紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

ラブを失いつつある毎日。

 

ラブが尽きてきてる。

ドキドキする瞬間がない。

帰国してからの毎日はとにかく忙しくて、感受性が死につつある。

 

どんなドラマを見ても面白くない。

音楽を聴いても素晴らしいと思えない。

お笑いを見ても笑えない。

 

暇ができれば明かりを消して眠る。

 

どんどん自分の感受性がふやけてブヨブヨになってつまらない人間になってるのがわかる。

 

そしてその疑惑は今日決定的なものになった。

 

なんとなしに恋愛小説を読んでいながら、

「めんどくせーな」

と呟いてしまったのである。

 

おわり、だ。

 

ちなみにこの時読んでた小説は私が高校の時から好きなエッチ系乙女ノベルである。

大学入ってからも好きで読み直してた。

エッチ系乙女ノベル舐めんな、いい話多いんだよ。

 

とにかくそのエッチ系乙女ノベル読みながら、女の子の感情描写に全く共感できずに、

「怠いな…」

とつぶやいた自分にめまいがした。

 

怖くなって少女漫画を読んだ。

次に口から出てきた言葉は、

「甘えんな」

だった。

 

私は己のラブパワーの枯渇気味に本気で引いてしまった。

 

私は、馬鹿げた少女漫画や恋愛小説に共感してドキドキするのは大切なことだと思う。

なぜなら、ラブパワーがチャージされるからだ。

 

このラブパワーを脳みそに満たしておくと、三次元でラブが襲いかかってきても瞬時に脳みそをラブモードに切り変えて迎え撃つことができる。

 

しかし、ラブパワーが脳内になければ向かってきたラブに気づくことすら出来ない。

 

ラブパワーを失えば失うほど恋愛からとおざかる。

 

おい、今日のブログはえらくスピリチュアルだな、とかおもったお前らも真剣にラブに向き合えよ。

 

最悪死ぬぞ。

 

なぜ私はラブパワーをこうまで枯渇させてしまったのだろうか。

 

まずは疲れ、そして忙しさがあるだろう。

休学中でバイトと就活以外は図書室でESかいたり本読んだりしてる。

 

そして次にあるのが妙なリアリストになってしまったことだ。

私は知っている。

大半の男が何よりもめんどくさいことが嫌いで、他人のために手を煩わせてはくれない。

そのくせに承認欲求を満たしたいから、男より優れてしまえば攻撃対象になる。

満たされることにしか興味がなくて、満たしてやることを極力嫌がる。

これは男だけでなく日本人の持つ共通の病だ。

 

ならば同じ性質を持つもの同士で一緒にいたところで互いに満たされない怒りを抱えてぶつかって傷ついて終わる。

 

そんな恋愛の結末を見続けてきた。

 

そして、悲劇のヒロインぶってキモいと痛いと言われることを覚悟で言う。

 

私は疲れたのだ。

 

かつては恋愛感情など抜きにして幸せにしたい、と真剣に友情を信じた同級にはとんでもない裏切りを受けたし、

「お前面白いよな。お前みたいなやつといれたら人生楽しいわ」と好みの男性に言われて心踊らせてるうちに、その男性がおっぱいが大きくて脳みそが3グラムしかなさそうな女の子と腕を組んで歩いてるのをみて絶望するという惨劇を幾度となく経験した。

 

私は私なりにこれまでの人生、ラブを追い求めて努力してきた。

そして幾度となく失敗し絶望を味わった。

上記に書いたのは書ける範囲、もっとひどい目にもあってきた。

ラブは簡単に捕まる人にとっては落ちてる石を拾うようだが、私にとっては画面の中の花だ。

見えてるのに届かない。

ラブを得ようとラブをばらまいても、楽してラブを得たい妖怪だけを釣り上げて終わった。

 

 

 

男性に、異性に、期待することに疲れた。

 

恋愛ドラマや漫画に出てくる異性は男女問わず虚構だ。

俺だけが気づいてるクラスの隅の美少女も、

私だけに優しくて他の女子をゴミのように扱ってくれるイケメンも、

 

そんなものは全部虚構だ。

 

クラスの隅にいる美少女には彼女なりの問題があるから端っこに追いやられたのだ。

男性諸君が思うほど女子社会は理不尽ではない。彼女たちは案外義理堅く、男子よりも情に熱いときもある。

クラスの真ん中にいるイケメンは敵を作らないから真ん中にいるだけで性格に難があることはない。

性格に難があったとしたらそいつは顔がいいからクラスからの支持は得たとしてもクラスの真ん中にはいないだろうし、そんな人格破綻者が向けるラブには欠陥があるからお花畑ハッピーエンドとはならないだろう。

 

病んだイケメンや美少女を癒したいとももはや思わん。

私の両腕は自分の将来と疲れた自分を抱きしめるだけで精一杯だ。

 

もう疲れたのだ。

 

他者に甘えたいという願望だけが濃縮された恋愛ドラマや映画が、まるで自分の欲望まで映す鏡のようで、腹が立って悲しくて、付き合ってられない。

 

でもこれではダメだと思う。

 

ラブを失った果てに何があるんだ。

人はラブから生まれラブにより死ぬのだ。

ラブを失ったらそれはもはや人ではない。

 

三食食べても満たされないから食べる。

それは体のどこかに満たされない場所があるからだ。

きっとラブが足りてない。

 

ラブは生きる上に不可欠だ。

 

そしてラブを失いつつある私に私の体が生存本能に則って何か物質を体に取り込もうとしてる。

 

でも、私は自分の生存本能に、「そこにラブはないよ」と言いたい。

 

ラブが足りてない。

 

ラブを補填するにはどうすればいいんだろう。

 

明日はクリスマスだけど、私は明日は終日バイトである。

足りないラブを埋めるように餃子に埋もれる。

 

餃子や、ラブになってくれ。

 

サンタさん、ラブをください。

 

溢れるようなラブの暴力で私の脳みそを吸い取って、脳みそが3グラムしかないほどアホな女にしておくれ。

 

おしまい。