紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

朋友(ともだち)

 

最近、同居人や生徒たちが棗庄の言葉で早口で何か話してる。

わざと私に聞き取れないように言葉を選んでる。

 

 彼女たちは棗庄の言葉で話せば私が分からないと思ってるみたいだけど、二つか三つ聞き取れてしまう。

 

私は知っている。

 

彼女たちは私の誕生日の相談をしているのだ。

 

なにをあげよう?

なにがよろこぶ?

何か嫌いな食べ物あったっけ?

 

私と付き合った日々のなかで彼女たちはちゃんと私を見ていて、私がなにをよろこぶのか。

一生懸命考えてくれてることに泣きそうになってしまった。

 

私は聞こえないふりをして淡々と洗濯したり、ゴミを捨てたりする。

 

私は大学に入ってからずっと誰かに誕生日を祝われたことはない。

いつも1人でバイトしたり、

ささやかに小さなケーキを買ってきて食べてみたり、

そんな過去三回の誕生日。

 

誰かのために誕生日を祝ったことは沢山あったけど、祝われたことはない。

 

全くない。

 

それを気にしないようにしていたけれど、

やっぱりどこかで傷ついていた。

 

 

誕生日を人に祝ってもらえるのはよっぽど人望がある人で、私と別の種族の人間なんだと思ってた。

 

だから、わざと誕生日に日本に帰らないようにした。

 

そうしたら祝ってもらえないのを友達や自分のせいにせずに中国にいるからと言えるから。

その方が楽だから。

 

私は彼らに誕生日をしっかり教えたことはない。

彼らは授業中に日本語の会話練習に混ぜてそこはかとなく聞き出したようで、私はいつ教えたかは覚えていない。

 

 同居人や生徒たちは最近私をそばに置きたがる。

私が出かけるのを良しとしない。

 

「もうすぐいなくなってしまうから。沢山話そう。沢山一緒にいよう」

 

そうすっぱり言われた。

 

だから、沢山一緒にいろんなものを食べる。

沢山のことを教わる。

いろんな場所に行く。

 

最近外を歩くときはみんなで手を繋いで歩く。

どこへ行く時でも。

なにをする時でも、1人ということはなく誰かと一緒だ。

 

中国に来る前の私には考えられない話だ。

 

もともと私は単独行動が好きで、

誰かと一緒に何かするとか、誰かと過ごすのがとにかく苦手で嫌いな人間だった。

 

でも、中国に来て中国人の家庭に住んで、棗庄に来たら同居人がやってきて否が応でも半径1メートル以内に人がいて。

 そして自分1人では何にもできないから、しょうがなく誰かに頼んで一緒にしてもらって。

何にも分からないから沢山教えてもらった。

 

ある日、なんでも1人で解決しようとする私に同居人たちは本気で怒ったことがあった。

 

「あなたは私たちの友達ではないの?」

 

当時はその言葉が重いと感じて、窮屈だとすら思った。

 

それでも、この国で中国語もままならない私はどんなに1人が好きでも、1人では何にもできなくて結局同居人たちの助けなしでは何もできない。

 

で、最初はしょうがなく同居人や殷くんや張くんに寄りかかり。

後期は王ちゃんや劉くんに甘えた。

 

そしていつの間にか、そばに人がいるのが当たり前になり。

いないと寂しくて退屈だと感じるようになってしまった。

 

最初は五月蝿いとかめんどくさいと思ってたら同居人のおしゃべりも今では楽しくて仕方がなくて、邪魔なときは、

 

「ちょっと口を閉じなさいよ!うるさくて死にそう!」

 

と軽く冗談を飛ばせるようにもなった。

私がそういうと同居人や王ちゃんは笑いながら、

「おしゃべりできないなんて呼吸ができないのと一緒だよー。私たちを殺す気?」

と迎え撃つ。

 

ああ、こんな風になんでも言っていいのか。

 

そう。最近やっとこの近すぎる距離感を心地よいと感じて、好きだと思えるようになった。

 

最近急に寒くなったのに暖房がまだ使えないから寒くてみんなでくっついて座って同じひざ掛けを使って暖をとりながら、教科書を広げても全く勉強せずに、おしゃべりしているとき私は本当に今こうしてるのは自分なのか?

 

と、不思議な気持ちになる。

 

こんな風に女の子とべったり仲良くするのは自分には無理だと思っていたし、

私はものすごく前に女子の中で、生きていくのは無理だと思っていたんだけど。

 

中国で一日中女の子たちと何もかも一緒でも私は何も窮屈と感じないし、人ってこんなに暖いものなんだ、としみじみと感じている。

 

多分、ここが中国で日本とは違う文化である、というのも大きいとは思う。

日本での私と中国での私が違うというのもあると思う。

 

でもそれを差っ引いたとしても、

私は今までの人生でこれほどまでに他者に大切に扱われたことはなかった。

 

だから、最近あまりにみんながよくしてくれるから、堪り兼ねて

「なんでそんなによくしてくれるの。

みんながどんなに私のこと助けてくれても私は何にも返せないよ。」

と言ったことがあった。

そうしたら、

「まだそんなこと言ってんの?友達じゃん。返す返さないそんな計算すら必要ないの。友達なんだから。」

とあっさり切り捨てられてしまった。

 

本当によかった。

人とのつながりの中で人に助けられながら生きていたこの棗庄での日々は本当に本当に暖かくて、一瞬たりとて寂しくなかった。

 

そりゃ、言葉に不自由したときだってあったけど、彼らとのつながりが深くなればなるほど、お礼が言いたい、言いたいこと言いたい、冗談を言いたい、もっとみんなのことが知りたい。

欲が出てきて。

その欲に任せて私は惜しみないエネルギーを中国語に注いでこれたし。

 

 彼らは私の拙い中国語をちゃんと待ってくれた。

 

本当に心から彼らのことが大好きで、

彼らといる一瞬一瞬が私にとっては本当に大切だった。

 

でも、私は本当は彼らに誕生日を祝って欲しくない。

 

だって相談を盗み聞きしただけでこんなに胸がいっぱいになって泣いてしまいそうになってしまうのに。

 棗庄での最後の日に、そんなことされたら私は多分涙が止まらなくて、またみんなに

「あんたは本当に泣くのが好きだな!」

って笑われてしまうだろうから。

 

日本には帰りたい。

帰らなきゃならない。

 

でも、やっと出会えた友達にさよならしなきゃならないのだけは、やっぱり嫌だ。

 

大声で泣きながら嫌だ!って叫びたい。

 

それくらい嫌だ。

 

そんなことを考えてたら今日、殷くんから電話がかかってきた。

 

神戸での状況のこととか、日本語の話をした。

殷くんは少し痩せていて、張くんは相変わらず元気そうだった。

 

「せんせーい、早く帰ってきてー。そして僕たちの学校に遊びにきてー!困ったことたくさん!」

 

と言う殷くんの声を聞いて、なんだかホッとした。

 

そうか、帰ったら殷くんがいるのか。

 

そして、4月には劉ちゃん、王ちゃん、劉くんがやってくる。

 

そしたら、私は今度はたくさん返すことができる。

 

彼らが遠慮でもしようものなら今度は私が言いたい。

 

「ともだちだろ?当たり前だろ!」

 

と、みんなが棗庄で私に言い放ったように私も大胆不敵にそう言いたい。

 

そうすれば、私たちは日本でも「朋友(ともだち)」でいられるんだ。