社会人になってそろそろまる一年。
その間このご時世もあって、ほとんど大学時代の友人と全く会っていなかった。
でも、2月の終わりに同期のとち狂った落語お化けからこんなラインが来た。
「落語見にかない?」
と単純に問いかけるのではなく、
「○○と○○どっちがいい?」
とこちらが行く前提で問いかけ、こちらが選ぶことに集中してしまうように仕向けるという、
俺様ナンパ塾
(私が勝手に今適当に作った。実在はしない)
第12回目の講義で教えてもらうような高等ナンパテクニックを王茶偉くんがどこでどうみにつけたのか。
彼が福井でどんな社会の荒波に揉まれたのか私は思いを馳せるにつけ、一筋の涙がこぼれ出てしまった。
まあ、そんなことは置いといて。
落語。
もう一年くらいみにいけていなかった。
それどころか、国境封鎖で生きる意味も生き甲斐もなくしてボロボロの満身創痍のスーパーメンタルフルーツポンチマンと化した私は休日といえば眠り続け、起きたら食べて、眠れないなら酒を飲むという荒んだウィークエンドを過ごしていたのだ。
この最中に落語かあ。
多くの人間にとって大学時代が最も幸せな時代であるように、例に漏れず私も大学時代は死ぬほど楽しかった。
この1年間はそのギャップに苦しむだけ苦しみのたうちまわり、私の大学時代を彩っていた落語とは非常に離れてしまい遠いところまで来てしまったという自覚があった。
久しぶりに声をかけてくれた王茶偉くんの厚意を無碍にするのも気が引けて、なんとなく行きたい旨を返信したものの、直前までそんなに気乗りはしていなかったのだ。
それでも、土曜日はやってきて後輩の雷八も加わって愉快な三人で道楽に行く運びになった。
案の定当日私は1時の約束なのに12時55分に起きるという大寝坊をぶちかまして2人には先に入ってもらい自分はギリギリに駆け込んだ。
動物園前の駅の1番出口を出れば、でっかいパチンコ屋があって、コンビニがあって、そこは西成ど真ん中。
パチンコ屋の前にはどう見ても普段の会社員生活では対面しないTHE OSAKAなおじさんたちが地面に座り込んで小さくなったタバコを蒸している。
ギリギリに14時からの開演に滑り込み、席に座って一口お茶を飲むと、
コツコツコツ、という気前のいい太鼓の音が鳴り響いた。
間伐を入れずに金の音。
寄席の開演の「石段」の三味線の音が流れる。
そのものの5秒だけで、そこに座っている私はまるで大学生に戻ったみたいに、
コロナとか、会社とか、大阪のひとりぼっちの生活とか、そういうもの一切合切切り取られた姿で座っていたのだ。
前座、二つ目、まるで水を得た魚のように喋りまくる噺家たちの噺は本当に本当に面白くて何にも考えないでただ笑った。
口座の上で、マスクはしていなかった。
私たち客席の方はみんなマスクをしているけど、口座の上の噺家がマスクをしていないおかげで、噺家が語り出す江戸時代の街の人は大学の時の私が見ていた江戸時代の街の情景そのままで。
小さなことにめくじらを立てて、
イライラして癇癪をたてて、
八方に向けて攻撃的になってる物騒な私を、
おおらかでご機嫌でど楽観主義へと引きずり戻している。
噺家は、そんな素直なものではない。
だいたい照れ屋で捻くれていてプライドが高い。
でもそんな噺家たちが、その日は本当に嬉しくて嬉しくて仕方がないようで次々と目玉ネタをかけていく。
マクラの端々で「まえは5人しかお客がいなかった時はこいつ10分でおりよったのに、今日は23分ですよ!やあ嬉しいもんですねえ。
だからといって私も短くしませんよ!今日はもう5時半までやる心つもりなんですから!」
と、16時終演予定なのに豪快に宣言してみたら。
そんな一言一言に拍手が湧いた。
それ以上にみんな笑った。
このご時世みんなで馬事雑言と石を投げつけることはあったとしてもみんなで手を叩いてお腹から笑うことは長らくなかった。
そんな中でも私が一番感動したのは、
桂出丸師匠の「禁酒関所」だった。
学生時代は、地方出身者で上方落語ではなく江戸落語をやっていたので、上方の落語家にはとんと疎い。
だから出丸師匠の落語を聞くのは今回初めてだったものの、その演目選びが好きだった。
「禁酒関所」とは、
ある国で、酒に酔った腕の立つ侍2人が酒の勢いで喧嘩になり互いに刀で斬り合い2人とも死んでしまった。
そこで、有能な家来を2人も一度に無くしてしまったお殿様はその国に禁酒令を出す。
国に入るところでは「禁酒関所」といって酒を取りしまる関所が設けられた。
そんなときに、城内の1人の酒好きのお侍さんが城外の商店に「どうしても寝酒がしたい。酒を飲んで眠りにつきたい」とのことで酒を秘密裏に自分の屋敷に持ち込む依頼をする。
最初は断る商人だったが、法外な料金に目がくらみ依頼を請け負うことに。
あれやこれやと酒を持ち込もうと禁酒関所に挑む商人側だが、
実は自分も酒を飲みたくて飲みたくて仕方がない禁酒関所の役人に「お調べ」の名の下に全部飲まれてしまう。
商人たちはだんだん腹が立ち、酒を届けるのはさておき、なんとかこの禁酒関所のお役人に復讐してやろうと画策する。
と言う筋書き。
やりたいこと、当たり前にできたことを、
ある日突然取り上げられたときの人間の行動なんて400年余り前から何にも変わってはいないのだ。
妙に時代とリンクしているその話は、
なんだか元来酒が大好きで飲み会ばっかりやってる上方落語家である師匠自身の想いや怨念がぎっしりびっしり詰まってる気がして、思いっきり笑った。
そういや、飲み会やめてって呼びかけたた我が国のエライ方々もステーキ食べに行ったたよね。
「落語は人間の業の肯定だ」とした話はあまりにも有名。
落語は、みんなで戦争に行くときに怖くて逃げてしまうやつ。
カッコ悪い奴が主役。
努力して成功するのではなくて、努力がめんどくさくなって思わずあきらめちゃうような本当に平凡でカッコ悪い人間のどうしようもない面を肯定して描く芸能だ。
だから、みてるこっちも「じゃあしょうがねえなあ」という心持ちになるし、
とんでもない理不尽に直面したり、嫌な人間に出会っても「そんなこともあるし、そんな奴もいるなあ」とおおらかな気持ちになってくるのだ。
全部素晴らしかった。
大ファンの雀三郎師匠はその日もやりたい放題だったし、蔵丁稚も子ほめも胴切りも始末の極意もめいいっぱい笑った。
全部の演目が終わって寄席の終わりのバレ太鼓が鳴り響いた後で、なんとなく3人で大阪の街を歩き回った。
「前座の人楽しすぎて偉く長引いたたけど大丈夫だったかなあ」
「でも前の方で聞いてたら師匠の咳払いきこえたからな。」
「うげえ…」
こんなふうに落語の話をするのは久しぶりだった。
それだけでなんだか泣きそうになった。
その日は後輩の雷八の就職と卒業祝いで3人で少しだけ飲んだ。
落研の今も話したけど、思い出の話はやっぱり楽しかった。
合言葉のようなニックネームや落語用語だけが飛び交ってる会話はとても心地よかった。
大学時代は化粧なんてしたことなかった。
当たり前のようにすっぴんで部室に行ったし、足元は下駄だった。
それなのに、この1年間は毎日慌ただしく化粧をして、格好にも少しだけ、ほんの少しだけでも気を遣わないと生きていけなかった。
図らずも寝坊してしまった私は化粧もせずに、
難波の街を3人で歩いて、居酒屋にも入った。
そんな私は何にも変わっていなくて、
王茶偉も雷八も同じように何一つ変わってなかった。
気が進まないだななんだのグダグダ言ってたくせに私が一番楽しんでしまった自信がある。
「演者さんたち楽しそうだったよね!」
と分かったような口を聞いたら
「お前が一番楽しそうだったわ」と言われてしまった。
大阪に来てもうすぐ1年になる。
上方落語は以前は遠い話でも、いまはいつの間にか私の頭の中にできた大阪の地図がある。
噺家の口から飛び出す地名がピンポイントで頭の中でどの場所か分かる。
外国の映画を見てるようだった上方落語が、立体的に私に飛び出して近づいてきた。
中国と切り離され、大切な人たちや大好きな人と切り離されてボロボロな満身創痍な心でも大阪でなんとかやってきた私の一年の成果は
「上方落語で楽しく笑えるようになる。」
なんて思いもよらないところで実を結んでくれた。
かつて、熊本、中国棗庄、京都、と大好きな街とお別れしてきた。
この大阪とお別れする日もいつかきっと来る。
その時に、すこしでも笑った顔の記憶を残していきたいなあ。と思ったから
私は多分月曜日震える手で米朝事務所に電話して次の落語会のチケットを予約すると思う。
「紋浪さんが死にそうだから声かけてやったんだぞ」
と言いながら、私の奢りで日本酒をかっくらっていた王茶偉くん(日本人)本当にありがとう。
死にそうだったのは本当でした。
でも、君と雷八と落語のおかげでまだまだ頑張れる気がするから、明日からも図々しく、せこく自分の中の「業」を肯定しながら生きていこうと思います。
そんなかんじでみなさん。
また月曜日から、一生懸命生きていきましょうね。