中国にきて早くも4ヶ月が経過した。
その間いろんなことがあって、いろんな理不尽に出くわした。
出くわした理不尽とか悔しいこととか悲しいことはこのブログに書いてないことが大部分だけど、
わたしはその理不尽や悔しいことに出くわすたびに、ブチ切れたり泣き出したりしたらダメだ。常に日本人としての気品と自覚を持って顔で笑って心で泣け。の精神でやってきた。
たとえここが中国であっても、わたしは日本人。
郷に入っては郷に従え、とはいうが私はできる限り日本でやったら恥ずかしいこととかダメなことはやらない方向で、日本人としての根っこを残しながら中国のやり方に寄り添う生き方を選びとってきた。
でも、昨日とうとう私はこのやり方を投げ捨ててもぶん殴ってやろう、と決意するくらい腹をたてる出来事があったから書いていこうと思う。
ことの発端は、昨日ボスの腹心の趙さんから来た一通の一通の微信の音声メッセージである。
土山さん、昨日ボスから私に電話がありました。あなたたちの部屋がうるさすぎて苦情が来ています。直ちに謝罪し今後十分気をつけて生活するように。
中国語で吹き込まれたそのメッセージを聴きながら、私は心の中で大きく舌打ちをうった。
またあいつらか!!!
中国の大学は基本全寮制なんだけど、大学の中に住んでるのは学生だけではなくて一部の先生も教師楼という教師用宿舎に住んでいる。
私が今働いている大学ではその教師楼が4つあって1つが留学生寮で、あとは教師用。
ただ、私はなぜか留学生寮に住むことは許されず教師楼に済まされることになったのが運の尽き。
何も知らない私を待っていたのはお向かいの韓国人夫婦の絶え間ないクレーム攻撃だった。
最初こそ食器や鍋をくれて親切だったこの夫婦は私が引っ越してきて三日目にして、
私の生活音がうるさい、とやんわりいってきた。
来たばかりで同居人もまだいない、佐藤さんご夫妻ともそこまで仲良くなっていなかったあの頃、その注意だけで私は多大なストレスを被り、トイレの水を流す音にすら注意して生活していた。
しかし今考えれば私はその頃私は一人暮らし。
何をどうやったら生活音がうるさいのか非常に疑問である。
調理もしない、テレビも見ないんだからね(壊れてるから)。
しかし、こんな状況から私を救う存在が現れた。同居人である。
この同居人が引っ越して来てからというものお向かいの韓国人夫婦は私に文句を言ってくることはなくなった。
と、おもっていた。
しかし、実は彼らは攻撃対象を私から同居人に変えただけだった。
私は日本人でお向かいさんは私が中国語がそんなにできないとおもってる。
なんでかっていうと注意されるのがめんどくさくなって来て途中から私が中国語がわからないふりをし始めたからである。
中国語はない、勿論私は韓国語はわからない。相手も日本語はわからない。
となると、よくわからん私に注意するよりは中国人の同居人に言った方が効率がいいと判断したのだろうけど、お向かいさんのために言うならそれは大きな間違いだ。
まあそれは後で書くとして、
とにかく同居人も私も最初こそお向かいさんの静かな生活を守るために努めていたものの、何を頑張ってもくるクレームに私らが飽きて、
「いやー、もうこれは。何しても言われるわ。もうあたしら快適に暮らした方がいい。快適に暮らしても気をつけて暮らしても、結局なんも変わらんぞ!」
「同意!」
と、匙を投げて普通に生活しはじめた。
それでも私らは別に騒いだらもしてないし十分注意していたけどね。
さてそんな状況の中でさてそんな状況の中でさっきも触れたけど趙さんからのメッセージである。
部屋の中で呆然とそれを聞く私は、もうなんだか何もかもめんどくさくなって、
「好的,对不起老师。以后我一定小心」
(すいません先生。今後は気をつけます)
と送ろうとした私のスマホをものすごい勢いで同居人が取り上げた。
「なんであたしらが謝るんだ!おかしいだろ!徹底抗戦だ。ぶっ殺してやる」
とキレまくる同居人。
日本人のやり方としてめんどくさいからとりあえず謝って、何にも改善しない。
波風を立てない、と言うやり方を採用しようとしたんだ、と同居人にいうと、
「あんたは今どこにいるんだ!中国だろ!中国のごめんなさい、と日本のごめんなさいは重みが違うんだ!わかったか!絶対謝るな!」
といわれた。
そう、こう書いてると怒ってるのが同居人だけに見えるかもしれないけどそんなことはない。
私は同居人よりもっと怒ってる。
だってそうだろ。
私はお向かいの韓国人夫婦に対して出来るだけ誠実に接して来たつもりだ。
いつも道端で合えば深々と頭を下げて挨拶をして来た。
でも、向かいの夫は私の挨拶をガン無視である。
それでも、それで私まで無愛想になったら私もお向かいさんと同類になってしまう、と思って勤めて礼儀正しくあろうと努力した。
その結果がこれか。
私たちに散々要求をつけて私たちはその要求に応え続けて来ていたのに、その結果がこれか。
「もういいよ。私も本当に頭にきた。徹底的にやろう。」
日本のやり方なんて今は捨ててしまおう。
同居人はまず、私たちにクレームを伝えてきた趙さんにブチ切れた。
「劉です。貴方が私の先生に送られたメッセージ私も拝聴しましたけど、なんですかあれは。私たちの話をしますが、お向かいの韓国人夫婦は毎日朝6時から歌ってますよ。彼らが自分たちの休息に私たちの騒音が影響してる、と文句を言うなら私たちこそ彼らの歌に休息を阻害されています。ねえ、ご存知ですか。この建物の階下にはカナダ人階上にはロシア人がいますね。彼らは連日夜通しワールドカップを見ながら大騒ぎをしています。でも韓国人夫婦はそこには何も言いませんよ?ただ私たちだけに文句を言ってるんです。これは嫌がらせ以外のなんだって言うんですか。私たちは十分注意しています。これ以上の譲歩はあり得ないしこれ以上を要求されるなら生活できません。」
そう、私たちの建物にいるロシア人とカナダ人はすごくうるさいんだけど、韓国人夫婦はここには文句を言ったことがないらしい。
このロシア人とカナダ人はガタイも立派な欧米人で、ロシア人に至っては強烈な中国人の奥様がいる。
まあ早い話は私ら2人が若い娘2人だから言いやすくてそこにストレスをぶつけているのであろう。端的な話舐められたのである。
さらに、お向かいのご夫婦が毎日朝6時から歌ってるのも本当。なんでもクリスチャンらしく、宗教上のしきたりで毎日朝から歌うらしい。
おいおい人の生活音にはギャーギャーいうくせに自分たちが朝っぱらから歌って人の安眠を妨害していることについてはノーコメントかいベイビー。
まあそれはいいとして、クリスチャンって、
隣人愛はどうした!?
って感じだ。
とまあ、このように一気に喋り倒した同居人。
「おいおい、そんな強気に出ていいの?趙さんはお向かいの韓国人とエスペラント語クラブの友人で仲がいいんだよ。多分韓国人の味方だよ。」
と、私が早くも弱気になると、何やら鼻で笑い飛ばす同居人。
「エスペラント語?だからなんだってんのよ。あの人はうちのパパがいなきゃ金儲けできないのよ。だってパパの部下みたいなもんなんだからね。
そのパパの娘の私に逆らえるわけないじゃない!お迎えのご夫婦には私らに喧嘩売ったこと絶対に後悔させてやる。」
おお…なんかもう
ここまで味方にいると死ぬほど心強いけど敵に回すと恐ろしい人間を私は知らない。
同居人はここ枣庄を牛耳ってる会社の社長のご令嬢で交渉ごとや、察しのよさが常軌を逸している。
だから、お向かいのご夫婦は同居人にだけはケンカを売るべきではなかったんだ。
なぜならこの枣庄において大概の大人は同居人のパパに勝てないからである。
ここは中国で枣庄で完璧な同居人のホームグラウンド。
同居人を見てると本当に中国って怖いところだなあと思う。
同居人の目論見通り、同居人が私のスマホで音声メッセージを送りつけた途端趙さんの口調が変わった。
ちょ、ちょっと気をつけてくれればいいから。冷静になってね。
おいおいおっさん!
それでいいのか!
しかし同居人さらに吠える。
「聞いてください。彼らは土山さんが1人で住んでる時ですらうるさいとクレームをつけましたよ。1人で生活してどうやってうるさいんですか?それからどうして貴方は私にこれを送らず土山さんに送りつけたんですか!」
そう、私も同居人も1番怒ってるのはこの点なのである。
ボスも趙さんも私の微信だけでなく同居人の微信も知ってるのに敢えて彼らは中国語で私にメッセージを送ってきた。
しかも、
私の話を聞こうと言う意思は一切なく、謝っときなさいだけとは何事か。
多分、私だけなら素直に謝り、私が悪いことにして問題を片付けたかったんだろう。
中国語も中国のしきたりもやり方もわかってない私に体良く全て被せてしまおうとしたのだ。
簡単に言うなら舐められたのである。
私の頭の中で落語の親方が、
「チッ舐めた真似しやがって。ぶっ殺してやる。お前さんね、ここでポーンと行かないとお前さんの顔に傷がつくってもんだよ。お前さんの男が立たねえ。威勢良く行かなくちゃァだめだ。」
って言ってる。
今までこんなことは何回もあったけど、私にはどうしようもなくて何回もこんな条件を飲んで謝ったり悔しくても我慢してきた。
でも違う。
そんなことじゃ私の意思は通らない。
中国人のおっさんたちには、私の2つの目ん玉がガラス玉のように見えてるのかもしれないけど、それは違う。
私は怒らないんじゃなくて、この国での怒り方がわからなかったんだ。
故に、今後一切の譲歩はない。
戦ってやる。
というわけで同居人の協力のもとこの騒動の発端となったボスにも先ほどの趙さんに言ったことと同じ内容の微信を送りつけた。
すると、わかったから。怒らないでくださいと返信が来やがった。
今までニコニコいつでもいうことを聞いていた私が怒ったことにボスは少し動揺しているようだ。
これには同居人と爆笑した。
それで今日ぼすから電話がかかって来た。
「老师,我刚来枣庄的时候您说对我您保护我。不过这次您只相信了对面的韩国夫妻的话您不听我的话。我非常遗憾这个。我一直相信您可是您不一样。我非常难过。来这里以后我遇到好多困难但是我知道你非常忙的人所以我不想麻烦您我没告诉你了。这次,你应该先听我的话,然后判断。现在我非常难受不想聊天和你!」
(先生、私がここに来たばかりの頃あなたは私のことを必ず助けると言いましたよね?
でも今回あなたはお向かいの韓国人の話は信じて私の話は聞きもしなかった。私はそれが残念でなりません。私はずっとあなたを信じていましたが先生は違ったようですね!悲しいです。
ここに来て私はたくさん大変なことがあったんですよ。でもあなたが忙しい人間だから心配をかけたくなくてあなたに言わなかったこともたくさんあります。あなたは今回、先に私の話を聞いて判断するべきだった。私は今とても悲しくてあなたと話したくないです。)
これを泣きながら言った。
(本当に泣くわけがない)
同居人は隣で笑いをこらえてソファに突っ伏してる。
焦りまくるボスとしばらく話して電話切った後、
「役者だね!」
「役者じゃない。落語家よ。」
とハイタッチ。
同居人が眩しい。
私は同居人や他の中国人みたいに図太く強くなりたい。
悪い中国人やちょっとずるい中国人に、
日本人だからって甘く見られて騙しにかかられないような強烈な強さと迫力が欲しい。
もっとこの国で自由に一人前に泳ぎ回れるようになりたい。
と、同居人に熱く語ったところ
「で、あたしそうなるにはどうしたらいいのかなあ?」
「取り敢えず、すみません、と对不起と不好意思、を言わない」
(对不起と不好意思はどちらもごめんなさい、の意味)
とにかく、4ヶ月経ったのである。
中国人を怖がるところから始まって、中国人と仲良くなって、中国人が本当に好きになってとうとう中国人と遣り合うところまで出てきたんだ。
残りの5ヶ月でどこまでいけるのか非常に楽しみである。
そんなわけで今日はさようなら。