紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

リベンジ済南!

にーはお。

 

先々週の金曜土曜とHSKに参加するために済南に行ってきた紋浪です。

 

いやー、済南といえば思い出深い場所。

 

6月にみんなで試験を受けに済南に行ったのがもう遠い昔のよう。ほんの4ヶ月前の話なんだけどね。

 

あの頃の私は本当になにもわからず劉ちゃんと張くんと殷くんの背中にくっついて右も左もわからなかったけど、中国横断バックパックやら連続上海就活ツアーやらを経て、成長した自分ならば、きっといけるはずだ!

 

という思いを胸に今回のHSKは1人で頑張っていくことにした。

 

まず、高鉄。

これはもう余裕。

1時間で済南に着くともう夜だった。

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あいも変わらず大きくておしゃれな駅である。

 

ここから宿まではバス。

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外を見ると、おお!渋滞じゃん!

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流石は省都

棗庄とはスケールが違う。

 

そこから歩いたらすぐ宿。

今回こんなところに泊まった。

 

 

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試験前ということでドミトリーではなく個室をとったけどそれでもダブルルームで一泊1200円ちょっと。安い!

 

で、チェックインしたところでそこのドミトリーのお姉さんにとっつかまってしまった。

 

日本が大好きだという日本オタクのお姉さんのマシンガントークに圧倒される私。

次の日は試験だから早く部屋に引っ込もうかと思ってたけど話してたら楽しくて楽しくておしゃべりしてたら、

 

「なに盛り上がってんの?」

 

とヒッピーみたいな編み込みヘアスタイルのお姉さんが話しかけてきた。

 

お姉さんは気のいい人で私と宿のお姉さんにチベット仕入れてきたというミサンガとペンダントをくれた。

 

チベットでいろんな雑貨を仕入れてあちこちに下ろす仕事をしているというお姉さんの話はすごく面白くて、私もいつか絶対にチベットにいこうと思った。

 

その日は結局夜の12時ごろに眠った。

 

次の日は朝の6時に起きた。

 

試験会場の済南大学の近くにホテルが取れなかったので朝早くにバスに乗って行くためである。

 

準備と朝食を済ませて外に出ると、外は寒くて吐いた息が白くなってびっくりしてしまった。

 

 バス停までとことこ歩いていると、タクシーのおばさんが、話しかけてきたのでいくらか聞くと安かったので乗ることにした。

 

前回、 劉ちゃんと済南に来た時はタクシーがとにかく捕まらなくて困ったのが印象深かったので今回はハナからタクシーを諦めてバスに乗るつもりだったのだけど、すんなりタクシーが捕まったのでラッキーだなあ、と思った。

 

 てなことを噛み締めてたらタクシーのおばさんが、

「你是哪里人(どこのひと?)」

と言ってきた。

戦闘開始である。

「外国人です………」

 

私は絶対自分から日本人とは言わない。

それは別に反日怖いとかそういう意味ではなくて、ちょっとでも中国語かじったことある人ならわかると思うけど、

 

「日本人」って発音がとにかく難しくて高確率で伝わらないからである。

 

故に私は極力「外国人」で逃げ切りを測るんだけど、高確率で

 

「哪国的?(どこの国だ?)」

 

とくるので、観念して

 

「日本人!ribenren!」

 

と口を大げさに開けて言い放つとあっさり通じたので拍子抜け。

 

なんだかんだで予定よりもずっと早くに済南大学に着いてしまった。

 

が、ここで大きな問題に直面した。

 

試験会場どけあっとね!(どこだよ)

 

受験票見ても、済南大学としか書いてないよ。

 

まあここで泣いてても仕方がないのでトボトボ歩くことにした。

だいたいhskなんてものは大学の国際系の建物が中文学科で実施されると相場が決まってるのでその辺を当たっていくことにした。

 時間もたっぷりあるし焦らない焦らない、と脳内一休さんになだめてもらってレッツゴー。

 

適当な学生に国際課の建物を教えてもらって歩いて行くとあっけなく見つかった。

 

その建物の中になんとなしに入ってみると白人やら黒人が大勢で溜まっていた。

 

およそ棗庄ではまず見ることのできない光景に愕然とする私ではあったが、これだけ留学生がいるならきっとこの建物でHSKは実施されるはずだと考えた。

 

 というわけでそのへんをうかがいながらちょろちょろしていると、留学生の群れのアフリカ人が話しかけてきた。

 

続いてヨーロッパ系の学生さんも話しかけてくる。

 

彼らに言わせれば、今日は私以外の受験生は全員この学校の学生だから外部の学生を見つけたら教えてあげてね、とのこと。

 

なるほど、受験生のほとんどがこの学校の学生だからこそ横断幕など必要なかったのか。

 

それにしてもアバウトな国。

もしも私が国際科と見当つけて国際科に辿り着かなければ私は留学生に出会えなかったし、

留学生が私に気づいてくれなければ私はHSKの会場がどこかわからなかった。

 

勘弁してくれよ…って感じだ。

 

でも、試験が始まるまで時間があったから、留学生たちといろんな話をした。

 

北京とか上海なんかの大都会に留学している留学生がよくアメリカ人の友達、とかガーナの友達、とか言ってるのが羨ましかった。

 

 遠く離れた国の人と中国語を学ぶ仲間として出会えるなんて素敵なことだなあと思っていたのだ。

 

もちろん自分が今いる大学の韓国人留学生たちはいるが、正直会話になるわけではないので厳しいものがある。

 

 最後に憧れだった国際交流が少しだけできて嬉しかった。

 

それにしても驚いたのが私と話していた人たちはその日4級に参加することになっていたのだけど、4級なのにちゃんとした中国語を話していた。

 

私が4級に合格した頃は全く話せなかったし、もっというなら私の大学の韓国人留学生たちも4級はもってるんだけど全く話せてない。

 

今回HSKが実施された済南大学は中国でも有名な大学なんだけど、やはり有名大学になるとカリキュラムとか教育が違うのかなあ、と思った。

 

で、今回も受験生1人でHSKを受け終わって、

 

タクシーにのって高鉄の駅に向かう。

本当はこの日も済南に泊まって遊ぼうと思っていたんだけど、同居人が11月11日のネットショッピングを一緒にやろうと言ってきたので帰ることにしたのである。

 

まあこれについてはまた今度書くとして。

 

HSKという大きな試験を終えた私はなんだか晴れ晴れとした気分で。

 

4ヶ月前は同居人たちの背中にくっついて何にも出来なかったのに、

今は1人でなんでもできて、大きなトラブルもなく試験を受けにいくことができたし。

 

よかったなあ、としみじみ思った。

 

そしてこの試験の一週間後、私は最後の旅行先の河南省に出かけることになるんだけどそれはまた別のお話。

 

今日はこの辺でおしまい。