紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

人は三次元でしか生きられない。

 

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昨日一時にねるとか言ったくせにダラダラ試験勉強をしてこの時間に布団に入った。

昨日より早くなったからよしとしたい。あした三時間はやめれば 十二時。

目標達成ではないか。

 

今日は西洋史の試験があって、昨日の勉強の甲斐もあってなんとかなりそうだなあという結果を叩き出せたから良かった。

 でも明日の試験は本当に知らん。

無理と考えたほうがいい。

明日のことは明日かこう。

 

今日は、本当に人の温もりを感じる1日だった。

 後輩はたくさんのレジュメを見せてくれたし、友人は試験範囲を送ってくれた。

 いいエピソードのはずなのに私がだらしがないことだけが露呈してる気がする。

まあいい。

 

ここで私が言いたいのは、この大学に私のことを助けてくれる人がこんなにたくさんいるなんて…と感動したということである。

 

 落研を引退してからと言うものもともと落研に全ての交友関係を委ねていた私の毎日は学校行って、勉強して、バイトして、の単調な繰り返し。

 1日誰とも口をきかない日だってあった。

 

それなのに、試験前になって追い詰められて困っていたら助けてくれる人たちがいっぱいいたことが本当に嬉しかった。

 そして、二月には出国する私に出国前に会いたいとご飯に誘ってくれる人もたくさんいて、

「私って案外捨てたもんじゃないなあ」と調子に乗ってるのか感動してるのかよくわからん感慨にふけった。

 

なんにせよ、 三年身を置いて私も知らないうちに私はこの場所に根を張っていたのかもしれないなあ、とぼんやりと考えた次第である。

 

 そんな心温まる一日の終わりに思い出したことがある。

 

昔、ある友人たちと大きな大きなクリスマスツリーを見に行ったことがあった。

 キラキラ光るクリスマスツリーと色めき立つ空気に私たちは大いに感動してその場を後にしたのだが、問題はその後だ。

 後日、彼のSNSのアカウントに友人たちと見に行ったあのクリスマスツリーの写真が乗せられていた。

 そんな彼の投稿に対して、「ひとり?」とリプライしてきたアカウントに対して彼は「ぼっちだよ」と返していた。

 どうしてこんな嘘をつく必要があるのかを一生懸命考えた。

 

 彼はSNSで信じられない量の人々と繋がっていて、そこでの彼は私たちといるときとは全くの別人のようで、投稿数もあり得ないほどに多かったのである。

 一分おきに更新される彼の異様なSNSを眺めながら私は彼をとても遠くに感じたのである。

 そういえば、一緒にクリスマスツリーを見にいったときもせわしなく携帯を気にしていた。

仲間内で、「彼女?彼女?」なんて茶化したりしたけれど、あれはこれだったのか。

 

 彼はSNSの中で、自分を底辺な大学生という位置に置いて、同じように「引きこもり」「不登校」「中退」「留年」そんな肩書きを抱えたアカウントと絶えずやり取りをしていて、きっとその中にいるためには友達とクリスマスツリーを見にいく自分は要らなかったのだろう。

 必要だったのはSNSの仲間に見せる写真だったのだろうか。

だから、1人で見にいったことにしたのだろうか。

 

  今となってはもうわからない。

 

どうしてわからなくなったのかというと彼は私たちといきなりプツリと関係を切ってしまったからである。

 喧嘩したわけでもなく、行き違いがあったわけでもなく、まるでSNSでブロックするみたいにしてあっけなく私たちとの関係を終わらせてしまった。

 だからたまに学校であっても挨拶はするし世間話はするけれど、前みたいにご飯に行こう?呑みに行こう?という誘いに乗ってくれることは二度となかった。

 

インターネットはあまりに広い。

何回だってやり直せて、好きな仲間と好きな時間に一緒に居られる。

 

でも、人は三次元でしか生きられない。

 

どんなに居心地が良くても二次元空間では私たちは体を持つことは出来ないし、熱や痛み、味を感じることは出来ない。

 

 私たちが彼を追いかけたとき、

「どうしたんだよ、最近。なんかあった?」

と問いかけたけど、彼の答えはいつも

「なんもないよ。気にしないで」

それだけ。

でも、私たちの踏み込めないどこかへ立ち去っていったことがなんだかのやりとりの果てに私達は気がついて関係はたちきれてしまった。

 

 試験期間中一度だけ彼に会った。

 

挨拶をしようとすると逃げるように俯いてしまった彼。

 

 

明日も私は三次元で目を覚まし呼吸を繰り返す。

 

三次元で彼を待っている。