「先生助けて。部屋に来て。」
午後7時。
自室でゆっくりしてた私にかかって来た一本の電話はそれだけ言って切れた。
電話をかけて来たのは以前も私のブログに登場した3人組。
なんかあったか!どうしたんだー!
と思って男の子たちの住んでる宿舎へ部屋着のまま走る私。
息を切らして走り込むと、殷くんが真っ青な顔で立ってた。
あまりにも酷い顔色だったから、
「え?なに?誰か死んだの?」
ときいたら、
「先生冗談はやめてください」
といわれた。
おお、ただごとではなさそうだ。
私が部屋に入ると待ち構えてた同居人(劉ちゃん)と張くんが、わけわからん言葉(中国語)でまくしたてて来た。
「おほほほおー听不懂(聞き取れないぽよよ)」
とすっとぼける私に、
「真面目に聞いてください!」
と怒る同居人。
きく、聞くからゆっくり普通語(共通語のこと。中国語は日本語より共通語と方言の差が大きくて外国人学習者は共通語しか聞き取れない。無論私も例外ではない)で話せ。
というと、殷くんが一言。
「先生、僕たちはN5に申し込み忘れました。」
な ん だ と !!!!!
一縷の望みをかけて、
「ごめん、もう一回言ってくれ」
というと、女の子が大きな声かつ綺麗な普通語で、
「N5に申し込み忘れた!」
ときた。
N5っていうのは、日本語能力試験5級のこと。
彼らは10月から日本に留学するんだけど、その日本語学校の入学条件がN5に受かっている、というもの。
日本語能力試験、は1から5まであって5が一番簡単。
彼らの学習の進度からしても7月のN5は申し込めば受かる、というレベルのもので私は安心してたのだ。
そう、申し込めば受かる。
なのにそれを申し込み忘れただと!
ぶん殴るぞ!
無論ワタシは怒ったよ。
「なんで!申し込み忘れたの!」
と詰問すると、黙って日本語能力試験のサイトを見せてきた。
そこには、申し込み期間は5月までとかいてあるではないか。
なーんだ、間に合うじゃん。
と思って喜んでたら、日本会場の場合。
と書いてある。
イヤーな予感がして、下にスクロールすると小さく中国やベトナムの申し込み期間が違うという旨のことが書いてある。それも日本語で。
無論今の彼らの実力でそんな注意事項が読めるわけがない。
つまり、サイトをパッと開いて五月までと書いてあったから安心してそれ以上注意して読まなかったのだろう。
頭が痛くなってきた。
だいたい受からないと留学行けないし、彼らはいろんな事情から絶対に留学しなきゃならないのになんでその関門である日本語能力試験のもしかまでミスをやらかすのか。
試しに少し頑張ったら簡単に中国語版のサイトも出てきた。
圧倒的な彼らのサーチング不足である。
腹が立った。
本当に腹が立った!
だってこんななってない。
私は一生懸命向き合って頑張ってやってるのに申し込み忘れだと…お前らの日本留学に対する情熱はそんなもんなのかー!!!!
と、言うわけで。
「あなたたちは何歳ですか?」
と最大の皮肉を込めて日本語で聞いてみた。
すると張くんが元気よく、
「22歳です!」(日本語)
と答えてきた。
昨日習ったばかりのところ。
褒めて褒めてと言わんばかりに言ってるけど、
そんな彼の姿を見て私の皮肉は通じなかったことがよくわかった。
「今は年齢を聞いてるんじゃないんだよー!空気を読めー!」
と怒る私。
もはや先生ではない。癇癪に身をまかせる私に迎え撃つのは張くん。
「先生、空気は読むものではなくて吸うものですよ」
お、なるほど。座布団一枚。
ってなるわけねえだろ!
と、さらに怒りたくなったけどグッとこらえて。
あっちやらこっちやらに電話をかけたりメールを出したりして、他の試験で代わりに提出できるかを確認して該当する試験になんとか申し込みに滑り込めた。
彼らは6月にみんな仲良く隣の県に済南に試験を受けに行くらしい。
この非常事態にボスはあいも変わらずポーランドにいて何にも助けてくれなかった。
「先生、ありがとう。」
一連の騒動の間黙り込んでた殷くんがお礼を言ってきた。
彼なりに日本に行けなくなるかもしれない、と怖かったんだと思う。
怒っちゃって悪いことしたなあと思ったけど
私の中国語はめちゃくちゃだし、酷いこと言いたくてもそんな語彙はないから、多分大丈夫かなあなどと思って自分を慰めてみたりした。
それで、日本語能力試験の騒動が終わって彼らの部屋から宿舎に帰って脱力してた私。
いきなり宿舎の扉が乱暴に叩かれたからなんだろうなあ、とおもって開けたら(不用心)、
3人が立っていた。
「先生、先生の試験6月17でしょ?さっき先生の試験のサイトみたら全部中国語だったよ!先生大丈夫?」
走ってきたらしい3人組はどうやら自分の試験が片付いたら私のことが心配になったらしい。
「先生、5月14までだったよ!」
「先生、手伝うからね。こないだのEMSみたいに無理しないでね。」
(EMS事件
まだここにきてまもない頃、国際郵便を出さないと行けなかった時があって、学校の郵便局に出しに行ったのはいいものの、学校からは出さなかった。
で、学校に国際郵便を出せる郵便局を教えてもらったんだけど、その郵便局は治安の悪い地区のど真ん中にあって、なんも知らない私が1人でそこに郵便を出しに行ってしまった。
と言うお話。
あとで3人にどうして自分たちに手伝いを求めなかったのか!と大層怒られた。)
HSKの申し込み期間もわかってたし、HSKのサイトの中国語だって全然わかる。
なんなら日本語版サイトだってあるんだ。
でも、心配してくれた気持ちが嬉しかったから、一緒に申し込みをすることにした。
先生、先生と呼ぶくせにイマイチ彼らは私を先生として扱ってるようには見えない。
街を歩いてたら変な募金に捕まり、
中国のことをなんもわかってなくて、
中国語もままならない私は彼らの目には小さな子供のように写ってるのかもしれない。
早く対等な友達になりたいなあ。
と思いながら毎日生きてる私の気持ちなど今の彼らには理解するすべもないのだけど、否が応でも、10月になれば今度は彼らが日本で何もできない小さな子供みたいになるんだろうなあ、と思うとなんだか面白い。
まあこんな感じでほっこりしてる私はこの先にさらなる事件が待ってることをまだ知らないのである。
と言うわけで何やら不穏な空気を残して今日はおしまい。