紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

酒を飲む女

 

ブログのお題を募集したらこんなのが来ていた。

 

 

 

酒と、女。

 

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まあ私が女だから、女が書く酒の話ということで筆をとってみようと思う。

 

 

 

中国にいた頃、とにかくひどい飲み方をしていた。

死ぬまで飲む、飛ぶまで飲む、潰れるまで飲む。

そして周りに迷惑をかけまくる。

 

そんなロクでもない飲み方をした。

 

地面にお好み焼きを作ったこともあったし、

とんでもないことを口走ったこともあった。

 

ボス、劉ちゃん、佐藤夫妻、駐在員のお兄さんたち。

 

中国で私に関わった人々全てが私から酒で迷惑をかけられていたように思う。

 

が、一番迷惑をかけられていたのはやっぱり日本人の人たちだったように思う。

 

 強がり抜きでいうと、中国で寂しいと思ったことはなかった。

 

私の周りには常に誰かがいたし、友達もたくさんできた。

ボスは問題がたくさんたくさんたくさんある人だったけどまあまあ優しくて、(ボス曰く)一休さんと将軍のような関係だった。

 

が、私は中国にいた頃かつてないほど酒ばかり飲んでいたのだ。

 飲む理由を探して飲んで、挙げ句の果てには自分で買って飲み続けた。

 

なんでだったのだろうか?

 

 理由はたくさんあると思うけど、多分私は嬉しかったのだと思う。

 

毎週佐藤夫妻の家で、お酒を飲み、時には駐在員のお兄さんたちがやってくる。

 

その瞬間は私にはなんのストレスもないのだ。

 

毎日外国人としてなんとなく中国人の求める日本人を演じることをし続けなければならないように思い込んで、オーバーリアクションでご機嫌な外人を演じて。

 

 百パーセントの思いを口にする為にはなかなか語学力が付いて行かず、歯がゆい思いと幾度とない諦めと失敗が繰り返された。

 

でも、数週間に一度日本人に囲まれてお酒を飲んでいるときは、私は自分の気持ちや言いたいことを口にするのになんのストレスもなくて、母国語の甘みと豊かさを心ゆくまで享受したものだった。

 

私はお酒に酔いつぶれるのと同時にその心地よさにも酔いしれていたのだろう。

 

 ここではたとえ飲んで潰れても死なないし、

わけわからんおっさん(ボス)に振り回されることもない。

 

そう思うともうだめだった。

 

その瞬間は自分が普通の自分でいれることが幸せだった。

 

そう、中国でお酒は私にとって、鎧のようにまとった外国人の自分を脱ぎ捨てる幸せな瞬間を運んでくるものだったのだ。

 

そして、それと同時に中国人と仲良くなるための手段でもあった。

 

幾度となくボスに連れていかれた商談の飲み会では、珍しいお酒を勧められるたびに、

 

「ええ!こんなお酒日本にはないよ!初めて見た!」

 

と大げさに驚いて、勢いよく飲み干したものだった。

 

 恐ろしいほど度数が強くて、ほんのり甘くて。

 

私がグラスを空けるたびに大喜びされるのが嬉しかった。

 

私は外国人としてちやほやされることもちゃんと楽しんではいたのだ。

 

だけどやっぱり、ボスが飲ませてくれたり、商談の席で飲ませてもらえる高いお酒よりも、

週末に倫子さんたちと一緒に飲む、日本から持ってきた日本酒とか、中国の安いお酒は美味しかったなあと思う。

 

 だから、日本に帰ってお酒を飲むことはなくなった。

 

 お酒で吹っ飛ばしたい鎧や、装った自分がいなくなったからだ。

 

が、その2ヶ月後。

3月には、私はとにかく毎日夜になればお酒を飲んだ。

何本も何本も度数の高いお酒を空けた。

 

そして一人で具合が悪くなって、

 

「酒を殺すなら酒しかない!」

 

などと、トンチンカンなことを言いながらヤケクソに迎え酒をかまして、朦朧としていた。

 

就活である。

 

毎日毎日繰り返される説明会、面接、グループディスカッション。

 

周りの人たちが自動的にライバルになってしまう中で、私は再び鎧を纏って剣を取り、戦士へと身を変えた。

 

そして、戦地である大阪から京都の家に帰ると、ハイヒールを脱ぎ、リクルートスーツを脱いで、冷蔵庫からお酒を取り出して一気に飲み干した。

 

ぼんやりしていると、ただ楽しかった頃に戻れる気がしたのだろうか。

 

 酔うまで飲んで、そのまま眠る。

 

あの頃、お酒をたくさん飲んだのはやっぱり、体の中をアルコール消毒するように自分で演じる何かから離脱したかったのだろう。

 

そして、就活が終わりお酒を飲むことはなくなった。

 

最近はたまに一人で飲んだりすることもあるけれど、そんなことをするよりは中国語の映画でも見た方がよっぽど幸せで満たされた気持ちになる。

 

 酒を飲んでは映画が理解できなくなるから飲まない。

 

のんでも理解できるようになるのが理想なのだけれども…。

 

私は今、何も装ってなくてそのままの私としてただ静かに平凡に生活するから。

 

脱ぎ捨てたい自分がいないからお酒を飲まない。

 

これが答えとするなら、お酒は私にとって立場や理性を吹っ飛ばすもので。

普通の人と同じごくごく一般的な思いをお酒に対して抱いている。

 

 

 だから、この話で私が言いたいことはね、

落語研究会の皆さん、中国の皆さん、大学の皆さん、私がやらかした酒の失態その全てに対して本当にごめんなさい。すいませんでした。

 

んで、綺麗さっぱり忘れてくれよな!

 

だって、古くからこう言うでしょう。

 

「無礼講」

 

失態、ダメだったこと、悪かったこと、

その全てを水ではなく、酒に流して、酔いが覚めるように忘れてくださいよ、ね?ね?ね?

 

 

そんな感じで今日はおやすみなさいー。