紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

倫子さんに会いたい。

 

 棗庄に居た頃のことを最近よく思い出す。

 

私の人生が一番輝いた、夢のような一年間。

 

その私の記憶の中に一番強く残ってるのが倫子さんという女性だ。

 

 不器用で、口が悪くて、下ネタが好きで、情に厚くて、感情のコントロールが下手くそな困った人。

 

 棗庄に到着して、ボスに支配されていた私の前に彼女は突然現れた。

 

 女性にしては高い身長に、長いダウンコートをまとった市場の女ボスのような出で立ちで、「なんか日本人いるらしんだけどほんと?」といいながら、のっそりと私の目の前に現れた。

 

 その日から私はさながら餌をもらいに行くどら猫のように倫子さんの家に入り浸った。

 

 「一人で頑張る!」

 

とか言ってカッコつけて中国に来たくせに自分は死ぬほどカッコ悪いな。

 

と思いながら人のいい倫子さんに甘えた。

 

 私は棗庄に居た頃たくさん無茶なことをした。

 

刺激とワクワクとを求める巨大な好奇心に勝てなくて、欲望に任せて危ないことをたくさんしたのだ。

 

 でも、それが成功しても。失敗して死にかけても、倫子さんの家で倫子さんに話せばなんでも面白コンテンツに変えてしまえた。

ネタにできた。

 

だから、どんなに辛いことがあっても次の日になれば起き上がって次のトラブルに頭から突っ込んでいけたのだ。

 

そしてまた夜になったらボロボロになって、西門で買った弁当片手に倫子さんの家に駆け込んで騒ぎ散らかした。

 

私はそんな日々がどれだけ幸せなのか知らなかったのだ。

 

「ちょっと聞いてくださいよ!!」

 

と、駆けこめる場所がある有り難さを私は知らなかった。

当たり前のこととして消費してた。

 

もっと大切にすればよかったなあ、と後悔する。

 

本当にロクでもない話しかしなかった。

 

私がアイドルにwechatを送るか一時間悩んでいたら勝手に送信ボタンを押しやがったこともあった。

「なんつーことしてくれてんですか!!」

 

と抗議したら、

 

「まあまあこれを機に一発やれたら儲けものと思って、うぷぷぷぷ」

 

と笑われた時は本気で「この女三回くらい殺してえなあ…!」と思った。

 

ちなみに私は「ご飯行きましょう!」という無邪気なwechatを送ろうと苦悶していたのだが、そこから何をどう飛躍したら一発云々の話になるのか、彼女の妄想力には舌を巻くものがある。

 

でも、本当に死にたくなるほど悲しい時は、本気で寄り添ってくれた。

 あまりに私が泣くから、何を言えばわからなくなった倫子さんがザボンをくれたこともあった。

 

私は泣きながらでも食欲に勝てず、ザボンをモサモサと食べて元気になった。

 

そんな私を見て、

 

「食い物は全てを解決する」

 

と倫子さんはニヤリと笑った。

 

日本に帰国して、京都の一人暮らしのマンションに戻って、寝ぼけて倫子さんの家に行こうとしてドアを開けた時、ここが棗庄じゃなくて、私に駆け込む先はないことを思い知らされる。

 

正直、同性の友達が少ない自分にとって倫子さんは初めてできたなんでも話せる同性の友達だったのだ。

 

倫子さんになんでも話せて、

倫子さんといると楽しかったのは、

 

倫子さん自身も完璧じゃなかったからだと思う。

彼女には彼女の痛みと苦しみと後悔があって、一人きりでそんなものと戦ってる彼女は、彼女自身にはわからないかもしれないけどとても人間らしくて魅力的だった。

 

 彼女も困難を抱えてるから、

私も自分の困難を彼女にさらけ出してしまうことができたのだと思う。

 

 私は棗庄から帰国してからも相変わらず勝手に生きたし、気ままに生活してたけど、棗庄にいた頃と違って信じられないほど大きな孤独を抱え込む羽目になった。

 

そして、パワーを失い、結果的に自分が最も大切にしていた自由さを喪失した。

 

去年の今日、私はバックパック一つだけ背中に背負って中国横断の旅に出た。

 

 それからいろんな冒険をして、信じられないほど危険で馬鹿な真似を繰り返したのに。

 

その一つ一つに快感を感じていた。

 

幸せだったのだ。

 

危ないことを繰り返して、危機に陥って助かった時冷や汗がすっと引いていくような感触がくせになってやめられなかった。

 

それは棗庄にいるときも同じこと。

 

繰り返す無謀さを冒険に変えてしまえる強さが、自分自身の強さと過信してたけどそうではなかった。

 

 無茶を繰り返し死にかける私の傍には必ず、いつも死にかけてる私を大きな口を開けて豪快に開けて笑ってる倫子さんがいたのだ。

 

「チクショー!この女!人の不幸で気持ちよさそうに爆笑しやがって….!」

 

と、自分まで笑いながら自分に喝を入れてまた次のトラブルに突撃していたあのパワーは私一人の強さではなかった。

 

私が棗庄にいたあの頃、常に人とつながって、帰る場所と飛び込む誰かがいたから私は強かったのだ。

 

それに気づいた今となっては、私はすっかり自由を喪失し、目の前に並べられる刺激をぼんやりと力なく眺めているだけのつまらない女に成り下がった。

 

自分で冒険することを放棄した、怠け者でつまらない私。

 

去年の私が見たら蹴っ飛ばしたしたくなるであろう、あまりにつまらない私。

去年の倫子さんと私がいたら、今の私の悪口で三時間は盛り上がれることであろう。

 

 私は、取り戻したい。

 

誰が止めても止められなかった見切り発車のパワー系バカの私自身を。

どこまでも身軽に走って行けた自由さを。

 

 人に頼ることを覚えて冒険を放棄した自分を捨てて、また棗庄にいた頃の自由な自分に戻りたい。

 

じゃないと、あのドアを開けて

 

「聞いてくださいよ!!!」

 

って話すことがない。

 

不毛なしがらみを捨てて、自由に自分の夢を追いかける人生を選びたい。

 

 私は私の人生を取り戻す。

 

私は必ず、中国に戻るのだ。

 

一瞬見失いかけたけど、私には私の人生かけて叶えなければならない夢がある。

 

それをみすみす一時の感情に任せて投げ出してしまおうとしていた。

 

どんとしてろよ、紋浪。

 

疲れ果てて、無心でバイトをしながら一日中棗庄のことを思い出した今日。

 

私はようやく自分を取り戻せた気がする。

 

中国に行く。

 

必ず、中国に行く。

 

自由でパワー系バカな自分を取り戻して何度でも冒険を求めて中国を目指すのだ。

 

扉が開きかけてるのに、落とし穴に落ちかけてしまっていた。

 

倫子さんに会いたい。

 

また、面白コンテンツを引っさげて会いに行きたい。

辛いこととか揉め事を、笑いに変えて必死に生きたい。

 

 私の人生で私が自分の生きる意味を見失いそうになるたびに、私はこの先何度でも棗庄のことを思い出す。

 

そしてその記憶のすべてのコマに倫子さんがいない瞬間がない。

 

  目の前のまやかしの温もりに目を奪われないで。

 

1日でいいから何でもない棗庄の一日をもう一度だけやりたい。

 

でも、過去として過ぎ去った日々は戻ってこないから。

 

私たちは前にしか進めないから。

 

それでもそれでも、私は倫子さんに会いたいのだ。

 

意味がないと冷酷に笑う人がいても、

棗庄まで走って行って、思い出話だけダラダラとしたい。

 

人生は理屈じゃない。

 

人間は衝動と感覚で生きてる。

 

 開発途上の学校の中をぐるぐると散歩したい。

 

棗庄に行きたい。

倫子さんに会いたい。

 

夏休み、体制を立て直して不毛な自由を阻むしがらみにカタをつけて。

 

アルバイトしてお金を貯めて。

 

旅に出る準備をしよう。自由を取り戻す旅。

 

その始まりは棗庄でなければならない。

倫子さんでなければならない。

 

長く怠っていたトレーニングと、

感覚を取り戻すためにアップを始めるよ。

 

そして、また限りなく自由で愛する自分を携えて棗庄から始めたいのだ。

 

 冒険の夏は去年の夏。

 

今年の夏は取り戻す夏。

 

実を結ぶ秋のために、戦うしかねえなあ。