にーはお。
最近硬い記事ばかり書いてるので久しぶりに旅行記を書きたいと思う私です。
紋浪です。
夏休み、バックパックをやらかした私ではあったものの、その後もちょくちょく旅行をしていた。
その中でも印象的なのは、日本から友人を呼び出して河南省を旅行したことである。
「俺、中国行ってみたいんよね」
と言われたので。
「え?まじですか?どこ行きますか?」
と聞くと、ノープランということで、ありがたく自分勝手に決めさせてもらうことにした。
「今回は、河南省の登封と、洛陽に行くことにします。」
「まって、どこそこ。」
「别担心相信我吧!」
「ねえ、何言ってるの!ねえ!」
てな感じで決まった私と友人の旅行記のはじまりはじまり。
そもそもなぜ、河南省なのかというと、私は兼ねてから少林寺に行きたいという野望があったからである。
あと、関羽の墓があるという洛陽にも行きたかった。
ちなみに、次点で四川省という案もあったが、
九寨溝にいくのにバスに9時間という狂気じみたことを実行に移そうとしたところで友人に泣かれたのでやめた。
だからごめんってば。
そういうわけで、友人との待ち合わせは鄭州という河南省の省都。
空港まで迎えに行くことを約束した。
私は適当なドミトリーを予約して前泊することにした。
が、ドミトリーの場所まで行くとそこはもぬけの殻だった。
ええ…。
時刻は午後11時。
しかもこの日の気温はマイナス3度。
死んだなあ、と思った。
しかし私の悲劇はここで終わらなかった。
途方にくれる私に友人から電話がかかってきた。
「ねえ、紋浪、ホンチアオ乗り場ってどこ?」
説明しよう。
友人は飛行機代をケチって安い安いチケットを手配した。
それは大阪から上海で一度降りて乗り継ぎをして、鄭州に至るというもの。
だが、奴はわかっていなかった。
上海には空港が二つあんだよ!
ってことを。
上海には二つ空港がある。
一つは国際線が発着する浦東空港。
そして、国内線が発着する虹橋空港だ。
ホンチアオとは、虹橋のローマ字読みである。
故に、彼が言ってることを例えるならば、
関西空港で、「ねえねえ、伊丹乗り場ってどこ?」と聞いてるようなもんだ。
私は静かにこめかみを抑えてその場に座り込んでしまった。
とりあえず自分は急いでタクシーを捕まえて電話をかけながら自分が今夜泊まるホテルを手配し、友人に電話をかける。
「先輩、ホンチアオ空港って別の空港です。
だから、とりあえずタクシー捕まえてくださいよ」
「はいー」
それで、彼が捕まえたタクシーの運転手と電話で話して、彼を国内線の出てるもう一つの空港に連れていくように手配した。
一安心、とホッとしてたその時今度は私が乗ってたタクシーが急停車した。
「車が壊れた」
とのこと。
おいおいまじかよ。
と倒れそうになったが、運転手が修理業者に連絡してる間道路の路上に座り込んで星を見た。
そして、なんとか車が治ってホテルに着いたのが夜の1時半。
その夜はこんこんと眠って、次の日は空港までダラダラと出かけ友人を迎えに行くと、
青ざめて死んだ目をしてる友人がベンチに座ってた。
「うわお!元気そうっすね!你好!」
「死ね」
と、殺気立った様子の友人。
ああヤダヤダ。ヒステリーボーイはモテないよ。
今回の旅行のコースは、
そこに2日滞在して、またバスに乗り洛陽に行く。
最後に洛陽から高鉄で一気に鄭州に戻り、おしまい。
てなわけで、かわいそうに20時間という長旅をしてようやく鄭州にたどり着いた友人は、地下鉄に乗せられてバスターミナルへ。
この日の目的地は少林寺がある登封という街。
河南省の真ん中あたりに位置するこの街は、隣接する街とバスでしか繋がっていない為、鄭州からバスに乗り換える。
友人は怒涛の勢いで喋り倒すタクシー運転手に圧倒され、バスに乗ってホッと一息ついたのも束の間。
バスに紛れ込んできた翡翠売りのババアに隣に座られ「翡翠の数珠を買え!」と迫られていた。
しかし、友人は中国語は、友達とニーハオしか知らないので、
その言葉の嵐を全て「トモダチ!」で乗り切っていく。
「ちょっと見てこの輝き!綺麗でしょ!素敵でしょ!見て!試して!そもそもこのヒスイは一粒一粒…うんぬんかんぬん」
「トモダチ!トモダチ!」
「友達なら買えよ!」
…もっともである。
私は眠かったし疲れてたので友人のことはほったらかして眠りについた。
大丈夫、彼は殺しても死なない。
そう、今回友人に旅行に一緒に行こうと言われた時になぜ同意したのかというと、彼が殺しても死なないゴキブリのような男であるからだ。
対人関係、体力、気力、全てにおいて強い。
器用かどうかはおいといて丈夫で壊れないことが大事なのである。
1時間半たっぷりバスで寝てスッキリした顔でバスから降りると、友人が険しい顔をしていた。
結局翡翠売りのババアは途中で降りたわけだしゆっくりできただろ?
と聞くと
「すまん、トイレ」
と言われた。
「あ、それは、あそこですよ」
と指を指すと、友人がゆっくりと視線をトイレに移し、また私を見つめた。
重苦しい沈黙が私たちを包み込んだ。
「大丈夫、人は死なないんだよ。元気出していこうぜ」
友人は唇をキュッと結び覚悟を決めたようにトイレに向かった。
私はその潔い背中をいつまでも覚えていようと思った。
そして、出てきた友人は
「トイレという概念変わるわ」
となぜかニコニコしていた。
どうやら限界値を超えて、超適応を始めたらしい。
「ドアあった?」
「ねーわそんなん。殺すぞ」
「あのね、ドアがない中国のトイレをニーハオトイレって言うんですよ」
「天才じゃん」
てなわけで、厳しい洗練を次々と越えた友人はトイレでとうとう吹っ切れ自信をつけたらしく、もうどこだって行ってやるぜ!
という気概に見えるけど、
彼はまだこの先の過酷さを知らない。
てなわけで、次回私と友人が少林寺にいって、はしりまわるぞ!
またみてくれよな!
ではではさよなら。