紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

彼を高座から連れ去ったもの。

 

どうすればよかったのだろう、と今でも考えることがある。

 

  大学三年の前期までかけがえのない友人がいた。

 

同じサークルの男の子。

 

大胆不敵な不謹慎な時事ネタを絡めたギャグが得意で、美しい上方弁を操り客席を魅了する喋り。

 

高座の上の彼を今でもたまに思い出す。

 

金の屏風に赤毛氈。

紫色の座布団の上に座る威風堂々としたその姿はもう二度と見ることができない私が守りたかった光景だ。

 

  私と彼は親友ともいうべき関係で、何回か一緒に他の仲間も連れ立って国内外を旅行したり、落語を見にいったりもした。

 

 気分の上下の激しいやつだったけど、気のいい優しい人間で私たち落語研究会の同期は彼のことをそれなりに大切にしていた。

 みんなが彼を好きだったし、彼の気まぐれや時より発症する不機嫌も呆れながらも許し、私たちの間は心地よい関係で満たされていた。

 

  大学三年になって就活のことがちらつき始めたあの頃、彼はとある地域インターンに応募した。

 

もともと行政に興味があった彼にとっては、非常に魅力的な内容だと、嬉しそうに彼は話して聞かせた。

 

 就活なんて頭になくて呑気だった私たちは、

 

「がんばれー」

 

といつもの調子で彼のことを応援していた。

 

 でも、インターンが始まってからはどんどん落研に来なくなった。

講義なんかで顔を合わせてもなんだかよそよそしくて、変なことを言い始めた。

 

「何も考えんと毎日過ごせるとかあのひとたち(落研の同期)は何考えとんのやろ」

 

 明らかに見下したような口調。

 

彼はインターンの部署分けで少々大変な部署になったらしいが、それなりにやりがいがあるところで、上司がすごく素晴らしい人だと活き活きと話していた。

 

 それから一ヶ月ほど経過すると、彼は落研の活動に全く参加せず、授業もたまに休むようになった。

 

その頃、一度彼とご飯を食べにいったことがあった。

 

もう、彼はインターンの話しかしない。

 

 私は何だか怖くなって、

 

「ねえねえ!次の公演なんのネタやる?」

 

と聞いてみた。

 

そう私は彼の落語が大好きだった。

同期だってそうだ。

 

多分当時の私は彼をなんとか引き戻したかったのだと思う。

 

「あー、それなあ。あげへん(落語をやらないこと)かもしれへんなあ。インターンで忙しいし上司の人が…」

 

 また始まるインターンの話。

 

彼はインターンの話をする時必ずそのインターンの上司を持ち上げた。

そして、必ず誰かを見下していた。

 

彼の上司は、彼がその上司の下に配属になった時、

 

「俺のところに来たお前らは正解やで。

ぶっちゃけ今回のインターン、俺のところ以外に行っても無駄なようなもんや」

 

と、豪快に笑ってみせたらしい。

 

彼はよくその上司から褒められるらしく、

その上司から褒められた日は機嫌が良くて、その話を何度もしてみせた。

 

 私と同期はそんな彼を何とか落研に引き戻そうと必死だった。

 

別に無理にネタをやって欲しいわけじゃない。

 

部活にも何も言わずに来なくなって、LINEも返信がない。

今まで一度も欠かさず公演のたびに新ネタをやって来たし、活動もしっかりしてたのに一体どうしてこんなふうに私たち同期から逃げ回っているのか。

 

私たちはただ彼に向き合って欲しいだけだった。

 

三年も一緒にやって来た仲間だ。

それくらい贅沢でも望み過ぎでもないだろう。

 

別に、狭い部室にも、学生会館の小ホールの高座にも、殻を閉じ込めたいとは思わなかった。

 

ただ、もう一度華やかな彼の落語が見たかった。

 

不安定な心を自らで飼い慣らすことができずに、煩悶してる姿を、みんなで支えながら最後の高座に登って欲しかった。

 

誰かのことを、無能と蔑み、笑う彼をこれ以上見ているのは嫌だった。

 

不器用ながらも繊細さの残る、そういう姿をもう一度。もう一度。

 

 

その為であれば、部内で自分がどうなろうとよかったし。

 

彼が復帰すれば、私たち同期はまた昔のように最高な仲間になれると信じていた。

 

 その年の4月、私は一人の同期がさっていくのを止められず。

 

私の胸の中には、彼だけは止めなくてはならない。

 

と、半ば執念のような想いが渦巻いていたのである。

 

「一緒に引退しようよ」

 

何度も、何度も、呪文のように自分に言い聞かせるように彼にそう言ったけれど…。

 

ある日、授業の合間に食堂でご飯を食べてる時、私がその台詞を口に出した途端。

 

「うざいわ。何回それいうの?

あなたが引退に出たいのは自由ですが、

僕を巻き込まないでください」

 

と、突き放されてしまった。

 

「でも、でもね?

みんな君の落語が好きだよ!

二回生の時、みんなで引退しようって言ったじゃん。

一回生の時から引退の高座は風うどんやるって、決めてたじゃん。

台本だってあるでしょ。

どうして、この何ヶ月だけで全部をひっくり返しちゃったの??」

 

「時間の無駄やったわ。

三回の今気付けて、まだラッキーやったわ。

○○さんが教えてくれてんか…………」

 

時間の無駄やったわ。

 

時間の無駄やったわ。

 

頭の中にガンガンとこだましたその言葉は、響くたびに容赦なく私の何かを崩壊させた。

 

「そういえば、紋浪合宿行かへんよな??」

 

限界だった。

 

「なんで??私がいくか行かないか、あんたに関係あんの?」

 

思わず口にした。

 

それは最初の反逆だった。

 

「あんな馬鹿馬鹿しいところ行かんでええやろ。中国語とか勉強しといた方が有意義なんちゃう?」

 

そう。

 

目の前のこの人は、一人で抜けるのが怖いから。

道連れを探してただけだったんだ。

 

みんなで一緒に引退したい。

 

なんて夢を持った私に、自分が引退公演で高座に上がる、という餌をちらつかせて、ずるずるとそちら側に引きずり込もうとしてるんだ。

 

さあっと、爪先まで血の気がひいていくのがはっきりわかった。

 

「合宿行かないなら引退あげられないんじゃないの??」

 

最後の賭けで聞いてみた。

 

「台本は入ってるし、今でもざっとできるで。

ただ、こっから詰めてやってくのはだるいなあ」

 

だるい、なんて今まで言うことなかった。

 

その言葉にもめまいがした。

 

 その夜、誰もいない部室に彼の高座の映像を見に行った。

 

真っ暗な部室に、パソコンの光だけが煌々としていて、私の笑い声と、パソコンの音だけが響いていた。

 

私は普通に楽しんでその映像を見ようと決めていた。

 

これでもう二度と彼の落語を見ることは出来ないと思ったから。

 

そしてそれは現実になった。

 

私の夏の合宿参加を知った彼は烈火の如く激昂し、顕限りの暴言を投げつけ、

 

「ほんまに価値のないことに3年費やしたわ。もう縁切りたいわ」

 

と吐き捨てた。

 

でも、もう何も思わなかった。

 

だって私には残る者として、それなりの戦いが待っていたのだから。

 

 私の夢も生きがいも、私自身でなければならない。

 

みんなで一緒に、なんてものに私がすがって、固執したから、こんな無茶苦茶なことになってしまったのだ。

 

 じゃあ、私はなんでそんなものを夢中で求めていたのか。

 

それは私個人に自信がなくて、無意識に一人で勝負に出ることから逃げていたのだと思う。

 

だからこそ、私が叩きつけた答えは、

 

「引退公演でやりたいネタでトリをやる。」

 

その先の諍いや、争いや、やりとりは確かに辛かったけど。

 それでも、前ほど辛くなかった。

 

だって、私が決められるのだから。

 

私が私をどうするのか。

私が私が何をするのか。

 

その決定権を持っていて、

私がそうしたいからそうするってことを言って、それに向かって走ることは楽だった。

 

そして、紆余曲折と数え切れないほどの回数の号泣を経て、

 

私はトリでやりたいネタで引退公演の高座に登ることを勝ち取った。

 

「みんなでとか言ってたのにそんなんどうでもよかったんやな。

結局紋浪は、自分一人幸せならそれでいい人なんやね。

 あなたのみんなで一緒にってなんやったん?

振り回されてこっちは大迷惑やったわ。」

 

久しぶりにそう言われて、なんとなく悲しかった。

 

本当は、。

 

本当はね、みんなで笑って引退できるなら、私前座でもよかったんだよ。

 

それが一番幸せだったんだよ。

 

きっと他の同期だってそう思ってたよ。

 

でもそれを踏みつけてズタボロにしたのはあんたの方じゃないか。

 

言いたいことを飲み込んだ。

 

そんな言葉を今言っても、もう全て後の祭り。

 

もうどうにもならない。

 

引退公演は、翌日に迫っていたのだから。

 

「そうかもしれないね。」

 

ひとしきり彼の言葉を受け流して、電話を切った。

 

自分の幸せ。

 

 私が、高座に上がる時、同期全員で出囃子を引いてくれた。

 

 下座表をみて少し泣いた。

 

ああ、迷惑かけたなあ。

勝手に彼と私を被害者にして壁を作って、

だいぶん長い道をすれ違って遠回りしちゃったなあ。

 

大事にするべきものを何も大事にできてなかったなあ。

 

 私は私の夢を叶えて、これ以上とない幸せを享受し、そのまま夢見心地で惚けてしまった。

 

 その直後に撮った写真は、きっとみんないろんな思いがあったけどそれでもいい顔で笑っていたのだ。

 

 ハッピーエンドだ。

 

これは、ハッピーエンドなんだ。

 

意地で言ってるわけじゃない。

負け惜しみじゃない。

 

これは、ハッピーエンドなんだ。

 

これ以上のハッピーエンドがあってたまるもんか。

 

 後悔なんてひとつもない。

 

でもそれでも。

 

たまに考えることは、彼を高座から連れ去ってしまったものはなんだったのか。

 

 ○○さん。

 

名前のない大人。

 

自分の元にこない人間を無能といって、笑って、顔も見たこともないその人を、少しだけ憎いと思う。

 

もちろん、責めるべきは20を超えても信じる対象を正しく選び取ることもできなくて感化されやすい彼だったけど。

 

そうは言っても、1発くらいお見舞いしてやりたいのが本音なのだ。

 

そう思うくらい、許してくれよ馬鹿野郎。

 

まだ同期全員での引退を全員が夢見ていたあの頃、いつも中心にいたのは彼だった。

 

お正月には、徒歩で同期全員の下宿先に年賀状を届けてくれた。

 

かつて彼は同期と落研を愛していたことだけは疑わないし事実だと信じてる。

 

年も明けて遅れた大掃除をしていたら、出てきた2017年酉年の年賀状を持ってぼんやりとした1日を過ごした今日。

 

久しぶりにそんなことを思い出してしまった。

 

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中華圏にサヨナラを。

 

你为什么开始学中文?

(どうして中国語を勉強し始めたの?)

 

もう何百回、何千回と書かれてきた質問に、いつも相手に忖度して答えていく。

 

相手が中国人なら、

「初めて北京に来た時、とても感動したからよ。」

「中国の文化が好きだから」

と答えるし。

 

相手が台湾人なら、

「台湾が大好きだからだよ。台北に三回も行ったんだ」

と答える。

 

でも、本当は私が中国語を勉強した理由は、

見返してやりたかった。

そんな利己的で醜い感情に過ぎない。

 

大学受験に失敗して、第二志望の大学に入学して。

専攻は日文だったから、両親が望むように故郷に帰って中学校の国語教師になろうと思った。

 

でも、私は何か変わりたくて、

大学一年の春休み。当時の自分にとっては大冒険の台湾旅行を敢行したのだ。

 

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何もかもがキラキラしてた。

 

帰りの飛行機で友人たちはホッとした顔をしてたけど、私はなぜか一人で泣いてしまった。

 

「帰りたくない」

 

と思ったのだ。

 

分からないなりに、中国語を新たに勉強を始めて、発音の難しさに何回も挫折した。

 

二回生の夏休みは天津の南開大学に三週間短期留学した。

忘れられない2016年8月11日。

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それが、私の原点だった。

 

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初めてみる、中国。

初めて、中国人に「你好」って言った時は心臓が震えた。

 

その後、どんどん中国に夢中になって、

狂ったようにwechatで中国人と繋がった。

 

同じ漢字を使う外国人の中国人。

 

剥き出しの異文化に酔いしれて、

私はさらにのめり込んでいった。

 

そして、そのまま突っ走って、山東で働いて、中国語を話して。

 

たくさんの中国人と友達になれたし、

中国語も話せるようになったし。

 

私は本当に幸せだったのだ。

 

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帰国した後も、就活が終わって。

 

広東省の先生と仲良くなったり、

香港人と仲良くなったり、

台湾人の友達ができたり、

四川人のお兄さんが出来たり、

 

私と中華圏の縁が切れることはなかった。

 

でも。

 

そのあとは私はずっと孤独だった。

 

中国語が話せる自分が好きで、

中国語一つで信じられない人と繋がり友達になれる能力に酔いしれて、

 

就活を終えた私は更に更に中華文化圏にのめり込んでいった。

 

そして私は一つ一つ、大切なつながりを失っていったのだ。

 

大学一年生から三年生まで。

 

私はいつだって友達と一緒にいた。

頭がおかしくてちょっと狂ってる私を、

おおらかな目で許して呆れながらも認めてくれた落研の仲間や日文の友達がいたのだ。

 

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でも?

 

中国人と繋がることを憶えて。

中華文化圏という素敵な逃げ場を手に入れてしまった私は、次第に現実世界でもがくことをやめてしまった。

 

人というものは、戦わずして幸せを手に入れることなんてできない。

 

私は確かに、中国語によって。

中華文化圏によって、たくさんのことを学び手に入れたけど。

 

それと引き換えに手放したものは何だったのだろうか。

 

とふと立ち止まって考えると末恐ろしい気持ちになった。

 

私は現実を生きることをやめてしまっていたのではないだろうか。

 

だから、目の前の卒論とか。仕事のこととか。

 

そういうことが全て無意味に色褪せて見えて、

日がな一日中国人とやりとりして。

中華圏に行くことばかりを考えてしまうのではないだろうか。

 

こんな私ではなかった。

 

もっと現実にのたうちまわって、死にながら生きてた。

 

必死になって現実と戦ってた。

 

だから、私に孤独はなかった。

 

でも今は??

 

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刹那的な美しさに逃げて。

自分の価値とか、夢とか。

大事にしてたものを全て蔑ろにしてる自分自身に気が付かないほど馬鹿な私じゃない。

 

私は中国語をできるようになってなにがしたかったんだろう。

 

中華文化圏にいないときは、ゾンビみたいな顔して。

 

日本での生活を消化試合みたいにして生きていくために中国語を学んだわけじゃない。

 

中華圏との絆に逃げ込んで、

溺れて、

今や窒息して溺死しそうな私。

 

私は何のために生きてるのか、もはや分からなくなってる私。

 

恋愛というものには縁がなかった学生生活だったけど、

私は中華圏に恋して、溺れて、このままじゃダメになってしまう。

 

でも。私の頬を殴って目を覚まさせてくれる存在なんてもう京都にはいない。

 

だから??

 

私は自分に喝を入れて、中華圏から暫しサヨナラをしなくちゃいけない。

 

私は現実を。

私にとっての現実を地に足付けて生きていくためにも、今は痛みを堪えてサヨナラを。

 

中華圏に甘えるんじゃなくて、

勝負を仕掛けて出し抜いてやれるような。

 

そんな女になりたいから。

 

暫くは、けじめをつけようと思うのだ。

 

(まあ、11月中国に行くことが決まってんだけどね)

 

 

このブログも明日からおよそ三ヶ月の沈黙を破り更新していこうと思うので皆さん引き続きよろしくお願いします♡♡♡

 

 

 

倫子さんに会いたい。

 

 棗庄に居た頃のことを最近よく思い出す。

 

私の人生が一番輝いた、夢のような一年間。

 

その私の記憶の中に一番強く残ってるのが倫子さんという女性だ。

 

 不器用で、口が悪くて、下ネタが好きで、情に厚くて、感情のコントロールが下手くそな困った人。

 

 棗庄に到着して、ボスに支配されていた私の前に彼女は突然現れた。

 

 女性にしては高い身長に、長いダウンコートをまとった市場の女ボスのような出で立ちで、「なんか日本人いるらしんだけどほんと?」といいながら、のっそりと私の目の前に現れた。

 

 その日から私はさながら餌をもらいに行くどら猫のように倫子さんの家に入り浸った。

 

 「一人で頑張る!」

 

とか言ってカッコつけて中国に来たくせに自分は死ぬほどカッコ悪いな。

 

と思いながら人のいい倫子さんに甘えた。

 

 私は棗庄に居た頃たくさん無茶なことをした。

 

刺激とワクワクとを求める巨大な好奇心に勝てなくて、欲望に任せて危ないことをたくさんしたのだ。

 

 でも、それが成功しても。失敗して死にかけても、倫子さんの家で倫子さんに話せばなんでも面白コンテンツに変えてしまえた。

ネタにできた。

 

だから、どんなに辛いことがあっても次の日になれば起き上がって次のトラブルに頭から突っ込んでいけたのだ。

 

そしてまた夜になったらボロボロになって、西門で買った弁当片手に倫子さんの家に駆け込んで騒ぎ散らかした。

 

私はそんな日々がどれだけ幸せなのか知らなかったのだ。

 

「ちょっと聞いてくださいよ!!」

 

と、駆けこめる場所がある有り難さを私は知らなかった。

当たり前のこととして消費してた。

 

もっと大切にすればよかったなあ、と後悔する。

 

本当にロクでもない話しかしなかった。

 

私がアイドルにwechatを送るか一時間悩んでいたら勝手に送信ボタンを押しやがったこともあった。

「なんつーことしてくれてんですか!!」

 

と抗議したら、

 

「まあまあこれを機に一発やれたら儲けものと思って、うぷぷぷぷ」

 

と笑われた時は本気で「この女三回くらい殺してえなあ…!」と思った。

 

ちなみに私は「ご飯行きましょう!」という無邪気なwechatを送ろうと苦悶していたのだが、そこから何をどう飛躍したら一発云々の話になるのか、彼女の妄想力には舌を巻くものがある。

 

でも、本当に死にたくなるほど悲しい時は、本気で寄り添ってくれた。

 あまりに私が泣くから、何を言えばわからなくなった倫子さんがザボンをくれたこともあった。

 

私は泣きながらでも食欲に勝てず、ザボンをモサモサと食べて元気になった。

 

そんな私を見て、

 

「食い物は全てを解決する」

 

と倫子さんはニヤリと笑った。

 

日本に帰国して、京都の一人暮らしのマンションに戻って、寝ぼけて倫子さんの家に行こうとしてドアを開けた時、ここが棗庄じゃなくて、私に駆け込む先はないことを思い知らされる。

 

正直、同性の友達が少ない自分にとって倫子さんは初めてできたなんでも話せる同性の友達だったのだ。

 

倫子さんになんでも話せて、

倫子さんといると楽しかったのは、

 

倫子さん自身も完璧じゃなかったからだと思う。

彼女には彼女の痛みと苦しみと後悔があって、一人きりでそんなものと戦ってる彼女は、彼女自身にはわからないかもしれないけどとても人間らしくて魅力的だった。

 

 彼女も困難を抱えてるから、

私も自分の困難を彼女にさらけ出してしまうことができたのだと思う。

 

 私は棗庄から帰国してからも相変わらず勝手に生きたし、気ままに生活してたけど、棗庄にいた頃と違って信じられないほど大きな孤独を抱え込む羽目になった。

 

そして、パワーを失い、結果的に自分が最も大切にしていた自由さを喪失した。

 

去年の今日、私はバックパック一つだけ背中に背負って中国横断の旅に出た。

 

 それからいろんな冒険をして、信じられないほど危険で馬鹿な真似を繰り返したのに。

 

その一つ一つに快感を感じていた。

 

幸せだったのだ。

 

危ないことを繰り返して、危機に陥って助かった時冷や汗がすっと引いていくような感触がくせになってやめられなかった。

 

それは棗庄にいるときも同じこと。

 

繰り返す無謀さを冒険に変えてしまえる強さが、自分自身の強さと過信してたけどそうではなかった。

 

 無茶を繰り返し死にかける私の傍には必ず、いつも死にかけてる私を大きな口を開けて豪快に開けて笑ってる倫子さんがいたのだ。

 

「チクショー!この女!人の不幸で気持ちよさそうに爆笑しやがって….!」

 

と、自分まで笑いながら自分に喝を入れてまた次のトラブルに突撃していたあのパワーは私一人の強さではなかった。

 

私が棗庄にいたあの頃、常に人とつながって、帰る場所と飛び込む誰かがいたから私は強かったのだ。

 

それに気づいた今となっては、私はすっかり自由を喪失し、目の前に並べられる刺激をぼんやりと力なく眺めているだけのつまらない女に成り下がった。

 

自分で冒険することを放棄した、怠け者でつまらない私。

 

去年の私が見たら蹴っ飛ばしたしたくなるであろう、あまりにつまらない私。

去年の倫子さんと私がいたら、今の私の悪口で三時間は盛り上がれることであろう。

 

 私は、取り戻したい。

 

誰が止めても止められなかった見切り発車のパワー系バカの私自身を。

どこまでも身軽に走って行けた自由さを。

 

 人に頼ることを覚えて冒険を放棄した自分を捨てて、また棗庄にいた頃の自由な自分に戻りたい。

 

じゃないと、あのドアを開けて

 

「聞いてくださいよ!!!」

 

って話すことがない。

 

不毛なしがらみを捨てて、自由に自分の夢を追いかける人生を選びたい。

 

 私は私の人生を取り戻す。

 

私は必ず、中国に戻るのだ。

 

一瞬見失いかけたけど、私には私の人生かけて叶えなければならない夢がある。

 

それをみすみす一時の感情に任せて投げ出してしまおうとしていた。

 

どんとしてろよ、紋浪。

 

疲れ果てて、無心でバイトをしながら一日中棗庄のことを思い出した今日。

 

私はようやく自分を取り戻せた気がする。

 

中国に行く。

 

必ず、中国に行く。

 

自由でパワー系バカな自分を取り戻して何度でも冒険を求めて中国を目指すのだ。

 

扉が開きかけてるのに、落とし穴に落ちかけてしまっていた。

 

倫子さんに会いたい。

 

また、面白コンテンツを引っさげて会いに行きたい。

辛いこととか揉め事を、笑いに変えて必死に生きたい。

 

 私の人生で私が自分の生きる意味を見失いそうになるたびに、私はこの先何度でも棗庄のことを思い出す。

 

そしてその記憶のすべてのコマに倫子さんがいない瞬間がない。

 

  目の前のまやかしの温もりに目を奪われないで。

 

1日でいいから何でもない棗庄の一日をもう一度だけやりたい。

 

でも、過去として過ぎ去った日々は戻ってこないから。

 

私たちは前にしか進めないから。

 

それでもそれでも、私は倫子さんに会いたいのだ。

 

意味がないと冷酷に笑う人がいても、

棗庄まで走って行って、思い出話だけダラダラとしたい。

 

人生は理屈じゃない。

 

人間は衝動と感覚で生きてる。

 

 開発途上の学校の中をぐるぐると散歩したい。

 

棗庄に行きたい。

倫子さんに会いたい。

 

夏休み、体制を立て直して不毛な自由を阻むしがらみにカタをつけて。

 

アルバイトしてお金を貯めて。

 

旅に出る準備をしよう。自由を取り戻す旅。

 

その始まりは棗庄でなければならない。

倫子さんでなければならない。

 

長く怠っていたトレーニングと、

感覚を取り戻すためにアップを始めるよ。

 

そして、また限りなく自由で愛する自分を携えて棗庄から始めたいのだ。

 

 冒険の夏は去年の夏。

 

今年の夏は取り戻す夏。

 

実を結ぶ秋のために、戦うしかねえなあ。

 

 

 

 

 

 

肉体労働者になった夜。

 

「ふざけんな!あたしは15の頃から中卒肉体労働者」

 

 

私が結構好きなフィメールラッパーの椿氏より。

 

1分13秒あたりからどうぞ。

 

さてさて、肉体労働

 

事の発端は、前回の旅行から帰ってきた時。

 

圧倒的に金がなくなっていた!

 

てなわけで夏に向けてアルバイトをすることになったんだけど、大衆中華料理屋のアルバイトにもなれたし暇だったので、前々から興味があった派遣に登録してみることにした。

 

そんなわけで、適当に見繕った派遣に登録して、紹介された軽作業の現場に行ったのが今夜。

 

6時から10時までのシフトで入ることになった。

 

最寄りの駅から送迎バスが出ているという事だったので、待ってたらバスが来た。

 

「○○派遣から来ました!」

 

というと、ガラの悪い運転手のにいちゃんが顎で座るように合図した。

 

(今、たしかに人権がなくなる音が聞こえたぞ…!)

 

と、若干興奮する私。

 

バスに揺られる事15分程度。

 

現場に着くと、携帯電話を没収されて、

そこの抜けかけたボロボロの黒い長靴みたいな作業靴を履いて。

 指定された色のヘルメットを被った。

 

後で聞いたけど、このヘルメットの色は派遣会社ごとに違うらしい。

 

 てなわけで、すっかり労働者の出で立ちになった私は、気のいい兄さんに連れられて作業場へと連行された。

 

「体力勝負になるからね〜」

 

と言って兄さんは去った。

 

私の仕事は、無限に供給されるラックの中のダンボールをひたすらベルトコンベアの上に乗せていく事だった。

 

 封筒とか紙袋は青いレールに。

ダンボールは黒いレールに。

 

頭の中がダンボールと封筒だけになる。

 

ラックが空になれば、

「おねがいしまーす」

と叫ぶと、ガラの悪いおっさんが空になったラックと、ダンボールがたっぷり入ったラックを交換してくれる。

 

交換されたらまた最初から。

 

ラックが空になるたびに、「お願いしまーす」と叫ぶだけ。

 

 脳みそが全く動いてない感覚。

 

何だか私までベルトコンベアになった気分だった。

 

ダンボールは重い。

 

ラックは大きいから、てっぺんのダンボールに手が届かない。

 

崩れてきた荷物の下敷きになりそうになったり、仕事は命がけだった!

 

 間違えて仕分けると、怖いおばさんのゲキが飛ぶ。

 

 そのババアの恐ろしかった事。

 

ババアが恐ろしいから間違えないように脳みそを動かす。

 

でも肉体労働で疲れて腰が痛くて意識が朦朧としてくる。

 

でもババアは怖い。

 

まるで鞭で打たれるのが嫌で荷馬車を必死で引くロバみたいだ。

 

ベルトコンベアに沿って無数の人が、無数のダンボールを無言で乗せていくだけの空間は異常だった。

 

最初は辛くて。

少ししたら腰が痛くて。

そして更にすると何も考えなくなった。

 

ただ目の前のラックが空っぽになることだけが嬉しいのだ。

 

もはや洗脳されている。

 

手遅れである。

 

ラック内から頭をぶつけてもヘルメットがあるから痛くない。

 

そうか、だから今私はヘルメットを被っていたのか。

 

などと意味のわからないことを思った。

 

ベルトコンベアの頭上には無数に太いパイプが通っていて、そのパイプからわずかな冷風が出ている。

どうやらクーラーのようだ。

 

このパイプを自分の方に向けて作業をすると、快適だぞ、と隣のおっさんが教えてくれた。

 

私は最初は愛想笑いでこのアドバイスを流したものの、

あまりの暑さに耐えかねて、パイプに手を出して自分に向けると一抹の快適さに唸った。

 

やはり年長者のアドバイスには、耳を傾けておくものなのだ。

 

そして、看守…じゃなくて作業場の監督が

「ベルトコンベア止め!」

と言って、ゴミ拾いをしてゴミ捨てをしに行った時、ゴミ捨て場の時計を見ると、9時になっていた。

 

ええ…私三時間もノンストップでベルトコンベアにダンボール乗せてたの…!

 

と自分にドン引きしてしまった。

 

どうりで、腰が痛くて汗が止まらないはずだ。

 

そのあとは、ひたすらトラックに向けて都道府県別に仕分けされた段ボールが入ったラックを引きずり回して行く。

 

「10時までまだたっぷり時間があります!みなさんしっかり働きましょう!」

 

と看守がアナウンスしてる時間はもう9時45分。

 

最後まで人を使い倒そうという根性が垣間見れてとてもいいと思った。

 

巨大な冷蔵庫を引きずって広大な作業場を迷い歩き、そんなことを無数に繰り返した。

 

そして私は文字通り10時しっかりまで働いて、携帯を返してもらった。

 

待合室は日本語は聞こえず、ベトナムなのか。

 

中国語でもない東南アジア風の言葉が飛び交っていた。

 

なぜ。私はこんなことをしているんだ??

 

なぜ。私はここにいるんだ?

 

てか、ここはどこなんだ?

 

日本なの?

 

そんな朦朧とした意識の中でバスに乗り込んで、私は駅について電車に乗り込み。

 

スマホをいじりながらようやく現実世界に帰ってこれた気がした。

 

 でも。

 

カオスで訳がわからないことばかりで疲れ果てたけど、変な爽快感があった。

 

もう一回くらい行ってもいいかなあ。

 

と思った。

 

でも、このバイトの話を面白コンテンツとして両親に話したらめちゃくちゃ怒られたし。

ケビンは、「可哀想!」って泣いちゃったし。

 

多分もう行くことはないような気もする。

 

軽作業のはずだったのに、飛んだ重労働だったしね!

 

でも、久々に何も考えないで無になって。

 

気がついたら夜になってるあの不思議な感覚は癖になりそうなくらいに気持ちが良かった。

 

でも。腰痛は勘弁だから次こそは軽作業の現場に行きたいものだなあ、と思いながら私は帰路につくのであった。

 

おしまい。

 

 

ついに香港人現る!? 杭州の西湖に沈みたい。

 

 

にーはお。

私です。

紋浪です!

 

さて、南京二日目の朝目が覚めたら、

朝の10時を回ってました。

 

この日は朝から、ゆっくりと朝ごはんを食べて散歩するつもりだったのだが全てキャンセル。

 

目的地へ向かいます。

 

この日の目的は南京大虐殺記念館の参観だったんだけど、これについてはまた別記事でしっかり書くので今回は飛ばす。

 

 その後、どんよりとした気持ちで高鉄に乗り込もうとしたら、なんとまたしてもない座席を割り当てられた。

 

存在しない座席を割り当てられたので当然のごとく抗議に行くと、

「こちらのミスだわー」

とのことで無料で一等席に変わった。

 

ふっかふっかの一等席の座席に私はご機嫌。

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ふっかふっか最高。

あと2時間くらい乗っときたいなあ。

 

と思ってたら1時間半で杭州についたぞ。

 

地下鉄に乗り換えてドミトリーの近くの駅で降りて。

 

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古い町並みを再現した街の中にあるホステルに荷物を置いたらもう四時を回って。

 

私は西湖目指して走り出す。

 

香港兄さんから西湖は夕暮れが一番綺麗だよ、と聞いていたからである。

 

地下鉄乗って、夜市を駆け抜けて、いきなり目の前に現れた西湖に私は息を飲んだ。

 

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あまりに綺麗で、ゆるゆる歩く。

 

sumika,しんどいかもしれないけど絶対今日の夕方に西湖にいくんだよ!明日の夕方予報は雨なんだ。夕方の西湖は今日が君のラストチャンスなんだから」

 

「うるせー。うるせー。自由勝手にさせろ」

 

香港兄さんのいうことを素直に聞きたくなくてそうはいったものの。

やはりおすすめされたからには気になっていそいそ出かけてきたけど。

 

あんたは正しかったよ!

 

と叫びたかった。

 

本当に美しかった。

 

あまりにも嬉しかったのと、南京を出たことで気が緩んでそこらへんにいた中国人にスマホを渡してバシャバシャ写真を撮ってもらう。

 

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前からはもちろん、後ろ姿までお願いする。

私は強欲で図々しい女なのだ。

 

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達成感にこの笑顔である。

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えええ、やっぱり私超可愛いじゃんね。

最高だなあ!

 

まあそんな戯言は置いといて。

 

てくてくと歩き始めるよ。

 

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美しい。

夕暮れの風は気持ちが良くて、気持ちよくて風に髪の毛がさらわれてボサボサになってもゆるゆる歩く。

 

が、ここでも私は中国の雄大さを舐めていた!!

 

世界遺産にも登録されてる西湖。

 

一周、10キロです♡

(後で調べた)

 

とことこ歩いても、歩いても歩いても歩いても際限なく現れる道。

 

ええ、なんでこんなに歩いてるのに終わりがないんだ?

 

と若干怖くなってくる。

 

疲れ果てて途中で麺を食べて、また歩いて歩いて。いつの間にか夜になって。

 

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サイケデリックなイルミネーションを死んだ目で見ながら歩き続けたら疲れ果てて眠たくなってきた。

 

が、ここで寝たら確実に遭難なので、泣きそうになりながら歩く。

 

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これは有名な遊女の墓らしい。

私も埋めてくれと思った。

 

虚ろな目で「ゆ、優雅な旅!優雅な旅いいい」と呟きながら歩く私をギョッとした目で見てる中国人を無視して歩き続けて、歩いて歩いて。

 

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たまに現れる謎のモニュメントで気を紛らわせながら歩いて歩いて。

 

思い出したようなイルミネーションに心癒されて。

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この時すでに時刻は10時回ったくらい。

 

「hello,Sumika.杭州の旅はどう?楽しんでる?今日は何食べていた?何してる?」

 

ときた香港人のwechatを

 

「いやまだ西湖を散歩してるよ。西湖マジで大きいわ。」

 

といったら。

 

お前は死ぬ気か?

 

と絶句していた。

うるせー、お前が夕方行けと言ったから夜になったんだ。

 

ええん、もう紋浪つかれたよおおお。

 

一周終わった頃には足がもう動かなくなったのでタクシーを止めて。

中国人の女の子たちと相乗りでホステルまで戻った。

 

 道中死んだ目をしてる私を心配した中国女子が私に飴ちゃんをくれた。

梅のキャンディ。

 

酸っぱさと甘さが容赦なく私の体の水分を奪い、私はタクシーを降りたら真っ先に水を買いに走る羽目になった。

 

 疲れ果てて万歩計を見たらその日も狂った数字を叩き出していた。

 

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が。前日さらに狂った数字を出していたので、

 

あんまたいした距離歩いてねえなあ。

 

と訳の分からん感覚のバグった感想を持って終わった。

 

そして次の日も例にも漏れずに寝坊した私は、この度のテーマを「寝坊と体力耐久レース」に変えようか考えながらまた朝から適当な店で麺を食べて1日スタート。

 

この日の目的地は霊隠寺という有名なお寺。

 

おめあては石像群です。

 

バスに乗り込んで一本ですぐつくお手軽さにご機嫌になりながらてくてく歩く。

 

この日はすでに筋肉痛が限界を超えて一歩歩く事に激痛。

 

涙流しながらニコニコ歩くやばい人の完成だ。

 

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ちょっと雲南省の石林を彷彿させる光景に私は大興奮。

 

石窟も洛陽のよりも綺麗に残ってて見応えがある。


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一つ一つ目に収めるように眺めながら、

こんな素敵な風景横目に。

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こんな岩の間を通り抜けて。

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石窟を背にしたお坊さんたちの姿はなんだか絵になるよね。

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中国のお坊さんたちの動きやすさを極めた法衣が結構好き。

お寺で見かけるたびにこっそり写真を撮って密かに集めてる。

 

さて、のろのろ歩いててっぺんまで登って。

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しっかりお祈り。

 

そしていよいよど真ん中の霊隠寺へ。

 

何やら物々しい共産党のスローガンが景観をぶち壊してるけど、そんなの関係ねえ!

 

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中に入ってまたお祈り。

なんの神様かは分からないけど切実に祈りたいことがあったから、ひたすら祈っておく。

 

本殿の仏像は壮大だった。

 

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上海の玉仏禅寺と似てるけど、スケールが違う。

 

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ポカン口を開けていつまでも見てしまう。


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そのままぼんやりとお寺を出たらもう夕暮れだった。

 

気がついたらお昼ご飯を食べていなかったことに気がついて猛烈にお腹が減ってくる。

 

とりあえずホステルの近くに戻ってご飯食べて、そのあとまた西湖でも見に行こうかしらん。

 

そんなことを呑気に考えていた私はこの30分後に核弾頭が落ちることを知らない。

 

この旅行の間、私を心配していた香港のお兄さんはひたすらに私にwechatを送りつけていた。

 

その心配は多岐にわたり。

 

  • ちゃんと食べているのか。
  • 食べたなら何を食べたのか
  • もうホテルに帰ったのか
  • 遅い時間に出歩くな危ないぞ
  • この名所を見逃したらもったいないぞ
  • この名物を食べ逃すな

 

などなどである。

 

旅の寂しさと頼りなさもあって。

そして返信しないとさらにばんばん送ってくるから、律儀に返信していたのだけど。

 

南京二日目の朝ごはんにラーメン食べて。

杭州1日目の昼に牛肉麺食べて。

夜には焼きそば食べて。

杭州二日目の朝にはまた刀削麺という麺類の写真を送った結果。

 

香港人がキレた。

 

霊隠寺のバスで寝過ごして、二駅分歩いてヘトヘトになってホステルに帰り着いた私に、香港人の着信。

 

いつもはメッセージなのに珍しく電話だから、何かあったのかと思って電話に出ると、

 

「今日は昼ごはん食べた?え?食べてない?そのまま飢えた状態でいて。くれぐれも麺なんて口に入れないでね。6時に地下鉄の武林広場駅のBの出口で待ってる。」

 

と言いたいことだけ言って電話を切られてしまった。

 

え?

 

なになに?

 

香港兄さん今、杭州にいるの?来るの?

 

蘇州で仕事してたんじゃなかったっけ?

 

トラブルと刺激に飢えていて、腹が減ってる私はとりあえず行ってみることにした。

 

5時50までは懇々と眠り、またしても寝坊をぶちかまして、約束の駅に着いたのは6時ジャスト。

 

そこから必死の形相でBの出口まで走って階段を駆け上り、キョロキョロと三ヶ月前に京都で拾った姿を頭の中に再現しながら彼を探してると後ろから頭を小突かれた。

 

振り向いたら、香港兄さんがいた。

 

「久しぶりだねえ」

 

と呑気に笑う香港兄さんに、唖然とする私。

 

スマートに私の手から重たいカバンを取り上げて道路側を歩き始める香港兄さんに私は、

 

(これが英国仕込みのレディーファーストか…)

 

と刮目した。

 

もともと香港はイギリスに占領されてた歴史があって英国文化が色濃く残ってる上に、彼は英国の名門大学の院を卒業したという徹底っぷり。

 

熊本田舎女の私は、なんだか気後れしてトボトボと訳もわからないまま着いて行くことにした。

 

高級ブランドが軒を連ねる普段なら私が絶対寄り付かないデパートに慣れた足取りで入り込み、エレベーターに乗って最上階のレストランフロアへ。

 

沢山の高そうなレストランの中から一軒の綺麗なお店に足を踏みいれようとする香港兄さんのTシャツの裾を左手でひしと掴み、右手で汚いがま口財布を握りしめて私は恥を忍んで言ったさ。

 

「ケビンくん、私、お金がないです…。

今夜は夜市で食べ歩くか、蘭州ラーメン食べに行こうよ。私奢るよ!」

 

と死にたくなりながら提案する私を華麗に無視して、

 

「二人なんですけど大丈夫ですか?」

 

と優雅にウェイトレスに聞く香港兄さん。

 

そのまま引きずられるようにしてお店に入る。

 

出てきたお水がこれ。

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これに喜んで写真を撮る私を香港兄さんはかわいそうな生き物を見る目で見つめていた。

 

「何食べたい?」

 

と聞いてくれたので、

 

「角煮食べたい!杭州の名物でしょ!」

 

とやけくそになって言うと、

 

「それを教えたのは僕だよね?」

 

とピシャリと一刀両断されて終わった。

 

運ばれてきたお皿は綺麗で、メニューを見てる香港兄さんは真剣な顔で、私はなんとなく手持ち無沙汰な気分だった。

 

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注文が終わったあと、香港兄さんは私の相手をしてくれた。

 

Sumika,生活が苦しいなら今すぐ香港においでよ。こんなに痩せてかわいそうに」

 

どうやら大いなる勘違いをしている。

 

そう。前回私が彼にあった時は三月で。

私が就活で最も激しくやけ食いをしていた時代で、今より5キロ太っていたのだ。

そして、現在その頃より7キロ痩せているので、彼の目から見れば私がいきなり痩せたように見えるのだろう。

 

彼の話を要約するには、

毎日麺ばかり食べて、せっかく来たのに名物も食べれずにかわいそうだと思った。

美味しいものを食べさせてあげたかった。

麺ばかり食うな。

夜遅くに人気のない道を歩いて快感を覚えるな。

 

とのこと。

 

私は色々言いたいことはあったけど、せっかく心配して来てくれたんだから。

 

ご飯をくれる人に悪い人はいないんだから。

 

と思って、神妙そうに頷いておくことにした。

 

因みに彼は私に飯を食べさせるために新幹線に乗って杭州まで来たらしい。

 

仏かよ。

 

 来た料理は全部豪華で絶品で私は本当につつーっと涙が出て来てしまった。

 

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肉の小籠包

 

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魚と豚肉の角煮

 

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杭州の名物龍井茶の茶葉で炒めた海老料理。

 

が、その料理より私を驚かせたのは香港兄さんのレディーファーストっぷりだった。

 

コップの水が半分を切れば注いでくれる。

角煮は饅頭に挟んで食べるんだけど、香港兄さんは私のために饅頭にお肉の美味しいところを挟んで食べやすくしてくれた。

 

私は一体なんの接待を受けてるんだ…。

 

とまたしても香港レディーファーストに圧倒される。

 

でも一番嬉しかったのは、小籠包の食べ方を教えてくれたこと。

 

茶の本香港人に小籠包の食べ方を習えるなんて、私はラッキーだなあと思った。

 

「こんな美味しいものを食べさせてくれるなんてあなたは本当にいい人だね」

 

と言ったら、一言手短に。

 

「心配。」

 

と返されてしまった。

 

お会計の時にがま口を取り出そうとする私を、視線一つで威嚇して、お兄さんはさっさと会計を済ませて。

 

「なんで君はそんなにお金を払おうとするの?」

 

と不思議そうに聞くので。

 

「日本では男性が全部払う文化はそこまで徹底してないし、君にここまでしてもらうなんてなんだか悪いよ。」

 

と言って、レシートを見せてくれるように頼むと、彼はレシートをぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱の中に捨ててしまった。

 

素直にお礼を言えばよかったかなあ。

 

と後悔して、反省して。

 

「ありがとう。本当に美味しかった。感動して涙が出るくらい美味しかった」

 

と言うと、今度はにっこり笑って。

 

「じゃあ僕も幸せだ」

 

と言ってのける彼を見て、これが正解なんだな。と思った。

 

帰りに香港兄さんは夜の街に連れて行ってくれた。

 

一つ一つモニュメントとか道端のちょっとした史跡をわかりやすく解説してくれた。

 

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私が杭州名物の龍井茶を買いたい、というとお茶屋さんに連れて行ってくれた。

 

そして、お茶を買ってホクホクとしてる私に紙袋を渡して来た。

 

ポケットに財布とスマホを入れていた彼の唯一の荷物は私へのプレゼントだったのだ!

 

袋を開けると、香港のスターバックス限定のマグカップと、綺麗な缶に入った香港ブランドのクッキーだった。

 

「さっき買ったお茶。ぜひこれで飲んでね。」

 

とマグカップを指差して笑う香港兄さんにくらっと来そうになる私は落研らしく振る舞うことにする。

 

「ケビンくんあのさ。私に会うつもりで出張に来たの?さっきさ、私が貧乏ご飯ばかりで心配で思わず杭州に来たって言ったよね?なのにお土産用意してるの矛盾してない?」

 

「ノーコメント」

 

「じゃあ、私がケビンくんに頼んでたスマホのカバーも持って来てくれてもよかったのでは??」

 

「強欲な女だな!」

 

香港ではタオバオ(中国の通販サイト)が使えるので、私は彼にスマホカバーを代わりに買ってもらって次に会う時に渡してもらうように頼んでいたのだが。

 

どうやらそれはさっぱり頭から抜け落ちていたようだ。

 

なんだか照れ臭かったけど、しっかりお礼を言ったほうがいいことはさっきのご飯割り勘レシートゴミ箱事件で理解していたので。

 

「ありがとう。私プレゼント貰ったことあんまりないから、結構嬉しくて言葉が出ないや。本当ありがとう」

 

と頭を下げると、困ったような顔をしていた。

 

しょうがねえだろ。

日本人はレディーファーストに慣れてねえんだよ。

 

スマートにプレゼントを受け取ることなんて出来ない。

 

 因みに、ケビンは彼の英語名である。

 

「僕は君に失礼なこと言ったでしょ?君が怒ってないか気にしてた。」

 

なんのことか考えたら南京に行く前に言われた「君の中国語じゃ心配」発言である。

 

 

「ああ、もういいよ。ケビンくん悪気があったわけじゃないことわかってたよ。」

 

 ホステルまで地下鉄で帰ると主張する私に、地下鉄の駅からが危険だろと切り捨てて、タクシーを呼んでくれた。

 

乗り込む時に私が天井に頭をぶつけないように、タクシーのドアのへりに手を当てていてくれた。

 

なんとなく名残惜しい気分だった。

 

意地はらずに南京を案内して貰えばよかったなあ、ともう一回後悔した。

 

ホステルについてタクシーの会計をしようとすると、会計は終わっていた。

 

最後まで完璧なレディーファーストの前に私は完膚なきまでに叩きのめされて呆然と貰った紙袋を両手に抱きしめた。

 

負けねえ。

七月にあいつが日本に来た時、絶対に日本女子の接待能力を見せつけてやる。

何がレディーファーストだ!

avとアニメの国の女を舐めるなよ!

 

と、謎の対抗意識を燃やしてしまうから、私はどうにも恋愛に縁がないのかもしれない。

 

クッキーの缶を開けると、クッキーだけじゃなくて、パラリと綺麗な絵葉書としおりが入っていた。

 

 香港人は電撃のように現れて、嵐のように去って行ったものの。

 

この香港人の存在が後に私の価値観をひっくり返してかき混ぜて、

この香港人のプレゼントが次の日の私を混乱の渦に叩き落とすのはまた別の話。

 

そろそろ七千文字を突破するので、今日はこの辺でサヨナラなのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりの中国旅行

 

 就活を終えて2ヶ月になる。

いい加減退屈に耐えられなくなり旅行に行くことにした。

 

行き先は、もちろん中国である。

 

今回の主な目的は杭州の西湖である。

 

そして、南京。

 

6月1日から4までは一人で旅行して5からは家族が来て上海を案内する約束だった。

 

  31の夜に上海に入り、1日に南京に移動することにしていた。

 

この旅行の前に私は放置に放置を重ねてなんの形にもなってないゼミの発表を乗り切らなければならなかった。

 

 徹夜に徹夜を重ねて、栄養ドリンクをゴクゴクと飲み続けて、廃人のようになって廃棄物のようなクオリティのレジュメを作り上げ、朦朧とした意識の中発表を終えてドタドタと電車に駆け込んだ。

 

今回の旅のテーマは優雅な旅

 

これはネタで言ってるんじゃなくて、ガチ。

椎名林檎など聞きながら、少しかかとの高い靴を履いて、お洒落なワンピースなど着て、ドミトリーではなくホテルに泊まる、ちょっとオシャンな旅を目指していたのである。

 

 1日の早朝の高鉄のチケットを買っていたので、優雅な旅にふさわしく慌ただしい朝にならないように、駅から近い宿を検索してとってあった。

だが、これがとにかくたどり着くのが大変だった。

 

まず、今回の旅行では空港から虹橋駅まで直結してると言う空港バスにチャレンジすると決めていた。

 

ので、バス乗り場に行くと、

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まあなんと言うことでしょう。

 

空港バスは今虹橋駅にいると書いてあるではありませんか!!

 

虹橋駅と浦東空港は上海の端っこと端っこなので、

「これは1時間くらい待たないとバスがこねえなあ」

と踏んだ私は、さっさと諦めて地下鉄に乗り込んだ。

 

地下鉄はとにかく混んでいて、周りではハイテンションな中国人が友達とマシンガントークを繰り広げ、恋人達は「ここはてめーらの部屋のベッドじゃねーぞ」と野次を飛ばしたくなるレベルのアツアツっぷりを発揮してる。

 

 私はげっそりとスーツケース片手に地下鉄がホテルの最寄の駅に着くのを待った。

 

 1時間と少し地下鉄に揺られて駅に着くと、もうすっかり夜も更けてる10時ごろ。

 

ここからさらにバスに乗り込む。

 

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スーツケースを盾に、「カリオストロの城」の銭形警部派の部下ばりの勢いでバスに突撃しながら、「ああ、私は今中国にいるんだ」と謎の実感を覚えた。

 

【参考画像】

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そこからバスに15分ほど乗って、迷いながらホテルに着いたのが11時。

 

お腹がペコペコだったので荷物を置いて適当に食べ物を探しに行くことにした。

 

ここで中国のSIMカードが入った携帯を開くと大量の微信が来ていた。

 

この通知の犯人は友人の香港人である。

 

この香港人については前の登場人物紹介で軽く触れたから、これも読んでおいてくれ。

 

 

3月に京都で拾った香港人

 

生粋の香港人で、英語広東語中国語日本語を自由自在に使いこなす、香港超名門国立大学の先生。ハイパーエリートお兄さん。

 

日本語の練習相手が欲しいと言ってたので、

 

「私でよければどうぞ。

その代わり英語と中国語おしえてぽよよ」

 

と言ったら、契約成立。交渉成立。

 

1週間に2回ほど電話でおしゃべりする関係である。

 

 そんな香港兄さんが、蘇州の大学で出張講義をやっているからさあ大変。

sumika,君は蘇州に来るべきなんだ。一緒に周庄に行って、上海を案内してあげる。一人で旅行なんて君の中国語じゃ、、、心配で。」

 

あ?てめえ今なんつった?

 

君の中国語じゃ…。

 

そうか。そうだよな。劉ちゃんもボスもみんな私を心配する。

 

薄々わかってたよ。

私の中国語はきっとまだまだ拙いのだ。

 

でも、私だってこのレベルになるまで3年血反吐吐きながらやってきたのに、悲しくて腹を立てて。

 

「ええ、ええ。左様でございますか。でしたらあたくしは絶対に貴方様には迷惑はかけませんからご安心なすってもうほっといてくださるかしらん。」

 

とキレて行方をくらませた。

 

なにが上海だ。

なにが周庄だ。

 

 

全部行ったことあるもん。バカにしないでよ。

 

てな訳で交渉は決裂。

 

「南京は日本人一人じゃ危ないよ。1日僕は仕事だから先に杭州に行ってから2日に南京においでよ。僕が案内してあげる。」

 

と、なおも言う彼の微信を受け流して、私は予定通り1日に南京に行くことにした。

 

 腹が立っていたし、腹も空いていたのだ。

 

てな訳で深夜食堂よろしく見つけたのは蘭州ラーメンのお店。

 

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さすが上海。

きれいな店内で私もご機嫌になる。

 

この麺を頼んで、

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来たのがこの麺。

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写真はイメージです、と書いてあったけど、写真より実物の方がよい、という稀有な例に出くわして私はとにかく驚いた。

 

これをずるずると幸せに食べてホテルに戻るとホテルの立派さにまた幸せが溢れ出す。

 

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私が五人くらい寝れそうな大きなベッドにダイブしてゆっくりと目をつぶった。

 

畜生、ここにゴージャスなカレピッピがいれば私は今世界一幸せな人間なのに!!!!

 

うおおおお、悔しいぜ!

 

現実の私は自腹で250元の宿代を払って、一人で二人用のでかいベッドに横たわっていた。

 

圧倒的敗北者である。

 

すごすごとシャワーを浴びて、布団に潜り込んでこんこんと眠った。

 

明日は6時の高鉄に乗るんだから。

明日は5時に駅に着かなくちゃ。

明日は4時半には起きなくちゃ。

 

 

そして、夜が明けて。

 

時計を見たら、5時45分。

 

 

もう死んだ方がいいぞ、私は。

 

泣きながら起き出して、ホテルのお兄さんにタクシーを呼んでもらって、髪の毛振り乱して駆け出した。

 

 優雅な旅を場外ホームランしてるスタートに私も自分にドン引きしてる。

 

   結局間に合わず切符を買い換えて、6時半の電車に変更。

 南京に着くのは9時になったけど、まあオッケー。

 

 誤差だよこの程度。

 

 そして高鉄の中でもこんこんと眠った。

 

あっという間に南京について、優雅でリッチな私はさっさとタクシーを飛ばしてホテルに荷物を投げ捨てて、観光の前にお昼ごはん。

 

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南京の名物鸭血粉丝汤という料理

 

茶色の四角いのは鸭血、書いて字のごとく鴨血を固めた食材。

 

多分これを読んでる人のほとんどが顔をしかめただろう。

 

しかし、この鸭血こそが南京の名物なのだ!

 

なのだ!

 

と断言してるが、これも香港人から習った。

 

私の為に、南京で絶対行くべき場所や食べるべきものを大量に送ってきてくれたからだ。

 

 私は彼が送ってきたメッセージに従い、旅をすることにした。

なんてったって彼は南京で1年間交換留学してたのだから。

南京についてはプロフェッショナルなのだ。

 

変な意地はらずについてきて貰えばよかったなあ。

 

と若干後悔した。

 

食べ終わったら夫子廟に行った。

ホテルから近かったからである。

 

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こんな門から入って、


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古い町並みを再現してある街道を抜けていく。


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ここは科挙の会場だったらしい。

 

ふむふむと解説を読みながら先に進む。

 

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そして、境内へ!

 

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赤いのは日本の絵馬みたいなものなんだけど、

私は中国のお寺のこの赤いやつが大好き。
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ここはもともと遊郭だったらしい。

 

おお。なんか優雅な感じになってきたじゃん。

私の旅行。

こうでなくちゃね。

 

そう、ここでやめときゃ良かったんだ。

 

が、何をトチ狂ったのか、私の頭の中のもう一人の私が

「you!行っちゃいなよ中山陵!」

と喚き始めた。

 

ちなみに中山陵は孫文さんのお墓である。

 

そして。脳内アドレナリン出まくってる私は、

 

行くしかねえな。

 

と思ってしまったのである。

 

馬鹿、馬鹿。

本当に馬鹿な女。

 

で、地下鉄乗って、中山陵へ。

 

標識をたどって歩いていく歩く。

 

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こんな道を、

「本当にあってんのかよ…」

と思いながら歩き続ける。

 

標識に目をやると。

 

「中山陵まであと1.6キロ!」

 

とか平気で書いてある。

 

死にたい。

 

化粧は汗で剥がれ落ち、ワンピースは太ももにまとわりつき、厚底の靴は歩くたびに足が痛い。

 

それでもなんの執念に突き動かされたか、私は歩き続けた。

 

ああ、もしも私が中国共産党の幹部だったらきっと車を回してもらえたんだろうなあ。

 

と。使い物にならない頭で考えた。

 

ベンチが目に入ったけど座らなかった。

 

ここで座ってしまったらもう立ち上がれなくなる気がしたからである。

 

そんな風に歩き続けること1時間と少し。

 

ついにたどり着く。

 

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が、この時私は到着した喜びよりも、

 

げえ!まだこんなに階段あるの!なんの冗談だよ!

 

と泣きたくなった。

 

が、泣いてもここに私の涙を拭ってくれるステキなボーイはいない。

 

ダラダラ汗を流しながら階段を一段ずつ登る。

 

さながら荒地の魔女である。

 

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ハアハア言いながら階段を上り、たどり着いた私はこの表情。

 

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か、かわいい!

やり遂げた顔してるううう!

なんでこんなにかわいいの!私!

 

疲れ果ててもう変なテンションになってバシャバシャ自撮りして、登ってきた方向を見下ろして、

 

こんなに登ったんだなあ。

 

と満足した。

 

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天井にある国民党の旗の絵をぼんやりと見つめた。

 

「いいかい、Sumika。中山陵に行ったら必ず天井を見るんだ。そこに国民党の旗が描かれてる。中国国内にこの旗が掲げられてるのはそこだけなんだ。だから、その旗を見るだけで中山陵に行く価値があるんだ。忘れないでね。」

 

と、香港人が言ってたのを思い出しながらぼんやりと天井を見つめた。

 

真っ青な旗。

かつては中国全土にはためき、

今はこの場所だけにしか存在を許されない。

 

たしかに圧巻だった。

 

じっくり見つめて、またひいひい言いながら降りて、明孝陵にも行った。

 

散々歩いて、歩いて、歩いて、

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たどり着いたら、

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閉まってた。

 

私は声を上げて泣きたくなったけど、

 

そのタイミングで棗庄からアイドルの音声メッセージが届いたので持ちこたえた。

 

私が南京にいた時棗庄では日本人会が開かれてたらしい。

 

もしもこの会のことを知ってたら私は一切合切を投げ出してアイドルのもとに走ったであろう。

 

が、なぜか日本人らしくなく連絡が異常に遅い棗庄日本人会の人々は、その宴会のことを私に知らせたのは1日前。

 

その時には私は全てのホテルと高鉄を抑えていたし。

 

香港人に、

「私は一人で立派にやれるんだ!」

と、たんかをきったあとだった。

 

これで棗庄に行ったら私のメンツが立たねえ。

男が廃る。

 

と歯を食いしばったのに、

明孝陵は閉まっていた。

 

ちきしょう!!!!

 

まあそのほかにも色々面白いものが観れたからいいけどさ。

 

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アイドルの声で気を取り直した私はすたすたと帰り道を歩いた。

暗い中でも歩いた。

 

くじけそうになるとアイドルの声を聞いた。

 

ああ、今すぐ棗庄にワープしたい。

 

が、そんな妄想しててもしょうがないのでガンガン歩く。

 

そして、ホテルに着いたのは5時半。

 

私は倒れ込んで深い深い眠りについた。

 

が、猛烈な足の痛みに目を覚ました。

 

時刻はまだ夜8時。

 

猛烈に腹が減ったが、動きたくないのでベッドでゴロゴロしてると、

 

Sumika,夕飯は食べた?」

 

と呑気な微信が来た。

 

「明日食べるよ。今日疲れたからおやすみなさい」

 

「なんの冗談かな?ふざけたこと言ってないでさっさと食べてこい」

 

と、いくつかのレストランの名前を送りつけてきた。

 

百度で検索をかけて一番近いレストランはなんとホテルから歩いて500メートルと近かったので、せっかくだし、腹も減ってたので行くことにした。

 

が。おそるべし香港人。このレストランが凄まじかった。

 

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川床である。

 

たくさん美味しそうな料理があったが、ひとり旅だし貧乏学生なのでドキドキしながらメニューを見ると信じられないほどリーズナブル!

 

中国の食べ物はとにかく一品がでかいので、

悩みまくりながら豆腐のにんにく炒めと肉焼売とご飯を頼んだ。

 

そしてたくさん歩いた自分へのご褒美に、

酸梅湯という梅ジュースと、

青島ビールをオーダーした。

 

せめてビールで山東気分を味わうことにしたのである。

 

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豆腐をご飯にぶっかけながらパクパク食べて、川からの風を感じて、私の幸福度数は限界点を突破した。

 

ほろ酔い気分で店を出て夜の風を楽しみながら、お散歩した。

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水に映る光はとても綺麗で、このままドボンと川に落ちてみたかった。

 

疲れていたからかビール一本ですっかり酔っ払ってしまっていた。

 

見るもの全てがキラキラに見えて、なんでもできるような甘い気持ちになった。

 

こんな夜の空気が吸い込みたくて、私は飽きもせずに中国を歩き回るのだと思う。

 

限りなく自由な気分だった。

 

頼りない足取りでホテルに戻り、ベッドに倒れこんで、その日の歩数を見ると

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まあなんということでしょうか。

 

過去最高記録を更新していた。

 

優雅な旅が、サバイバルに姿を変えていくのをひしひしと感じながら筋肉痛を無視して目を閉じてその日を終わらせる。

 

香港人は、

「僕は君に豆腐を食べて欲しくてあのレストランを紹介したんじゃない!そもそもあのレストランは…うんぬんかんぬん」

 

とかなんとか言ってたけど、それでも私は幸せだった。

 

美味しかったよ豆腐。

美味しかったよ焼売。

ビールは誰がなんと言おうと山東が一番なんだよ。

 

その日は夢を見た。

 

水に映る棗庄の街並み。

 

汚くて未開発で、うるさい町。

 

私の原点。

 

そんな風にして南京の夜は更け行き、次の日私は盛大な寝坊をかますのだけど、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒を飲む女

 

ブログのお題を募集したらこんなのが来ていた。

 

 

 

酒と、女。

 

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まあ私が女だから、女が書く酒の話ということで筆をとってみようと思う。

 

 

 

中国にいた頃、とにかくひどい飲み方をしていた。

死ぬまで飲む、飛ぶまで飲む、潰れるまで飲む。

そして周りに迷惑をかけまくる。

 

そんなロクでもない飲み方をした。

 

地面にお好み焼きを作ったこともあったし、

とんでもないことを口走ったこともあった。

 

ボス、劉ちゃん、佐藤夫妻、駐在員のお兄さんたち。

 

中国で私に関わった人々全てが私から酒で迷惑をかけられていたように思う。

 

が、一番迷惑をかけられていたのはやっぱり日本人の人たちだったように思う。

 

 強がり抜きでいうと、中国で寂しいと思ったことはなかった。

 

私の周りには常に誰かがいたし、友達もたくさんできた。

ボスは問題がたくさんたくさんたくさんある人だったけどまあまあ優しくて、(ボス曰く)一休さんと将軍のような関係だった。

 

が、私は中国にいた頃かつてないほど酒ばかり飲んでいたのだ。

 飲む理由を探して飲んで、挙げ句の果てには自分で買って飲み続けた。

 

なんでだったのだろうか?

 

 理由はたくさんあると思うけど、多分私は嬉しかったのだと思う。

 

毎週佐藤夫妻の家で、お酒を飲み、時には駐在員のお兄さんたちがやってくる。

 

その瞬間は私にはなんのストレスもないのだ。

 

毎日外国人としてなんとなく中国人の求める日本人を演じることをし続けなければならないように思い込んで、オーバーリアクションでご機嫌な外人を演じて。

 

 百パーセントの思いを口にする為にはなかなか語学力が付いて行かず、歯がゆい思いと幾度とない諦めと失敗が繰り返された。

 

でも、数週間に一度日本人に囲まれてお酒を飲んでいるときは、私は自分の気持ちや言いたいことを口にするのになんのストレスもなくて、母国語の甘みと豊かさを心ゆくまで享受したものだった。

 

私はお酒に酔いつぶれるのと同時にその心地よさにも酔いしれていたのだろう。

 

 ここではたとえ飲んで潰れても死なないし、

わけわからんおっさん(ボス)に振り回されることもない。

 

そう思うともうだめだった。

 

その瞬間は自分が普通の自分でいれることが幸せだった。

 

そう、中国でお酒は私にとって、鎧のようにまとった外国人の自分を脱ぎ捨てる幸せな瞬間を運んでくるものだったのだ。

 

そして、それと同時に中国人と仲良くなるための手段でもあった。

 

幾度となくボスに連れていかれた商談の飲み会では、珍しいお酒を勧められるたびに、

 

「ええ!こんなお酒日本にはないよ!初めて見た!」

 

と大げさに驚いて、勢いよく飲み干したものだった。

 

 恐ろしいほど度数が強くて、ほんのり甘くて。

 

私がグラスを空けるたびに大喜びされるのが嬉しかった。

 

私は外国人としてちやほやされることもちゃんと楽しんではいたのだ。

 

だけどやっぱり、ボスが飲ませてくれたり、商談の席で飲ませてもらえる高いお酒よりも、

週末に倫子さんたちと一緒に飲む、日本から持ってきた日本酒とか、中国の安いお酒は美味しかったなあと思う。

 

 だから、日本に帰ってお酒を飲むことはなくなった。

 

 お酒で吹っ飛ばしたい鎧や、装った自分がいなくなったからだ。

 

が、その2ヶ月後。

3月には、私はとにかく毎日夜になればお酒を飲んだ。

何本も何本も度数の高いお酒を空けた。

 

そして一人で具合が悪くなって、

 

「酒を殺すなら酒しかない!」

 

などと、トンチンカンなことを言いながらヤケクソに迎え酒をかまして、朦朧としていた。

 

就活である。

 

毎日毎日繰り返される説明会、面接、グループディスカッション。

 

周りの人たちが自動的にライバルになってしまう中で、私は再び鎧を纏って剣を取り、戦士へと身を変えた。

 

そして、戦地である大阪から京都の家に帰ると、ハイヒールを脱ぎ、リクルートスーツを脱いで、冷蔵庫からお酒を取り出して一気に飲み干した。

 

ぼんやりしていると、ただ楽しかった頃に戻れる気がしたのだろうか。

 

 酔うまで飲んで、そのまま眠る。

 

あの頃、お酒をたくさん飲んだのはやっぱり、体の中をアルコール消毒するように自分で演じる何かから離脱したかったのだろう。

 

そして、就活が終わりお酒を飲むことはなくなった。

 

最近はたまに一人で飲んだりすることもあるけれど、そんなことをするよりは中国語の映画でも見た方がよっぽど幸せで満たされた気持ちになる。

 

 酒を飲んでは映画が理解できなくなるから飲まない。

 

のんでも理解できるようになるのが理想なのだけれども…。

 

私は今、何も装ってなくてそのままの私としてただ静かに平凡に生活するから。

 

脱ぎ捨てたい自分がいないからお酒を飲まない。

 

これが答えとするなら、お酒は私にとって立場や理性を吹っ飛ばすもので。

普通の人と同じごくごく一般的な思いをお酒に対して抱いている。

 

 

 だから、この話で私が言いたいことはね、

落語研究会の皆さん、中国の皆さん、大学の皆さん、私がやらかした酒の失態その全てに対して本当にごめんなさい。すいませんでした。

 

んで、綺麗さっぱり忘れてくれよな!

 

だって、古くからこう言うでしょう。

 

「無礼講」

 

失態、ダメだったこと、悪かったこと、

その全てを水ではなく、酒に流して、酔いが覚めるように忘れてくださいよ、ね?ね?ね?

 

 

そんな感じで今日はおやすみなさいー。