「日本語って素晴らしい言語です。
カタカナがあるから音だけで輸入してきて、外来語をすんなり取り入れることができる柔軟さは、日本が欧米技術を取り入れるのにとても役に立ちました」
という世間に流布する言説に、ちょっと待てよと叫びたい。
中国語を勉強し始めてから漢字について考えることが増えた。
最初のうちは何もかも中国語に見えた。
例えば、日本という漢字が「にほん」ではなく「リーベン」に見えて、中国が「ちゅうごく」ではなく「ジョングオ」に見える。
私は今まで見えていた世界が全く違う音で聞こえてくるのが楽しくて仕方がなかった。
日本語と中国語の間には漢字という大きな絆がある。
この漢字のおかげで私たち日本人学習者は欧米圏や漢字から撤退している韓国語圏の人たちより学ぶときの苦労が圧倒的に少ない。
そんな私はさっさと中国に染まり、普通のレジュメにメモする時でも嬉々として簡体字を使用した。
簡体字というのは大陸で使われている簡略化された漢字で、今世界にある漢字の中で一番画数が少ないものである。
故に、簡体字を一度覚えるとその楽さにすっかりハマってしまう。
例えば、
「見る」という漢字は、见となる。
見た目はあまり変わらないけど書くときの画数は死ぬほど楽になる。
他にも「関係」という漢字は关系となる。
私は簡体字の虜になって、私のレジュメやノートは簡体字が踊った。
そんな簡体字に対する考え方が変わったのは、ある新聞記事を読んでからだった。
その記事の見出しは、愛は心を失ったという衝撃的なタイトルで私の好奇心を誘った。
その記事は、中国で今漢字についての激しい論争が起こっていることに触れていた。
論争の内容は、現在中国で使われている簡体字をやめて、従来の繁体字に戻すか否かという論争である。
繁体字とは台湾や香港で使われている漢字のことで、世界の漢字の中では最も元々の漢字に近い漢字である。
「万」という漢字は繁体字にすると萬となるし、
「体」という漢字は繁体字にすると 體となる。
画数が非常に多いので、台湾に留学した友人たちはこの繁体字の勉強に苦労したという話も聞いたことがある。
では、なぜ中国で簡単にした簡体字をわざわざ元に戻そうという動きが出てきたのかというと、漢字を簡略化する際にその意味を失った漢字が多く出てきたからだという。
その象徴的な例が、かの新聞記事の見出しにもあった愛は心を失ったという件である。
愛、という漢字を簡体字にしてみると、爱となる。
漢字の中から心という部分が消えてしまったのがわかると思う。
この件を代表にして、古来から中国に伝わった漢字を取り戻そうという動きが出てきているらしい。
私はこれをすごく興味深いと思ってる。
もともと漢字を簡略化した理由としては、漢字という文字の難しさから中国に大量にいた文盲を教育しやすくするため、という話を大学の先生に聞いたことがある。
中国という国がもっともっと大きくなって成長するために一度は手放したものを成長した今取り戻そうとするなんてなんかロマンティックで素敵だなあ…なんて脳内お花畑な私は考えたんだけど、
この論争の裏には、繁体字にしとけば台湾と統合するとき楽、なんていうあんまり穏やかならざる意図もあったりしてやっぱ中国だなあと思ったりもした。
話はそれるけど、私は台湾人のナショナリズムとかアイデンティティに対する意識の高さを凄く尊敬してる。
繁体字に対するこだわりも凄くて簡体字を書いてしまう私に一生懸命日本語で繁体字の素晴らしさ、自分が繁体字を使う切実な理由を語ってくれたのは印象的だった。
印象的すぎてこれ1つで記事が一本かけそうだから今度書こう。(決意)
話を元に戻す。
そんなこんなで中国語を勉強し始めた事で漢字1つを取ってもこんなにいろんなドラマがあるなんて…と感動してる日々を送ってた私だけど、最近自分の専攻の日本文学の授業でこの漢字について脳天をかち割られるような教授の話を今日は最後に書いておきたい。
「私はね、古代日本人。漢字を取り入れた時代の日本人は天才だと思うんですよ。何が天才かというと、中国では海という漢字を『はい』と読みますが、何を考えたのか古代の日本人はこの海という字の漢字っていう入れ物だけもらってきて音に日本語の『うみ』という文字を当てた。これってすごい事だと思うんですよね。」
確かにそうだ。
海はうみ。日本はにほん。
普通漢字を輸入してくるとき、「海」この時ははいと読みますよ?と言われたらその日から日本語の「うみ」は「はい」になってたかもしれない。
でも、「うみ」は残ったのだ。
奇跡みたいだなあと思った。
その証拠の1つに昔漢字を使っていた韓国には、訓読みという概念はない。
今でも日本語は外来語をカタカナという形で取り入れる柔軟な言語だ、と言われているけどカタカナがあるから日本語が柔軟だというわけではなくて古来から日本語もそれを作り上げた日本人も柔軟だったんだと思う。
しなやかに外国から文字を借りてきて、自国の音を当てはめた古代日本人の柔軟さと発想に精一杯の拍手を送って今日はおしまい。