紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

コロンス島からお葉書です!

 

にーはおにーはお。

厦門Wi-Fiがダメすぎたり諸々の事情のおかげで(これについてはまた次回書く)

決してサボってたわけではない!

今日は大量更新明日っからは毎日更新。

 

 

というわけで厦門2日目はコロンス島という島に行ってきたよ!

 

 朝っぱらからQちゃんに叩き起こされて港まで歩いた。

 

やっと港に着いてチケットを買おうとしたら、なぜか買えないらしい。

 

Qちゃんがどうしてダメなのか食ってかかったところ、なんでも厦門の住民でなければこの港から船に乗ることはできねえ!

 

とのこと。

 

じゃあどうするのかというと、バスに20分ほど乗って別の港に行くしかない。

 

言ったもののそこはものすごい人、人、人!

さすが厦門

中国有数の観光地。

 

そこから並んで切符を買ってコロンス島へ!

 

こんなところから乗って、

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島が見えて来た!

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ついたのはちょうど12時半。

お昼時ということでご飯を食べることになった。

 

とにかく屋台街が党内の道という道に張り巡らされてて悩みに悩んだけど、わたしは牡蠣のオムレツを選んだ。

 

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台湾にもあったけど、厦門はやはり台湾と近いだけあってとても台湾と食べ物や街並みが似ている。

この牡蠣のオムレツはとっても美味しかったよ。

 

コロンス島はもともと1842年のアヘン戦争が中国の敗北という形で幕を閉じ、その際結ばれた南京条約に基づき当時鎖国していた中国が開講する羽目に港。

ここには万国共通租界地(租界地っていうのは外国人居住地のことで行政自治権治外法権をもっているよ!)がおかれた関係でとにかく欧米風の建物がたくさん残っている。

 

驚くことにそこにまだ普通に人が住んでる。

 

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真夏のあっつい日差しの中ダラダラ汗を流しながら歩いていると、

 

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結婚写真撮影ーーーー。

 

そう、厦門といえば新婚旅行の行き先として海南島と並ぶ人気をほこる。

洋風の街並みは結婚写真の撮影にもってこい!

たくさんのカップルが結婚式の写真撮影をしていた。

 

20で結婚して専業主婦になりたーい♡

 

という素敵すぎる夢を持ってるQちゃんは羨ましそうに花嫁さんをうっとり見つめている。

私はこのクソ暑いのによくドレスなんて着てられんなあ!おい!と思いながらペットボトルの水をみっともなく飲み干した。

 

ちなみにQちゃんが早く結婚したい理由は働きたくないから、です。

 

こういう発言が専業主婦の評価を下げるわけだから本当にやめたほうがいいと思った。

 

まあまあ!そこは価値観の違い。

ガンガン稼いでガンガン使っていきたい私と彼女では幸せの形は違うのだろう。

 

 

そんなことを考えながら歩いていたら見えてきたのは、

 

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日本大使館と警察宿舎。

1945年日本が戦争に敗北するまでここは日本の大使館として機能していたという。

 

 退去の時はどうだったんだろう?

どんな風に暮らしてたんだろう?

 

いろんなことが知りたくなってしまう。

 

日中戦争が終わって日本はGHQの指導のもと復活へ歩き出し、高度経済成長へ突入して比較的順調に走り出すんだけど。

中国はやっと日本を追い払ったと思ったら国民党と共産党が内戦始めるわ、毛沢東大躍進政策を失敗させて大量の人が餓死するわ、果ては文化大革命と再び苦難と血と涙に濡れた歴史を刻む。

 

 この呑気な南の島でもそんな歴史に翻弄されたのかそれとも、巻き込まれなかったのか、もう少し調べてみたいなあと思った。

 

 島の端までいくと海が見えた。

 

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青いー!

 

海に見とれているとQちゃんがいきなり、

「ああ!思い出した!」

と叫ぶ。

 

どうしたの?

と聞いたら、なんでも日本にいる好きな人にハガキを出したいとのこと。

 

頑張って住所も聞いたらしいから、まあそういうことなら!ってなわけで出しに行くことになった。

 

ついでに私も家族や友達や色々出したい人がいたので書くことにした。

 

コロンス島から日本までは11元(190円くらい)らしいから私は4枚購入。

 

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適当に書いてぼーっとしてる私と比べてQちゃんは真剣だ。

なんてったって好きな人に書くんだからね!

写真見せてもらったけど、サッカー部でフォワードやっててバトミントン部の可愛い女の子と付き合ってそうな爽やかなイケメンでした。

 

競争率が死ぬほどたかそうだけど、がんばれ!Qちゃん!

 

日本語の不自然なところを直してあげて、2人とも無事投函。

 

あ、おかあさん?ここみてるならハガキついたら教えてくれ。

あと切手と消印がどんなだったか教えてくれよな!

(このブログは親戚一同に監視されています。)

 

そのあと、この島の名産とかいうバラのお茶を買ったけど、350グラム300元!(5000円!)

高すぎるわ!

と思ったけど試飲して味は本当に良かったし、今回は全くお金を使ってなかったから買うことにした。

 

まあ、桂林で魚一匹食べて699元(約12000円)ぶんどられた澤出くんよりはマシだと思って諦めた。(タクシーのおっさんにオススメの店に連れてってやる、ということで騙されたとのこと。普通は80元くらいのものを派手にぶんどられたらしい。)

 

お茶を買った店。可愛いカップもらった。

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そんなわけで買い物したら観光したりハガキ出したりコロンス島を存分に満喫してフェリーの乗り場に行って荷物検査などを受け終わって待ってたらいきなりQちゃんが「走るよ!」と叫ぶように言う。

 

周りの人も一斉に走り出す。

 

走る先には一艘の船。

どうやら席と順番は早い者勝ちらしい。

 

座席はすぐになくなってみんな立ったり地べたに座り込んだりして船は確実に定員を超えている。

 

なんだこれは!引き上げ船か?!いまから私祖国に帰るの?海行かば

 

参考画像

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マジでこんな感じだった。

(写真は舞鶴についた初期の引き上げ船の一つです)

 

 とにかく私がうっかり不謹慎なことを考えて現実逃避を始めるほど混雑は凄まじかった。

私は必死に目線をあちこちにやりながら救命胴衣を探した。

沈んだら一番に逃げてやるからな!

 

まあ、そんな感じで戦々恐々としていたけどなんのことなく船は港に着いて私たちはほとほと疲れはててホテルに戻った。

 

 夜は美味しい海鮮のおかゆを食べて、1日はおしまい。

厦門はとにかく海鮮が安くて美味しくて楽しかった。

次の日からQちゃんの故郷に行くことになるんだけどそれはまた次回の話。

 

ではではこの辺で一旦お開きといたしましょう。

ではではみなさんさようなら。