この記事は私にとって世界一可愛くて大事な男の子に向けて書いてるので多分読んでも何言ってるか分かりません。
一月一日。
産経新聞は社説にて、平成を「敗北の時代」とした。
平らに成る、このままでいい、という了見で始まったこの時代は日本という国が頂点から真っ逆さまに転げ落ちていく時代だった。
でも、今日はそんな話がしたいわけじゃない。
この平成が誰の時代なのか。
それは、平成に生まれ育った私たち(私は23歳です)世代の時代なのだ。
そして私たちの親世代は、日本という国建国以降最も幸せな時代に生きた人間だ。
何も考えずとも熱に浮かされたような異常な経済成長に飲み込まれていれば、所得倍増、右肩上がりの成長。
口を開けて待っていても富が転がり込んだ。
そんな時代を生きた親世代の望みは、洋の東西を問わない平凡なものだ。
「我が子に自分を超えて欲しい」
だが、そんな平凡な願いが私たちを苦しめる。
結婚して、家を建てて子供を何人か作り幸せに暮らし年に何回かは家族旅行。
そんな未来をつかむためのハードルは親世代が生きた時代よりもずっとずっと高くなった。
私の父は医師である。
国公立名門医学部出身の父の姿は、「親を超える」という目標を掲げる私にとって長い間重い重いおもりである。
そう、いまもかわらず、重りなのだ。
だが、だからこそ今日私は君に言いたいことがある。
だから最後まで読んでほしい。
私たちの世代は、親世代が築き上げた富や地位により固く守られた。
そして、学生時代は親世代の人生だけを耳に入れられる。
「必死に勉強して医者になったんだ。今のお前は努力が足りない。」
「いい大学に行かなくていいさ。お母さんの友達の○○さんは大した大学に行かなかったけど、大きな家を建てて幸せそうに子供と犬と暮らしてる。」
でも、彼らの語る思い出補正のかかった甘い時代は過ぎたのだ。
努力すれば医者になれるか?
もう、即答できる時代じゃない。
長きにわたる不景気で医学部の難易度は間違いなく親世代よりは格段に上がっただろう。
F欄大学に行って、両親が自分に与えてくれた豊かな幸せを勝ち取れるか。
答えはノーだ。
ありえない。旧帝大や早慶の子だって就職できずに院進、就職浪人が当たり前の時代だ。
が、一度私たちがそんなことを言えば、親世代は全力で聞こえないふりをする。
しかしこれは愚かなことではない。
老人というものは、自分の良い時代、全盛期を否定されると拒否反応を起こす。
これは不変の法則だ。
それが老いだ。
私達の親は私たちが成長すればするほど、老いて行く。
かつてはどんな突風からも私たちを頼もしく守ってくれた存在は脆く危うい庇護対象の老人へと緩やかに姿を変えて行く。
私は物心ついた時から自分の家が他人より豊かで金持ちであることを知っていた。
最初はそれが幸せだったが、
そのうちそれは追いかける対象となった。
私は必死だった。
医師になりたくて。
父のようになりたくて。
そして何より、自分が今いる社会的地位から降りたくなかった。
だから必死になって勉強した。
しかし、私には才能がなかった。
信じないだろうが、毎日深夜まで一日4時間数学だけに費やしたとしても、私は定期試験の平均点さえ取れたことはなかった。
化学も生物も同じだ。
私の十分の一の努力で、
「努力は報われる」と合格体験記を書いてる才能がある人間が羨ましかった。
私は君には才能があると思う。
私はどんなに睡眠時間を削り、どんなに勉強し、どんなに過去問を解いても理系科目のせいでセンター試験の七割を超えることは一度たりとてできなかった。
そして、私は一年の浪人の末に第一志望ではない私立大学に入学した。
そして今就活を迎えている。
同じことは起こるのだ。
どんなに大学時代積み上げても努力しても、エントリーシートの片隅にある大学名でなかったことにされる世界だ。
「このまま頑張ったら壊れるかもしれない」
「受験勉強は嫌だ。向いていない」
「浪人は嫌だ」
ごめんね。
それは才能のある人間の逃げだよ。
君は頭がいい。
理解も早い。
君なら私がたどり着けなかった幸せにたどり着けるだろう。
なんとなくできるけどすごくはできない。
それこそが、私が死にたくなるほど努力してボロボロになって、周りに笑われながらもみくちゃになっても。手に入らなかった才能なんだよ。
私は君のことが羨ましくて羨ましくて仕方がない。
君は、スタートラインに立てているのだから。
私はスタートラインに立つことすら出来なかった。スタートラインに立てている君はきっと自分が当たり前のように立っているそのスタートラインに立つことができなかった人たちの大量の死体の上に立っていることに気づいていないのだろう。
私と君は似ていると言い続けてきた。
同じだ。
君の願いは、医師になることじゃない。
周りが言うように「手先が器用だから工学部に入ってメーカーに就職すればいい」
こんなことで片付けられる問題じゃない。
君は、今の立場にいたいんだ。
大きくて綺麗な家に住んで、お金持ちの生活。
医者という社会的勝者の息子として何不自由のない人生。
それこそが君の望みだ。
「普通でいいよ」
口を尖らせて仏頂面でいうかもしれない。
でも、普通の生活を一度もやったことがない君に何がわかるというのか。
いいか。
家に二台車があることは普通じゃない。
京都にあんなにも大きな一軒家を建てることは普通じゃない。
家にピアノがあることは普通じゃない。
海外旅行に行けるのは普通じゃない。
何も考えずに、私立高校に行けるのは普通じゃない。
18年間、君は君の今いる位置から出たことがないのだ。
普通、なんて君の目から見たらきっと貧乏暮らしだ。
悲しいけどこれが現実だ。
私が戦い、疲れ果ててそれでも戦わなければならない現実だ。
だからこそ私は、君に同じ道を行って欲しくない。
君の周りの大人は?
お父さんお母さんは医者だ。
君のおばさんは薬剤師だ。
君のおばあちゃんは、あの時代に女子大を出ている超がつくほどのお嬢様だ。
誰も今の苦しみを知らない。
今の時代がどれほど生き残るのがしんどい時代なのかを知らない。
あの人たちは一度たりとて安全地帯から出たことがない。
安定した立場から何がわかるのか。
何を理解できるのか。
何もわかるわけないだろ。
あの人たちは何もわかっちゃいないんだ。
だから、私が言うよ。
私は今就活をしている。
機械を作る会社、メーカーも沢山受けている。
文系の私が受けているのは営業や事務の仕事だ。
でも、このメーカーの営業や事務の仕事を受けてくるのは文系の学生だけじゃないんだよ。
理系の学生が沢山受けてくる。
どうして?
君の周りの大人は君に「手先が器用だから大きくなくても中ぐらいの会社で開発の仕事できたら…」と言うが、
その中くらいの会社の開発の仕事ですら、旧帝国大学の学生でなければありつけない時代なのだ。
だから、沢山の国立理系の工学部や理学部の学生たちがメーカーの営業の仕事に殺到している。
君に営業ができるのか?
できないことはないだろう。でも、向いてない。
君のお父さんお母さんの職場にやってきて、この機械を買いませんか?こんな薬はどうでしょうか?
頭を下げて薬や機械を売るそんな仕事だ。
そんな仕事を、君はしたいのか?
君の周りの大人はみんなそれがわかってない。
今の時代の現実を知らない。
そして君自身もそれを知らない。
当たり前だ、私も高校生の時こんなに生き抜くのが、望む未来を手に入れることが辛いこととは分かっていなかったのだから。
だから、君の周りの大人は平気で君を今の「苦しみ」である、受験勉強から「解放してあげたい」なんて言って、入れる大学を探してくれる。
優しくて本当にいい人たちなんだ。
でも何もわかってない。
つらいのはわかる。
しんどいのはわかる。
投げ出して、楽になりたいのはわかる。
自分がどうしたいのかわからなくてとにかく現状から抜け出したいのに、
何もかも手に入れてる医者である両親から、
「工学部でもいいよ。」
「なんでもっと頑張れないの?」
腹が立ってやる気を無くすのもわかる。
兄弟たちのちょっとした一言がイラっとする。
わかる!わかるよ!!(涙)
全て私が通った道だ。
解放されたい、お終いにしたい、と思ってると思う。
でも、それは違う。
今解放されたとしても、それは末期の癌の患者が麻酔を打たれて幸せな夢を見ているに過ぎないんだよ。
麻酔が途切れたらまた痛みが始まる。
人生は長い。
18歳の苦しみを麻酔で乗り切って、この先の人生をどうするか。
後悔してからでは遅い。
私は、医師になれ、と言いたいわけじゃないんだよ。
わかってくれ。
君が医師を目指しても目指さなくても、
どんな道を選んだとしても私はいつも君の夢を応援している。
でも、君はもう18なんだから。
自分の人生をどうするかは自分で決断してその責任を負う覚悟をしなければならない。
そう、私は君自身に選んでほしい。
消去法でも現状から逆算するのでもない。
君自身がつかみとりたい未来を勝ち取る努力をしてほしい。
私はリアリストだから努力は必ず報われるとは言わないよ。
でも、努力した先に幸せはある。
絶対に幸せになれる。
夢に向かって何もかも投げ出して失敗することを恐れて本当に欲しいものに手を伸ばすのをやめてはいけない。
私は、医者になれなかった。
浪人までしたのに、一番行きたい大学には入れなかった。
でも、今幸せだ。
医者になれなかったから、新聞記者になりたいと思えたし。
立命館に行ったから中国語に出会えたし。
君のお母さんやお父さんやわたしのお父さんもお母さんも、
薬剤師になりたい→薬剤師
医者になりたい→医者
ってかなった人ばかりだから、失敗したら終わりだって君は考えるかもしれない。
でも、失敗したとしても人生は続いて行く。
失敗したからってバットエンドで先がずっと真っ暗ってことにはならない。
それは私が人生をかけて証明してあげるから。
だからこそ。
今、楽を選ぶことが。
入れる大学に入ることの先にあるのが君の人生であっていいのか。
四年後か六年後に、たくさんの企業から「お前は、いらない」と言われて小さい小さい会社への入社が決まってから、成功した弟や妹をみて、苦しむ未来まで想像できるか?
そのとき、「あのときお母さんが…」なんて通用すると思うなよ。
5年前の私は最後の最後で逃げた。
そして、2人の薬剤師になり行く弟を横目に、死にたくなりながら就活をしてる。
私は同じ思いを君にしないでほしい。
医師になるのも、ならないのも。
いつまでも拗ねて逃げ回ってる場合じゃない。
君のお母さんに最後の談判を仕掛ける時が来たのだ。
もしもお母さんじゃ話にならないなら私が手伝ってあげるから。
いま行ける大学に入るのも、一浪して医学部ではなくとも自分のやりたいことに基づいて自分が選んだ大学に入るのか。
それは君の自由だ。
君は未来に選ばれる存在ではない。
君の未来は君自身が選び取り勝ち取るものだ。
この時代に、戦わずして幸せなどあり得ない。
そんな時代に私たちは生きている。
だから私は戦う。
明日も明後日も歩みを止めない。
無気力で死んだ目で、小さな世界から出ずに被害者ぶってる君をみているのがつらいよ。
成功してほしいと願っているよ。
君には才能がある。
ずっと言い続けてきたけど、私は今でも自信を持って君が天才だと信じてるし心の底から思ってる。
君には実力がある。
だからどんな夢にもどんな理想にも胸を張って手を伸ばして欲しい。
立ち止まって自分と相談してほしい。
本当にもう頑張れないのか。
もう無理なのか。
自分がどうなりたいのか。
自分が欲しいものはなんなのか。
「がんばれ。」
以上!