紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

優しい呪いをかけてあげる

 

「紋浪さんって、めっちゃ褒めるね」

 

と、よく言われる。

 

 男性を褒めてるときは多分下心がある。

 

深い意味はない。

 

が、女性を褒めてるときは話が変わる。

 

私が女性を褒めるのは、私の信念に基づいてる。

 

私は呪いをときたいのだ。

 

私にかかった呪いを解くために、目の前の彼女たちを褒め続ける。

 

今日はそんな話をしたい。

 

 物心ついた時から、自分が平均以下な容姿しか持ち合わせてないことは自覚していた。

 

両親は私を愛してくれたし、

両親のことは大好きだけど、両親によって私は自分が可愛い女、美しい女でないことを強烈に自覚したのだ。

 

思えば、私が自分をブスだと自覚したのは6歳の時だった。

音楽会練習の時、同級の女の子と喧嘩した時女の子が泣いた。

私に言わせれば相手方が間違いなく悪かった。

しかし、同級生たちは彼女の周りに集まり私を指差して、

「いーかんべーいーかんべー。せんせーにいってやろー」

と歌ったのである。

 

思わず涙が出てきて私も泣いてしまってが、その時鏡に自分と相手の女の子の泣き顔が映った時、

 

ま、まじで?

 

と幼心に思った。

そう、鏡に映ったくしゃくしゃな私の泣き顔はとてつもなくブスだったのである。

 

ちなみにこの時喧嘩してた女の子は後にモデルになった。

 

話を戻す。

 

で、母親から言われたのだ。

 

「すみちゃんはねえ、特別美人ってわけじゃないけど、可愛いと思うよー。」

 

え?私って特別美人じゃなかったんかーい!

 

ちなみにこの時の私の将来の夢は、ディズニープリンセスのアリエルである。

 

ありえるかよ、ありえねーわ。

 

と今なら一笑に付し片付けられるが、この時の私は青天の霹靂だ。

 

私は、美人ではない…!

 

ちなみにうちの母親は本当に愛情を持って子育てをしているが、理系女子である。

普段は細やかな気遣いができて言葉を繊細に選ぶが、たまにタガが外れて、 LL時代の悪い癖が発動する。

 

ちなみに、LLとは彼女の服のサイズのことではない。

今でこそ爆発的に太った母親であるが昔はそれはもうスリムビューティー…違うこんな話ではない。

 

LLとはラボ・レディの訳であるらしい。

彼女は若い頃研究室で働いていた。

 

まあ、とにかく自覚はないが典型的理系女子の母親のうっかり漏れた本音は6歳の私の胸をパッカーン、と真っ二つにかち割った。

 

があまりに切れ味が良かったので出血はなく、

私は呆然と、「私は特別美人じゃ…ない…!」と現状把握を行なった。

 

それから23の今まで、17年間ブスとしてこの世を渡ってきた。

 

私はこの6歳のブスであることを悟った経験を、ブスの予防接種と呼んでいる。

 

自分が美人ではなく、普通の顔だとか、ブスだとか、そういう基準を傷が少ない方法で知る体験をこう命名したのである。

 

この予防接種で私が知ったのは自分が美人でない、ということであったが、

後にたくさんのブス確認体験(自分がブスであることを確認する作業にあたる体験)を経た後、私は冷静に自分はブスだという決断を下した。

 

 

だから、中学の時男子に、

「お前と、〇〇さんはちげーんだよ!」

と、荷物持たされた時も、

「お前、ブスなのに〇〇さんと同じ制服着なきゃならないなんてかわいそうだよな」

と、高校の男子に同情された時も、

担任教師から、

「お前が色付きリップなんて持ってても今更無駄だよ」

と高校の担任教師にクラスの笑い者にされた時も、

 

まあ、そんなもんだろう。

 

と乗り切ってきた。

 

勿論傷つくが、顔面に関してはついてるもんは、もうどうにもなんねーしなあ。と諦めがついていた。

 

ブスであることを諦めて、如何にダメージを減らすか考えた高校時代であった。

 

故に冷静に己の顔面と向き合っていた私はそれなりに楽しく生きている、

 

が、そうでない人も多く存在する。

 

この人たち全てに言えることは、総じてブスの予防接種が遅いということである。

 

露骨にぶすぶすと連呼する小・中学生男子と関わることなく高校まで行くと、自分は普通に可愛いという、謎の自信が生まれる。

 

現に、いつも私に最もあたりがきついのは特別美人じゃない普通の女の子だ。

彼女たちは自分たちより醜い(と判断した)相手には信じられないほど大胆不敵だ。

 

そして、大学文学部なんて女子比率の異様に高い学部に進学したらもう悲劇だ。

 

男子がほとんどいない環境で、ブス予防接種もブス確認作業もすることなく自分がとにかく可愛いと思い、あとは相手の男に対する要求だけが積み上がり、理想は天に届くばかりにまで高くなる。

 

女子会ではお互いがお互いを貶すことはしない。女子という生き物は「うちら」が一番いけてるのだ。

 

謎の選民意識が育つ。

 

そのまま幸せになれればいいのだが、彼女たちをさらなる悲劇が襲う。

 

冒頭にも書いたが、女子大生は大体みんな可愛い。

高校時代は決められた制服を着なければならないから制服が似合う子は可愛く見えるだろうが老け顔の子や、標準体型ではない子はなかなか厳しい仕上がりになる。

そして、化粧もできないから元の顔立ちが良い子には負けっぱなしだ。

 

しかし大学では好きな服が着れて化粧もできるから女子はある程度垢抜けてくるのである。

 

そう、なると???

 

「彼女としては無しだけど、一回〇〇する分にはまあいけるなあ」

 

というとんでもない輩がよってくる。

 

そういう男は彼氏になって楽しくその後もやってくという気持ちがない。

一発やるだけである。

 

だから、平気で「めっちゃかわいいね」だの、「頭いいよねー」だの無責任な褒め言葉を吐き散らかす。

 

そして、彼女たちはまたしても自己評価を上げてしまう。

 

得意げに、「一回〇〇させてあげたけどー、すぐ捨てたよねー」などと言ってのける女になってしまう。

 

私は彼女たちの顔を両手でパーンと挟んで、

「目を覚ませ!搾取されてるのはお前なんだぞ!わかってんのかちきしょう!」

とガクガク揺するのだが、

 

「痛いよ!」(当たり前である。)

「いいのいいの!ストレス解消みたいなもんだから」(いててててて)

 

と取り合ってもらえない。

 

峰不二子か、お前は。

 

が、残念ながら彼女たちには峰不二子のようなダイナマイトなおっぱいもグラマーなお尻もない。

 

と私は絶句するしかないのだが、私のかつての友人の何人かはマジでこのパターンを辿った。

 

 もうやめよう。

私の心はズタボロだ。

こんな末路はもう見たくない。

 

でも、ここで偉そうに色々書いてる私も同じこと。

 

男の人に褒められて、手でも握られれば、

「し…真実の愛、來了〜!(きたー!)」

ところっといく。

 

 だめだだめだ!もうダメなんだよ。

 

もう全部終わりにしよう。

 

ここまで書いといてやっと本題だ。

みんなちゃんとついてきてくれ。

 

17年間ブスやってきたけど、正直にいうよ。

 

間違ってた。

 

私はかわいい。

 

と、これから先の人生は声が枯れるまで叫び続けて生きていきたい。

 

自分をブスと思っても、マジでいいことより悪いことの方が多い。

 

 

ぶすぶす言われたおかげで、鋼のハートは育つかもしれない。

 男の子の友達になれるかもしれない。

 

でも、そんなん全部無意味だから。

 

もしも本当に人間的魅力が伴ってれば、たとえ我々が美しくても男は友達になってくれる。

 

その証拠に、美人なあの子はインスタグラムでイケメンの男友達に囲まれて、ハワイとか台湾とか旅行してるじゃないか。

 

 ブスと言われなれてるのは強くなってるわけじゃない、心が壊死してるだけなんだよ。

 

 その証拠に、男の人から少しでも褒められたら、

「ヤリモクだ…」だの「なんで私なんかに」ってなるだろ?

 

わかるよ、私だってなるもん。

 

長年ブスと言われてしまったら?

自分がブスだと思い続けたら?

 

それは重い呪いとなって私たちに襲いかかり、幸せを潰してしまう。

 

もしも、私が。

 

「かわいい」とだけ言われて、自分をかわいいと信じられたなら?

ピンクのフリフリな服を着ることを周りから許されていたなら?

 

もしかしたら今頃、素敵な彼氏と卒業旅行してたかもしれない。

 

でもそうはならなかった。

 

 

どうして、私のかつての友人たちが、特にブスと言われてないのに男に関わった途端無残に餌食にされるのか。

 

それは、セックスを介在しない異性との交流の経験がないからだろう。

だから、セックスできる年齢と身分を手に入れた途端、まんまと男の餌食になって、つかの間の褒め言葉や甘い言葉に流される。

 

だめだ、絶対そんなことがあってはいけない。

 

でも、ここで私たちが戦わなければならないのは、男たちではない。

私たちが戦わなければならないのは、自分でかけてしまった、あるいは周りにかけられた「ブス」という呪いだ。

 

それを通して生まれる、自分に価値がない、という根拠のない無力感だ。

 

仲間と群れて「うちら最強」と思いながらも、心の底にそんな無力感を持って自分がブスだと本当はわかってる、みたいな考え方をするからダメなんだ。

 

私たちはブスではない。

ちゃんとかわいい。

20年を超える長い時間を生きて、積み上げたものは決して無価値なんかじゃない。

 

 たしかに、芸能人や、歴史に名を残す悪女のような圧倒的な美貌は手に入らないかもしれない。

 

でも、私たちは可愛くなれる。

 

そして、この世の中にはブスだから人間の価値がなくなるなんてことはあってはならない。

そんなのは評価者が間違ってる。

 

私たちはかわいいのだ。

 

5億歩譲って可愛くなくても、無価値じゃない。

 

だから、私は女友達と服を選ぶ時、褒める。

彼女たちがきなければならない、と彼女たちが決めつけた服を投げ捨てて着たい服を渡す。

 

自信がなくて泣いてるなら誉め殺しにする。

 

だめだだめだ。

 

こんな承認欲求にあふれて飽和した世界で、自分の承認欲求をまず満たすのは自分なんだ。

 

それなのに、自分まで批判サイドのステージに上がってどうする。

 

私たちはかわいいのだ。

 

消耗しきった顔で心で私は何度でも叫ぶ。

 

私たちはかわいい。

 

そう叫び続けることで、私にかけられた、私の友人にもかけられたこの呪いを解いてもっと自由な人生が開ける。

 

呪いの上に呪いをかけ続ける。

 

ブスの上に呪いをかける。

 

優しい呪いで結界を張って、私たちの幸せを何者にも邪魔させない。