる…」といったところで、
「え!ホテルなんていいですよ!私の家に泊まりなさい!部屋余ってるから!子供や妻も喜びますよ!」
でたでたでた!
「いや、ホテルがないとビザが取れないのでとりあえず予約しないといけなくて…」
「じゃあビザ取れたらホテルキャンセルしちゃえばいいですねー!」
全く話が通じてない気がするが、
とにかく観光ビザ申請にはホテルの予約証明が必要だと言うことは理解してくれたようで、
外国人が泊まれるかどうか確認してくれた。
と、言うわけで。
広州のホテルについては先生の家からめちゃくちゃ近いところを、お勧めしてもらえたのでとにかくそこを予約した。
中国人は人と人の距離が非常に近い。
若い世代は変わってきてはあるものの、
彼らは1人である時間を必要としない人はまだまだ多く、こうやって気軽に家に誘ってくれるのである。
ただ、家に泊まった場合全ての旅程はコントロール不全となり、中国人の思うままによくわからない観光地や果ては彼らの友達や家族巡りをすることになり、最後はよくわからない円卓を囲むことになるのである。
今回のテーマは、オトナ女子のオシャレな女子旅なので円卓と親戚巡りは勘弁願いたい。
彼らの辞書にちょっとあって夜ご飯だけチャチャっとと言う言葉はおよそ存在せず、
会うとなれば早朝朝ごはんから深夜までおよそ14時間くらいをピタピタにくっついて過ごすことになるのである。
ただ、私は結構寂しがり屋なのでこういうゼロ距離で容赦なく巻き込んでくれる彼らの懐の深さと適当さが大好きだ。
大好きだけど、なんにせよ広州で服買ったり変なところも行きたいので、(中国人なら見向きもしないような現地のスーパーとかゆっくり見たい!)4日ピタピタは困るけど、何日間は多分ホテルをキャンセルして先生の家にお世話になろうと思った。
さて、次。
無錫氏
この子は、中国企業に中国から大阪に派遣されてる中国人駐在員である。
仕事でメンヘラ拗らせてめちゃくちゃに酒を飲む私に中国の殺人的な飲みニケーションで身につけたアルコール処理能力で付き合ってくれるかけがえのない私の社畜仲間である。
大阪で出会ったけど、中国語の標準語の発音がべらぼうにいいので、中国語も教えてくれる人である。
彼がちょうど旅行に行く時は無錫にいるらしいので、せっかくなので行ったことない無錫を案内してもらおうと思いついて、
「無錫行きてえなあ。むしゃくしゃしてるだけに?」
と言ったところ、
私のしょーもないギャグは完全に無視されたものの。
仕事柄取引先の日本人のビザを下ろしまくってる経験からどうやってビザ申請をすればいいのか事細かに教えてくれた。
「本当に無錫きてくれるの?」
「うん!行ってみたい!」
「10日は無錫は長いと思うけど、ゆっくり観光しよう!」
「…!?」
なんで10日全部無錫になってるんだ!
違う違う!
さらっと勝手に私の旅程表を無錫一色に書き換えようとするのを阻止して、無錫氏の仕事が休みの日を聞き出して、無錫に行く日を決定する。
さあ次はホテルである。
先ほど広東の先生にお願いしたように、
無錫の外国人が泊まれるホテルを調べてもらおうとすると、
「え!ホテルなんていらないよー。僕のマンションに泊まればいいじゃない!部屋余ってるよ!」
いや、そりゃダメだろ!
広東の先生の場合はご家族がいるのでホームステイだが、無錫氏は独身男性である。
「いや、そりゃ悪いよ。無錫のホテル泊まってみたいし」
「えええ!無錫のホテルなんて普通だよ!うちに来なよー!」
誤解を招かないようにしっかり書いておくけれど、この場合彼に悪い感情はないのである。
単純に、ホテル高いし、航空券も高いし、
うちに泊まれば安いし、なんかあったとき助けてあげられるし、という善意の塊のような申し出なのだ。
とりあえずこれもまた、果てしない攻防の後で全く同じ結末で
「まあ、ビザ取れたらキャンセルすればいいし。
キャンセル無料のホテルで外国人泊まれるのはここだから、ここにしたら?ビザ取れたら教えてねー。」
と言うひと言を聞いて、
私は絶対にギリギリまでビザが取れても言わないことを決意した。
勝手にキャンセルされたらたまったもんじゃないからである。
とにかく、どっと疲れながらも広東の先生と無錫氏のおかげでなんとか外国人が泊まれるホテルを予約して、ホテルの予約書と飛行機のeチケットを手元にそろえたところで。
いよいよ本番のビザセンター予約である。
それにしても。
中国とはなんとめんどくさい国なのだろうか。
少なくとも今の中国は観光で行くにはある程度の中国語と中国人の手助けがなければ難しい気がする。
手元に全てのものが揃っていよいよと申請というところで、
なんだかどっと疲れてきて、
もうこれを申請するのには明日でいいかなあと後回し癖を発動しそうになったところで。
ベットに倒れ込んでぼーっとスマホを見ていたらwechatのメッセージが届いていた。
「広州の観光商店街に来てます!ここは20年近く来てなかったけど、あなたが来るからひと足先に下見に来ました!」
なんだかそれをみて泣きそうになった。
海の向こうに、私が来ることを待っててくれる人たちができたことは中国語を勉強してきて私が得た最高の宝物である。
いろんな人たちが、好き勝手ながらも話を聞かないながらも、それでもそれでも本当に私のためにすごく力を貸してくれている。
声が大きくて。
話を聞かなくて。
デリカシーがなくて。
でも変なところで繊細で。
泣きたいくらいに情に熱くて、おせっかいで、
果てし無く無邪気。
そんな中国の人たちが私は大好きです。
そんな人たちが14億人めちゃくちゃながらも逞しく暮らしてるのが中国という国なのです。
ここまで助けてもらっといて
「やっぱりビザ取れませんでしたー!」とは言えたもんじゃないからこそ、
ベットから立ち上がってパソコンを開いてさあ、まずはビザセンターの予約!
と言うところで今日もすでに5000文字を超えてしまってるので今日はここまで。
中国に行くまで今日でピッタリあと100日。
楽しく愉快な旅行にしよう。
これからが、本番なんだからね!
それでは、みなさんまた明日。
ざいじぇーん!
四年ぶりに中国に行くまでの話
ニーハオ。
紋浪です。
3年間放置してたこのブログも、ついに再開する時がやってきた。
なぜなら、中国に行くからである。
大事なことだからもう一度言う。
中国に行くからである。
いやね。
本当に大事なことだからあと一回かましとくね。
中国に行くからである。
コロナ前の2019年は2ヶ月に一度は中国に渡航。
2018年は中国に滞在。
そして、2020年の1月2日を最後にコロナ禍で、私は中国に行けなくなってしまった。
(2020年の正月広州で撮った写真)
趣味=中国渡航
生きる意味=中国渡航
だった私は、中国に行かなくなってたった3ヶ月で死ぬほど病み散らかした。
↑
その時書いたブログ。
病み散らかしてる私の文章力が輝く力作(自画自賛)
2020年1月2日に中国に行ったのが最後だから、そこからもう3年以上中国現地には行けていない。
この間に私にも働き始めたり、
どうしようもない香港人の彼氏とグッバイしたり、
いろんなことがあった。
中国は、ゼロコロナ政策通り越してバカコロナ政策としか言いようがない、潔癖コロナ対策を実行。
3000万人住む上海をたった数千人の感染者が出ただけで2ヶ月ロックダウンを敢行。
中国人民は地下鉄に乗るのにもpcrの陰性証明書を提出させられ、
毎日pcrのために鼻の穴に綿棒を突っ込まれ続けた。
病院に入るのに陰性証明書が必要なので、緊急対応が必要な妊婦さんは陰性証明書がないと言う理由で病院に入れず病院の前で流産したし、
極めつけは新疆ウイグル自治区では、マンションが大火事になったのに、そのマンションがコロナで封鎖中だったので、部屋の外から施錠されてて人々は逃げられずに焼け死んだし、
消防車もコロナで汚染された地区には入れず、、などというもはやどっからつっこんだらいいのかわからない混沌とした中華人民共和国のゼロコロナ対策は、「あと5年は続けるからな!」
という共産党の大号令の下、各地にコロナ患者を収容するための大規模な収容所がガンガン建設され、長期戦が覚悟された。
私も、
「あーあ。あと5年も中国行けねえならもう中国のことは諦めて別に生きがい探さなきゃ行けねえなあ」
と思って兼ねてから興味があったロシア語を勉強し始めたら、
ロシアは戦争を始めた。
話を元に戻す。
とにかく、私を含めて中国に興味があった外国人にとって悲しいことに中国はもう一生行けないかもしれないなあ…と言うくらいに遠い国に成り果てた。
のだが、
去年のワールドカップで、サッカーの試合を見ていた中国人民は覚醒。
大声で雄叫びを上げる各国の熱狂的なサッカーサポーターの姿を見て、
「え?外国みんなマスク外していろんな国を行き来して大騒ぎしてるやん…。俺らだけバカみたいやん…」
と、いよいよ現実に気づき始めた。
そう。
言論統制国家の中国の国営メディアは日々せっせと各国のコロナ感染者数と死亡者をまとめ上げて、
「外国では何万人も感染して大変!でも中国はゼロコロナだから安全!中国人は幸せ!共産党万歳!」
と流していたので、このワールドカップまでは人民たちは割と真剣に自国のゼロコロナ対策を信じていたのだ。
しかし、やはり他国より幸せだと信じてたのに、
その酷い状況のはずの他国の人々が幸せそうにサッカーを見て騒いでるのを目の当たりにした中国人はもう我慢の限界だった。
これに対して、国営メディアもワールドカップの客席を一切映さずに放映するなど対抗措置をとったが、ここでさっきも言った通り新疆ウイグル自治区の火事で大量の犠牲者が出たり、
濃厚接触者というだけで隔離施設に運ばれることになった人々が乗ったバスが山に落ちて27人が死んだり、
コロナ対策に殺される!
と言うバカみたいなことが現実になったことが立て続けに起きて、
中国の若者は真っ白な紙を片手に街に出た。
言論の自由がない中国で。
何を言ってしまったら逮捕されるのか基準の曖昧な中国で。
みんなが言いたい言葉は同じで、
誰もが白紙の意味をわかっていた。
その思いを乗せて何も書かれていない白紙を空高く掲げて、上海で、北京で、成都で、南京で。
中国人は勇気を出して白紙を掲げてゼロコロナにNOを突きつけた。
白紙の販売が禁止になると言うわけのわからん副作用も出しながらも、
何と中国共産党はすぐにゼロコロナ政策の終焉を発表。
「偉大なる中国のコロナ対策は次の段階に移る」
とのこと。
なんじゃそりゃ。
ホントかよ。
それにより、外国から来た入国者のお尻の穴に綿棒を突っ込みPCR検査を行うトチ狂った風習や、42日間の隔離などの正気の沙汰を疑う過激な政策も廃止。
ちなみに、このお尻の穴に綿棒を突っ込むPCR検査については欧米諸国から「外国人を人間として扱え!」と激烈な抗議を受けたが、中国政府は頑なにお尻の穴に綿棒を突っ込むPCRを死守した。
なんでそんなにお尻の穴に突っ込みたいんだよ。
エロ漫画の読みすぎだろ。
話を戻す。
とにかく、
外国人の入国者に対しても、
ビジネス→留学生→出張者…とビザがじわじわと緩和されていった。
さて。
ついに観光ビザが緩和されて、中国は観光ビザさえ申請すればいける国になった。
5年は続ける国境封鎖の計画はどうなったんだ?
と問いただしたい気もするけどそれはもういい。
中国は、コロナ前までは日本人に対してビザ無し渡航を認めていて、2週間まではパスポートがあれば特に何の準備もせずに中国に行けていた。
しかし、コロナ対策の名の下にこの政策は中止。
そして中国政府がその措置の復活のために日本に対して出してきた条件は、
「中国人もビザ無しで日本に入れてねん❤︎」
というどっからどう考えても無理なことを言ってきた。
日本としても今ビザ取ってやってきてる中国人すら持て余してるのにビザ無しで押し寄せられたら、どう言う事態になるのかあんまり考えたくもないので、この措置が復活するには相当時間がかかり、日本の外務省の高度な交渉力が必要になるであろう。
てなわけで。
すぐにこの14日間の措置が復活するとはなかなか思えないので私はぶつぶつ言いながらも、台湾やら香港やらマカオやらビザがいらなくても行ける中華圏をそれなりに、というより無茶苦茶に楽しんで旅行に繰り出していた。
過激な人権没収のゼロコロナ対策、
そして仕事で中国と関わり始めるも何だかうまくいかなくて。
ちょっとずつ中国が嫌いになりそうな瞬間が積み重なって、中国と聞くだけで「うっ…」っとなってる自分に気がついた私は、
もう、今1発決めとかないと無理になるだろうな。
と。悟り中国渡航を決意した。
どうせ行くなら大陸横断してやろうと思い、
正月に狙いを定めて予定を練った。
本当は3ヶ月は欲しいところを、
全部で10泊11日でぎゅぎゅっとコンパクトな旅程に仕上げた。
今回は、
上海
(2019年撮影)
無錫
(今回初めて行くので画像無し。)
広州
(2019 年広州のこの場所で財布を盗まれた)
(2019年 深センで行き先も知らずに完全にノリでのった地下鉄。この後訳のわからんとこで下ろされて、半泣きになってタッチの差で終電に駆け込んだ。)
そして、
香港
(2023年7月の旅行で撮影)
地図に書き込むとこんな感じ。
なぜこの組み合わせになったのか。
そして、私がこの旅行を巡って中国人たちと激烈に揉めまくるところまで書きたかったけど、この時点で既に3500文字を超えてしまったので明日また書くよ!
さてさて、
ピッタリ四年ぶりの中国旅行。
バイクから吹っ飛ばされたり、
駅で眠ったり、
タクシー運転手に誘拐されかけたり
2019年以前の旅行で、遭遇したアドレナリンが出たまくるゾクゾクするトラブルたちと出会いたいような出会いたくないような。
悪いことをする前日のような高揚感に包まれた私が、学生時代とひと味違うオトナな女子旅atチャイナを実現させるサクセスストーリーを是非お楽しみあれ。
それでは、ざいじぇん(再見)
「薬の神じゃない(我不是药神)」を見てきた。
久しぶりにとんでもない映画を見てしまった。
中国の映画で、邦題が「薬の神じゃない」という映画。
これが、もうとんでもなく、素晴らしかったのだ。
興奮冷めやまないし、どうにもならないくらいに感動したから今日はこの映画について書いていこうと思う。
結構なネタバレを含むので、この予告見て視聴したいな、と思った人はこの予告より下の記事は読まないでね!
あらすじは簡単で、
舞台は2002年の上海。
父親は要介護。
妻には三下り半を叩きつけられ、別居中。
挙げ句の果てに最愛のたった一人の息子は元妻の新しい外国人の結婚相手のいる国に移民寸前。
仕事は、上海の下町のラブホテルの隣で怪しさ満点のインドの精力剤、滋養強壮剤を売っている。
まさに、人生半分以上終わった、人生詰んでる一人の中年男が主人公の程勇である。
人生半分終わってて無気力に、やるせない怒りをあちこちにぶつけてまわるだけの生活を送っていた程勇のところに、
一人の白血病患者が訪れるところから物語は始まる。
彼の名前は呂受益。
彼は、程勇にインドのジェネリックの白血病治療薬の輸入を依頼する。
中国で認可されているスイスの白血病の薬は一ヶ月分なんと4万元。
これを当時のレートで計算するとなんと約60万円だ。
しかし、インドで製造されているジェネリックは薬効そのままで価格は2000元(3万円)だという。
最初は依頼を拒否する程勇であったが、父親の急病で高額の手術費用を工面するために依頼を受けることにする。
インドに行ってみると、卸価格はさらに安く500元(8000円)だという。
程勇はこの薬を中国に持ち帰り、一つ5000元(7万5000円)で売り払うという暴利を貪る商売を始めることにする。
そこに娘が白血病患者で、治療費のためにナイトクラブでストリップダンスを踊る劉思慧。
病気になったため口減らしで農村の両親に追い出され上海にたどり着いた金髪の不良少年彭浩
白血病患者の心に寄り添う英語の喋れる教会の神父の劉牧師。
などなど境遇も生まれも何もかもがバラバラな5人が集まって、インドのジェネリックの転売商売が走り出す。
程勇にとって純粋に金儲けのためだけに始めたインドのジェネリックの白血病治療薬の輸入転売であったものの、
白血病患者たちは次第に程勇を「薬の神」としてありがたがるようになる。
程勇はその過程で最も大切なものを手に入れた。
「自分の存在する意味」である。
それは彼だけでなく、この五人すべてに言えることだろう。
社会の底辺で孤独にもがき苦しんでいた五人。
白血病患者の呂は、薬を安く手にすることができるようになったことで、生きる希望を手に入れた。
ストリッパーとして歯を食いしばっていた劉思慧は、意地悪な店のボーイにやり返して誇りを取り戻した。
家族に半ば捨てられ、自暴自棄に上海で彷徨っていた彭浩は仲間と人の温もりと、居場所を手に入れた。
衰弱していく白血病患者を見守ることしかできなかった劉牧師は実際に白血病患者を救う手段を手に入れた。
特に、劉思慧がボーイを札束で殴って、今までボーイが自分にやらせていたストリップをやらせるシーンに見せた
晴れやかな笑顔。
誇りを取り戻した人間そのもののスッキリとした顔をしている。
五人は上海の端っこで、それぞれにとって欲しかったもの自分に足りなかったものを手に入れることができたのだ。
この映画の舞台となった2002年の中国では、まさに映画の中で語られるように、
「命就是钱(命は金)」
の世の中で、高い薬が買えない人々は死んでいくのを待つしかなかった。
1ヶ月分で70万近くする政府に認可された薬とインドの原価8000円程度の薬が薬効がそっくりそのまま同じなのだ。
これを取り締まることは、多くの貧しき白血病患者たちの生きる道を閉ざすことになるのではないか。
程勇たちを取り締まる警察たちも戸惑いを深めていく。
程勇は、警察の追跡と捕まれば懲役20年という重罪を恐れて、途中で悪徳業者にインドの薬の販売権を譲渡し、
仲間たちとも縁を切る。
ジェネリックの密輸で儲けた巨額の金を使って紡績工場を起こし、事業家として成功を収めていく。
しかし、その一年後自分を引き継いだ業者が患者の足元を見て値段を釣り上げ、患者の恨みを買って密告されたことで、
インドのジェネリックの供給路が閉ざされたことを知る。
そのことにより、大事な仲間の呂が命を落としたことをきっかけに、
今度はインドの卸価格の1瓶500元で薬を販売し始める。
輸送費や仕入れにかかる費用はすべて程勇の持ち出し。
純粋に白血病患者のために危ない橋を渡り続け、薬を患者に運ぶ姿はそっくりそのまま薬の神だ。
純粋に金儲けのためだけに違法なジェネリックの密輸に手を出した男が、本人でも気がつないうちに「神」へと姿を変えた。
この映画には中国の「格差」が色濃く描かれている。
そして映画の中に散りばめられた格差にはやはり本国中国人たちの方が敏感に気づいている。
作中最も感動的なシーンであるカーチェイス。
彭浩が無謀にも程勇の車を奪い、彼の身代わりとして警察の前に躍り出るシーンでは、
「彭浩は教養も学もなくて、それでも程勇のことを守りたくて、自分の方法をとって行動に出たんだね・・・・」
というコメントがついた。
考えてみれば、警察の前に自分が躍り出て程勇から警察の気を逸らすなんて馬鹿げた計画だけど、学がなく権力との闘い方を知らない彭浩は結果的に命を投げ出すことでしか程勇を守れなかったのだ。
教養や学がなくて、自分の中にある手段しか選べないことは他の登場人物にも同じことが言える。
劉思慧は程勇と行為に及ぼうとするシーンでも、娘が白血病でお金が必要な時その手段として己の女としての肉体を使ったストリッパーという手段しかなかった彼女は程勇への感謝を伝える手段がセックスしかなかったのだ。
ボーイにやり返して誇りを取り戻しても根本的には男に体を売り渡すところから抜け出すことができていない。
「この世の病はただひとつだけ。『窮病(貧しさ)』さ。この病に治療法も薬もない」
お金がないなら高い薬は買えない。
薬がないなら白血病が自分の体を喰らい尽くすのを待つしかない。
命は割り切れない。
だから人々は程勇の薬に手を伸ばした。
彼らは何もしないなら死ぬのを待つしかないのだから。
この映画は単純に貧乏で薬が買えない人を救う話ではなく。
まさに中国の貧しきものの姿、格差を剥き出しに描いた映画であったように思う。
それにしてもラストまで圧巻。
映画初旬の方で薬を買いに来た患者たちに
「マスクを外せよ。気持ち悪いなあ」
と極度に免疫が弱る白血病で感染を恐るしかない彼らにまるで無配慮な言葉を投げつけていた程勇に対して、
最後は中国中の白血病患者が護送される彼に尊敬の意を示すためにマスクを外して行くのだ。
そして劇場から出た後、ポスターの意味を知る。
マスクをとって笑い合う白血病患者と程勇。
作中に叶わなかったものの、これこそが程勇や彭浩、そして呂受益が欲しかった光景なのだと。
それがわかったから呆然とまた私は泣いてしまったのだ。
大爆笑が必要な頃
社会人になってそろそろまる一年。
その間このご時世もあって、ほとんど大学時代の友人と全く会っていなかった。
でも、2月の終わりに同期のとち狂った落語お化けからこんなラインが来た。
「落語見にかない?」
と単純に問いかけるのではなく、
「○○と○○どっちがいい?」
とこちらが行く前提で問いかけ、こちらが選ぶことに集中してしまうように仕向けるという、
俺様ナンパ塾
(私が勝手に今適当に作った。実在はしない)
第12回目の講義で教えてもらうような高等ナンパテクニックを王茶偉くんがどこでどうみにつけたのか。
彼が福井でどんな社会の荒波に揉まれたのか私は思いを馳せるにつけ、一筋の涙がこぼれ出てしまった。
まあ、そんなことは置いといて。
落語。
もう一年くらいみにいけていなかった。
それどころか、国境封鎖で生きる意味も生き甲斐もなくしてボロボロの満身創痍のスーパーメンタルフルーツポンチマンと化した私は休日といえば眠り続け、起きたら食べて、眠れないなら酒を飲むという荒んだウィークエンドを過ごしていたのだ。
この最中に落語かあ。
多くの人間にとって大学時代が最も幸せな時代であるように、例に漏れず私も大学時代は死ぬほど楽しかった。
この1年間はそのギャップに苦しむだけ苦しみのたうちまわり、私の大学時代を彩っていた落語とは非常に離れてしまい遠いところまで来てしまったという自覚があった。
久しぶりに声をかけてくれた王茶偉くんの厚意を無碍にするのも気が引けて、なんとなく行きたい旨を返信したものの、直前までそんなに気乗りはしていなかったのだ。
それでも、土曜日はやってきて後輩の雷八も加わって愉快な三人で道楽に行く運びになった。
案の定当日私は1時の約束なのに12時55分に起きるという大寝坊をぶちかまして2人には先に入ってもらい自分はギリギリに駆け込んだ。
動物園前の駅の1番出口を出れば、でっかいパチンコ屋があって、コンビニがあって、そこは西成ど真ん中。
パチンコ屋の前にはどう見ても普段の会社員生活では対面しないTHE OSAKAなおじさんたちが地面に座り込んで小さくなったタバコを蒸している。
ギリギリに14時からの開演に滑り込み、席に座って一口お茶を飲むと、
コツコツコツ、という気前のいい太鼓の音が鳴り響いた。
間伐を入れずに金の音。
寄席の開演の「石段」の三味線の音が流れる。
そのものの5秒だけで、そこに座っている私はまるで大学生に戻ったみたいに、
コロナとか、会社とか、大阪のひとりぼっちの生活とか、そういうもの一切合切切り取られた姿で座っていたのだ。
前座、二つ目、まるで水を得た魚のように喋りまくる噺家たちの噺は本当に本当に面白くて何にも考えないでただ笑った。
口座の上で、マスクはしていなかった。
私たち客席の方はみんなマスクをしているけど、口座の上の噺家がマスクをしていないおかげで、噺家が語り出す江戸時代の街の人は大学の時の私が見ていた江戸時代の街の情景そのままで。
小さなことにめくじらを立てて、
イライラして癇癪をたてて、
八方に向けて攻撃的になってる物騒な私を、
おおらかでご機嫌でど楽観主義へと引きずり戻している。
噺家は、そんな素直なものではない。
だいたい照れ屋で捻くれていてプライドが高い。
でもそんな噺家たちが、その日は本当に嬉しくて嬉しくて仕方がないようで次々と目玉ネタをかけていく。
マクラの端々で「まえは5人しかお客がいなかった時はこいつ10分でおりよったのに、今日は23分ですよ!やあ嬉しいもんですねえ。
だからといって私も短くしませんよ!今日はもう5時半までやる心つもりなんですから!」
と、16時終演予定なのに豪快に宣言してみたら。
そんな一言一言に拍手が湧いた。
それ以上にみんな笑った。
このご時世みんなで馬事雑言と石を投げつけることはあったとしてもみんなで手を叩いてお腹から笑うことは長らくなかった。
そんな中でも私が一番感動したのは、
桂出丸師匠の「禁酒関所」だった。
学生時代は、地方出身者で上方落語ではなく江戸落語をやっていたので、上方の落語家にはとんと疎い。
だから出丸師匠の落語を聞くのは今回初めてだったものの、その演目選びが好きだった。
「禁酒関所」とは、
ある国で、酒に酔った腕の立つ侍2人が酒の勢いで喧嘩になり互いに刀で斬り合い2人とも死んでしまった。
そこで、有能な家来を2人も一度に無くしてしまったお殿様はその国に禁酒令を出す。
国に入るところでは「禁酒関所」といって酒を取りしまる関所が設けられた。
そんなときに、城内の1人の酒好きのお侍さんが城外の商店に「どうしても寝酒がしたい。酒を飲んで眠りにつきたい」とのことで酒を秘密裏に自分の屋敷に持ち込む依頼をする。
最初は断る商人だったが、法外な料金に目がくらみ依頼を請け負うことに。
あれやこれやと酒を持ち込もうと禁酒関所に挑む商人側だが、
実は自分も酒を飲みたくて飲みたくて仕方がない禁酒関所の役人に「お調べ」の名の下に全部飲まれてしまう。
商人たちはだんだん腹が立ち、酒を届けるのはさておき、なんとかこの禁酒関所のお役人に復讐してやろうと画策する。
と言う筋書き。
やりたいこと、当たり前にできたことを、
ある日突然取り上げられたときの人間の行動なんて400年余り前から何にも変わってはいないのだ。
妙に時代とリンクしているその話は、
なんだか元来酒が大好きで飲み会ばっかりやってる上方落語家である師匠自身の想いや怨念がぎっしりびっしり詰まってる気がして、思いっきり笑った。
そういや、飲み会やめてって呼びかけたた我が国のエライ方々もステーキ食べに行ったたよね。
「落語は人間の業の肯定だ」とした話はあまりにも有名。
落語は、みんなで戦争に行くときに怖くて逃げてしまうやつ。
カッコ悪い奴が主役。
努力して成功するのではなくて、努力がめんどくさくなって思わずあきらめちゃうような本当に平凡でカッコ悪い人間のどうしようもない面を肯定して描く芸能だ。
だから、みてるこっちも「じゃあしょうがねえなあ」という心持ちになるし、
とんでもない理不尽に直面したり、嫌な人間に出会っても「そんなこともあるし、そんな奴もいるなあ」とおおらかな気持ちになってくるのだ。
全部素晴らしかった。
大ファンの雀三郎師匠はその日もやりたい放題だったし、蔵丁稚も子ほめも胴切りも始末の極意もめいいっぱい笑った。
全部の演目が終わって寄席の終わりのバレ太鼓が鳴り響いた後で、なんとなく3人で大阪の街を歩き回った。
「前座の人楽しすぎて偉く長引いたたけど大丈夫だったかなあ」
「でも前の方で聞いてたら師匠の咳払いきこえたからな。」
「うげえ…」
こんなふうに落語の話をするのは久しぶりだった。
それだけでなんだか泣きそうになった。
その日は後輩の雷八の就職と卒業祝いで3人で少しだけ飲んだ。
落研の今も話したけど、思い出の話はやっぱり楽しかった。
合言葉のようなニックネームや落語用語だけが飛び交ってる会話はとても心地よかった。
大学時代は化粧なんてしたことなかった。
当たり前のようにすっぴんで部室に行ったし、足元は下駄だった。
それなのに、この1年間は毎日慌ただしく化粧をして、格好にも少しだけ、ほんの少しだけでも気を遣わないと生きていけなかった。
図らずも寝坊してしまった私は化粧もせずに、
難波の街を3人で歩いて、居酒屋にも入った。
そんな私は何にも変わっていなくて、
王茶偉も雷八も同じように何一つ変わってなかった。
気が進まないだななんだのグダグダ言ってたくせに私が一番楽しんでしまった自信がある。
「演者さんたち楽しそうだったよね!」
と分かったような口を聞いたら
「お前が一番楽しそうだったわ」と言われてしまった。
大阪に来てもうすぐ1年になる。
上方落語は以前は遠い話でも、いまはいつの間にか私の頭の中にできた大阪の地図がある。
噺家の口から飛び出す地名がピンポイントで頭の中でどの場所か分かる。
外国の映画を見てるようだった上方落語が、立体的に私に飛び出して近づいてきた。
中国と切り離され、大切な人たちや大好きな人と切り離されてボロボロな満身創痍な心でも大阪でなんとかやってきた私の一年の成果は
「上方落語で楽しく笑えるようになる。」
なんて思いもよらないところで実を結んでくれた。
かつて、熊本、中国棗庄、京都、と大好きな街とお別れしてきた。
この大阪とお別れする日もいつかきっと来る。
その時に、すこしでも笑った顔の記憶を残していきたいなあ。と思ったから
私は多分月曜日震える手で米朝事務所に電話して次の落語会のチケットを予約すると思う。
「紋浪さんが死にそうだから声かけてやったんだぞ」
と言いながら、私の奢りで日本酒をかっくらっていた王茶偉くん(日本人)本当にありがとう。
死にそうだったのは本当でした。
でも、君と雷八と落語のおかげでまだまだ頑張れる気がするから、明日からも図々しく、せこく自分の中の「業」を肯定しながら生きていこうと思います。
そんなかんじでみなさん。
また月曜日から、一生懸命生きていきましょうね。
「新しい」を爆破したい。
私が今嫌いな言葉は5個ある。
ズーム、隔離、マスク、ソーシャルディスタンス、オンライン
の5本立てである。
この言葉を私の前で口にした人間は、奇声を上げて暴れる私に拉致されて激しい拷問の末に殺されるのだ。
遺体は残らずに跡形もなく消える。
まさに令和の怪事件である。
…悪ふざけはよそう。
今の私は本気でやりかねない。
が、この5つの言葉以外に嫌いなのが、
新しい〇〇ってやつだ。
てめーだけはぜってーにゆるさねえ。
という覚悟を持って私は今日深夜なのにこれを書いている。
書くまでは寝れないのである。
このコロナで、旅行業界やら、航空業界、そしてエンタメ業界みんな大変なのはわかる。
それから、いろんな教室とかセミナーとか。
ほんとーにいろんなことができなくなってしまった。
かわりに何が出てきたか。
オンラインである。
「○月×日に予定致しておりました、〇〇は新型コロナウィルス感染拡大の防止のため、
オンラインでの開催となりました。」
っつー文面を見るたびに私は服をそこら中に脱ぎ捨てて暴れまわりたくなる。
でもまあ、それは仕方がないのかもしれない。
確かに日本は毎日感染者が何百人と出てるし、
そりゃ感染対策は必要かもしんない。
(私の意見は別として)
でもな!
そのオンライン化や、ショートカット化を
「新しい〇〇」「次世代型〇〇」とか都合よくラベリングして開き直る風潮。
てめえだけは絶対に絶対に、
ぜってーに許さねえからな!!!
と、私は主張したい。
百歩譲って、
「すんません。コロナのせいでいつも通りできませんでした。でもこっちも商売なんで食い繋がないとあかんのです。
商売存続のためにもこういう形を模索してます。」
みたいなんだったら、
じゃあしょうがねえなあ。
って思えるかもしんないさ。
「いつかはかならず元に戻すぞ」って覚悟は見せて欲しい。
もうそれに尽きる。
あれだけ持ち上げられてたzoom飲み会だって、
今誰もやってねーだろ。
新しい飲み会の形
とかなんつって、散々持ち上がられてたくせに、居酒屋が開けばみんなさっさと居酒屋に戻った。
わかるよ。
わかる。
私は当初からこのzoom飲み会なるものが大嫌いだった。
絶対拒絶の姿勢だったのだ。
特に男女でzoom飲みをする人たちには一層理解不能であった。
「いや、この後どうこうなれる可能性が。
夜とアルコールに流される可能性がパーフェクトで0の男女の飲み会になんの意味があるんだ!!!」
と絶叫して終わった。
結局居酒屋は開いて、私が住んでる大阪の飲み屋街は生き返り、持ち帰る男と持ち帰られる女が今日も元気に路上でいちゃついたり、ゲーゲー吐いたりしている。
私は「しょうがねえなあ」と思いながらそれを見てる。
結局、zoom飲みなんてものは「新しい飲み会の形」なんかではなくて、
「その場しのぎの臨時代替案」に過ぎなかったのだ。
「新しい〇〇」とか「次世代型〇〇」と言われると、
なんだかそれが良いこととか、凄いもののように感じてしまう。
でも、私はそういう言葉に非常に違和感を覚えるのだ。
オンライン開催とか、オンラインツアーとか、
そういうのを見る度に、
もしもインターネットがなければ、人々はもっと必死になってコロナを終わらせて死に物狂いで生活を取り戻すために戦いにいったのではないだろうか、と考える時がある。
オンライン開催とか、オンラインセミナーとか、そういうのってやった感あるもんね。
でも、オフラインで開催した時にだけ出会える隣に座った同業者とか、新しい知り合いとか。
そういうのには絶対出会えない。
だけどそういうのが1番大事だったりする。
オンライン、簡素化で「やった感」をだして、
その「やった感」で世界は「回った感」が出てくる。
でも、「やった感」と「回った感」で人の心が満たされるなら、この心の中を塞いでしまっている鬱屈とした感情はなんなのか。
でもこの「回った感」に騙されて、
みんな「回ってる」と勘違いして、もしくは現実を見ないフリをして政府や開催側は話を進めてしまう。
私たちは永遠に元の世界を取り戻すことができないのだ。
この最中で、コンサルタントのなり損ないや、胡散臭いインフルエンサーが、
「オンライン開催に対応してこなかった業界が悪い」だの、
「これからの時代オフィスも通勤も不要」
なんてほざいてると全員並べて散弾銃で射殺したい衝動に駆られる。
私たちは、唯々諾々と誰かに言われるがままに「新しい」という言葉でラッピングされた現状を受け入れるしかないのだろうか。
私はそうは思わない。
オンライン開催のコンサートでは、ペンライトの光で彩られたアリーナの景色を大好きな存在に見せられない。
オンライン開催の落語会では、
名前も知らない隣の客と笑いを共有することはできない。
オンライン開催のセミナーでは、
講師も録音を恐れて言葉を厳選するから、オフラインなら聞けたついこぼれ落ちる裏話や小ネタなんかを聞くことはできない。
オンライン開催の海外旅行なんて、
匂いも感触も何もない。
そんなものは旅行じゃない。
もちろん、業界やエンターテイナーが生き残りや今の現状を凌ぐために知恵を絞った企画もあるだろう。
私はそこを否定したいとは全く思わない。
ただ、誰も責任を取りたがらず、だらだらと「新しい」という言葉に逃げ込んでこの現状からみんなで出口を見失っているような今の状況に全力でNOを突き付けたいのだ。
私たち一人一人が、取り戻したいものが必ずあるはずだ。
「やった感」では、その場しのぎでは、
私たちの心は満たされないし閉塞感だけが地層のように積み重なって硬く硬くなっていき傷は深まるばかりだ。
無駄
の2文字で片付けられるようなところに大切なものはあった、と悔恨に苛まれる毎日だ。
私たち一人一人が覚悟を持ってこの騒動を終わらせたいと強く願い
全員が覚悟を持ってリスクを背負いながら、一歩ずつ歩き出さなければいけない。
私はこれ以上「新しい」なんていらないのだ。
新しいよりも大切なことは、
無駄なこと。
「やった感」の裏に葬られてしまった私たちの1番大事だった繋がりを取り戻していくことだ。
オンラインでは感じられない、熱気を、興奮を、大切な人の温もりを。
取り戻すためにも覚悟を決めて、歩き始める時が来ているのではないかと思う。
サヨナラなんて言わない。
数ヶ月前にこんな記事を書いた。
もう疲れたから、
もう嫌だから。
「中華圏とサヨナラしたい」
なんて、そんなことは冗談でも書くべきじゃなかったと今はとても後悔してる。
強制的に突然に、完全に中華圏との縁を物理的に断ち切られてもう三ヶ月が過ぎた。
この三ヶ月の間に、日本で緊急事態宣言だ発動されたり、
社会人としての生活が始まったり、大阪に引っ越したり本当にいろんなことがあった。
だが、私の二つの瞳から涙がこぼれ落ちない日は一日たりとてなかった。
今私は、中華圏に行きたくて行きたくて仕方がない。
香港に、中国に、行きたくて行きたくて毎日地獄の釜の底を這いずり回るような心境だ。
自分を振り返ってみれば、
大学一年生の冬、両親との約束を反故にして台湾に飛び立ち、
この目で中華圏を見て、「私の人生はこれに賭ける」と決めた日から今日まで。
私の中に中華圏はしっかりと根を張り、一番太い樹木となり成長し続けていたのだ。
中華圏を巡っては本当に今までたくさんのことがあった。
私はとにかく元気で、声が大きくて、いつも騒いでいるから
いろんな人からどうしてそんな元気なのか、とか何食べてたらそんなエネルギーが無限に湧いてくるの。
なんて言われることも多かったけど、
その答えを出すとしたらそこには、「中華圏」の三文字しかないのだ。
この三ヶ月本当に苦しんだ。
もう自分の人生から中国や香港は消滅してしまっていて、
この先一生日本で生きていくとしたら、私は残りの人生を生きる意味はあるのだろうか。
私の夢も、
やりたいことも、
会いたい人も、
私の生きる意味の全ては残酷に輝き、海の向こうに取り残されて。
肝心の私自身はその海を越えることは許されない。
ただじっと、毎日大阪の狭い空を睨みつけながら、
政府や専門家の発表に感情の全てを弄ばれている。
時にはこの海に飛び込んで、泳いで行けば誰にバレずにあの場所へ行けてしまうのではないか。
そこで死んだとしても、この先生きる意味なんてないんだから、試してみるのも。。。
なんて冗談みたいなことを本気で海流の動きを眺めながら考えることもある。
なんであんなこと言ってしまったんだろう。
後悔するのはそれだけだ。
中華圏にサヨナラを。
なんて冗談でも絶対に言うべきではなかった。
もうすでに私と中華圏は切ってしまえば生きられないほどに結びついていたのに。
後悔の涙を拭い、部屋の中に目をやると中国語の教材や小説が無残に転がっている。
どんなに発音ができなくても教室に通い。
みんなが飲みにったり食事に行くのに断って家に帰り勉強時間を確保した。
留学ではなくインターンを選び、中国に死にそうになりながら向き合い、
HSK4級は4回落ちて、HSK6級は三回不合格してようやく合格した。
それでも、自分と中華圏のつながりを感じるたびにそれまでの苦労や悲しいことや泣きたいことが全て無になって私のかをはいつも笑っていて溌剌としていたのに。
いっときの感情で。
あんな簡単な感情で「サヨナラしたい」なんて言って。
その言葉が現実になった今、全てを失い抜け殻のようになりながらただ時間が流れ去るのを待っている。
目を閉じれば、色鮮やかに暮らした街や旅した街の喧騒やネオンの彩色、小さな看板全てが
今でも手が届きそうなほど鮮明に鮮やかに蘇る。
私は今本当に、本当にあの場所に行きたい。
再び国境が開き往来がくる日を痛烈な祈り胸に待ち続けている。
もう一度、もう一度。
許される日は近い日に必ずくる。
その時に私はもう一度始まる。
もう二度と、その縁を切らせない。
大好きなものも生きる意味も夢も人も全てを手に入れて、
あの地で根を張って生きていくと決めたのだ。
武漢からこの新型コロナウィルスが始まり、
多くの人から「中国ってどうなの?」「まだ中国が好きなの?」と数多の質問の前に立った。
私の答えは、
「私と中華圏の絆も縁も全て私しか知らず、私と中華圏だけのものだ。
そしてそれがたとえ、未曾有うの パンデミックを引き起こし世界を混乱の底に叩き落とし、
私を絶望の沼に突き落とした新型コロナウィルスであったとしても。
絶対に私と中華圏のその縁を断ち切ることなんてできないのだ。
中国が犯した過ちも。
香港人の苦悩も。
台湾を待ち受ける受難も。
その全てを受け入れて、私は再びあの混沌とした渦の中で生きて行きたいんですよ」
と。
今は毎日涙が止まらない。
でも必ず諦めず、絶対に幸せになってやるんだ中華圏で。
もう二度と、サヨナラなんて言わない。
次に会える瞬間には私は全てを投げ出して
「久しぶりです。愛しています。これからの人生全部、よろしくお願いします」
って、笑ってやると決めている。
諦めない。
まだ頑張れる。
頑張るから、どうかこの場所で一生を過ごしたいと。
そんな思いを込めて今日はおやすみなさい。
映画「パラサイト」のジェシカ について考えたこと。
こんにちは。
久しぶりの紋浪です。
今回のテーマは、映画「パラサイト」
最初に言っとくけどこの記事はとにかくパラサイトのネタバレを大量に含むのでまだパラサイト見てない人は閲覧禁止です。
韓国人のホン・ジュノ監督が撮ったこの映画がアカデミー賞を受賞して、
アジアの映画、それも東アジアの映画が世界の頂点に立った!
本当に歴史的瞬間だったと思う。
私はとっても嬉しかったです。
で、見に行ってきたんですけど、ジェシカ氏から目が離せませんでした…。
物語の主人公達は、韓国の「半地下」と呼ばれる低所得層の物件に住む4人家族、キム家。
半地下、とは文字通り物件の半分以上が地下に埋まっており、成人した大人の目の高さの位置に小さな窓があるだけの格安物件である。
父、母、兄、弟の4人家族で全員が失業しており、時々4人で内職してお金を稼いで暮らしている。
この家族の、兄で浪人生のギウが、大学生の友人の助言で名門大学の学生と身分を偽り、その友人の紹介で、ひょんなことから超絶金持ちパク家のお嬢様の英語の家庭教師に抜擢されるところから物語は始まる。
IT会社社長、綺麗で人が良すぎる奥様、女子高生の娘と、小学生の弟。
絵に描いたような豪邸に暮らしてる大金持ちのパク家。
ギウは人のいい奥様をいいくるめ、妹のギジョンをアメリカ帰りの帰国子女ジェシカ と偽り、弟くんの家庭教師として豪邸に送り込む。
さらに、父親は運転手として。
母親は家政婦として。
キム家の4人は次々と大金持ちのパク家にパラサイト、寄生していく…。
とまあざっとあらすじを書いてみたんだけど、
映画を見た人ならわかると思うんだけど、半地下の家族で、死んだのはジェシカ 1人。
でも、私はこの映画の中で彼女が死んだとき、
少しだけほっとしてしまったのだ。
なぜか?
今回この記事書きたいのはこの点である。
あの映画の中でジェシカは死ぬしかなかった。
なぜなのか。
このパラサイトという映画において、最初は金持ちのパク家への就職、寄生生活を手に入れたキム家の家族は楽しそうに暮らすのだが、
そのうち葛藤を始める。
特にギウはパク家の娘に恋をして、なんとか半地下側からパク家のような金持ち側に上がりたいと願うようになり、
父親は半地下の自分達家族とパク家の差、そして自分の立場と人としての尊厳について思い悩むようになる。
母親は良い意味でリアリストで、最初から半地下と自分と金持ちは違うものだと抵抗なく受け入れており、そのときその時の現実を淡々とこなしていく。
が、ここで私が注目したいのはジェシカ氏である。
彼女には、なんの葛藤もないのである。
ジェシカは、目の前に現れた半地下の自分とは対極にあるパク家の生活にごく自然に入り込んでいく。
そして私が彼女自身は自分が半地下の人間であるという現実を忘却し始めるのだ。
彼女のそんな挙動は映画を見ている我々に不可解な違和感を与えるのだが、その違和感に決定的な答え合わせをさせてくれるのが映画中盤のギウの台詞である。
パク家の息子の誕生日で、パク家の家族が全員で旅行に行き、家政婦であるキム家の母が留守番を任されることになった。
いつもは他人のふりをしてパク家でそれぞれ働いている半地下のキム家の家族は、
パク家が留守の1日限りパク家の住む豪邸を自分のもののようにして暮らすことにする。
芝生で寝転んだり、広いリビングでお酒を飲んだり、思い思いにやりたい放題するキム一家であるが、この時ジェシカ は何をしたか。
お風呂に入ったのである。
パク家の豪邸の美しいバスルームで泡一杯のバブルバスを優雅に楽しむジェシカの姿は他のキム一家の面々とは一線を画している。
ジェシカ以外のキム一家の面々は、各々が常日頃働いている豪邸でやってみたいことをやっている。
しかし、そこにはなんというか「やってみた感」があるのだ。
その行動や、やってることが完璧に美しい豪邸に溶け込んでなくてチグハグなのだ。
が、ジェシカ だけは違う。
バブルバスに優雅に使って、天然水を飲んでるのが様になってる。
まるで本当は半地下のキム家の人間なのではなく、豪邸の持ち主パク家の一員であるかのようだ。
このことに私たち視聴者の感じる違和感はさらに大きくなり、ついに弟のギウがその違和感を決定的なものにする一言を発する。
「ジェシカは、まるでこの家の住人みたいだ。
なんていうか、さっき風呂に入ってた時それがすごく自然だったっていうか、様になってたっていうか…」
そう。
それこそが我々視聴者が感じていた違和感だ。
半地下の住人だったジェシカは、
彼女自身も半地下と豪邸の境界が分からなくなってしまっていて、ときより己が半地下の住人であることを忘れてしまっている。
更に、物語が先に進み、
キム一家が半地下の自分たちの家に逃げ帰ってみたら、そこは洪水で大変なことになっていた。
半地下の物件は、読んで字の如く物件の半分以上が地下にある。
だからこそ地上で激しい雨が降ると道路からそのまま水が物件の中に流れ込む。
キム一家の家も例外ではなく惨憺たる状況になっている。
ここで、キム家の父親とギウは各自自分の大事なものを持ち出そうとしたり、なんとか浸水を防ごうとしようとしたりするのだが、
ここでのジェシカ の行動は2人とは全然違う。
唯一浸水してないトイレの上に座り、
ゆっくりと優雅にタバコを吸って見せる。
この映画屈指の名シーンだと思うんだけど、
ここでジェシカはギウや父親と違い、この事態を自分のこととは受け止めきれず、
タバコをふかしながら現実から逃避してしまっている。
そして、避難所に移り、一夜を明かした後で
パク家の奥様から電話がかかってくるとこの表情である。
自分たちの家が洪水で大変なことになってることも知らず、誕生日会の誘いという呑気なことを言い始めるパク家に対して呆然とし、少しの怒りの感情すら抱くキム家の父とギウに対して、
このお誘いの電話にどこか安心したような笑顔を浮かべるジェシカ 。
ここから、ジェシカとキム家のその他の人の差は開く一方だ。
ギウと父親は、自分たちの惨状を露知らず、
浮かれて家族の誕生日パーティーの準備を進めるパク家の人々に対して鬱屈した思いと、諦め、葛藤していく。
ギウは、秘密裏に交際しているパク家の娘に、
自分はパク家の誕生日会に集う富裕層の人々にふさわしいか、溶け込めているかを問いかける。
キム家の父親は、自分の匂いを気にする様子のパク家の夫婦の様子に気づき葛藤を深めていく。
対照的にジェシカのそのような葛藤は一切描かれない。
描かれないままに、綺麗なワンピースをきて誕生日パーティーに現れるのである。
その立ち振る舞いは完全に富裕層の人々に溶け込み、アメリカ帰りの帰国子女のお金持ちのお嬢様そのものだ。
もうそこには、ネカフェでタバコをふかしながら書類を偽造していた彼女も、
半地下の部屋でWi-Fiが届く場所を探していた彼女もいないのだ。
ジェシカはどうなるのだろうか。
地下住人の夫婦をあんな酷い目に遭わせたキム家にハッピーエンドはありえない。
ジェシカもギウも、半地下と地上の豪邸の間にある境界線を越えることは絶対にできない。
だから、ジェシカはどんなに現実から逃げても、本物の令嬢のように完璧に振る舞ったとしても、彼女は半地下の人間だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
ジェシカはその現実を受け止められるのだろうか。
だから、地下室夫婦のグンゼにジェシカが刺された時、ジェシカは「ちくしょう…」と悪態を吐きながら美しい芝生に倒れ込む。
ジェシカは死ぬことができたのだ。
死ぬことで、半地下と地上の豪邸の境界線を超越し、令嬢として死ぬことができたのだ。
それはあくまで彼女の中でだけで現実ではないにせよ。
一度最上の生活に触れ、己が何者かという人間の芯を失った彼女にとって半地下に戻り、生活することは死ぬよりも苦しく、不可能なことに思える。
死は彼女とっては悲劇であったが、更なる悲劇を回避する唯一の手段であり、救済であったのだ。
だから私はスクリーンの中にジェシカの遺影を見た時、少しだけホッとしたのだ。
パラサイト、とても素晴らしい映画でした。
こんな状況下なので是非映画館へ!とは言えないけど、DVD、動画サイトでのリリースがあったときにはみなさん是非見てみてくださいね!
だが、私はソンガンホ氏の映画ならパラサイトよりタクシー運転手の方が好きなんだ!
みんな是非こちらも見てみてくれよな!