出会いとイタリアンと武陵源
にーはおにーはお。
最近ブログと現実の乖離に悩まされてる私です。
いや、今ブログでは
上海編→厦門編→建甌編→長沙編→張家界
ってなってるけど現実は、
もう旅は終わってんだからな。
更新をサボった私が悪いんだけど、早く追いつきたいね。
いいや!私は悪くないぞ。全ては福建のWi-Fiがポンコツだったのがいけなかったんだ。
やっぱり私は悪くないぞ!!
まあそんなことはいいのである。
前回やっとこさ張家界にたどり着いた私。
次の日は早起きしてチケット売り場に行く。
謎の塔がチケット売り場の目印だよ!
結構立派なカード。四日間有効らしい。
武陵源っていうのは、中国の自然保護区で、世界遺産にも登録されているよ!
ちょっと前にアバターとその風景が似ていることで話題になったところ。
まあ風景の写真はおいおい載せていくとして。
私はこの不思議な風景をどうしても自分の目で見てみたくて今回の旅程に組み込んだんだけど、とにかくこの武陵源は回るのが大変。
保護区の中が広すぎるからバスで移動して回っていく。
今回武陵源に滞在する時間は三日間で観光は二日間の予定だったから全部は回りきれるはずもなく、とにかく前日から色々考えて対策を練っていざ出発。
まず、やはり乗ってみたかったのはロープウェイ。
これで一気に山の頂上まで登って、下りでいろんなところに寄りながら回って行こうという計画。
乗ってみると、徐々に岩肌の露出した山々が迫ってくるよー!
もうこのロープウェイで感動しすぎた私は、
「いやーもういいや!満足した!さあ!帰ろう!」
って気分になったけどそうもいかんので。
ロープウェイを降りてまたまたバスに乗って目指した先は、迷魂台と呼ばれる展望台。
なんだか物騒な名前がついてるけど、止まってるドミトリーの人が一番のお勧めだと言っていたので言ってみることにした。
あ!ちなみに私が泊まったドミトリーすっごくお勧め。
立地がいい!みんな親切!地図がもらえる(地図なしで回るのは大変だしこの地図が本当に役に立った!)から、もしも武陵源にいく人がいたら是非是非こちらお勧めだよ!
話を戻す。
で、この展望台に行く道筋の景色も素晴らしかった。
もうあんまりにも素晴らしいから調子に乗って柄にもなく自撮りまでしてしまった。
この自撮りをとったとき、
「お、私可愛いじゃん?なかなかいけてんじゃん?」
などといい気になってツイッターに載せたところ、先輩方から、
「盛りすぎだろ!」
「お前、日本のブスから中華風ブスになったな!」
とブスのグローバル化と残酷な真実を指摘されてぶった切られて終わった。
ううう!そんなこと言ったら私整形しちゃうぞ!
人間なれないことはするもんじゃないな!
あ、ならば慣れたらやっていいのか!じゃあ慣れるしかないな!
他にもこんなのもあった。
この赤い紐を買って結びつけるといいことがあるらしい。
日本のおみくじと少し似てるね。
なんかこうやってみると神様が通る道みたいで神秘的に見える。
そしてたどり着いた迷魂台からの景色は本当に素晴らしかった、、
動画撮ったから是非観て欲しい。
武陵源 pic.twitter.com/7gEOGL1bAn
今回中国を旅行して思ったことは写真って難しいなあってこと。
今回私がどんなに頑張っても武陵源や武夷山や桂林の風景は写真に収まらなかった。
写真を見てすごいって思ってくれるかもしれないんだけど、
本物はもっとすごくてスケールが違う。
それをうまく伝えられないのが悔しいなあ、と最近思っている。
で、高いところから素晴らしい景色を拝んで、
ここから降りるんだけど、
どうやって降りると思う?
歩いて?
ノーノー、こんな暑い中これ以上歩けないわよ。
ロープウェイで?
ノーノー、そんな一回使った手段を?
正解は、
じゃーん!!
エレベーター。
自然保護区なのにその保護対象削ってエレベーター作るってすごいよね。
もうわけがわからんよ!
まあ、一気にエレベーターで下山できるのは怠け者の私にとってはとっても嬉しいお話。
ここでエレベーターのチケットを買おうとチケット売り場を探すと団体チケットの売り場しかない。
どうしよう…1人じゃのれないのかしら?
と考えていたら、
「団体って書いてあるけど、個人は買えないのかなあ」
「さあ?別に窓口があるとかじゃない?」
「わかんないなあ」
に!に!日本語が聞こえりゅうううう!(歓喜
背後から聞こえる日本語に思わず振り返ると日本人のおじさん2人が困り果てていた。
おじさんたちはとりあえず前に進もうと乗り場の方へ行った。
私は大急ぎで割り込んで、
「あの!個人の人たちはどこでチケット買えばいいんですか?」
と聞いてみると、今日は客も少ないから団体窓口で個人も対応してるとのこと。
おいおいそういう大事なことは大きく書いといてくれー!
大急ぎでさっきのおじさんたちを追いかけて、
「すいません、さっき団体窓口で迷ってらっしゃいましたよね?
今日お客さん少ないから個人旅行客も団体窓口で対応らしいですよ」
と言うと、おじさんたちは私を日本語が話せる中国人の客引きと思ったらしく怪訝な顔で見てきた。
実に2週間ぶりに日本人を見つけて日本語を話した私は歓喜のあまりテンションがバグっていたので、
警察手帳を出すようにパスポートを掲げて、
「私も日本人です!」
と宣言。
ああ、今思うと本当に恥ずかしい。
てな訳でおじさんたちと一緒にチケットを買っていろんなことを話しながらエレベーターへ。
なんでも数年前まで日本の某大企業の駐在員として5年くらい中国に住んでいたらしい。
「でもまあ。僕等がいた頃は中国人の人たち日本語ペラペラで全く中国語使わなかったから全然話せないけどねー」
とノリよく笑うおじさんたちは世界遺産が好きらしく休暇のたびに色んな国を巡っていると言う。
私はその華やかなノリと活発で溌剌とした雰囲気に気圧されて、遠い意識の中で故郷(違う)、棗庄にいる駐在員のお兄さんたちを思い出していた。
げ、元気かなあ…。
なんだろ、文系のお仕事で大都会で仕事をしていたという元駐在員のおじさんたちは、私がいる棗庄の理系の駐在員のお兄さんたちとは全く雰囲気が違った。
ガツガツしててギラギラしててなんだかお洒落で、かけ離れた感じすらする。
同じ駐在員でも職種やら業種でこんなにも違う仕上がりになっていくものなのかあ…ともはやどこから目線なのかよくわからない大変失礼なことを考えてしまった。
でも、 おじさんたちは本当に優しくて、いろんな話をしてくれたし未熟なこちらの話も聞いてくれた。
で、その日はおじさんたちと回ることになった。
おじさんのうち一人は高所恐怖症らしくエレベーターから降りる時ずーっと目をつぶっていた。
おじさん…高所恐怖症なら多分ここは向いてないぞ!
そのあとは武陵源の近くの鍾乳洞を見に行った。
タクシーを止めて電子マネー決済する私をおじさんたちは呆然と見つめていた。
なんでも彼らが中国に駐在していた頃は電子マネー決済はなかったらしい。
改めて中国の変化の速さに驚いてしまった。
そんなわけで見にいった洞窟はなにやらサイケデリックなライトアップがなされていて遊園地みたいだった。
この洞窟は階段だらけでこの日歩き終わったあと万歩計を見たらバグったような数字が叩き出されていた。
おじさんたちは普段都内在住で1日3000とか2000歩しか歩かないらしく1日の終わりには死にそうな顔になってしまっていた。
で、洞窟が見終わってお別れとなった時、
「せっかくだから一緒にご飯食べにいこう」
と誘ってもらったのでついていくことにした。
しかし、私が思っていたのと全く違う高級ホテルのイタリアンに連れてかれてしまった。
私は遠い目で自分が泊まっている一泊60元(約900円)の安宿に想いを馳せた。
「長いこと中国にいると、中華に辟易するでしょ?僕らも住んでるころそうだった」
と言われて、泣きそうになる私。
本当にその通りで、その頃の私は中華料理に辟易して食欲の後退に悩んでいたのである。
遠慮するのはやめてありがたくご馳走になることにした。
「僕たちはビール飲むけど土山さんは?」
と聞かれたとき、
今日は大量にあるいたし、今日飲むビールは絶対美味しい!
と飲みそうになったとき、
私は2週間ほど前のことを思い出した。
そう、佐藤さん夫妻と故郷・棗庄(違う)の駐在員のお兄さんたちとの食事会でみっともなく酔いつぶれて大失態を演じた私。
佐藤さんたちに家に送ってもらう途中に盛大に道端で吐いてしまったあの事件。
私の頭の中で倫子さんが
「ゲ・ロード」
と連呼しながら満面の笑みで反復横跳びを始めた。
だめだ!
「あははは!ありがたいのですが、標高の高いところでお酒飲むとすぐ酔いが回ってしまう体質なので飲めないんですよ。本当にありがとうございます。」
と、スマートに断った。
倫子さん…見てますか?
あなたの教えが中国の秘境のなかで開花していますよ…(恍惚)
食事の時間、駐在員の生活と就活のこととか、知りたいことをたくさん聞くことができたし、なにより久しぶりの中華じゃない食事は本当に美味しくて私はおじさん二人に感謝の気持ちが止まらなかった。
ご馳走になってお礼を言って帰ろうとする私を、おじさんたちは大急ぎで引き止めて、いきなり百元札を出してきた。
「これほら、タクシー代」
先ほど電子マネーで決済したタクシー代を渡してきたのである。
冗談じゃない!
って話である。
さっきご馳走になってしまったイタリアンだけでもありがたくて死にそうだし、
これ以上何かもらうわけにはいかない。
だいたい物価の安い張家界のタクシー代なんて百元に遠く及ばない。
「いいです!貰えません!」
と断る私に、
「これが社会人というものだから、今日君がこれを受け取ったことを覚えていて何年後かに社会人になったとき学生に同じことをしてあげて。僕らも学生の時はそうしてもらったんだ」
と言って譲らない。
私は申し訳なさで押しつぶされそうになりながらその百元札を受け取った。
その日は幸せな気持ちでホテルに帰り着いた。
でもその日の私は次の日おじさんたちがくれた百元札が自分を危機一髪の状態から救い出すことになることをまだ知らない。
てな訳で今日はこの辺で一旦切ります。
ありがとうございました。