紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

ボスの知らない街、建甌

 

にーはおにーはお。

私です。

紋浪です。

 

さてさて、厦門をたっぷり満喫した後Qちゃんの故郷建甌へむかった。

 

高鉄で2時間半。

 

 降りたらQちゃんのパパがお出迎え。

恰幅のいいおじさんで、the中国人!という感じ。

 

車に乗って15分でQちゃんの家に着いた。

 

これが豪邸で12階まであるマンションの9階から上が彼女のものだという。

 

一つ一つの部屋にシャワーとトイレが付いていて、とても素敵なおうちだった。

 

同居人もとんでもないお金持ちだったけどQちゃんもやばいなあ…と思った。

 

どうして私の周りの中国人はこんな大金持ちばかりなんだろうか、謎である。

 

そんなわけで次の日から怒涛の観光が始まった。

 

朝から朝ごはんを食べに行ったところはこんなところ。

f:id:tokyosb:20180724215931j:image

 

 

豆乳(とうにゅう)に米で作った麺が投入(とうにゅう)されている。

(あ、落研のいかんところがでた!)
f:id:tokyosb:20180722235751j:image

 

まあそんなわけで始まった一日。

 

次はQちゃんの洋服の修理に付き合う。

 

道端にいきなりこんなミシンがどん!と置いてあって

f:id:tokyosb:20180724213722j:image

 

おばさんがものすごい手際の良さで次々と客が持って来たものを直していく。

 

さてこんなレトロなミシンをいまだに使ってる洋服の修理屋さんがどんなところにあるのかというと…

f:id:tokyosb:20180724213828j:image

 

f:id:tokyosb:20180724213858j:image



ここには、大都会ではまずもう見ることが出来ない伝統的な家や街並みが大量に残ってる。

 

大興奮して写真を撮りまくる私にQちゃんは若干引いていた。

 

でも、この日本人こんなのが好きなのか…とQちゃんなりに考えてくれたらしくさらに奥へ奥へと連れて行ってくれる。

 

 

そんな時、Qちゃんがいきなり

「ここからは写真撮らないでね」

と小さな声で耳打ち。

 

そこは他と変わらない古い家が立ち並ぶ一角。

暑いからか、薄着の女の人が家の前に椅子を出してスマホをいじりながら涼んでいる。

 

「あの人たち何かわかる?」

「え?」

「花魁!」

 

そっかー、花魁かあ。

って花魁!?

日本で失われた廓文化が遠い中国の田舎町に…!

 

なんてわけではなく、多分彼女は売春婦のことを言いたかったんだろうと思う。

 

彼女の言葉を聞いてからは涼んでいるように見えたお姉さんたちが、お姉さんたちの薄着が、なんだか怪しく見えて来るから怖い。

 

ところで、中国人に限らず外国人はすぐに花魁=日本の古い売春婦、と決めつけているけど落語ファンとして、そして日本文学研究学域の学生としてこの風潮には全力で異議を唱えたいところ。

 

彼女たちは確かに体も売ったが、それは決して彼女たちの一番の売り物ではない。

最上級の花魁ともなれば、会うまでに城が傾くほどの金が必要なことだってあったのだ。

 

そんなことをわかりやすく説明してる落語の中のセリフがこちら。

 

「字で書くとな、傾城傾国とこう書くんだ」

「力があるんですか!?」

「…いいか。傾城傾国。会いたいっていってんで金持って行くだろ?するとプイと横向いちまうよ。

でもよ、持ってった銭を、やまとつんだ銭をだよ、『あってくれないなら持って帰ります』ってわけにもいかねえよ。

また行くよ、またふられるよ。何回か繰り返しているうちにようやく会ってもらえるようになる。

高尾(ここでは当時最高といわれ花魁の名前)の馴染みになるの。

高尾に名前を呼んでもらうころには、もうすっかり銭使い果たしちゃって、城が傾いちゃってる、国が傾いちゃってる。

それっくらいに、すごい人なんだよ!」

 

立川談春「紺屋高尾」より

 

 

 

この話は、当時下層階級だった染物屋の若い職人久蔵が、当時最高級の花魁だった三浦屋の高尾太夫に一目惚れをして、3年間必死に働いて三年分の給料を持って大名に化けて彼女に会いに行くと言う話。

身分がバレてしまった時の久蔵の独白は鳥肌モノ。

 

私が落語の中で一番好きな話でもう軽く100回は聞いてるし、覚えてしまって落語の引退公演で掛けたネタでもある。

 

少し長いけど暖かくて清々しい気持ちになれること間違い無いのでここを読んでる人は全員聞いて欲しい。

 

 

Qちゃんには花魁の説明を一生懸命したんだけど、どうしてもわかってもらえなかった。

悔しいなあ。

 

ま、そんなことは置いといて。

 

そのあとは地元のお寺に行った。

f:id:tokyosb:20180724091245j:image

 

あと、マルコポーロ広場にもいった。

f:id:tokyosb:20180724091650j:image

 

なんと、この地にかの有名なマルコポーロも来ていたらしい。

当時の記録によれば過去の人は皆顔が白く髪の毛がなかったり薄かったりしたらしい。

これは白血病のためという見解が今で話されているという。

 

それで、昼からはQちゃんの友達も合流してご飯を食べて、山に登った。

 

f:id:tokyosb:20180724091829j:image

f:id:tokyosb:20180724215848j:image

 

この白い塔を目指してひたすら歩く。

 

中継地点にはお寺もあった。

f:id:tokyosb:20180724092314j:image
f:id:tokyosb:20180724092320j:image
f:id:tokyosb:20180724092310j:image

f:id:tokyosb:20180724092333j:image

 

上海のお寺とはまた違って、より台湾に近づいてるこの感じ。

色使いも鮮やかである。

 

そしてたどり着いた白い巨塔、間違えた。

白い塔。

f:id:tokyosb:20180724092739j:image
f:id:tokyosb:20180724092749j:image

 

頂上ではこんなものを食べた。

 

f:id:tokyosb:20180724092755j:image

 

 

簡単に言うと熱々のお豆腐に大量の砂糖がぶっかけられてる。

 

五歳の頃に豆腐の美味しさに目覚め、

おやつを冷奴、夕ご飯の冷奴をお代わり。

冬は湯豆腐おでんは揚げ豆腐、豆腐を極めた女、それがこの私。

好物が豆腐という貧乏くさい娘のために父は毎日大量の豆腐を買ってくれた。

娘の好物は好きなだけ買い与えるタイプの父だから、私の好物が豆腐ではなくて刺身やイベリコ豚なんかだったら我が家は破産してたと思うからうちの家族は私の好物が豆腐であったことを感謝するべきだと思う。

 

いやそんなことはどうでもよくて。

とにかく、お豆腐が大好きな私にとってここ中国は天国である。

 

なんでかというと、おいしいお豆腐デザートとお豆腐料理があるからである。

 

お豆腐に砂糖や蜜をかけて甘く食べるものを豆花という。タピオカとか白玉みたいなのが一緒に入ってるもの。

甘いタイプ、豆花は南方に多いらしい(同居人談)

下の二枚の写真はそれぞれ厦門と長沙で食べた豆花。私は台湾でこれを食べてから見つけると必ず食べてしまうほどのファンである。

でも、枣庄ではみたことがない。

悲しい。見つけた人がいたら教えてくれ。

f:id:tokyosb:20180724092841j:image

f:id:tokyosb:20180724092845j:image

 

そして、同じタイプのお豆腐におしょうゆ味の汁がかかって香菜が乗ってる料理を豆腐脳という。

豆腐脳、衝撃的なネーミングセンスだけど、これがまた美味しい。

f:id:tokyosb:20180724093055j:image

 

これは枣庄で食べた豆腐脳。

左が豆腐脳。すごく美味しかったなあ。

中央広場のこの店は料亭の娘で味にやかましい同居人が「おいしい!」って絶賛してるだけであってすごく美味しかったなあ。

(倫子さん…一緒に行きましょうよ…)

 

北方では先の甘い豆花よりもおかずとして食べるこの豆腐脳が主流らしい。

 

逆に南方女子Qちゃんは、甘くない豆腐脳を食べたことがないという。

 

今回の旅行は南方横断だから、これからもたくさんの豆花に出会えると思うので楽しみである。

 

そんなわけで、その日の予定はこれでおしまい。

 

その日の夜、ひさびさにボスから微信がきた。

 

「にーはお。いまどこにいますか?」

「あ、こんばんは。建瓯です。」

「えーっと…どこですかそこは?」

「どこでしょう?」

「え…?」

「ははは、からかってごめんなさい。福建ですよ。」

 

てな訳で中国人も知らない、棗庄よりも遥かに田舎のここでの物語はもう少しつ続くよ!

 

 

次回に続くよ!