紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

累計、46時間!?目指すは北京。

 

にーはお。

私です。

河南省から舞い戻ってきて疲れ果てて死んでいる紋浪です。

 

今回も旅行記です。

とうとうこの旅行記も最終回ということで書いた私も疲れたけど、根気強く待ちながら読んでくれた皆さんにも感謝ですよー。

 

てなわけで行きましょうか。

 

前回、

 

シャングリラでゆったり過ごして幸せな私だったけどこの次の日には私の人生最大の大移動が待っていた。

 

 まずシャングリラは周りの都市とバスでしか繋がっていないのできた時と同じバスに乗って4時間。

 隣の都市の麗江にうつる。

麗江から雲南省省都である昆明に移る為に寝台車に9時間乗る。

そして昆明から最終目的地の北京まで寝台車に32時間という大移動。

 

とってもとっても優しいお母さんと、すぐにお金で解決しようとするお父さんは私に、

「もうお父さんもお母さんもお前が頑張ったのはよくわかった。悪いことは言わないから飛行機で帰りなさい。お金はあげるから」

と半ば懇願していたが、

飛行機で北京まで行くとなると移動費は1200元。(約2万円)

 

対して寝台車ならなんとお値段500元!(約8500円)

 

すっかりバックパッカー気取りの私は何をトチ狂ったのか安さに目が眩んで寝台車を選択。

 

てなわけでおよそ45時間に渡る大移動劇が幕を開けたのである。

 

ちなみにこの45時間に駅で待たされたり乗継の時間は含まれていないから実際は丸2日以上かかる大移動だった。

 

シャングリラから私の移動経路はこんな感じ。

 

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まず、この大移動の初っぱなから私がやらかしたのは、シャングリラから麗江に戻るチケットを前日のうちに買っておかなかったということである。

 

 ソンツェリン寺に行ってゆったりした私は脳みそまでゆったりしてしまってチケットを買いにバスターミナルに行くのがめんどくさくなってだらけていたんだけどこれが間違いだった。

 

余裕をぶっこいていた私は長距離バスのチケットも高鉄や寝台車のようにネット予約できるだろう、とタカをくくっていたんだけど。

 

我々外国人は長距離バスのチケットはネット予約ができない。

 

ということを知ったのは、私が余裕綽々シャワーを浴びてベットの上に横たわった夜10時過ぎのことだった。

 

一気に眠気が吹き飛んでガタガタと体が震える。

 

もしもバスのチケットが取れなかったら麗江に戻れず、麗江に戻らなければ昆明に戻れず、昆明に戻れなければ北京行きの電車に乗ることができない。

 

このころ中国の電車のチケットが簡単に払い戻しができるということを知らなかった私は大量のお金を無駄にすら恐怖に震えた。

 

そしてもしバスが取れなかった時のために恐る恐る次の日の電車を調べると、3日先まで全ての電車が売り切れと出ている。

 

つまりバスのチケットが取れなければ私は少なくともあと3日はシャングリラに足止めということになる。

 

シャングリラに3日足止め。

ぼーっと何にも考えずにゆるゆるの脳みそでポンコツに過ごす三日間を思うとそれはそれでいいかもなあ…などと考えたけど現実はそうはいかない。

 

私が北京に着く予定の日の三日後には家族や親戚が日本から北京に到着する。

 彼女たちは中国語が全くできないので私がいなければどうにもならない。

故に私はなんとしてでも予定通りに北京に到達しなければならなかったのである。

 

てなわけで明日から移動開始…と思って張り切ってた夜に発覚した大ポカに私は大パニック。

 

ろくすっぽ眠りもせずに、バスターミナルの開く時間を待って駆け込んだが、すでにたくさんの人が並んでいた。

 

どんどん麗江行きのチケットが売れていく声を絶望的な気持ちで聞いていたら私の前に並んでいたおっさんがなにやらバスターミナルの受付のおばさんと揉めている。

 

どうやらおっさんは家族の分も買いたいらしいが家族全員の分のチケットはもう残ってないとのこと。

 

おっさんはあれこれ聞いて、なにも買わずに窓口を去った。

 

そして、私の番になったと同時に私は、

麗江麗江麗江!」

と3回くらい半ば怒鳴るように言った。

 

受付のおばさんはあっさり麗江のチケットを発行してくれた。

 

私は全身の力が抜ける思いでそのチケットを受け取ったんだけど…、次の瞬間私が買ったチケットが電光掲示板に「売り切れ」と表示された。

 

もしも、あの揉めてたおっさんが家族連れではなく1人だったら、私はチケットを買えていなかったのである。

 

私は己の強運に心底感謝した。

 

今回買いたくて買ったのは午前のチケットだったんだけど、売り切れになった後は午後のチケットしか残っていなかった。

 

しかしながら午後のチケットでは麗江から昆明にいく電車の時間に間に合わなかった。

 

と、いうことで。首の皮一枚で繋がった大移動計画。

 

バスに乗った途端スイッチが切れたように眠った。

 

 で、あっという間に麗江について、そこから路線バスに乗り換えて列車の駅に移動。

 

なんと待ち時間3時間。

 

長いよ!

 

駅でカップラーメンかってお湯いれて食べて暇だから駅の周りを散歩した。

 

良い天気だった。

 

これが麗江の駅。

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近くに公園があったからボーッとして、


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駅の周りを歩き回った。

 

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これ面白くて、漢字とアルファベットの下にある変な文字は、麗江発祥の古い古い「トンパ文字」という有名な文字。

 

麗江では至る所で目にするしお土産でも人気。

 

そうこうしてるうちに電車の時間になったから乗り込んでさっさと眠りについた。

 

午後7時37分発の列車に乗って、翌日の5時に着く予定。

 

そこから朝の8時発の北京行きの寝台車に乗り換える予定。

 

しかし、ここは中国。

 

寝台車でスヤスヤと寝ていた私は夜中の3時突如、列車の職員のおばさんの罵声で叩き起こされた。

 

外は真っ暗なのに列車の電気がパアッとついて周りの中国人も混乱していた。

 

寝ぼけた脳みそに飛び込んでる中国語が私の聞き間違えであることを願った。

 

「ついた!列車から降りろ!」

 

と聞こえたからである。

 

が、聞き間違えではなかった。

 

2時間前だぞ…!

 

てなわけで夜の3時に列車から降ろされてしまった私は、次の列車を駅の中で待とうと思い一回駅から出てもう一回駅に入ろうとすると、

 

駅は五時半からしか開かない!

 

という現実に打ちひしがれた。

 

 

オーマイガッド!

 

なんということでしょう。あと2時間どうしろってんだよ。

 

案の定駅の前はこんな状態。

 

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駅に入れない人たちがそこら中に座り込んでる。

 

私もためらいなく座り込んでバックパックをだきしめながら目を閉じた。

 

雨が降ってきたから傘を開いたら知らないおばさんが傘に入り込んできた。

 

代わりにおばさんの持ってたレジャーシートのようなものに座らせてもらった。

 

そんな風に3時から5時までの2時間をやり過ごして駅に入ったとき私は、駅の椅子と屋根のありがたさを骨身にしみて感じることができた。

 

 知らないおっさんに荷物を見ててもらって朝ごはんを食べに行って食料を買いに行った。

 

なんてったってここから乗る北京行きの列車は33時間もある。

 

少なくともまる丸一日分の食料が必要だ。

あと水も。

 

私が食料を買い終わると今度は知らないおっさんの荷物を私が見張りおっさんが買い物に行った。

 

ちなみに、おっさんは私が「日本人だぞ」と言ったらすんなり荷物を私に手渡した。

 

おそるべし日本人の信頼度。

 

そんなわけで3時に列車をつけられて、今度は北京行きの列車が1時間遅れてきやがったので総計した時間の待ち時間をやり過ごして列車に乗り込んだ私の列車のベッドには知らないおっさんが座ってた。

 

疲れ果てて若干ご機嫌斜めの私は、迷いなくおっさんに抗議を行ったところ、

 

おっさんは素直に謝って私を横にならせて、私の足元に座り込んで私の向かいのベッドのおっさんとおしゃべりを続行した。

 

が、もう何もかも諦めた私はもうそれで良いやと思ってこんこんと眠った。

 

5、6時間眠って起きたらおっさんがラーメンを食べていたので私も食べたくなっておっさんにお湯の場所を教えてもらってラーメンに湯を入れてラーメンを作る。

 

今までまずいとしか思えなかった中国のカップラーメンがめちゃくちゃおいしいと思った。

 

多分死ぬほどお腹が空いていたのだと思う。

 

そしてまた眠った。

 

33時間持て余すかなあと思っていたのだけど、とにかく私は疲れていたようなので、食べるのと飲むのとトイレに行くのとおっさんが暇になって話しかけてくる時以外はアニメとか本とかそういうものを見ることなくとにかく眠っていた。

 

ガタンゴトンと列車の音と中国人の声に揉みくちゃにされながら、

一つ一つ丁寧に何もかも思い出そうとした。

 

何回も思い出そうとして、何回も眠ってしまった。

 

上海の夜景、

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アモイの海

 

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建甌の古い町並み
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武夷山の竹の船


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体調を崩して道に迷って、ホテルに拒否された長沙
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絶景の武陵源
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悪徳ガイドと駆け抜けた桂林
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岩が倒れてきそうで怖かった石林
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雨の中ずぶ濡れになって歩き回った大理

 

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八月の雪に包まれた玉龍雪山
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この世の果てのシャングリラ
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この夏、全部で13の都市を巡った。

 

7月14日から8月18日まで。

全部で35日間の旅。

 

長距離電車が北京について、その旅は幕を下ろし、ここまで書いてようやく私の長い長い旅行記もおしまい。

 

やっと旅行を終えられた気がする。

 

そしてこの記事がちょうどこのブログ100個目の記事なのである。

 

何時間、何千キロ。

中国はやっぱり大きかったね。

中国人はうるさいしせっかちで、でも本当に親切で泣きたいほど素直な優しさを投げ出してくれたよね。

 

 

ああ、楽しかった。

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるゆかなるシャングリラ

 

にーはお。

河南省なうの私です。

旅に疲れてる紋浪です。

 

 

さてさて、今日もバシバシ書いていきます。

 

前回

シャングリラにたどり着いた私。

 

街をぶらぶら歩いた。

 

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色使い、そしてどこにも必ず併記されてるチベット文字が、この場所が漢民族ではなくチベット民族の場所であることを教えてくれる。

 

ぼんやり歩いてたらこんなのが目についた。

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ヤクという山ヤギのミルクとヨーグルトである。

こんなところで乳製品なんて食べて大丈夫だろうか…とも思ったけどもう一度気になってしまったらしょうがない。

好奇心に勝てずに購入。

 

ミルクは甘くて優しい味がして美味しかったし、ヨーグルトはプルプルしていてスッキリしていた。

 

 そしてこの日の夜ご飯は、

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そう!

ヤク鍋!

ヤクのお肉がたくさん入ったお鍋。

 

一人旅をしているととにかく毎日麺か、ご飯になにかばっか買ってる料理かどちらかになるんだけど、この日だけは贅沢した。

 

 1人で2人分のお鍋を頼んでガツガツ食べた。

 

ヤクのお肉は臭みもなくて美味しかった。

 

この旅行で食べたものの中でもかなり美味しい部類に入ったような気がする。

 

で、この日はゆっくり眠って次の日がシャングリラ本番。

 

この日の目的地は、チベットのお寺、ソンツェリン寺

中国でもポタラ宮の次に大きなチベットのお寺であるということで向かう。

 

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おお、見えてきた!

 

奥に見えてる金色に眩しいお寺こそが目的地のソンツェリン寺である。

お寺に参拝するその前にお寺の周りのハイキングコースを散歩した。

 

この日はいい天気で、標高3000メートルの空気は真夏なのに春のようにひんやりとしていて気持ちが良くて。

 

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緑いっぱいの道を、
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途中ヤクを見つけながらゆったりと歩いた。

 

とにかくこの旅行。

ずっとずっと人混みに揉まれたり、長蛇の列に並んだりの連続だったけどシャングリラは人が少なくて、本当にゆっくりしたいい気持ちになった。

 

あまりにも気持ちがほぐれていくからなんだか自分でも不思議になって、

 

「ああ、ここが世界の果てか。」

 

などと感傷に浸ったりしてバックパッカーらしいことをして喜んだりした。

 

リラックスしすぎた私は自撮りでも目を瞑る。

 

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なんで私がこんなところで自撮りしてるのかというと、

 

ここから見えるお寺がすごく綺麗だったからなのだ。

 

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そんなわけでしばらくここにあったベンチに座り込んでスマホをいじるでもなく本を読むでなくぼーっとしていた。

 

で、そのままゆっくりゆっくり歩き出してお寺に参拝。

 

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この入り口から、

 

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こんな階段を延々と登っていく。

 

途端に呼吸が苦しくなった。

 

そう、ここは標高3000メートル超えているのである。

 

走ったり、階段を登ったりするとすぐに息が苦しくなってしまう。

周りの中国人もなんだか苦しそうだ。

 

でも、こんな素敵な写真も撮れた。

 

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息苦しくて喘いでる観光客の横をスタスタと慣れた足取りで抜き去っていくチベット仏教のお坊さん。

 

みんな筋骨隆々でいい体をしている。

 

ゼハゼハいいながらようやく頂上にたどり着いた。

 

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垂れ幕と言うのかなあ?

黒い布に見たこともない白い文字が刺繍されていて異様な空気。

 

中にはいることはできたんだけど、密教のお寺ということで中は真っ暗。

ギリギリ足元が見えるか見えないかというところ。

 

どの観光地でもうるさい中国人もこのお寺の中ではやたら神妙な顔をしている。

 

お寺の中は撮影厳禁だったので残念ながら写真はない。

 

お坊さんがお経を唱えてるところにお布施の箱があったから10元札を入れたところ、数珠を握らせてくれた。

 

どうやらお布施をしたらくれるらしい。

 

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すぐに壊れそうな作りだったから大切にポケットにしまい込んだ。

 

このお寺は本当に不思議な場所でいるだけで心が静かになって何も考えたくなくなる。

本当に静かで、ゆったりとした場所で何にもしてないのにぼんやりと過ごした。

 

その日はそのままタクシーで宿に帰って疲れていたのか、3時間くらい眠った。

 

で、起き出したらもう夜の7時だったし猛烈に腹が減ったのでのそのそもそもそと布団から出て食べ物を探しに行った。

 

で、色々考えた結果またしても麺を食べることになった。

 

ただ、この日入った店はやはり今まで行った店とは雰囲気が違った。

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やはりチベット風の飾り付け。

そしてここで食べた麺がこれ!


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これが本当に本当に美味しかった。

 

今回の旅行でほぼ毎日麺だったけど、麺の中ではぶっちぎりの一位だった。

 

8日ごとオーブンにぶっ込んで作られたような熱々の麺をハフハフしながら食べているあの瞬間、私は世界で1番幸せな人間だったと思う。

 

そんなわけで、たっぷりとシャングリラを謳歌した私は、次の日の大移動に備えてさっさと宿に戻った。

 

そう、その大移動こそがこの度を締めくくる46時間の最後の峠である。

 

てなわけで、次回はシャングリラから北京まで私がボロボロになりながらたどり着くまでのことを書いていくよ!

 

そんなわけで皆さん今日はこの辺で、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リベンジ済南!

にーはお。

 

先々週の金曜土曜とHSKに参加するために済南に行ってきた紋浪です。

 

いやー、済南といえば思い出深い場所。

 

6月にみんなで試験を受けに済南に行ったのがもう遠い昔のよう。ほんの4ヶ月前の話なんだけどね。

 

あの頃の私は本当になにもわからず劉ちゃんと張くんと殷くんの背中にくっついて右も左もわからなかったけど、中国横断バックパックやら連続上海就活ツアーやらを経て、成長した自分ならば、きっといけるはずだ!

 

という思いを胸に今回のHSKは1人で頑張っていくことにした。

 

まず、高鉄。

これはもう余裕。

1時間で済南に着くともう夜だった。

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あいも変わらず大きくておしゃれな駅である。

 

ここから宿まではバス。

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外を見ると、おお!渋滞じゃん!

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流石は省都

棗庄とはスケールが違う。

 

そこから歩いたらすぐ宿。

今回こんなところに泊まった。

 

 

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試験前ということでドミトリーではなく個室をとったけどそれでもダブルルームで一泊1200円ちょっと。安い!

 

で、チェックインしたところでそこのドミトリーのお姉さんにとっつかまってしまった。

 

日本が大好きだという日本オタクのお姉さんのマシンガントークに圧倒される私。

次の日は試験だから早く部屋に引っ込もうかと思ってたけど話してたら楽しくて楽しくておしゃべりしてたら、

 

「なに盛り上がってんの?」

 

とヒッピーみたいな編み込みヘアスタイルのお姉さんが話しかけてきた。

 

お姉さんは気のいい人で私と宿のお姉さんにチベット仕入れてきたというミサンガとペンダントをくれた。

 

チベットでいろんな雑貨を仕入れてあちこちに下ろす仕事をしているというお姉さんの話はすごく面白くて、私もいつか絶対にチベットにいこうと思った。

 

その日は結局夜の12時ごろに眠った。

 

次の日は朝の6時に起きた。

 

試験会場の済南大学の近くにホテルが取れなかったので朝早くにバスに乗って行くためである。

 

準備と朝食を済ませて外に出ると、外は寒くて吐いた息が白くなってびっくりしてしまった。

 

 バス停までとことこ歩いていると、タクシーのおばさんが、話しかけてきたのでいくらか聞くと安かったので乗ることにした。

 

前回、 劉ちゃんと済南に来た時はタクシーがとにかく捕まらなくて困ったのが印象深かったので今回はハナからタクシーを諦めてバスに乗るつもりだったのだけど、すんなりタクシーが捕まったのでラッキーだなあ、と思った。

 

 てなことを噛み締めてたらタクシーのおばさんが、

「你是哪里人(どこのひと?)」

と言ってきた。

戦闘開始である。

「外国人です………」

 

私は絶対自分から日本人とは言わない。

それは別に反日怖いとかそういう意味ではなくて、ちょっとでも中国語かじったことある人ならわかると思うけど、

 

「日本人」って発音がとにかく難しくて高確率で伝わらないからである。

 

故に私は極力「外国人」で逃げ切りを測るんだけど、高確率で

 

「哪国的?(どこの国だ?)」

 

とくるので、観念して

 

「日本人!ribenren!」

 

と口を大げさに開けて言い放つとあっさり通じたので拍子抜け。

 

なんだかんだで予定よりもずっと早くに済南大学に着いてしまった。

 

が、ここで大きな問題に直面した。

 

試験会場どけあっとね!(どこだよ)

 

受験票見ても、済南大学としか書いてないよ。

 

まあここで泣いてても仕方がないのでトボトボ歩くことにした。

だいたいhskなんてものは大学の国際系の建物が中文学科で実施されると相場が決まってるのでその辺を当たっていくことにした。

 時間もたっぷりあるし焦らない焦らない、と脳内一休さんになだめてもらってレッツゴー。

 

適当な学生に国際課の建物を教えてもらって歩いて行くとあっけなく見つかった。

 

その建物の中になんとなしに入ってみると白人やら黒人が大勢で溜まっていた。

 

およそ棗庄ではまず見ることのできない光景に愕然とする私ではあったが、これだけ留学生がいるならきっとこの建物でHSKは実施されるはずだと考えた。

 

 というわけでそのへんをうかがいながらちょろちょろしていると、留学生の群れのアフリカ人が話しかけてきた。

 

続いてヨーロッパ系の学生さんも話しかけてくる。

 

彼らに言わせれば、今日は私以外の受験生は全員この学校の学生だから外部の学生を見つけたら教えてあげてね、とのこと。

 

なるほど、受験生のほとんどがこの学校の学生だからこそ横断幕など必要なかったのか。

 

それにしてもアバウトな国。

もしも私が国際科と見当つけて国際科に辿り着かなければ私は留学生に出会えなかったし、

留学生が私に気づいてくれなければ私はHSKの会場がどこかわからなかった。

 

勘弁してくれよ…って感じだ。

 

でも、試験が始まるまで時間があったから、留学生たちといろんな話をした。

 

北京とか上海なんかの大都会に留学している留学生がよくアメリカ人の友達、とかガーナの友達、とか言ってるのが羨ましかった。

 

 遠く離れた国の人と中国語を学ぶ仲間として出会えるなんて素敵なことだなあと思っていたのだ。

 

もちろん自分が今いる大学の韓国人留学生たちはいるが、正直会話になるわけではないので厳しいものがある。

 

 最後に憧れだった国際交流が少しだけできて嬉しかった。

 

それにしても驚いたのが私と話していた人たちはその日4級に参加することになっていたのだけど、4級なのにちゃんとした中国語を話していた。

 

私が4級に合格した頃は全く話せなかったし、もっというなら私の大学の韓国人留学生たちも4級はもってるんだけど全く話せてない。

 

今回HSKが実施された済南大学は中国でも有名な大学なんだけど、やはり有名大学になるとカリキュラムとか教育が違うのかなあ、と思った。

 

で、今回も受験生1人でHSKを受け終わって、

 

タクシーにのって高鉄の駅に向かう。

本当はこの日も済南に泊まって遊ぼうと思っていたんだけど、同居人が11月11日のネットショッピングを一緒にやろうと言ってきたので帰ることにしたのである。

 

まあこれについてはまた今度書くとして。

 

HSKという大きな試験を終えた私はなんだか晴れ晴れとした気分で。

 

4ヶ月前は同居人たちの背中にくっついて何にも出来なかったのに、

今は1人でなんでもできて、大きなトラブルもなく試験を受けにいくことができたし。

 

よかったなあ、としみじみ思った。

 

そしてこの試験の一週間後、私は最後の旅行先の河南省に出かけることになるんだけどそれはまた別のお話。

 

今日はこの辺でおしまい。

 

 

 

 

印象麗江とシャングリラ到着

 

にーはお。

昨日に続き夏の旅行記に区切りをつけるべく頑張る私です。

帰国間近の紋浪です。

 

さて、前回。

 

 

運の良さだけで念願の標高4680メートルを達成した私だったんだけど、この日の私の幸運はこれに止まらなかった。

 

ロープウェイで降りてくると時刻は1時半。

 

目的の4680メートルを突破してウキウキしてた私の目に飛び込んできたのは、

印象麗江という看板。

 

印象麗江、それはここにくる前も電車の駅や、ドミトリーにたくさん宣伝のポスターが貼ってあったから名前を見たことがあった。

 

なんでも少数民族の人たちによる劇らしい。

 

とりあえずなんでも見たい知りたいという気分の私は、受付まで行って公演の時間を聞くと2時からだという。

 

おおお!

 

1日に3度の公演。

なんの下調べもしてなかったのに、今は1時半でバッチリの時間だ。

 

チケットはあるか?

 

と聞くとあるというので、250元と若干高めだけど購入。

 

列に並んで入場を待つことになった。

 

ほどなく入場してみると、まず舞台がすごい!

 

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ちなみにこの写真手前に写ってる掃除のおばさんがいないバージョンもあるんだけど、

 

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思いのほかあっさりした仕上がりになる。

掃除のおばちゃんがいい味出しまくってるよね。

 

注目すべきは奥にそびえる玉龍雪山。

 

この玉龍雪山を背景に添えるために作られた舞台なのである。

 

さて、この印象麗江の監督はなんと、中国映画界屈指の天才张艺谋監督です!

 

日本では、チャン・イーモウという名前で親しまれてる彼の名前を聞いた途端私はもう大興奮。

 

彼が監督してる舞台がまさかこんなところで見られるなんて…とうっとり。

 

うっとりしてるうちに劇が始まった。

 

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写真を撮るのが下手すぎるんだけど、

スモークが出たり、舞台の絶壁を馬が走ったり、いろんな少数民族の衣装を着た人が出てきてとにかく飽きなかった。

 

セリフもほとんどなかったから中国語がわからない人でも楽しめると思う。

 

で、たっぷり感動した後で、

また乗り合いのタクシーに拾われて(懲りない)、宿に帰った。

 

 その日はとにかく昏睡といっても差し支えないほどに深く深く眠った。

 

 そして次の日は大きな荷物をヒイヒイ言いながら運んでバス停に向かったのである。

 

そう、この旅の最後の目的地シャングリラに行くためである。

 

標高3000メートルの街。

チベット族の街。

 

そこにたどり着くには、麗江からはバスで行くしかないのでバス停に向かっていたのである。

 

シャングリラまではバスで4時間ほど。

 

発の高速バスだった私はもうドキドキである。

 

何回も何回も受付で色々聞いて切符を買って、バスのおじさんにも

「これシャングリラいくんだよね??」

としつこく聞いて煙たがられてしまった。

 

まあとにかくシャングリラ行きのバスに揺られて、そのバスでも景色を見ようと思っていたのに、速攻で眠った。

 

で、起きたらそこはもうシャングリラだった。

 

バスから降りて、いつものようにタクシーを拾って宿がある古城まで連れて行ってもらった。

 

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なんだか今までの街とは雰囲気が違う。

 

宿は素敵な場所だった。

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その日は、溜め込んだ洗濯物を洗濯したり、

お土産の整理なんかをしてゆっくり過ごした。
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さて、シャングリラについた私。

 

上海、アモイ、建瓯、武夷山、長沙、張家界、桂林、陽朔、昆明、大理、麗江ときた私の旅行記も大詰めに近づいてまいりましたが今日はこの辺でおしまい。

 

 どうぞもうしばらくおつきあいをお願いいたします。

 

 

 

 

標高4680をめざせ。波乱の玉龍雪山!

にーはお。帰国まで2週間切った私です。

帰国までにちゃんと旅行記をかききろうと決意した紋浪です。

 

さて、遠い昔に書いた前回。

 

 

 

 

麗江にたどり着いた私。

 

さて、麗江での私の目標は玉龍雪山風景名勝区という場所。

 

ここを目指す目的はただ一つ

 

標高4680メートルを体感したい!

以上!

 

バカと煙は高いところに登りたがる、というけど私はバカだから高いところが好きだ。

 

単純だろ?

文句あるか!おおん!!?

 

まあとにかく、そんな軽いノリで私が動くときは大体痛い目にあうのだ。

 

てなわけで、ゆるーく地球の歩き方を読んでゆるーく出かけた私。

 

紅太陽広場とかいうところからバスが出てると書いてあったので目指す。

 

 

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おお!アカだ!

…すいません悪ふざけが過ぎました。

 

で、どっからバス乗れるんだろー、とキョロキョロしてたら愛想のいいおっさんが声をかけてきた。

 

玉龍雪山いくんだろ?乗れよ」

 

乗り合いのバンに客を詰め込んで連れて行く白タクシーである。

 

後一人乗れば発車状態。

 

てなわけで、乗りました。

やめときゃいいのにね!!!!!

 

バンの中にはやっぱり2組の中国人家族がいた。

 

彼らは乗り込んできた私にも話しかけてきてくれて仲良くなった。

 

私たちを乗せたバンは山を登り、どんどん街が遠くなる。

 

もしここで降ろされたら私はどうなるんだろう。

 

などと呆然と考えた。

 

で、そんなこと考えてるうちに白タクのおっさんが

 

「おりろよ」

 

といってきた。

 

まーじで?

ここ山の真ん中ですけど?

 

と思ったけどおっさんにいわせればこのまままっすぐ行けば着くというので渋々歩くことにした。

 

周りはなにもない山道。

 

心細いけどおっさんの言葉を信じてトボトボ歩くこと1時間くらい。

 

断言する。

この1時間は私の中国横断旅行で1番怖かった1時間だった。

だって、すでに標高は3000メートルくらい。

こんなところで迷子になったら私はどうなっちゃうんだろう。

 

ああ、こんなことならちゃんとリサーチしてくるんだった。

ああ、日本のお父さんお母さんそして弟たちよ、お姉さんは遠い異国の高い山で冷たくなって帰国するかもしれませぬ。。。

 

などと考えていたら、大きな門が出てきた。

 

間違いない。

玉龍雪山の入り口の大きな門だった。

 

泣きそうになりながら走っていくと、なんということだ。

 

車でしか入場ができない!!!!

 

そう。

玉龍雪山は入り口は車しか通れないのである。

ゆえにしないでチャーターしたタクシーで行く場合は必ず門まで送ってもらわなければならない。

 

というか、普通は送ってもらえる。

 

つまり、私が乗った乗合タクシーの運転手のおっさんは飛んだ糞爺だったのである。

 

泣きそうになりながら近くを警備してるおっさんのところに行くと、わけがわかってなさそうな外国人の私の身を案じたのか、若いおまわりさんを呼んできて、私の面倒を見るように言った。

 

さながら迷子センターの光景である。

 

お兄さんは次々に入ってくる車に席が空いてるか?と問いかけて、私を乗せてくれる車を探してくれた。

 

で、私はそのお兄さんの後ろでべそをかいていた。

 

なっさけねえなあ!みっともねえ!

 

まあ、なんとか親切な中国人の人たちが車に乗せてくれて私はなんとか玉龍雪山風景名勝区に侵入…間違えた。入場することに成功したのである。

 

どう考えても運だけでのりきっていた。

 

おまわりさんは私が変なところで降ろされたことに怒っていて、私にもちゃんと信用できるタクシーに乗りなさい!

 

と注意していた。

 

私はしょんぼりと、「ごめんなさい…わかりました…」と反省する羽目になった。

 

本当に「旅慣れてきたぜ!私!」とイキリ始めてすぐこれだから神様はよく見てるなあ、と思った。

 

で、玉龍雪山に入ったあとは中国人の人に丁寧にお礼を言って車から降りて兼ねてからの目標だった標高4680メートルにいけるロープウェイを探すことにした。

 

この時の私がなぜこんなに標高4680メートルに至りたかったのかは今なおわからない。

とにかく高揚した気持ちでひたすら標高4680メートルの空気を吸い込むことだけを考えて広い公園の中を歩き回った。

係のおじさんに「4680メートルってどこ?」とトンチンカンな質問をしたけど、おじさんは私を心配して標高4680メートルロープウェイ行きのバスが出るバス停まで私を送ってくれた。

 

私は大喜びでバスに駆け込みロープウェイの乗り場までたどり着いた。

 

そこからチケットを買う前に私は買いだめしていたチョコレートをモサモサと貪った。

 

雲南省の特徴として、とにかくそこらかしこにチョコレートが売ってある。

これには理由があって、標高が高い雲南省では高山病になってしまう人がとても多いという事がある。

そして、この高山病を予防するにはどうすればいいかというと血糖値を上げることが効果的とされていて、その為にチョコレート。

 

というわけである。

 

ゆるーくリサーチした私ですら、玉龍雪山に登る前にはチョコレート大事!

 

という情報をキャッチしていたのでとにかく、これ幸いとばかりにたくさんチョコレートを買って食べた。

 

チョコレートを食べる正当な理由ができる、雲南省は最高だ。

 

で、ぼんやりしてさてチケットでも買おうかなあと思っていたところ、

 

いきなり係員に乗り場に連れていかれてしまった。

まだ酸素ボンベもコートも用意できてないのにあっさりチケットを買わされて待合室へ。

4680メートル。寒いのは良くても酸素ボンベがないなんて絶対無理だ。

 

周りを見回したけど酸素が買えそうな場所はどこにもない。

私は絶望的な思いでロープウェイの順番を待った。

 

と、その時だった。

 

「ちょっとあんた、酸素は?」

 

と大量の酸素を持ったおばさんが話しかけてきた。

酸素売りのおばさんかなあ。

ラッキー。割高でもいいから買おう、と思って、

 

「ないよー。いくら?」

 

と聞いたら、

 

「酸素なくてどうやっていくつもりだったの?!」

 

とすごい剣幕でまくしたてられてしまった。

いやー、勘弁してくれー。買うから、説教はやめてくれよー。

 

と、どんよりしていたら。

 

「はい。」

 

とおばさんは仏頂面で酸素ボンベを押し付けてくるりと私に背を向けた。

 

え?なにこれ。

 

おばさんは家族と思しき人たちの元に戻っていって楽しそうに話している。 

 

え?酸素うりじゃなかった?

ただの心配すぎてたくさん酸素買ってた人だったの?

 

じゃあ、この酸素はおばさんが私のこと遠目に見て心配してくれたものだった?

 

ポロポロと待合室で泣きそうになるのを必死にこらえた。

 

おまわりさん。

車に乗せてくれた中国人家族

バス停のおじさん

酸素のおばさん

 

みんな知らない人。

みんな私のことなんてどうでもいい人。

 

それなのになんでこんなに無条件に優しさを投げ出してくれるんだろう。

 

おばさんがくれた酸素を抱きしめて、ロープウェイに乗って標高4680メートルへ。

 

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徐々に記録雪景色へ変わりゆく風景をぼんやり見ながら、到着!

 

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この日は八月ど真ん中。

真夏なのにみんなレンタルしたこーとをきていてとにかく寒かった。

 

ここを少し登ると頂上の4680メートルに至るんだけど、張り切って登り始めた私はすぐに歩けなくなってしまった。

 

呼吸はできているはずなのに、空気が肺に届いていない感じ。

心臓の音がバクバクといつもの何倍もうるさくて変わった頭に血がのぼる感じ。

 

すぐにおばさんがくれた酸素の封を切って吸い込んで立ち上がって登り始める。

 

ゆっくりゆっくり少し登っては酸素を吸引し、少し登っては酸素を吸引しての繰り返し。

 

頂上にたどり着く頃には酸素も底をつきかけて、私は疲れ果てていた。

 

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頂上には4680メートルの石碑があって、中国国旗がたなびいていてみんな記念撮影をしていた。

調子に乗った私も記念撮影をしたかったけど、一人旅だから自撮りをした。

2枚まで私が頭に掲げてるのはおばさんにもらった酸素ボンベである。

 


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てなわけで標高4680メートルを心ゆくまで堪能した私はロープウェイに乗り込み下まで降りた。

 

下に降りると徐々に体に血が巡り暖かくなっていき呼吸が楽になるのがわかった。

 

よく標高の高い場所出身の人がマラソンが強い、というのを「そんなことあるか?」とイマイチ理解できていなかった私だけど今回わかった。

 

あの標高で普通に生活している人の肺はすごい、と。

 

まあそんなわけで、いろんな人に助けられて謎の願望標高4680メートルに至る、というのを叶えた私の話は今日はここでおしまい。

 

次回で旅行記はいよいよ最終回、シャングリラ編へと移行するよ。

 

またみてね!

 

 

 

 

 

 

 

帰国したらやりたいこと。

 

 最近帰国まで20日を切って、HSKが終わって帰国後のことを考えるようになった。

帰国したらやりたいことがたくさんある。

 

まず、落語

 

やっぱり私は落語が好き。

12月11日には早速卒業公演があるから、大好きな仲間と大好きな落語をやって幸せな時間を過ごしたい。

 

就活

 

中国にいる間にも少しずつはやってたんだけど、せっかく就活生という立場があるわけだからいろんな会社や業界の説明会とか参考に参加したい。

というのも、中国で何社か説明会に参加したんだけどそれがものすごく面白かったのだ。

普段名前知ってるけど何やってるかわからない企業とかできる限り見にいって知ってみたいなあと思ってる。

 

ただ、それとこれとは話が別で就活は怖い。

ここみてる20卒の就活生方がいたら連絡ください。友達になってくれ。

 

バイト

 

大好きな王将バイトに復帰したい。

またホールで王将語を叫びたい。

餃子が焼ける音を聞きながら電話を取りたい。

私が働いてる王将はわりと中国人のお客さんが多かったんだけど、中国語が話せるようになった今ならもっといろいろやれることがあるような気がしてる。

 

 就活が落ち着いたら、中国語を使ったバイトもやりたいし、春節の短期バイトもバリバリ申し込みたい。

せっかく身につけたんだ。

今から元をとってやる。

 

英語

 

以前こんな記事

 

を書いちゃったくらい私は英語が嫌いである。

本当に嫌い。

何回も取り組んで投げ出した。

 

でも、中国に来て中国語を話せるようになって、外国語で会話するのが本当に楽しいことを知って、何か次に外国語をやってみようかなあ…と思った時。

 

あれれ?すでに基礎が出来上がってる外国語があったぞ…!

 

ってなわけででてきたのが英語。

 

やることは中国語と一緒でひたすら音読と単語。

 

音読と、単語。

 

その言葉が中国語をものにするまではすごく嫌いだったけど今はあまりそう感じない。

 

いける。今の私なら英語、いっちゃえるよ!

 

ってなわけで始めることにした。

 

英語を始めようと思った理由はもう一つあって、夏休み中国を旅行してたとき私は

「えっ、ちょっと待って。今中国語話せなかったら私どうなってたん?え?え?え?」

ということが多々あった。

 

わたしは大学在学中に東南アジアを一周したいと思っている。

 

というわけでバックパックに困らない程度の英語力をつけることを直近の目標に頑張ってみたい。

 

実は英語ができないことが大きなコンプレックスになりつつある今。

大学生で時間があって脳みそが若い今のうちに腹くくって潰してしまおうと思ったんだよね。

 

中国語教室に通う!

 

せっかくここまでやってできるようになって楽しくなってきたところの中国語!

ここで終わってたまるか。

孔子学院だけじゃなくて民間のハイレベルな通翻訳のクラスにも参加してみたい。

わたしの中国語の最終目標は社内通訳がこなせるレベル。

HSKは今回か12月に絶対受かるはずだからこれからは多様な分野の単語をたくさん勉強したい。

とはいえ、3月の中国語検定2級には参加したいと思ってるからまだまだ検定ライフは続くんだけどね。

 

中国人の友達を作る!

 

まず、12月8日に殷くんたちに会いに行くことは決まってるんだけど、これから先中国人の友達をたくさんたくさん作っていきたい。

自分と中国をつなぎ続けるためにでもあるし、純粋に中国が好きになっていてもっとたくさんの中国人といろんな話をしてもっと中国のことを知りたい。

 

アラビア語教室に行く

 

三年と少し京都に住んでたんだけど、私の住んでるマンションの近くにモスクがあるらしい。

で、そこで基礎からのアラビア語講座をやってるらしい。

しかもネイティブ教師と日本人教師の2人体制。

授業料もお安い。一年休学したせいで私の友人たちはみなもうすぐ卒業。もともと少なかった友達がさらに減ってほとんどいなくなるということで、何か新しいことを始めてみようと思って行ってみたいと思っている。

中国語を勉強し始めたころ本当に中国のこと何にも知らなかったんだけど勉強すればするほど中国に興味を持ってたくさんのことを知ったし、いろんなものに触れて最後は中国語を使って自分で質問したり会話したりがとても楽しかった。

 

アラビア語もそれ自体を話せるようになるんじゃなくてそれを学ぶことでいろんなことを知れたら楽しいだろうなあとぼんやり思って始めるのである。

だって、アラビア世界って私が1番よくわかってない領域だから。

 

字幕動画を作る

 

中国に来ていろんな中国のコンテンツにふれて、面白いなあって思ったものもたくさん見つけたので、それを紹介するってのをやってみたいなあと思う。

パソコンを勉強したりなんだりで一個は作ってみたい。

 

よしもと新喜劇を見に行く!

 

中国でたくさんたくさん辛いことあったけどその度に私を支え元気付けてくれたのは、よしもと新喜劇

本当に何にも考えずに笑えた。

せっかくお笑いのふるさと、関西に住んでるわけだし、絶対にチケットを買って見に行きたい。

 

落語を見に行く

 

落研だったけど他の部員と比べて全然落語知らないしほとんど見たことないんだけど、落研を引退した今なら他の部員と張り合ったりすることなくのびのび落語を楽しめるような気がするので、いったことのない大阪の常設の寄席やら東京の寄席も見に行きたい。

 

 

てなわけでまだまだやりたいことたくさんあるから、帰国した後もいろんなことに挑戦するしこのブログは続けていくからよかったら末長い付き合いをどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

朋友(ともだち)

 

最近、同居人や生徒たちが棗庄の言葉で早口で何か話してる。

わざと私に聞き取れないように言葉を選んでる。

 

 彼女たちは棗庄の言葉で話せば私が分からないと思ってるみたいだけど、二つか三つ聞き取れてしまう。

 

私は知っている。

 

彼女たちは私の誕生日の相談をしているのだ。

 

なにをあげよう?

なにがよろこぶ?

何か嫌いな食べ物あったっけ?

 

私と付き合った日々のなかで彼女たちはちゃんと私を見ていて、私がなにをよろこぶのか。

一生懸命考えてくれてることに泣きそうになってしまった。

 

私は聞こえないふりをして淡々と洗濯したり、ゴミを捨てたりする。

 

私は大学に入ってからずっと誰かに誕生日を祝われたことはない。

いつも1人でバイトしたり、

ささやかに小さなケーキを買ってきて食べてみたり、

そんな過去三回の誕生日。

 

誰かのために誕生日を祝ったことは沢山あったけど、祝われたことはない。

 

全くない。

 

それを気にしないようにしていたけれど、

やっぱりどこかで傷ついていた。

 

 

誕生日を人に祝ってもらえるのはよっぽど人望がある人で、私と別の種族の人間なんだと思ってた。

 

だから、わざと誕生日に日本に帰らないようにした。

 

そうしたら祝ってもらえないのを友達や自分のせいにせずに中国にいるからと言えるから。

その方が楽だから。

 

私は彼らに誕生日をしっかり教えたことはない。

彼らは授業中に日本語の会話練習に混ぜてそこはかとなく聞き出したようで、私はいつ教えたかは覚えていない。

 

 同居人や生徒たちは最近私をそばに置きたがる。

私が出かけるのを良しとしない。

 

「もうすぐいなくなってしまうから。沢山話そう。沢山一緒にいよう」

 

そうすっぱり言われた。

 

だから、沢山一緒にいろんなものを食べる。

沢山のことを教わる。

いろんな場所に行く。

 

最近外を歩くときはみんなで手を繋いで歩く。

どこへ行く時でも。

なにをする時でも、1人ということはなく誰かと一緒だ。

 

中国に来る前の私には考えられない話だ。

 

もともと私は単独行動が好きで、

誰かと一緒に何かするとか、誰かと過ごすのがとにかく苦手で嫌いな人間だった。

 

でも、中国に来て中国人の家庭に住んで、棗庄に来たら同居人がやってきて否が応でも半径1メートル以内に人がいて。

 そして自分1人では何にもできないから、しょうがなく誰かに頼んで一緒にしてもらって。

何にも分からないから沢山教えてもらった。

 

ある日、なんでも1人で解決しようとする私に同居人たちは本気で怒ったことがあった。

 

「あなたは私たちの友達ではないの?」

 

当時はその言葉が重いと感じて、窮屈だとすら思った。

 

それでも、この国で中国語もままならない私はどんなに1人が好きでも、1人では何にもできなくて結局同居人たちの助けなしでは何もできない。

 

で、最初はしょうがなく同居人や殷くんや張くんに寄りかかり。

後期は王ちゃんや劉くんに甘えた。

 

そしていつの間にか、そばに人がいるのが当たり前になり。

いないと寂しくて退屈だと感じるようになってしまった。

 

最初は五月蝿いとかめんどくさいと思ってたら同居人のおしゃべりも今では楽しくて仕方がなくて、邪魔なときは、

 

「ちょっと口を閉じなさいよ!うるさくて死にそう!」

 

と軽く冗談を飛ばせるようにもなった。

私がそういうと同居人や王ちゃんは笑いながら、

「おしゃべりできないなんて呼吸ができないのと一緒だよー。私たちを殺す気?」

と迎え撃つ。

 

ああ、こんな風になんでも言っていいのか。

 

そう。最近やっとこの近すぎる距離感を心地よいと感じて、好きだと思えるようになった。

 

最近急に寒くなったのに暖房がまだ使えないから寒くてみんなでくっついて座って同じひざ掛けを使って暖をとりながら、教科書を広げても全く勉強せずに、おしゃべりしているとき私は本当に今こうしてるのは自分なのか?

 

と、不思議な気持ちになる。

 

こんな風に女の子とべったり仲良くするのは自分には無理だと思っていたし、

私はものすごく前に女子の中で、生きていくのは無理だと思っていたんだけど。

 

中国で一日中女の子たちと何もかも一緒でも私は何も窮屈と感じないし、人ってこんなに暖いものなんだ、としみじみと感じている。

 

多分、ここが中国で日本とは違う文化である、というのも大きいとは思う。

日本での私と中国での私が違うというのもあると思う。

 

でもそれを差っ引いたとしても、

私は今までの人生でこれほどまでに他者に大切に扱われたことはなかった。

 

だから、最近あまりにみんながよくしてくれるから、堪り兼ねて

「なんでそんなによくしてくれるの。

みんながどんなに私のこと助けてくれても私は何にも返せないよ。」

と言ったことがあった。

そうしたら、

「まだそんなこと言ってんの?友達じゃん。返す返さないそんな計算すら必要ないの。友達なんだから。」

とあっさり切り捨てられてしまった。

 

本当によかった。

人とのつながりの中で人に助けられながら生きていたこの棗庄での日々は本当に本当に暖かくて、一瞬たりとて寂しくなかった。

 

そりゃ、言葉に不自由したときだってあったけど、彼らとのつながりが深くなればなるほど、お礼が言いたい、言いたいこと言いたい、冗談を言いたい、もっとみんなのことが知りたい。

欲が出てきて。

その欲に任せて私は惜しみないエネルギーを中国語に注いでこれたし。

 

 彼らは私の拙い中国語をちゃんと待ってくれた。

 

本当に心から彼らのことが大好きで、

彼らといる一瞬一瞬が私にとっては本当に大切だった。

 

でも、私は本当は彼らに誕生日を祝って欲しくない。

 

だって相談を盗み聞きしただけでこんなに胸がいっぱいになって泣いてしまいそうになってしまうのに。

 棗庄での最後の日に、そんなことされたら私は多分涙が止まらなくて、またみんなに

「あんたは本当に泣くのが好きだな!」

って笑われてしまうだろうから。

 

日本には帰りたい。

帰らなきゃならない。

 

でも、やっと出会えた友達にさよならしなきゃならないのだけは、やっぱり嫌だ。

 

大声で泣きながら嫌だ!って叫びたい。

 

それくらい嫌だ。

 

そんなことを考えてたら今日、殷くんから電話がかかってきた。

 

神戸での状況のこととか、日本語の話をした。

殷くんは少し痩せていて、張くんは相変わらず元気そうだった。

 

「せんせーい、早く帰ってきてー。そして僕たちの学校に遊びにきてー!困ったことたくさん!」

 

と言う殷くんの声を聞いて、なんだかホッとした。

 

そうか、帰ったら殷くんがいるのか。

 

そして、4月には劉ちゃん、王ちゃん、劉くんがやってくる。

 

そしたら、私は今度はたくさん返すことができる。

 

彼らが遠慮でもしようものなら今度は私が言いたい。

 

「ともだちだろ?当たり前だろ!」

 

と、みんなが棗庄で私に言い放ったように私も大胆不敵にそう言いたい。

 

そうすれば、私たちは日本でも「朋友(ともだち)」でいられるんだ。