紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

責任を取ってくれよ、wowakaさん。

 

 中学生、高校生、そして大学生、中国にいた頃、就活、人生のすべての瞬間にbgmを付けて行くとするなら、私はすべての時代にwowaka さんの曲を配置していくと思う。

 

   14歳でボカロに出会ってから23の今まで9年間wowakaさんの曲は私と共にある。

 

 wowakaさんの曲を語る時、ボカロであればその独特な初音ミクへの調教だとか、メロディの中毒性ばかりがクローズアップされるものの、私は彼の吐き出すように叫び散らかすように歌った言葉にいつも強く惹かれていた。

 

 恋の歌であれば、

『とおせんぼ』

 

 

「あなたをとおせんぼ。僕だけかくれんぼ。

無邪気で甘えん坊の夢

僕を見ないでいて、僕を手放して

無邪気な瞳で笑ってよ!!」

 

史上最高のツンデレがこの四行に詰まっている。

 

僕を見ないで、手放して、と言ったそばから相手を通せんぼしてかくれんぼを始めるのだ。

 

「もう構わないでよ」

といいながら、見えるか見えないかのところに隠れて探して見つけてくれるのを待ってるじゃないか。

 

  中学生の頃、夜の塾の帰り道で期待しながら何度も何度も青になる信号を見て見ぬ振りをした自分が蘇ってくる。

 その時もipodnanoからこの曲は流れていたのだ。

 

 時は流れて、ヒトリエというバンドでwowakaさんの声が聞けるとなったときはこの身体が震えた。

 

 そして、浪人時代に出てきたのが『インパーフェクション』だった。

 

 

「わからないことばかりでぐちゃぐちゃになりそうだ!
情けないけどそれでも歌 歌うだけだなあ?
目が覚めた時 何処に立っていようと

何をしようと
関係ないさ!」

 

何もかもがわからなくて前向きに前向きに、と周りの大人が言うけれど、

どっちが前かわからないんだよ、と言う心情こときリリースされたこの曲は一瞬で私の心を持ち去ってすくい上げた。

 

wowakaさんの曲は苦しみから救ってくれる歌ではない。

共にこの世の底でのたうち回ってくれる音楽だった。

 

そして、言葉は切れ味を増していくのだ。

 

 

「愛してなんて
言えるはずもないよ
心に棲みつく神様、違うし。」

 

 心に棲みつく神様違うし。

 

立ち上がれるかこの暴力的な言葉に。

 

そう、圧倒的な価値観違いの前には愛の定義も違うのだ。

だからこそ、愛してるなんて軽々しく言えない。

 

そんなややこしいことをたった3行に詰め込んで怒涛のメロディラインに載せてぶん投げてくる『絶対的』

 

 

でも、私はヒトリエの曲を聞けば聞くほど惹かれていく反面焦っていた。

 

この人は、wowaka さんはこんな容赦ない言葉を強烈な音楽に乗せてくるけど、これは無限のものなのだろうか。

 

一つ一つにあまりにもパワーがあるから、受け止める私たちも興奮して狂ってアドレナリンでぐちゃぐちゃになってるのに。

 

それを生み出してる彼のパワーや魂は無限なのだろうか。

 

どこか削ってはいけない、本来出してきてはならない何かを出してきてるから彼の音楽は私達を麻薬的に熱狂させ中毒に陥らせるのではないだろうか。

 

そんなことを考える自分を「深読みしすぎの古参ファンだな」と自嘲した。

 

が、そのあと彼の最後のボカロ曲である『アンノウンマザーグース』が出てから不安は確信に変わりつつあった。

 

 

「ねえ、愛を語るのなら 今その胸には誰がいる


こころのはこを抉こじ開けて さあ、生き写しのあなた見せて?


あたしが愛になれるのなら 今その色は何色だ


孤独なんて記号では収まらない 

心臓を抱えて生きてきたんだ!

 

ドッペルもどきが 其処そこいらに溢れた
挙句の果ての今日
ライラ ライ ライ
心失なきそれを 生み出した奴等は
見切りをつけてもう
バイ ババイ バイ
残されたあなたが この場所で今でも
涙を堪えてるの
如何どうして、如何どうして


あたしは知ってるわ
この場所はいつでも
あなたに守られてきたってこと!

 

痛みなどあまりにも慣れてしまった
何千回と巡らせ続けた 喜怒と哀楽


失えない喜びが この世界にあるならば
手放すことすら出来ない哀しみさえ 

あたしは この心の中つまはじきにしてしまうのか?
それは、いやだ!」

 

 

6年の空白を破って出てきた曲は泣き叫ぶような初音ミクの声がただ怒りなのか悲しみなのかわからない弾丸のような言葉を打ちまくり、最後に希望の光をほんの少しだけ残して終わる。

 

孤独なんて記号ではおさまらない。

心臓抱えて生きてきたんだ!

 

は、全身を矢で撃ち抜かれてもなお走らなければならない雄叫びのような鬼気迫るパワーがあった。

 

その時思った。

 

ああ、まだこの人は走るんだなあ。

 

ボカロというステージには見切りをつけたけど、ボカロやってた時と同じように素手で自分の心臓をつかむような無謀さで駆け抜けていくんだろうなあ。

 

傷だらけの後ろ姿を見た気がしたのだ。

 

そして、それが幻想だと祈る傍で羨望の思いも抱いていた。

 

ありえない熱量と才能で人生を疾走する彼が羨ましいという思いが確かにあった。

 

  挫折、苦しみ、嫉妬、痛み、私が負の感情に囚われて人生の奈落の底へ落ちようとする時、

私の代わりに私が言葉にできない感情を言葉にして叫んでくれたwowakaさんの音楽があった。

 

 「いつか止まる生命の灯が光る間に至りたい」

 

と、『生きたがりの娘』の歌詞に彼が表現したように、彼の生命はまるで止まるように幕を閉じてしまった。

 

じゃあ、私たちはどうなるの?

 

彼の音楽と10年に近く一緒にいた私たちの心の中にはすでにwowakaさんのための場所がある。

 

意識せずにできてしまったその場所から彼が勝手に居なくなってしまったら、私たちは何でそれを埋めるの?

 

彼の生命は止まり、彼は私たちの生命の灯となったのに!

 

代替不能唯一無二の彼の才能のために開けてる私たちの心のスペースなのに、それを埋める存在なんてそう容易く見つかるわけがない。

 

私たちが困惑してるのに、彼は勝手に黄泉の客となり、船に乗って今夜にでも川を渡るのだろうか。

 

 じゃあいっそ、私たちの記憶と人生から彼の音楽も記憶も消してくれよ。

 

そんな破滅的で大きな悲しみだけを今は噛み締めている。

 

責任とってよ、wowakaさん。

 

また何年後かにニコニコ動画に曲をあげてよ。

 

止まった彼の生命の目の前に私たちはただこの悲しみを享受するしかすべを持たないけど、

この先も心のスペースにwowakaさんを置いておいて先に先に進んでいくしかない。

 

だから、その覚悟ができるまではずっとずっとイヤホンを耳に差し込んで聞いていたいのよ。

 

だから、wowakaさん。

夕焼けに拗ねてるなら戻ってきて。

貴方のいない今日はつまらない。

 

グレーゾーンにて貴方を待っている。

 

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