紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

四年ぶりに中国に行くまでの話

 

ニーハオ。

紋浪です。

 

3年間放置してたこのブログも、ついに再開する時がやってきた。

なぜなら、中国に行くからである。

 

大事なことだからもう一度言う。

中国に行くからである。

 

いやね。

本当に大事なことだからあと一回かましとくね。

 

中国に行くからである。

 

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コロナ前の2019年は2ヶ月に一度は中国に渡航

 

2018年は中国に滞在。

 

そして、2020年の1月2日を最後にコロナ禍で、私は中国に行けなくなってしまった。

 

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(2020年の正月広州で撮った写真)

 

趣味=中国渡航

生きる意味=中国渡航

 

だった私は、中国に行かなくなってたった3ヶ月で死ぬほど病み散らかした。

 

 

その時書いたブログ。

病み散らかしてる私の文章力が輝く力作(自画自賛)

 

2020年1月2日に中国に行ったのが最後だから、そこからもう3年以上中国現地には行けていない。

 

この間に私にも働き始めたり、

どうしようもない香港人の彼氏とグッバイしたり、

いろんなことがあった。

 

中国は、ゼロコロナ政策通り越してバカコロナ政策としか言いようがない、潔癖コロナ対策を実行。

 

3000万人住む上海をたった数千人の感染者が出ただけで2ヶ月ロックダウンを敢行。

 

中国人民は地下鉄に乗るのにもpcrの陰性証明書を提出させられ、

毎日pcrのために鼻の穴に綿棒を突っ込まれ続けた。

病院に入るのに陰性証明書が必要なので、緊急対応が必要な妊婦さんは陰性証明書がないと言う理由で病院に入れず病院の前で流産したし、

極めつけは新疆ウイグル自治区では、マンションが大火事になったのに、そのマンションがコロナで封鎖中だったので、部屋の外から施錠されてて人々は逃げられずに焼け死んだし、

消防車もコロナで汚染された地区には入れず、、などというもはやどっからつっこんだらいいのかわからない混沌とした中華人民共和国のゼロコロナ対策は、「あと5年は続けるからな!」

という共産党の大号令の下、各地にコロナ患者を収容するための大規模な収容所がガンガン建設され、長期戦が覚悟された。

 

私も、

「あーあ。あと5年も中国行けねえならもう中国のことは諦めて別に生きがい探さなきゃ行けねえなあ」

 

と思って兼ねてから興味があったロシア語を勉強し始めたら、

 

ロシアは戦争を始めた。

 

話を元に戻す。

 

とにかく、私を含めて中国に興味があった外国人にとって悲しいことに中国はもう一生行けないかもしれないなあ…と言うくらいに遠い国に成り果てた。

 

のだが、

 

去年のワールドカップで、サッカーの試合を見ていた中国人民は覚醒。

大声で雄叫びを上げる各国の熱狂的なサッカーサポーターの姿を見て、

 

「え?外国みんなマスク外していろんな国を行き来して大騒ぎしてるやん…。俺らだけバカみたいやん…」

 

と、いよいよ現実に気づき始めた。

 

そう。

言論統制国家の中国の国営メディアは日々せっせと各国のコロナ感染者数と死亡者をまとめ上げて、

「外国では何万人も感染して大変!でも中国はゼロコロナだから安全!中国人は幸せ!共産党万歳!」

と流していたので、このワールドカップまでは人民たちは割と真剣に自国のゼロコロナ対策を信じていたのだ。

 

しかし、やはり他国より幸せだと信じてたのに、

その酷い状況のはずの他国の人々が幸せそうにサッカーを見て騒いでるのを目の当たりにした中国人はもう我慢の限界だった。

 

これに対して、国営メディアもワールドカップの客席を一切映さずに放映するなど対抗措置をとったが、ここでさっきも言った通り新疆ウイグル自治区の火事で大量の犠牲者が出たり、

 

濃厚接触者というだけで隔離施設に運ばれることになった人々が乗ったバスが山に落ちて27人が死んだり、

 

コロナ対策に殺される!

 

と言うバカみたいなことが現実になったことが立て続けに起きて、

 

中国の若者は真っ白な紙を片手に街に出た。

 

言論の自由がない中国で。

何を言ってしまったら逮捕されるのか基準の曖昧な中国で。

 

みんなが言いたい言葉は同じで、

誰もが白紙の意味をわかっていた。

 

その思いを乗せて何も書かれていない白紙を空高く掲げて、上海で、北京で、成都で、南京で。

 

中国人は勇気を出して白紙を掲げてゼロコロナにNOを突きつけた。

 

白紙の販売が禁止になると言うわけのわからん副作用も出しながらも、

 

何と中国共産党はすぐにゼロコロナ政策の終焉を発表。

 

「偉大なる中国のコロナ対策は次の段階に移る」

 

とのこと。

 

なんじゃそりゃ。

ホントかよ。

 

 

それにより、外国から来た入国者のお尻の穴に綿棒を突っ込みPCR検査を行うトチ狂った風習や、42日間の隔離などの正気の沙汰を疑う過激な政策も廃止。

 

ちなみに、このお尻の穴に綿棒を突っ込むPCR検査については欧米諸国から「外国人を人間として扱え!」と激烈な抗議を受けたが、中国政府は頑なにお尻の穴に綿棒を突っ込むPCRを死守した。

 

なんでそんなにお尻の穴に突っ込みたいんだよ。

エロ漫画の読みすぎだろ。

 

話を戻す。

 

とにかく、

外国人の入国者に対しても、

ビジネス→留学生→出張者…とビザがじわじわと緩和されていった。

 

さて。

 

ついに観光ビザが緩和されて、中国は観光ビザさえ申請すればいける国になった。

 

5年は続ける国境封鎖の計画はどうなったんだ?

 

と問いただしたい気もするけどそれはもういい。

 

中国は、コロナ前までは日本人に対してビザ無し渡航を認めていて、2週間まではパスポートがあれば特に何の準備もせずに中国に行けていた。

 

しかし、コロナ対策の名の下にこの政策は中止。

 

そして中国政府がその措置の復活のために日本に対して出してきた条件は、

「中国人もビザ無しで日本に入れてねん❤︎」

 

というどっからどう考えても無理なことを言ってきた。

 

日本としても今ビザ取ってやってきてる中国人すら持て余してるのにビザ無しで押し寄せられたら、どう言う事態になるのかあんまり考えたくもないので、この措置が復活するには相当時間がかかり、日本の外務省の高度な交渉力が必要になるであろう。

 

 

てなわけで。

 

すぐにこの14日間の措置が復活するとはなかなか思えないので私はぶつぶつ言いながらも、台湾やら香港やらマカオやらビザがいらなくても行ける中華圏をそれなりに、というより無茶苦茶に楽しんで旅行に繰り出していた。

 

過激な人権没収のゼロコロナ対策、

そして仕事で中国と関わり始めるも何だかうまくいかなくて。

 

ちょっとずつ中国が嫌いになりそうな瞬間が積み重なって、中国と聞くだけで「うっ…」っとなってる自分に気がついた私は、

 

もう、今1発決めとかないと無理になるだろうな。

 

と。悟り中国渡航を決意した。

 

どうせ行くなら大陸横断してやろうと思い、

正月に狙いを定めて予定を練った。

 

本当は3ヶ月は欲しいところを、

全部で10泊11日でぎゅぎゅっとコンパクトな旅程に仕上げた。

 

今回は、

 

上海

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(2019年撮影)

 

無錫

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(今回初めて行くので画像無し。)

 

広州

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(2019 年広州のこの場所で財布を盗まれた)

 

深セン

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(2019年 深センで行き先も知らずに完全にノリでのった地下鉄。この後訳のわからんとこで下ろされて、半泣きになってタッチの差で終電に駆け込んだ。)

 

そして、

香港

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(2023年7月の旅行で撮影)

 

地図に書き込むとこんな感じ。

 

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なぜこの組み合わせになったのか。

 

そして、私がこの旅行を巡って中国人たちと激烈に揉めまくるところまで書きたかったけど、この時点で既に3500文字を超えてしまったので明日また書くよ!

 

さてさて、

ピッタリ四年ぶりの中国旅行。

 

バイクから吹っ飛ばされたり、

駅で眠ったり、

タクシー運転手に誘拐されかけたり

 

2019年以前の旅行で、遭遇したアドレナリンが出たまくるゾクゾクするトラブルたちと出会いたいような出会いたくないような。

 

悪いことをする前日のような高揚感に包まれた私が、学生時代とひと味違うオトナな女子旅atチャイナを実現させるサクセスストーリーを是非お楽しみあれ。

 

それでは、ざいじぇん(再見)