にーはお。
私です。
河南省から舞い戻ってきて疲れ果てて死んでいる紋浪です。
今回も旅行記です。
とうとうこの旅行記も最終回ということで書いた私も疲れたけど、根気強く待ちながら読んでくれた皆さんにも感謝ですよー。
てなわけで行きましょうか。
前回、
シャングリラでゆったり過ごして幸せな私だったけどこの次の日には私の人生最大の大移動が待っていた。
まずシャングリラは周りの都市とバスでしか繋がっていないのできた時と同じバスに乗って4時間。
隣の都市の麗江にうつる。
麗江から雲南省の省都である昆明に移る為に寝台車に9時間乗る。
そして昆明から最終目的地の北京まで寝台車に32時間という大移動。
とってもとっても優しいお母さんと、すぐにお金で解決しようとするお父さんは私に、
「もうお父さんもお母さんもお前が頑張ったのはよくわかった。悪いことは言わないから飛行機で帰りなさい。お金はあげるから」
と半ば懇願していたが、
飛行機で北京まで行くとなると移動費は1200元。(約2万円)
対して寝台車ならなんとお値段500元!(約8500円)
すっかりバックパッカー気取りの私は何をトチ狂ったのか安さに目が眩んで寝台車を選択。
てなわけでおよそ45時間に渡る大移動劇が幕を開けたのである。
ちなみにこの45時間に駅で待たされたり乗継の時間は含まれていないから実際は丸2日以上かかる大移動だった。
シャングリラから私の移動経路はこんな感じ。
まず、この大移動の初っぱなから私がやらかしたのは、シャングリラから麗江に戻るチケットを前日のうちに買っておかなかったということである。
ソンツェリン寺に行ってゆったりした私は脳みそまでゆったりしてしまってチケットを買いにバスターミナルに行くのがめんどくさくなってだらけていたんだけどこれが間違いだった。
余裕をぶっこいていた私は長距離バスのチケットも高鉄や寝台車のようにネット予約できるだろう、とタカをくくっていたんだけど。
我々外国人は長距離バスのチケットはネット予約ができない。
ということを知ったのは、私が余裕綽々シャワーを浴びてベットの上に横たわった夜10時過ぎのことだった。
一気に眠気が吹き飛んでガタガタと体が震える。
もしもバスのチケットが取れなかったら麗江に戻れず、麗江に戻らなければ昆明に戻れず、昆明に戻れなければ北京行きの電車に乗ることができない。
このころ中国の電車のチケットが簡単に払い戻しができるということを知らなかった私は大量のお金を無駄にすら恐怖に震えた。
そしてもしバスが取れなかった時のために恐る恐る次の日の電車を調べると、3日先まで全ての電車が売り切れと出ている。
つまりバスのチケットが取れなければ私は少なくともあと3日はシャングリラに足止めということになる。
シャングリラに3日足止め。
ぼーっと何にも考えずにゆるゆるの脳みそでポンコツに過ごす三日間を思うとそれはそれでいいかもなあ…などと考えたけど現実はそうはいかない。
私が北京に着く予定の日の三日後には家族や親戚が日本から北京に到着する。
彼女たちは中国語が全くできないので私がいなければどうにもならない。
故に私はなんとしてでも予定通りに北京に到達しなければならなかったのである。
てなわけで明日から移動開始…と思って張り切ってた夜に発覚した大ポカに私は大パニック。
ろくすっぽ眠りもせずに、バスターミナルの開く時間を待って駆け込んだが、すでにたくさんの人が並んでいた。
どんどん麗江行きのチケットが売れていく声を絶望的な気持ちで聞いていたら私の前に並んでいたおっさんがなにやらバスターミナルの受付のおばさんと揉めている。
どうやらおっさんは家族の分も買いたいらしいが家族全員の分のチケットはもう残ってないとのこと。
おっさんはあれこれ聞いて、なにも買わずに窓口を去った。
そして、私の番になったと同時に私は、
と3回くらい半ば怒鳴るように言った。
受付のおばさんはあっさり麗江のチケットを発行してくれた。
私は全身の力が抜ける思いでそのチケットを受け取ったんだけど…、次の瞬間私が買ったチケットが電光掲示板に「売り切れ」と表示された。
もしも、あの揉めてたおっさんが家族連れではなく1人だったら、私はチケットを買えていなかったのである。
私は己の強運に心底感謝した。
今回買いたくて買ったのは午前のチケットだったんだけど、売り切れになった後は午後のチケットしか残っていなかった。
しかしながら午後のチケットでは麗江から昆明にいく電車の時間に間に合わなかった。
と、いうことで。首の皮一枚で繋がった大移動計画。
バスに乗った途端スイッチが切れたように眠った。
で、あっという間に麗江について、そこから路線バスに乗り換えて列車の駅に移動。
なんと待ち時間3時間。
長いよ!
駅でカップラーメンかってお湯いれて食べて暇だから駅の周りを散歩した。
良い天気だった。
これが麗江の駅。
近くに公園があったからボーッとして、
駅の周りを歩き回った。
これ面白くて、漢字とアルファベットの下にある変な文字は、麗江発祥の古い古い「トンパ文字」という有名な文字。
麗江では至る所で目にするしお土産でも人気。
そうこうしてるうちに電車の時間になったから乗り込んでさっさと眠りについた。
午後7時37分発の列車に乗って、翌日の5時に着く予定。
そこから朝の8時発の北京行きの寝台車に乗り換える予定。
しかし、ここは中国。
寝台車でスヤスヤと寝ていた私は夜中の3時突如、列車の職員のおばさんの罵声で叩き起こされた。
外は真っ暗なのに列車の電気がパアッとついて周りの中国人も混乱していた。
寝ぼけた脳みそに飛び込んでる中国語が私の聞き間違えであることを願った。
「ついた!列車から降りろ!」
と聞こえたからである。
が、聞き間違えではなかった。
2時間前だぞ…!
てなわけで夜の3時に列車から降ろされてしまった私は、次の列車を駅の中で待とうと思い一回駅から出てもう一回駅に入ろうとすると、
駅は五時半からしか開かない!
という現実に打ちひしがれた。
オーマイガッド!
なんということでしょう。あと2時間どうしろってんだよ。
案の定駅の前はこんな状態。
駅に入れない人たちがそこら中に座り込んでる。
私もためらいなく座り込んでバックパックをだきしめながら目を閉じた。
雨が降ってきたから傘を開いたら知らないおばさんが傘に入り込んできた。
代わりにおばさんの持ってたレジャーシートのようなものに座らせてもらった。
そんな風に3時から5時までの2時間をやり過ごして駅に入ったとき私は、駅の椅子と屋根のありがたさを骨身にしみて感じることができた。
知らないおっさんに荷物を見ててもらって朝ごはんを食べに行って食料を買いに行った。
なんてったってここから乗る北京行きの列車は33時間もある。
少なくともまる丸一日分の食料が必要だ。
あと水も。
私が食料を買い終わると今度は知らないおっさんの荷物を私が見張りおっさんが買い物に行った。
ちなみに、おっさんは私が「日本人だぞ」と言ったらすんなり荷物を私に手渡した。
おそるべし日本人の信頼度。
そんなわけで3時に列車をつけられて、今度は北京行きの列車が1時間遅れてきやがったので総計した時間の待ち時間をやり過ごして列車に乗り込んだ私の列車のベッドには知らないおっさんが座ってた。
疲れ果てて若干ご機嫌斜めの私は、迷いなくおっさんに抗議を行ったところ、
おっさんは素直に謝って私を横にならせて、私の足元に座り込んで私の向かいのベッドのおっさんとおしゃべりを続行した。
が、もう何もかも諦めた私はもうそれで良いやと思ってこんこんと眠った。
5、6時間眠って起きたらおっさんがラーメンを食べていたので私も食べたくなっておっさんにお湯の場所を教えてもらってラーメンに湯を入れてラーメンを作る。
今までまずいとしか思えなかった中国のカップラーメンがめちゃくちゃおいしいと思った。
多分死ぬほどお腹が空いていたのだと思う。
そしてまた眠った。
33時間持て余すかなあと思っていたのだけど、とにかく私は疲れていたようなので、食べるのと飲むのとトイレに行くのとおっさんが暇になって話しかけてくる時以外はアニメとか本とかそういうものを見ることなくとにかく眠っていた。
ガタンゴトンと列車の音と中国人の声に揉みくちゃにされながら、
一つ一つ丁寧に何もかも思い出そうとした。
何回も思い出そうとして、何回も眠ってしまった。
上海の夜景、
アモイの海
建甌の古い町並み
武夷山の竹の船
体調を崩して道に迷って、ホテルに拒否された長沙
絶景の武陵源
悪徳ガイドと駆け抜けた桂林
岩が倒れてきそうで怖かった石林
雨の中ずぶ濡れになって歩き回った大理
八月の雪に包まれた玉龍雪山
この世の果てのシャングリラ
この夏、全部で13の都市を巡った。
7月14日から8月18日まで。
全部で35日間の旅。
長距離電車が北京について、その旅は幕を下ろし、ここまで書いてようやく私の長い長い旅行記もおしまい。
やっと旅行を終えられた気がする。
そしてこの記事がちょうどこのブログ100個目の記事なのである。
何時間、何千キロ。
中国はやっぱり大きかったね。
中国人はうるさいしせっかちで、でも本当に親切で泣きたいほど素直な優しさを投げ出してくれたよね。
ああ、楽しかった。
おしまい。