にーはおにーはお。
私です。
最近棗庄に戻ったのはいいものの寂しすぎて死にそうになっている紋浪です。
いや。本当はね、また旅行にでも行こうかなあって思ってたんだけど、中国横断旅行で王将で貯めた旅費も尽きて、格好悪いの承知で
「お母さん!ちょっと…」
と頼んだら、
「今まで行った旅行記書いてからにしなさい。それが面白かったら考えてあげるっ!」
と言われたので、ブログ書くのがめんどくさい私は、
「お父さんー」
と泣きつこうとしたら、
「パパは帰国する飛行機代ならいくらでもだすよ」
と、ナチュラルに中国生活を終了させられそうになったので、今は死にそうになりながらブログを書くしかないのである。
あ、前にも言ったかもしれんがこのブログはすでに親戚一同の監視下にあるぞ!
くそおー、寂しいよおおお!
でももう直ぐでパスポート更新でパスポートなくなるー!
そしたら旅行もいけないー!
まあ、その前に色々危ないんだけどね。
今日、学校を散歩してたら南アフリカ人がイチャイチャしてた。
チューしてた。
一周ぐるっと回って帰ってきたらまだイチャイチャしてた。
暇だったからもう一回ぐるっと回って帰ってきたらまだイチャイチャしてた。
結局六周もしてしまった。
ずっとイチャイチャしてた。
彼らがイチャイチャしてる間に私は炎天下の中を20,000歩も歩いた。
てな訳で、暇を持て余して1時間と少し南アフリカ人のカップルの観察に費やしてしまった私だけど、本当に寂しいのでみんな棗庄に来てくれ。
いや、上海と北京だけ見て中国知ったとか言わせねーからな!
中小都市を見てこそ見聞が広まるというものよ!
ほら!さっさと来いや。
そして、私の孤独を持ち去ってくれ。
てな訳で最近の私の状況を吐き散らかしたところで、今日も旅行の話を書いていくよ。
もっと私の近況が知りたい人は一つ前のブログでも読んでくれ。
まあそんな酔狂な人はおらんかね。
まあ切り替えて張り切っていきましょう!
これの面白い面白くないに、次の旅行に行けるかいけないかがかかっとると思うと気合いが入らねえ!(吐血)
さて。前回、
悪徳ガイドに引きずり倒されながらも親切な中国人の皆さんに助けられて陽朔にたどり着いた私。
早速荷物を置くためにホテルに向かう。
この日の宿はこちら。
一泊60元(1000円くらい。)!
安いよね。
私は今回の旅行の中でこの陽朔のホテルが一番好きだった。
部屋はこんな感じ
6人部屋。
オレンジのカバンのあるところが私のベッド。
とにかくベッドがふかふかで寝心地が良くて居心地も良くて幸せな気分になった。
疲れていたのでここで二時間くらい眠った。
で、起きたら日が落ちていたので散策開始。
陽朔は夜!
桂林で川下りをする人たちは是非陽朔で一泊したほうがいいよ!
散策スタート。
どこを見ても背景に山があるのが陽朔の特徴
この日の夕ご飯は桂林名物という米线(米で出来た麺を使ったラーメン)
どうでもいいけど私は食べ物を美味しく撮るという才能が枯れ果てて焦土と化しているね。
まあいいや。
食べ終わったら本格的に日が落ちてきて陽朔が本気を出すぞ!
綺麗!
さっきホテルも良かったって書いたけど、陽朔は本当にこの旅でとても楽しい記憶が多い場所。
夏祭りみたいな愉快な雰囲気と電飾の明かりと人の活気が本当に楽しい場所だった。
でも綺麗なだけで終わらないのが中国。
一本道に入ると怪しいクラブが立ち並び妖艶なお姉さん達が踊ってる。
このダンスがまた絶妙に下手くそでやる気がなさそうなのが笑える。
このダンサーのことを1時間以上張り付いてるおっさん軍団もいた。
陽朔まできて何やってんだおっさん…
と若干悲しい気持ちになったぞ。
それから記憶に残ってるのがこれ。
可愛い服着て両手に服着たお姉さんたちがずらりと並んでる。
これ、自分が着てるのと同じ服を売ってるんだよね。
価格は安くてほとんど50元以下。
私も何枚か買ったよ!
本当に歩いてるだけで幸せになれる場所だった。
でも今日、私がまだ中国に来たばかりの頃、書いていた日記帳を読み返していたらこんな記述があった。
毎日とっても大変だけど、
長らく夢見て踏み立った中国という国において私は、ただ呼吸をするだけで無上の幸せを感じることができるのだ。
この心の中の感覚をいつまでたっても忘れぬように過ごしたい。
呼吸をするだけで幸せだったはずの場所なのに、今の私はどうしてしまったのだろうか。
しがらみが増えたからか、飽きてしまったのかどうして不満ばかり溢れるのだろうか。
陽朔を歩いているときに感じていた高揚感や幸せな気持ちを棗庄でも感じていた時はあったのだ。
後半三ヶ月はこの感覚を取り戻せるか否かも大きな課題になるだろうなあと思う。
話を陽朔にもどす。
陽朔で私が結構美味しくて感動したのがこれ。
ココナッツのミルク!
以前殷くんから缶入りのをもらってあまり美味しくなかったからそれからだったんだけど、
道中仲良くなったおっさんに勧められて買って飲んだら本当に美味しかった。
なんでだろ、鮮度がいいからかなあ。
てか。今回こんだけいろんなところにいって、いろんな人に助けられたけどその圧倒的おっさん率よ。
体感的に9.5割おっさん。0.5割おばさんって感じだ。
うううう!すみちゃんもイケメンに窮地を救われたい!
どこに行ったらイケメンに窮地を救ってもらえるんだろう。
因みに、理想のシチュエーションは銃撃戦に巻き込まれてるところに車(日本車)で乱入して来て、
「乗んな!」
ってやつです。
よろしくお願いします。
そんなわけでココナッツミルク片手にホテルに戻って寝て、次の日は桂林へ帰らなければならない。
バス乗り場まで張り切って三キロ歩いて、
三キロ歩いた後で間違ったバス乗り場に着いたと気がついた私は親切なタクシーのおっさんに捕獲されてバス停まで連れて行ってもらった。
しかもバス停に着いたときバスは出発して300メートルくらい走っていたのに、なんか運転手がおっさんの知り合いらしく、おっさんが電話をかけた途端バスが止まって、私はおっさんのタクシーから桂林行きのバスに乗り換えた。
タクシー代はバスの運転手に渡しとけ、と言われた。
地元ネットワークすごいなあ!
と武夷山でも感じだことを再度まざまざと思った。
枣庄に帰ってバックパックについて色々調べたときに、中国というのは世界でも最も旅がしにくい国の一つだと出てきたんだけど、
その理由にインフラ整備が不足しているところや、
公共による説明不足でわかりにくいところを、
地元の人の善意や観光客同士の助け合いで補っているところがとても多い。
中国語さえわかればさして難しくないんだけど、中国語が分からなければこれらの親切に触れることができず完全自力になってしまうところに中国が世界で旅がしにくい場所の一つと言われる理由があると思う。
断言する、今回の旅行で中国人の人たちの数多の助けがなければ私は絶対にやり遂げることはできなかったと思う。
でもその親切や中国人の素敵な優しさも中国語が分からなければ触れることも叶わないのである。
もしも日本の人が、中国の人が泣きたいくらい無条件に、道端で困ってる人に対してそれが誰であろうと親切を投げ出せる素敵な人たちだと知ることができたなら、昨今ネット上に渦巻く嫌中なんて嘘みたいになくなるはずなのに、言語という厚い壁がそれを阻んでしまっているのが残念で仕方がない。
次回からこの日記の舞台は雲南省へと移行していくけど、ここから先私はさらに何度も中国人の優しさに泣かされる羽目になる。
まあそれはまた次回以降の話なんだけどね。
桂林に無事帰り着いて、荷物を置いて外に出るとまた夜だった。
ホテルの周りはテーマパークみたいで散歩してるだけで楽しかった。
この日はふらふら散歩して次の日の出発に備えた。
そう、次回からこの度の終盤雲南省に入るのだ。
トップバッターは昆明!
次回も素敵な冒険をお届けしますよ。
では今日この辺でさようなら。