紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

新しい目標。

 

にーはお。紋浪です。

 

最近ずっとこの曲聴いてます。

 

 

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いやー!いいですね!

久しぶりのドストライクにクラクラして今日は一日中聴いてた。

 

ボカロの曲だけど、リンク先のは人がカバーしてる所謂「歌ってみた」ってやつ。

 

歌ってる人はなんと韓国人ということで、その日本語の発音の綺麗さにもクラクラしてしまう。

全然わかんなかった。

 

すごいなあ、と素直に尊敬。

 

ちなみに、曲名は「沙痲」これで、しゃま、と読むらしい。

 

 古き良きボカロって感じでとても良かった。

 

なんてったってpvが可愛い!

 

ま、そんなことはさておいて。

 

就活が終わって一週間が過ぎた。

 

いい加減次のアクションを起こさなければならない。

私はパワーの塊だから、何か突っ走ってないと脳みそが腐る気がして怖くなる。

 

そこで私が掲げるのはこれ!

 

中国語検定準一級合格

 

なんでも、準一級はビジネス即戦力とのこと。

これは欲しい。

どうしても欲しい。

 合格率は10パーセントという超難関だけどどうしても欲しいのだ。

 

 

私の今のレベルは2級相当。

 

ここから準一級に合格するには数年の鍛錬が必要らしい。

でも、私は暇な大学生だから時間はあるからこれを残り7ヶ月の目標に掲げて11月24日の試験に必ず合格する。

 

毎日死ぬ気で勉強すればたどり着けそうな気がするからだ。

 

そして、最近始めた英語。

 

内定先に「海外営業に入りたいなら英語は必須」と言われてようやくやる気を出した英語!

 

大学卒業までに英語検定準一級とTOEIC800点越えを狙う。

 

まずは6月に英語検定の2級をとる。

そして、10月に準一級を取るのだ。

 

そして、12月のTOEICで800点を必ず超える。

 

 

 まあそんなわけでしっかり勉強していくんだこれからもがむしゃらな私を生暖かい目で見守ってやってください。お願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

責任を取ってくれよ、wowakaさん。

 

 中学生、高校生、そして大学生、中国にいた頃、就活、人生のすべての瞬間にbgmを付けて行くとするなら、私はすべての時代にwowaka さんの曲を配置していくと思う。

 

   14歳でボカロに出会ってから23の今まで9年間wowakaさんの曲は私と共にある。

 

 wowakaさんの曲を語る時、ボカロであればその独特な初音ミクへの調教だとか、メロディの中毒性ばかりがクローズアップされるものの、私は彼の吐き出すように叫び散らかすように歌った言葉にいつも強く惹かれていた。

 

 恋の歌であれば、

『とおせんぼ』

 

 

「あなたをとおせんぼ。僕だけかくれんぼ。

無邪気で甘えん坊の夢

僕を見ないでいて、僕を手放して

無邪気な瞳で笑ってよ!!」

 

史上最高のツンデレがこの四行に詰まっている。

 

僕を見ないで、手放して、と言ったそばから相手を通せんぼしてかくれんぼを始めるのだ。

 

「もう構わないでよ」

といいながら、見えるか見えないかのところに隠れて探して見つけてくれるのを待ってるじゃないか。

 

  中学生の頃、夜の塾の帰り道で期待しながら何度も何度も青になる信号を見て見ぬ振りをした自分が蘇ってくる。

 その時もipodnanoからこの曲は流れていたのだ。

 

 時は流れて、ヒトリエというバンドでwowakaさんの声が聞けるとなったときはこの身体が震えた。

 

 そして、浪人時代に出てきたのが『インパーフェクション』だった。

 

 

「わからないことばかりでぐちゃぐちゃになりそうだ!
情けないけどそれでも歌 歌うだけだなあ?
目が覚めた時 何処に立っていようと

何をしようと
関係ないさ!」

 

何もかもがわからなくて前向きに前向きに、と周りの大人が言うけれど、

どっちが前かわからないんだよ、と言う心情こときリリースされたこの曲は一瞬で私の心を持ち去ってすくい上げた。

 

wowakaさんの曲は苦しみから救ってくれる歌ではない。

共にこの世の底でのたうち回ってくれる音楽だった。

 

そして、言葉は切れ味を増していくのだ。

 

 

「愛してなんて
言えるはずもないよ
心に棲みつく神様、違うし。」

 

 心に棲みつく神様違うし。

 

立ち上がれるかこの暴力的な言葉に。

 

そう、圧倒的な価値観違いの前には愛の定義も違うのだ。

だからこそ、愛してるなんて軽々しく言えない。

 

そんなややこしいことをたった3行に詰め込んで怒涛のメロディラインに載せてぶん投げてくる『絶対的』

 

 

でも、私はヒトリエの曲を聞けば聞くほど惹かれていく反面焦っていた。

 

この人は、wowaka さんはこんな容赦ない言葉を強烈な音楽に乗せてくるけど、これは無限のものなのだろうか。

 

一つ一つにあまりにもパワーがあるから、受け止める私たちも興奮して狂ってアドレナリンでぐちゃぐちゃになってるのに。

 

それを生み出してる彼のパワーや魂は無限なのだろうか。

 

どこか削ってはいけない、本来出してきてはならない何かを出してきてるから彼の音楽は私達を麻薬的に熱狂させ中毒に陥らせるのではないだろうか。

 

そんなことを考える自分を「深読みしすぎの古参ファンだな」と自嘲した。

 

が、そのあと彼の最後のボカロ曲である『アンノウンマザーグース』が出てから不安は確信に変わりつつあった。

 

 

「ねえ、愛を語るのなら 今その胸には誰がいる


こころのはこを抉こじ開けて さあ、生き写しのあなた見せて?


あたしが愛になれるのなら 今その色は何色だ


孤独なんて記号では収まらない 

心臓を抱えて生きてきたんだ!

 

ドッペルもどきが 其処そこいらに溢れた
挙句の果ての今日
ライラ ライ ライ
心失なきそれを 生み出した奴等は
見切りをつけてもう
バイ ババイ バイ
残されたあなたが この場所で今でも
涙を堪えてるの
如何どうして、如何どうして


あたしは知ってるわ
この場所はいつでも
あなたに守られてきたってこと!

 

痛みなどあまりにも慣れてしまった
何千回と巡らせ続けた 喜怒と哀楽


失えない喜びが この世界にあるならば
手放すことすら出来ない哀しみさえ 

あたしは この心の中つまはじきにしてしまうのか?
それは、いやだ!」

 

 

6年の空白を破って出てきた曲は泣き叫ぶような初音ミクの声がただ怒りなのか悲しみなのかわからない弾丸のような言葉を打ちまくり、最後に希望の光をほんの少しだけ残して終わる。

 

孤独なんて記号ではおさまらない。

心臓抱えて生きてきたんだ!

 

は、全身を矢で撃ち抜かれてもなお走らなければならない雄叫びのような鬼気迫るパワーがあった。

 

その時思った。

 

ああ、まだこの人は走るんだなあ。

 

ボカロというステージには見切りをつけたけど、ボカロやってた時と同じように素手で自分の心臓をつかむような無謀さで駆け抜けていくんだろうなあ。

 

傷だらけの後ろ姿を見た気がしたのだ。

 

そして、それが幻想だと祈る傍で羨望の思いも抱いていた。

 

ありえない熱量と才能で人生を疾走する彼が羨ましいという思いが確かにあった。

 

  挫折、苦しみ、嫉妬、痛み、私が負の感情に囚われて人生の奈落の底へ落ちようとする時、

私の代わりに私が言葉にできない感情を言葉にして叫んでくれたwowakaさんの音楽があった。

 

 「いつか止まる生命の灯が光る間に至りたい」

 

と、『生きたがりの娘』の歌詞に彼が表現したように、彼の生命はまるで止まるように幕を閉じてしまった。

 

じゃあ、私たちはどうなるの?

 

彼の音楽と10年に近く一緒にいた私たちの心の中にはすでにwowakaさんのための場所がある。

 

意識せずにできてしまったその場所から彼が勝手に居なくなってしまったら、私たちは何でそれを埋めるの?

 

彼の生命は止まり、彼は私たちの生命の灯となったのに!

 

代替不能唯一無二の彼の才能のために開けてる私たちの心のスペースなのに、それを埋める存在なんてそう容易く見つかるわけがない。

 

私たちが困惑してるのに、彼は勝手に黄泉の客となり、船に乗って今夜にでも川を渡るのだろうか。

 

 じゃあいっそ、私たちの記憶と人生から彼の音楽も記憶も消してくれよ。

 

そんな破滅的で大きな悲しみだけを今は噛み締めている。

 

責任とってよ、wowakaさん。

 

また何年後かにニコニコ動画に曲をあげてよ。

 

止まった彼の生命の目の前に私たちはただこの悲しみを享受するしかすべを持たないけど、

この先も心のスペースにwowakaさんを置いておいて先に先に進んでいくしかない。

 

だから、その覚悟ができるまではずっとずっとイヤホンを耳に差し込んで聞いていたいのよ。

 

だから、wowakaさん。

夕焼けに拗ねてるなら戻ってきて。

貴方のいない今日はつまらない。

 

グレーゾーンにて貴方を待っている。

 

[

 

 

 

極寒、少林寺への道(前編)

にーはお。

最近硬い記事ばかり書いてるので久しぶりに旅行記を書きたいと思う私です。

 

紋浪です。

 

 

 夏休み、バックパックをやらかした私ではあったものの、その後もちょくちょく旅行をしていた。

 

その中でも印象的なのは、日本から友人を呼び出して河南省を旅行したことである。

 

「俺、中国行ってみたいんよね」

 

と言われたので。

 

「え?まじですか?どこ行きますか?」

 

と聞くと、ノープランということで、ありがたく自分勝手に決めさせてもらうことにした。

 

「今回は、河南省の登封と、洛陽に行くことにします。」

 

「まって、どこそこ。」

 

「别担心相信我吧!」

 

「ねえ、何言ってるの!ねえ!」

 

てな感じで決まった私と友人の旅行記のはじまりはじまり。

 

そもそもなぜ、河南省なのかというと、私は兼ねてから少林寺に行きたいという野望があったからである。

 

あと、関羽の墓があるという洛陽にも行きたかった。

 

ちなみに、次点で四川省という案もあったが、

九寨溝にいくのにバスに9時間という狂気じみたことを実行に移そうとしたところで友人に泣かれたのでやめた。

 

だからごめんってば。

 

 そういうわけで、友人との待ち合わせは鄭州という河南省省都

空港まで迎えに行くことを約束した。

 

私は適当なドミトリーを予約して前泊することにした。

 

が、ドミトリーの場所まで行くとそこはもぬけの殻だった。

 

ええ…。

 

時刻は午後11時。

しかもこの日の気温はマイナス3度。

 

死んだなあ、と思った。

 

しかし私の悲劇はここで終わらなかった。

 

途方にくれる私に友人から電話がかかってきた。

「ねえ、紋浪、ホンチアオ乗り場ってどこ?」

 

説明しよう。

 

友人は飛行機代をケチって安い安いチケットを手配した。

それは大阪から上海で一度降りて乗り継ぎをして、鄭州に至るというもの。

 

だが、奴はわかっていなかった。

 

上海には空港が二つあんだよ!

 

ってことを。

 

上海には二つ空港がある。

一つは国際線が発着する浦東空港

そして、国内線が発着する虹橋空港だ。

 

ホンチアオとは、虹橋のローマ字読みである。

 

 

故に、彼が言ってることを例えるならば、

 

関西空港で、「ねえねえ、伊丹乗り場ってどこ?」と聞いてるようなもんだ。

 

私は静かにこめかみを抑えてその場に座り込んでしまった。

 

とりあえず自分は急いでタクシーを捕まえて電話をかけながら自分が今夜泊まるホテルを手配し、友人に電話をかける。

 

「先輩、ホンチアオ空港って別の空港です。

だから、とりあえずタクシー捕まえてくださいよ」

「はいー」

 

それで、彼が捕まえたタクシーの運転手と電話で話して、彼を国内線の出てるもう一つの空港に連れていくように手配した。

 

一安心、とホッとしてたその時今度は私が乗ってたタクシーが急停車した。

 

「車が壊れた」

 

とのこと。

 

おいおいまじかよ。

と倒れそうになったが、運転手が修理業者に連絡してる間道路の路上に座り込んで星を見た。

 

そして、なんとか車が治ってホテルに着いたのが夜の1時半。

 

その夜はこんこんと眠って、次の日は空港までダラダラと出かけ友人を迎えに行くと、

青ざめて死んだ目をしてる友人がベンチに座ってた。

 

「うわお!元気そうっすね!你好!」

 

「死ね」

 

と、殺気立った様子の友人。

 

ああヤダヤダ。ヒステリーボーイはモテないよ。

 

今回の旅行のコースは、

鄭州から、バスに乗り少林寺のある街、登封へ。

そこに2日滞在して、またバスに乗り洛陽に行く。

最後に洛陽から高鉄で一気に鄭州に戻り、おしまい。

 

 

てなわけで、かわいそうに20時間という長旅をしてようやく鄭州にたどり着いた友人は、地下鉄に乗せられてバスターミナルへ。

 

この日の目的地は少林寺がある登封という街。

 

河南省の真ん中あたりに位置するこの街は、隣接する街とバスでしか繋がっていない為、鄭州からバスに乗り換える。

 

 友人は怒涛の勢いで喋り倒すタクシー運転手に圧倒され、バスに乗ってホッと一息ついたのも束の間。

 

 バスに紛れ込んできた翡翠売りのババアに隣に座られ「翡翠の数珠を買え!」と迫られていた。

 

しかし、友人は中国語は、友達とニーハオしか知らないので、

 

その言葉の嵐を全て「トモダチ!」で乗り切っていく。

 

「ちょっと見てこの輝き!綺麗でしょ!素敵でしょ!見て!試して!そもそもこのヒスイは一粒一粒…うんぬんかんぬん」

 

「トモダチ!トモダチ!」

 

「友達なら買えよ!」

 

…もっともである。

 

私は眠かったし疲れてたので友人のことはほったらかして眠りについた。

 

 

大丈夫、彼は殺しても死なない。

 

そう、今回友人に旅行に一緒に行こうと言われた時になぜ同意したのかというと、彼が殺しても死なないゴキブリのような男であるからだ。

 

 対人関係、体力、気力、全てにおいて強い。

 

器用かどうかはおいといて丈夫で壊れないことが大事なのである。

 

1時間半たっぷりバスで寝てスッキリした顔でバスから降りると、友人が険しい顔をしていた。

 

結局翡翠売りのババアは途中で降りたわけだしゆっくりできただろ?

 

と聞くと

 

「すまん、トイレ」

 

と言われた。

 

「あ、それは、あそこですよ」

 

と指を指すと、友人がゆっくりと視線をトイレに移し、また私を見つめた。

 

重苦しい沈黙が私たちを包み込んだ。

 

「大丈夫、人は死なないんだよ。元気出していこうぜ」

 

 

友人は唇をキュッと結び覚悟を決めたようにトイレに向かった。

 

私はその潔い背中をいつまでも覚えていようと思った。

 

 そして、出てきた友人は

 

「トイレという概念変わるわ」

 

となぜかニコニコしていた。

 

どうやら限界値を超えて、超適応を始めたらしい。

 

「ドアあった?」

 

「ねーわそんなん。殺すぞ」

 

「あのね、ドアがない中国のトイレをニーハオトイレって言うんですよ」

 

「天才じゃん」

 

 てなわけで、厳しい洗練を次々と越えた友人はトイレでとうとう吹っ切れ自信をつけたらしく、もうどこだって行ってやるぜ!

 

という気概に見えるけど、

彼はまだこの先の過酷さを知らない。

 

てなわけで、次回私と友人が少林寺にいって、はしりまわるぞ!

 

またみてくれよな!

 

ではではさよなら。

 

 

 

 

 

優しい呪いをかけてあげる

 

「紋浪さんって、めっちゃ褒めるね」

 

と、よく言われる。

 

 男性を褒めてるときは多分下心がある。

 

深い意味はない。

 

が、女性を褒めてるときは話が変わる。

 

私が女性を褒めるのは、私の信念に基づいてる。

 

私は呪いをときたいのだ。

 

私にかかった呪いを解くために、目の前の彼女たちを褒め続ける。

 

今日はそんな話をしたい。

 

 物心ついた時から、自分が平均以下な容姿しか持ち合わせてないことは自覚していた。

 

両親は私を愛してくれたし、

両親のことは大好きだけど、両親によって私は自分が可愛い女、美しい女でないことを強烈に自覚したのだ。

 

思えば、私が自分をブスだと自覚したのは6歳の時だった。

音楽会練習の時、同級の女の子と喧嘩した時女の子が泣いた。

私に言わせれば相手方が間違いなく悪かった。

しかし、同級生たちは彼女の周りに集まり私を指差して、

「いーかんべーいーかんべー。せんせーにいってやろー」

と歌ったのである。

 

思わず涙が出てきて私も泣いてしまってが、その時鏡に自分と相手の女の子の泣き顔が映った時、

 

ま、まじで?

 

と幼心に思った。

そう、鏡に映ったくしゃくしゃな私の泣き顔はとてつもなくブスだったのである。

 

ちなみにこの時喧嘩してた女の子は後にモデルになった。

 

話を戻す。

 

で、母親から言われたのだ。

 

「すみちゃんはねえ、特別美人ってわけじゃないけど、可愛いと思うよー。」

 

え?私って特別美人じゃなかったんかーい!

 

ちなみにこの時の私の将来の夢は、ディズニープリンセスのアリエルである。

 

ありえるかよ、ありえねーわ。

 

と今なら一笑に付し片付けられるが、この時の私は青天の霹靂だ。

 

私は、美人ではない…!

 

ちなみにうちの母親は本当に愛情を持って子育てをしているが、理系女子である。

普段は細やかな気遣いができて言葉を繊細に選ぶが、たまにタガが外れて、 LL時代の悪い癖が発動する。

 

ちなみに、LLとは彼女の服のサイズのことではない。

今でこそ爆発的に太った母親であるが昔はそれはもうスリムビューティー…違うこんな話ではない。

 

LLとはラボ・レディの訳であるらしい。

彼女は若い頃研究室で働いていた。

 

まあ、とにかく自覚はないが典型的理系女子の母親のうっかり漏れた本音は6歳の私の胸をパッカーン、と真っ二つにかち割った。

 

があまりに切れ味が良かったので出血はなく、

私は呆然と、「私は特別美人じゃ…ない…!」と現状把握を行なった。

 

それから23の今まで、17年間ブスとしてこの世を渡ってきた。

 

私はこの6歳のブスであることを悟った経験を、ブスの予防接種と呼んでいる。

 

自分が美人ではなく、普通の顔だとか、ブスだとか、そういう基準を傷が少ない方法で知る体験をこう命名したのである。

 

この予防接種で私が知ったのは自分が美人でない、ということであったが、

後にたくさんのブス確認体験(自分がブスであることを確認する作業にあたる体験)を経た後、私は冷静に自分はブスだという決断を下した。

 

 

だから、中学の時男子に、

「お前と、〇〇さんはちげーんだよ!」

と、荷物持たされた時も、

「お前、ブスなのに〇〇さんと同じ制服着なきゃならないなんてかわいそうだよな」

と、高校の男子に同情された時も、

担任教師から、

「お前が色付きリップなんて持ってても今更無駄だよ」

と高校の担任教師にクラスの笑い者にされた時も、

 

まあ、そんなもんだろう。

 

と乗り切ってきた。

 

勿論傷つくが、顔面に関してはついてるもんは、もうどうにもなんねーしなあ。と諦めがついていた。

 

ブスであることを諦めて、如何にダメージを減らすか考えた高校時代であった。

 

故に冷静に己の顔面と向き合っていた私はそれなりに楽しく生きている、

 

が、そうでない人も多く存在する。

 

この人たち全てに言えることは、総じてブスの予防接種が遅いということである。

 

露骨にぶすぶすと連呼する小・中学生男子と関わることなく高校まで行くと、自分は普通に可愛いという、謎の自信が生まれる。

 

現に、いつも私に最もあたりがきついのは特別美人じゃない普通の女の子だ。

彼女たちは自分たちより醜い(と判断した)相手には信じられないほど大胆不敵だ。

 

そして、大学文学部なんて女子比率の異様に高い学部に進学したらもう悲劇だ。

 

男子がほとんどいない環境で、ブス予防接種もブス確認作業もすることなく自分がとにかく可愛いと思い、あとは相手の男に対する要求だけが積み上がり、理想は天に届くばかりにまで高くなる。

 

女子会ではお互いがお互いを貶すことはしない。女子という生き物は「うちら」が一番いけてるのだ。

 

謎の選民意識が育つ。

 

そのまま幸せになれればいいのだが、彼女たちをさらなる悲劇が襲う。

 

冒頭にも書いたが、女子大生は大体みんな可愛い。

高校時代は決められた制服を着なければならないから制服が似合う子は可愛く見えるだろうが老け顔の子や、標準体型ではない子はなかなか厳しい仕上がりになる。

そして、化粧もできないから元の顔立ちが良い子には負けっぱなしだ。

 

しかし大学では好きな服が着れて化粧もできるから女子はある程度垢抜けてくるのである。

 

そう、なると???

 

「彼女としては無しだけど、一回〇〇する分にはまあいけるなあ」

 

というとんでもない輩がよってくる。

 

そういう男は彼氏になって楽しくその後もやってくという気持ちがない。

一発やるだけである。

 

だから、平気で「めっちゃかわいいね」だの、「頭いいよねー」だの無責任な褒め言葉を吐き散らかす。

 

そして、彼女たちはまたしても自己評価を上げてしまう。

 

得意げに、「一回〇〇させてあげたけどー、すぐ捨てたよねー」などと言ってのける女になってしまう。

 

私は彼女たちの顔を両手でパーンと挟んで、

「目を覚ませ!搾取されてるのはお前なんだぞ!わかってんのかちきしょう!」

とガクガク揺するのだが、

 

「痛いよ!」(当たり前である。)

「いいのいいの!ストレス解消みたいなもんだから」(いててててて)

 

と取り合ってもらえない。

 

峰不二子か、お前は。

 

が、残念ながら彼女たちには峰不二子のようなダイナマイトなおっぱいもグラマーなお尻もない。

 

と私は絶句するしかないのだが、私のかつての友人の何人かはマジでこのパターンを辿った。

 

 もうやめよう。

私の心はズタボロだ。

こんな末路はもう見たくない。

 

でも、ここで偉そうに色々書いてる私も同じこと。

 

男の人に褒められて、手でも握られれば、

「し…真実の愛、來了〜!(きたー!)」

ところっといく。

 

 だめだだめだ!もうダメなんだよ。

 

もう全部終わりにしよう。

 

ここまで書いといてやっと本題だ。

みんなちゃんとついてきてくれ。

 

17年間ブスやってきたけど、正直にいうよ。

 

間違ってた。

 

私はかわいい。

 

と、これから先の人生は声が枯れるまで叫び続けて生きていきたい。

 

自分をブスと思っても、マジでいいことより悪いことの方が多い。

 

 

ぶすぶす言われたおかげで、鋼のハートは育つかもしれない。

 男の子の友達になれるかもしれない。

 

でも、そんなん全部無意味だから。

 

もしも本当に人間的魅力が伴ってれば、たとえ我々が美しくても男は友達になってくれる。

 

その証拠に、美人なあの子はインスタグラムでイケメンの男友達に囲まれて、ハワイとか台湾とか旅行してるじゃないか。

 

 ブスと言われなれてるのは強くなってるわけじゃない、心が壊死してるだけなんだよ。

 

 その証拠に、男の人から少しでも褒められたら、

「ヤリモクだ…」だの「なんで私なんかに」ってなるだろ?

 

わかるよ、私だってなるもん。

 

長年ブスと言われてしまったら?

自分がブスだと思い続けたら?

 

それは重い呪いとなって私たちに襲いかかり、幸せを潰してしまう。

 

もしも、私が。

 

「かわいい」とだけ言われて、自分をかわいいと信じられたなら?

ピンクのフリフリな服を着ることを周りから許されていたなら?

 

もしかしたら今頃、素敵な彼氏と卒業旅行してたかもしれない。

 

でもそうはならなかった。

 

 

どうして、私のかつての友人たちが、特にブスと言われてないのに男に関わった途端無残に餌食にされるのか。

 

それは、セックスを介在しない異性との交流の経験がないからだろう。

だから、セックスできる年齢と身分を手に入れた途端、まんまと男の餌食になって、つかの間の褒め言葉や甘い言葉に流される。

 

だめだ、絶対そんなことがあってはいけない。

 

でも、ここで私たちが戦わなければならないのは、男たちではない。

私たちが戦わなければならないのは、自分でかけてしまった、あるいは周りにかけられた「ブス」という呪いだ。

 

それを通して生まれる、自分に価値がない、という根拠のない無力感だ。

 

仲間と群れて「うちら最強」と思いながらも、心の底にそんな無力感を持って自分がブスだと本当はわかってる、みたいな考え方をするからダメなんだ。

 

私たちはブスではない。

ちゃんとかわいい。

20年を超える長い時間を生きて、積み上げたものは決して無価値なんかじゃない。

 

 たしかに、芸能人や、歴史に名を残す悪女のような圧倒的な美貌は手に入らないかもしれない。

 

でも、私たちは可愛くなれる。

 

そして、この世の中にはブスだから人間の価値がなくなるなんてことはあってはならない。

そんなのは評価者が間違ってる。

 

私たちはかわいいのだ。

 

5億歩譲って可愛くなくても、無価値じゃない。

 

だから、私は女友達と服を選ぶ時、褒める。

彼女たちがきなければならない、と彼女たちが決めつけた服を投げ捨てて着たい服を渡す。

 

自信がなくて泣いてるなら誉め殺しにする。

 

だめだだめだ。

 

こんな承認欲求にあふれて飽和した世界で、自分の承認欲求をまず満たすのは自分なんだ。

 

それなのに、自分まで批判サイドのステージに上がってどうする。

 

私たちはかわいいのだ。

 

消耗しきった顔で心で私は何度でも叫ぶ。

 

私たちはかわいい。

 

そう叫び続けることで、私にかけられた、私の友人にもかけられたこの呪いを解いてもっと自由な人生が開ける。

 

呪いの上に呪いをかけ続ける。

 

ブスの上に呪いをかける。

 

優しい呪いで結界を張って、私たちの幸せを何者にも邪魔させない。

 

 

 

 

ブラックラグーンというアニメ

 

ブラックラグーンが好きだ。

 

なんのことかと思った人もいるだろう。

アニメだ。

 

東南アジアの架空の都市、ロアナプラを舞台に、様々な人種や組織が己の利益と感情に任せて拳銃と武器を振り回し、暴言を吐き散らかすアニメだ。

 

 主人公は、日本人のサラリーマン。

 

岡島緑郎。

 

彼の会社が行なっていた不正をロアナプラのロシアンマフィアに握られた会社は、しらばっくれるために岡島緑郎をロアナプラで捨ててしまう。

 

彼はラグーン商会という運送屋のボス、ダッチに掛け合い、彼らと行動を共にするようになる。

 

 世界最悪の治安の街と言われるだけあって、その街の運び屋が運ぶものは普通の運送屋とはちょっと違う。

 

 ラグーン商会の用心棒の女ガンマン、レヴィとともに岡島緑郎はロックと名前を変えて生き残るために抗争に身を投じて行く…。

 

っつー話である。

 

 

これが、面白かったんだ。

 

このアニメが私に与えた影響は2つある。

 

1.ビビットな暴言

2.海外への憧れ

 

である。

 

まず、ビビットな暴言から。

 

このアニメの中には実に強烈な暴言が登場する。

 

例えばロシアンマフィアの女ボス、バラライカ様は、裏切り者の男に銃を突きつけて、

「祈れ、生きてる間にお前が出来るのはそれだけだ」

と言い放って弾丸を放つ。

 

主人公、ロックの相棒レヴィは、

「正義なんてなくても地球は回るんだぜ」

「遅い、遅かったぜ。
私らの行く着く果てなんて、泥の棺桶だけだってのによ。
おまえ、生きようとしたな。」

「うるせえ。
同情が欲しくて言ってんなら、もっと色付けて話をするよ。
要するに人生の刃の上じゃ、大切なことってのはそれくらいしかねえ って話だ。
正常位じゃ誰もイけねえんだよ、ロック。」

 

と。退廃的に言い放つ。

 

教会のシスター、エダは、マフィアに追いかけ回されて逃げてきた少女にたいして、めんどくさそうに、

「神は留守だよ、休暇とってベガスにいってる。」

と無慈悲に吐き捨てる。

 

私は初めてこのアニメを見たときあまりの言葉の刺激にめまいがして本気で倒れた。

 

こんな切れ味があって、相手に突き刺さる言葉を私は送り出すことはできない。

 

それは私が人目に憚って口に出せない言葉の弾丸を息をするように吐き出すものたちの姿。

 

この物語に登場する人物たちのバックグラウンドは実に様々。

 

会社に捨てられた日本人サラリーマン岡島緑郎。

ハッキングの火遊びが過ぎてFBIを怒らせたベニー。

またソ連の精鋭特殊部隊という超絶エリート集団でありながら、ソ連解体によりなかったことにされ闇に葬られたソ連軍たち。

ルーマニアの独裁者チャウシスクの中絶禁止法によって生まれて、育てきれない親により闇に売られた双子の子供。

日本赤軍の男。

そして全てのカギを握るチャイニーズマフィア。

 

そのバックグランドにより様々な傷を追いながらも復讐もこの世に存在することも叶わないものたちがロアナプラを舞台に血で血を洗う抗争を繰り広げる。

 

彼らの暴言や発言がどうして視聴者の胸をえぐり落としに来るかというと、やはり彼らのバックグラウンドからくる切なさだ。

 

ズタボロの心を銃と暴言で隠して懸命に虚勢を張って生きている。

その上でこそ言葉は力を持つ。

 

アメリカ軍がテロリストを追いかけてロアナプラに流れ込んだとき、アメリカ軍と鉢合わせる元ソ連軍のロシアンマフィアたち。

 

東西冷戦の際、アメリカと戦うためだけに鍛え上げられ全てを犠牲に兵士として国に命を捧げる覚悟を固めていたのに母国は彼らを捨てた。

 

彼らは軍人であることかなわず、母国から遠く離れた東南アジアの小さな町で抗争するマフィアに身を落とした。

 

そんな自分たちの前に、国に守られ国を背負うことを許されたかつてのライバル米軍たちが現れるのだ。

 

米軍に対峙し、ロシアンマフィアのボス、バラライカの放つ言葉は何度見ても聞いても切ない。

 

「…少佐。死人というものはいつまでも生者が羨ましく、妬ましくて堪らない。貴方の部隊と私の部隊のどこに違いが?国だったのですか?時代だったのですか?それとも…思想だったのでしょうか?」

 

答えのない問いかけを、泣きそうになりながら叫ぶロシアンマフィアの姿は考えれば考えるほど切ない。

 

自らを死人とまで極端に言い切るからこそ、このセリフは胸を打つ。

 

そう、ブラックラグーンの魅力とはこの暴言とまで言えるほどの強烈な言葉を絶え間なく打ち込み続けることで、我々視聴者の心に言葉を確実に全力で届けてくるところにあると言える。

 

そして、これらの暴言は我々の生きるリアルの世界では厨二病だの、痛いだのの一言で片付けられてしまうほどに無力な言葉だ。

 

その事実の上に成り立つ圧倒的な作品世界と私たちの生きる世界の距離感がこの作品を不可侵領域として固く守っている。

 

そして、なぜここまでブラックラグーンという作品が私にとって特別なのかというと、2つ目の話に入る。

 

断言しよう、ブラックラグーンという作品無くして私は中国にはいかなかったと。

 

東南アジアのどこかにありそうな、絶妙なリアリティをもつ、架空都市ロアナプラ。

 

それまで海外を意識したことはなかった。

 

でも、このアニメを見た時、私が今いる日本の外には、こんなぶっ飛んでいて危険な世界があると強烈に自覚したのだ。

 

そう、このアニメは私と多民族社会の出会いとも言える。

 

チャイニーズマフィア、ロシアンマフィア、ベトナム戦争の敗残兵、スペイン系貴族、コロンビアマフィア、CIA、ルーマニアの孤児たち、そして日本人サラリーマン。

 

バックグラウンドも境遇も違うもの達がしのぎを削る世界がこの地球にあることにうっとりした。

ワクワクした。

 

究極の単一民族国家日本で生きる私にとってこれは物凄い衝撃だった。

 

それは日本人同士の戦いよりもよっぽどぶっ飛んでて、困難で、無慈悲。

 

私はそこに自分の身を投げ捨ててみたかった。

 

銃を握ることは出来なくても、

その圧倒的な競争社会であり生存競争とも言えるロアナプラに、物語の主人公のロックのように身一つで飛び込んでいって自分の居場所を築き上げてみたかった。

 

強烈に目が覚めた思いだった。

 

 それから、一つ一つブラックラグーンの登場人物のバックグラウンドのモチーフとなった事象を丹念に調べて頭に入れていった。

 

ロシアンマフィアの悲劇を生んだ、東西冷戦とはなんだったのか。

殺伐としていつも抗争の舞台となる、バー、イエローフラッグの頼もしい店長のバオが戦ったベトナム戦争とはなんだったのか?

ルーマニアの双子を生んだチャウシスクとは何者なのか。

日本政府に指名手配されていて、東南アジアの紛争地帯をさまよう元日本赤軍のタケナカの人生を狂わせた学生運動とはなんだったのか。

 

世界を知らなかった私にとって、こんな歴史や事象がまだまだ世界にはたくさんある。

私の知らないことはたくさんあったのだ。

 

一つ一つ知れば知るほどワクワクした。

 

そして、それが繋がって繋がってその果てに中国があった。

 

ブラックラグーン見よう、みんな。

 

きっとあなたの世界が広がる。

 

そして、貴方を見てる間だけでも別の世界に連れ出してくれる。

麻薬のように貴方の脳みそを支配する。

 

その麻薬が抜けきらなければ貴方は海を越えることになる。

 

ブラックラグーンとは私にとってそんなアニメだった。

 

 

紋浪中国見聞録① 中国人は繋がる音もなく

 

さてさて!最近書くことがなくて、

と言うか就活中であまり変なこと書けねーなあ!と思って勝手に自主規制してる私のブログは深刻なネタ切れなので、連載を始めてみることにしました。

 

中国に一年インターンシップで住んで、

中国人と自分なりに頑張って向き合ってきた私。

 

いろんなところで、

 

「ええー!!まじで?」

 

と度肝を抜かれてきたのでそれについてつらつら書いていきたいと思います。

 

私が中国で出会ったのは、田舎の有名大学ではない無名大学の学生と、高校生とおっさんたちです。

 

そのあたり頭において読んでくれると嬉しいっす。

 

ではではレッツゴー!

 

中国に来たばかりの頃、ボスは小さい子供に言うように私に、「人脈を大切にしなさいね」と言った。

 

私が困ってしまって、

 

「ねえねえ、先生。人脈ってなんですか?」

 

と私が問いかけると今度はボスが困った顔をした。

そして、諦めたように笑って、

「そのうち嫌でも分かるようになる。」

と誤魔化されてしまった。

 

人脈

 

その言葉の意味を私は、一年と短い中国生活ではあったものの十二分に思い知った。

 

中国人を一文字で表すなら、私は「繋」と答えたい。

 

中国人は繋がるのだ。

 

そして私はこれこそが中国人の強さであると考えている。

 

 日本人にとって、友達とはなんなのか。

 

これは非常に大きくて広く深く議論となるだろう。だから少し絞る。

 

日本人にとって友達の友達とはなんだろうか。

 

例えば、いきなりあなたの大学の友達が、

「ねえねえ、今日夜私の高校の友達とご飯食べにいくけど行かない?」

と言われたらあなたはどうする?

 

行かない人がほとんどだろう。

そして、こんな誘いをする人はいないだろう。

 

しかし、驚くなかれ。

 

中国人はこう言うことを平気で言い始める。

 

彼らにとってみれば、友達の友達は友達。

さらに誘う側の発想は、

「私の大好きな友達と大好きな友達が友達になったら超楽しい!」

というものである。

 

歴代の戦隊ヒーロー全部出てくる映画の予告見て、

「合わせたら台無しだよなあ…」

なんていうため息はつかない。

 

「はあ!全部でてくんの!ハリケンジャーカクレンジャータイムレンジャーガオレンジャーも全部?!じゃあ百倍面白くなるな!」

 

というのが中国的な発想である。

 

中国人はLINEは使わない。

代わりにwechatを使う。

 

 

が、ここでも日本人がカルチャーショックになることがある。

 

さあ、また想像してほしい。

日本人が「LINE教えて?」という言葉の重みを想像してほしい。

 

そして、それを一万分の一にしたのが中国人の

微信(wechat)教えて?」

 

である。

 

息を吐くようにwechatを聞いてくる。

 

故にポッと出の私のような外国人でも一年もすれば友達の数が600を超える

 

ちなみに私のLINEの友達は170人である。

 

うち30人が中国人で10人が台湾人なので日本人は130人である。

 

意味がわからない。

 

しかし中国人はここからがすごい。

 

wechatを渡したらガンガンメッセージを送ってくる。

 

「ご飯食べた?」

「食べに行こう」

「日本語を教えて」

「今日はどんな1日だった?」

 

送ることないからー、なんて発想は中国人にはない!

 

内容がなくても送る。

 

その境地の果てに生まれた言葉がこれだ。

 

「在吗?」

 

これは、オンライン上にいますか?、というニュアンス。

 

日本人に置き換えるなら、

 

「暇〜」

 

くらいのテンションだ。

 

ここで、

 

「在」

 

いるよ、とでも返事しようものならば。

 

「なにしてるの?」

「ご飯食べた?」

 

と来る。

 

そして、何回かやりとりしてると、ご飯でも行こう!という話になる。

 

が、その時話してる相手と2人ということはまずあり得ない。

 

必ずゾロゾロと友達を引き連れてくる。

 

そしてそこでもwechatを交換する。

 

そしてまた、最初から始まる。

 

だから、私はなぜか知らないけどボスの部下やボスの友達のwechatを大量に持っている。

 

そして中国人は人のwechatを勝手にばらまく。

(これは、私のいた場所。学生という身分や世代、とかなり局地的な話だから全てには当てはまらないかもしれないが)

 

だから知らない人から、「日本語教えてよ。」

 

というメッセージがひっきりなしに来る。

 

そしてこうして繋がったら中国人は絶対に手放さない。

 

中国人の凄さは繋がることだけじゃない。

 

繋がることを維持することにおいて最大の威力を発揮してくる。

 

毎日wechatを送ってくる。

 

同居人も、私が日本に帰国して同居人が日本に来るまでの1ヶ月半、ただの一日とてメッセージや電話を欠かすことはなかった。

 

張くんや殷くんも同じだ。

 

そしてボスも絶対一週間に一回はwechatか電話が来る。

 

そしてこのつながりがいつでも稼動できるようにしてあるのだ。

 

 だから、アメリカにいる友人に「うちの子が今度留学でアメリカ行くんだけどよろしくねん」なんてwechatを気軽に送りつける。

 

または、「私の息子が今度北京に行くんだけど、少し心配だから新幹線の駅まで迎えないってあげてくれない?」

 

なんて朝飯前だ。

 

つながりがつながりを呼び、今世界を賑わせている、「華僑ネットワーク」やら「中国人社会」が爆誕する。

 

 

こうなったらもう誰も止められない。

中国人が中国人と繋がり、中国人が中国人を呼ぶ。

 

これこそが中国人が強い理由だ。

 

よく、単身外国に行って事業を成功させた、とかいう肩書きの中国人が出てくるけど、絶対にそこにはこの繋がりがある。

 

中国人は外国なら、その地に降り立った時点で、その地にいる中国人と友達なのだ。

 

しかし、これは私たち中国人ではない外国人にとっても得な話なのだ。

 

だって、1人の中国人とつながれば次から次へといろんな人に出会える。

 

留学生とつながれば、日中交流会に呼んでもらえる。

 

そこでまたつながれば?

 

いつのまにか何かのコミュニティに飲み込まれてる。

 

バイト先の中国人にwechatを聞いて繋がったら、福建省まで行ってしまった私。

 

 

ボスも知らない田舎までぶっ飛べた。

 

殷くんや張くんの友達たちとノーヘルで後ろに乗っけられた電動バイクでのドライブは本当に幸せだった。

 

「中国人はすぐ増えるから」

 

なんて動物みたいに言う人がいることを。少し前は悲しいなあと思っていたけど、今は違う。

 

私は日本人に声を大にして言いたい。

 

 

さあ!つながれ!目の前の中国人と!

 

もちろん闇雲に誰でもにとは言わないけれど、留学生や先生とはどんどん繋がろう。

関係を、距離を、詰めていけ!

 

見たことない世界や、異文化が君を待っている。

君の日常を騒がしくも暖かい中国人たちがめちゃくちゃにかき回してくれる。

 

次から次へと中国人が溢れて、貴方は沢山中国人を助け、でも必ず中国人は未来にそれを忘れずに返してくれる。

 

人脈は、汚いズルやコネ、と言う言葉だけで片付けられない。

 

一生懸命互いに努力して関係をキープしてこそ生きるある意味努力の賜物という側面もある。

 

中国は私たち日本人から最も近い異文化の宝箱だ。

いや、もしかしたらパンドラの箱かもしれないけれども。

 

 

中国生活終わり頃、

 

「人脈分かりました。人脈あるから中国人は飛び出していける。挑戦できる。勇気がある。先生?違いますか?」

 

そう言ったら、ボスは

 

「你终于懂了吗?(やっとわかったのかい?)」

 

と微笑んだ。

 

 

 

 

戦わずして幸せがない。

この記事は私にとって世界一可愛くて大事な男の子に向けて書いてるので多分読んでも何言ってるか分かりません。

 

一月一日。

産経新聞は社説にて、平成を「敗北の時代」とした。

 

平らに成る、このままでいい、という了見で始まったこの時代は日本という国が頂点から真っ逆さまに転げ落ちていく時代だった。

 

でも、今日はそんな話がしたいわけじゃない。

 

この平成が誰の時代なのか。

 

それは、平成に生まれ育った私たち(私は23歳です)世代の時代なのだ。

 

 そして私たちの親世代は、日本という国建国以降最も幸せな時代に生きた人間だ。

 何も考えずとも熱に浮かされたような異常な経済成長に飲み込まれていれば、所得倍増、右肩上がりの成長。

口を開けて待っていても富が転がり込んだ。

 

そんな時代を生きた親世代の望みは、洋の東西を問わない平凡なものだ。

 

「我が子に自分を超えて欲しい」

 

だが、そんな平凡な願いが私たちを苦しめる。

 

結婚して、家を建てて子供を何人か作り幸せに暮らし年に何回かは家族旅行。

そんな未来をつかむためのハードルは親世代が生きた時代よりもずっとずっと高くなった。

 

私の父は医師である。

 

国公立名門医学部出身の父の姿は、「親を超える」という目標を掲げる私にとって長い間重い重いおもりである。

 

そう、いまもかわらず、重りなのだ。

 

だが、だからこそ今日私は君に言いたいことがある。

 

だから最後まで読んでほしい。

 

私たちの世代は、親世代が築き上げた富や地位により固く守られた。

そして、学生時代は親世代の人生だけを耳に入れられる。

 

「必死に勉強して医者になったんだ。今のお前は努力が足りない。」

「いい大学に行かなくていいさ。お母さんの友達の○○さんは大した大学に行かなかったけど、大きな家を建てて幸せそうに子供と犬と暮らしてる。」

 

でも、彼らの語る思い出補正のかかった甘い時代は過ぎたのだ。

 

努力すれば医者になれるか?

 

もう、即答できる時代じゃない。

 

長きにわたる不景気で医学部の難易度は間違いなく親世代よりは格段に上がっただろう。

 

F欄大学に行って、両親が自分に与えてくれた豊かな幸せを勝ち取れるか。

 

答えはノーだ。

ありえない。旧帝大早慶の子だって就職できずに院進、就職浪人が当たり前の時代だ。

 

が、一度私たちがそんなことを言えば、親世代は全力で聞こえないふりをする。

 

しかしこれは愚かなことではない。

 

老人というものは、自分の良い時代、全盛期を否定されると拒否反応を起こす。

これは不変の法則だ。

それが老いだ。

 

私達の親は私たちが成長すればするほど、老いて行く。

かつてはどんな突風からも私たちを頼もしく守ってくれた存在は脆く危うい庇護対象の老人へと緩やかに姿を変えて行く。

 

私は物心ついた時から自分の家が他人より豊かで金持ちであることを知っていた。

 

最初はそれが幸せだったが、

そのうちそれは追いかける対象となった。

 

私は必死だった。

医師になりたくて。

父のようになりたくて。

 

そして何より、自分が今いる社会的地位から降りたくなかった。

 

だから必死になって勉強した。

 

しかし、私には才能がなかった。

 

信じないだろうが、毎日深夜まで一日4時間数学だけに費やしたとしても、私は定期試験の平均点さえ取れたことはなかった。

 

化学も生物も同じだ。

 

私の十分の一の努力で、

「努力は報われる」と合格体験記を書いてる才能がある人間が羨ましかった。

 

 

私は君には才能があると思う。

 

私はどんなに睡眠時間を削り、どんなに勉強し、どんなに過去問を解いても理系科目のせいでセンター試験の七割を超えることは一度たりとてできなかった。

 

そして、私は一年の浪人の末に第一志望ではない私立大学に入学した。

 

そして今就活を迎えている。

 

同じことは起こるのだ。

どんなに大学時代積み上げても努力しても、エントリーシートの片隅にある大学名でなかったことにされる世界だ。

 

 

「このまま頑張ったら壊れるかもしれない」

「受験勉強は嫌だ。向いていない」

「浪人は嫌だ」

 

ごめんね。

 

それは才能のある人間の逃げだよ。

 

君は頭がいい。

理解も早い。

 

君なら私がたどり着けなかった幸せにたどり着けるだろう。

 

 

なんとなくできるけどすごくはできない。

 

それこそが、私が死にたくなるほど努力してボロボロになって、周りに笑われながらもみくちゃになっても。手に入らなかった才能なんだよ。

 

私は君のことが羨ましくて羨ましくて仕方がない。

 

君は、スタートラインに立てているのだから。

 

私はスタートラインに立つことすら出来なかった。スタートラインに立てている君はきっと自分が当たり前のように立っているそのスタートラインに立つことができなかった人たちの大量の死体の上に立っていることに気づいていないのだろう。

 

私と君は似ていると言い続けてきた。

同じだ。

君の願いは、医師になることじゃない。

周りが言うように「手先が器用だから工学部に入ってメーカーに就職すればいい」

こんなことで片付けられる問題じゃない。

 

君は、今の立場にいたいんだ。

 

大きくて綺麗な家に住んで、お金持ちの生活。

医者という社会的勝者の息子として何不自由のない人生。

 

それこそが君の望みだ。

 

「普通でいいよ」

 

口を尖らせて仏頂面でいうかもしれない。

 

でも、普通の生活を一度もやったことがない君に何がわかるというのか。

 

いいか。

 

家に二台車があることは普通じゃない。

京都にあんなにも大きな一軒家を建てることは普通じゃない。

家にピアノがあることは普通じゃない。

海外旅行に行けるのは普通じゃない。

何も考えずに、私立高校に行けるのは普通じゃない。

 

18年間、君は君の今いる位置から出たことがないのだ。

 

普通、なんて君の目から見たらきっと貧乏暮らしだ。

 

悲しいけどこれが現実だ。

 

私が戦い、疲れ果ててそれでも戦わなければならない現実だ。

 

だからこそ私は、君に同じ道を行って欲しくない。

 

君の周りの大人は?

 

お父さんお母さんは医者だ。

君のおばさんは薬剤師だ。

君のおばあちゃんは、あの時代に女子大を出ている超がつくほどのお嬢様だ。

 

誰も今の苦しみを知らない。

今の時代がどれほど生き残るのがしんどい時代なのかを知らない。

あの人たちは一度たりとて安全地帯から出たことがない。

安定した立場から何がわかるのか。

何を理解できるのか。

 

何もわかるわけないだろ。

あの人たちは何もわかっちゃいないんだ。

 

だから、私が言うよ。

私は今就活をしている。

機械を作る会社、メーカーも沢山受けている。

文系の私が受けているのは営業や事務の仕事だ。

でも、このメーカーの営業や事務の仕事を受けてくるのは文系の学生だけじゃないんだよ。

理系の学生が沢山受けてくる。

 

どうして?

 

君の周りの大人は君に「手先が器用だから大きくなくても中ぐらいの会社で開発の仕事できたら…」と言うが、

その中くらいの会社の開発の仕事ですら、旧帝国大学の学生でなければありつけない時代なのだ。

 

だから、沢山の国立理系の工学部や理学部の学生たちがメーカーの営業の仕事に殺到している。

 

君に営業ができるのか?

 

できないことはないだろう。でも、向いてない。

君のお父さんお母さんの職場にやってきて、この機械を買いませんか?こんな薬はどうでしょうか?

頭を下げて薬や機械を売るそんな仕事だ。

 

そんな仕事を、君はしたいのか?

 

君の周りの大人はみんなそれがわかってない。

今の時代の現実を知らない。

そして君自身もそれを知らない。

当たり前だ、私も高校生の時こんなに生き抜くのが、望む未来を手に入れることが辛いこととは分かっていなかったのだから。

 

だから、君の周りの大人は平気で君を今の「苦しみ」である、受験勉強から「解放してあげたい」なんて言って、入れる大学を探してくれる。

 

優しくて本当にいい人たちなんだ。

 

でも何もわかってない。

 

 

つらいのはわかる。

しんどいのはわかる。

投げ出して、楽になりたいのはわかる。

 

自分がどうしたいのかわからなくてとにかく現状から抜け出したいのに、

何もかも手に入れてる医者である両親から、

「工学部でもいいよ。」

「なんでもっと頑張れないの?」

腹が立ってやる気を無くすのもわかる。

 

兄弟たちのちょっとした一言がイラっとする。

 

わかる!わかるよ!!(涙)

全て私が通った道だ。

 

 

解放されたい、お終いにしたい、と思ってると思う。

 

でも、それは違う。

 

 

今解放されたとしても、それは末期の癌の患者が麻酔を打たれて幸せな夢を見ているに過ぎないんだよ。

麻酔が途切れたらまた痛みが始まる。

 

人生は長い。

18歳の苦しみを麻酔で乗り切って、この先の人生をどうするか。

 

 

後悔してからでは遅い。

 

私は、医師になれ、と言いたいわけじゃないんだよ。

わかってくれ。

 

君が医師を目指しても目指さなくても、

どんな道を選んだとしても私はいつも君の夢を応援している。

 

でも、君はもう18なんだから。

自分の人生をどうするかは自分で決断してその責任を負う覚悟をしなければならない。

 

そう、私は君自身に選んでほしい。

消去法でも現状から逆算するのでもない。

君自身がつかみとりたい未来を勝ち取る努力をしてほしい。

 

私はリアリストだから努力は必ず報われるとは言わないよ。

 

でも、努力した先に幸せはある。

絶対に幸せになれる。

夢に向かって何もかも投げ出して失敗することを恐れて本当に欲しいものに手を伸ばすのをやめてはいけない。

 

私は、医者になれなかった。

浪人までしたのに、一番行きたい大学には入れなかった。

 

でも、今幸せだ。

 

医者になれなかったから、新聞記者になりたいと思えたし。

立命館に行ったから中国語に出会えたし。

 

君のお母さんやお父さんやわたしのお父さんもお母さんも、

薬剤師になりたい→薬剤師

医者になりたい→医者

 

ってかなった人ばかりだから、失敗したら終わりだって君は考えるかもしれない。

 

でも、失敗したとしても人生は続いて行く。

失敗したからってバットエンドで先がずっと真っ暗ってことにはならない。

 

それは私が人生をかけて証明してあげるから。

 

 

だからこそ。

 

今、楽を選ぶことが。

入れる大学に入ることの先にあるのが君の人生であっていいのか。

 

四年後か六年後に、たくさんの企業から「お前は、いらない」と言われて小さい小さい会社への入社が決まってから、成功した弟や妹をみて、苦しむ未来まで想像できるか?

そのとき、「あのときお母さんが…」なんて通用すると思うなよ。

 

5年前の私は最後の最後で逃げた。

 

そして、2人の薬剤師になり行く弟を横目に、死にたくなりながら就活をしてる。

 

私は同じ思いを君にしないでほしい。

 

医師になるのも、ならないのも。

いつまでも拗ねて逃げ回ってる場合じゃない。

君のお母さんに最後の談判を仕掛ける時が来たのだ。

もしもお母さんじゃ話にならないなら私が手伝ってあげるから。

いま行ける大学に入るのも、一浪して医学部ではなくとも自分のやりたいことに基づいて自分が選んだ大学に入るのか。

 

それは君の自由だ。

 

君は未来に選ばれる存在ではない。

君の未来は君自身が選び取り勝ち取るものだ。

 

この時代に、戦わずして幸せなどあり得ない。

 

そんな時代に私たちは生きている。

だから私は戦う。

明日も明後日も歩みを止めない。

 

無気力で死んだ目で、小さな世界から出ずに被害者ぶってる君をみているのがつらいよ。

成功してほしいと願っているよ。

 

君には才能がある。

ずっと言い続けてきたけど、私は今でも自信を持って君が天才だと信じてるし心の底から思ってる。

君には実力がある。

だからどんな夢にもどんな理想にも胸を張って手を伸ばして欲しい。

 

立ち止まって自分と相談してほしい。

本当にもう頑張れないのか。

もう無理なのか。

自分がどうなりたいのか。

自分が欲しいものはなんなのか。

 

「がんばれ。」

 

 

以上!