紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

中華圏にサヨナラを。

 

你为什么开始学中文?

(どうして中国語を勉強し始めたの?)

 

もう何百回、何千回と書かれてきた質問に、いつも相手に忖度して答えていく。

 

相手が中国人なら、

「初めて北京に来た時、とても感動したからよ。」

「中国の文化が好きだから」

と答えるし。

 

相手が台湾人なら、

「台湾が大好きだからだよ。台北に三回も行ったんだ」

と答える。

 

でも、本当は私が中国語を勉強した理由は、

見返してやりたかった。

そんな利己的で醜い感情に過ぎない。

 

大学受験に失敗して、第二志望の大学に入学して。

専攻は日文だったから、両親が望むように故郷に帰って中学校の国語教師になろうと思った。

 

でも、私は何か変わりたくて、

大学一年の春休み。当時の自分にとっては大冒険の台湾旅行を敢行したのだ。

 

f:id:tokyosb:20191022000904j:image

 

何もかもがキラキラしてた。

 

帰りの飛行機で友人たちはホッとした顔をしてたけど、私はなぜか一人で泣いてしまった。

 

「帰りたくない」

 

と思ったのだ。

 

分からないなりに、中国語を新たに勉強を始めて、発音の難しさに何回も挫折した。

 

二回生の夏休みは天津の南開大学に三週間短期留学した。

忘れられない2016年8月11日。

f:id:tokyosb:20191022001156j:image

それが、私の原点だった。

 

f:id:tokyosb:20191022001402j:image
f:id:tokyosb:20191022001405j:image
f:id:tokyosb:20191022001409j:image
f:id:tokyosb:20191022001359j:image

 

初めてみる、中国。

初めて、中国人に「你好」って言った時は心臓が震えた。

 

その後、どんどん中国に夢中になって、

狂ったようにwechatで中国人と繋がった。

 

同じ漢字を使う外国人の中国人。

 

剥き出しの異文化に酔いしれて、

私はさらにのめり込んでいった。

 

そして、そのまま突っ走って、山東で働いて、中国語を話して。

 

たくさんの中国人と友達になれたし、

中国語も話せるようになったし。

 

私は本当に幸せだったのだ。

 

f:id:tokyosb:20191022001911j:image
f:id:tokyosb:20191022001907j:image
f:id:tokyosb:20191022001904j:image
f:id:tokyosb:20191022001914j:image
f:id:tokyosb:20191022001918j:image

 

帰国した後も、就活が終わって。

 

広東省の先生と仲良くなったり、

香港人と仲良くなったり、

台湾人の友達ができたり、

四川人のお兄さんが出来たり、

 

私と中華圏の縁が切れることはなかった。

 

でも。

 

そのあとは私はずっと孤独だった。

 

中国語が話せる自分が好きで、

中国語一つで信じられない人と繋がり友達になれる能力に酔いしれて、

 

就活を終えた私は更に更に中華文化圏にのめり込んでいった。

 

そして私は一つ一つ、大切なつながりを失っていったのだ。

 

大学一年生から三年生まで。

 

私はいつだって友達と一緒にいた。

頭がおかしくてちょっと狂ってる私を、

おおらかな目で許して呆れながらも認めてくれた落研の仲間や日文の友達がいたのだ。

 

f:id:tokyosb:20191022002632j:image
f:id:tokyosb:20191022002638j:image
f:id:tokyosb:20191022002645j:image
f:id:tokyosb:20191022002641j:image
f:id:tokyosb:20191022002629j:image
f:id:tokyosb:20191022002625j:image
f:id:tokyosb:20191022002635j:image

 

でも?

 

中国人と繋がることを憶えて。

中華文化圏という素敵な逃げ場を手に入れてしまった私は、次第に現実世界でもがくことをやめてしまった。

 

人というものは、戦わずして幸せを手に入れることなんてできない。

 

私は確かに、中国語によって。

中華文化圏によって、たくさんのことを学び手に入れたけど。

 

それと引き換えに手放したものは何だったのだろうか。

 

とふと立ち止まって考えると末恐ろしい気持ちになった。

 

私は現実を生きることをやめてしまっていたのではないだろうか。

 

だから、目の前の卒論とか。仕事のこととか。

 

そういうことが全て無意味に色褪せて見えて、

日がな一日中国人とやりとりして。

中華圏に行くことばかりを考えてしまうのではないだろうか。

 

こんな私ではなかった。

 

もっと現実にのたうちまわって、死にながら生きてた。

 

必死になって現実と戦ってた。

 

だから、私に孤独はなかった。

 

でも今は??

 

f:id:tokyosb:20191022003159j:image
f:id:tokyosb:20191022003203j:image
f:id:tokyosb:20191022003206j:image
f:id:tokyosb:20191022003152j:image
f:id:tokyosb:20191022003155j:image

 

 

刹那的な美しさに逃げて。

自分の価値とか、夢とか。

大事にしてたものを全て蔑ろにしてる自分自身に気が付かないほど馬鹿な私じゃない。

 

私は中国語をできるようになってなにがしたかったんだろう。

 

中華文化圏にいないときは、ゾンビみたいな顔して。

 

日本での生活を消化試合みたいにして生きていくために中国語を学んだわけじゃない。

 

中華圏との絆に逃げ込んで、

溺れて、

今や窒息して溺死しそうな私。

 

私は何のために生きてるのか、もはや分からなくなってる私。

 

恋愛というものには縁がなかった学生生活だったけど、

私は中華圏に恋して、溺れて、このままじゃダメになってしまう。

 

でも。私の頬を殴って目を覚まさせてくれる存在なんてもう京都にはいない。

 

だから??

 

私は自分に喝を入れて、中華圏から暫しサヨナラをしなくちゃいけない。

 

私は現実を。

私にとっての現実を地に足付けて生きていくためにも、今は痛みを堪えてサヨナラを。

 

中華圏に甘えるんじゃなくて、

勝負を仕掛けて出し抜いてやれるような。

 

そんな女になりたいから。

 

暫くは、けじめをつけようと思うのだ。

 

(まあ、11月中国に行くことが決まってんだけどね)

 

 

このブログも明日からおよそ三ヶ月の沈黙を破り更新していこうと思うので皆さん引き続きよろしくお願いします♡♡♡