ブラックラグーンが好きだ。
なんのことかと思った人もいるだろう。
アニメだ。
東南アジアの架空の都市、ロアナプラを舞台に、様々な人種や組織が己の利益と感情に任せて拳銃と武器を振り回し、暴言を吐き散らかすアニメだ。
主人公は、日本人のサラリーマン。
岡島緑郎。
彼の会社が行なっていた不正をロアナプラのロシアンマフィアに握られた会社は、しらばっくれるために岡島緑郎をロアナプラで捨ててしまう。
彼はラグーン商会という運送屋のボス、ダッチに掛け合い、彼らと行動を共にするようになる。
世界最悪の治安の街と言われるだけあって、その街の運び屋が運ぶものは普通の運送屋とはちょっと違う。
ラグーン商会の用心棒の女ガンマン、レヴィとともに岡島緑郎はロックと名前を変えて生き残るために抗争に身を投じて行く…。
っつー話である。
これが、面白かったんだ。
このアニメが私に与えた影響は2つある。
1.ビビットな暴言
2.海外への憧れ
である。
まず、ビビットな暴言から。
このアニメの中には実に強烈な暴言が登場する。
例えばロシアンマフィアの女ボス、バラライカ様は、裏切り者の男に銃を突きつけて、
「祈れ、生きてる間にお前が出来るのはそれだけだ」
と言い放って弾丸を放つ。
主人公、ロックの相棒レヴィは、
「正義なんてなくても地球は回るんだぜ」
「遅い、遅かったぜ。
私らの行く着く果てなんて、泥の棺桶だけだってのによ。
おまえ、生きようとしたな。」
「うるせえ。
同情が欲しくて言ってんなら、もっと色付けて話をするよ。
要するに人生の刃の上じゃ、大切なことってのはそれくらいしかねえ って話だ。
正常位じゃ誰もイけねえんだよ、ロック。」
と。退廃的に言い放つ。
教会のシスター、エダは、マフィアに追いかけ回されて逃げてきた少女にたいして、めんどくさそうに、
「神は留守だよ、休暇とってベガスにいってる。」
と無慈悲に吐き捨てる。
私は初めてこのアニメを見たときあまりの言葉の刺激にめまいがして本気で倒れた。
こんな切れ味があって、相手に突き刺さる言葉を私は送り出すことはできない。
それは私が人目に憚って口に出せない言葉の弾丸を息をするように吐き出すものたちの姿。
この物語に登場する人物たちのバックグラウンドは実に様々。
会社に捨てられた日本人サラリーマン岡島緑郎。
ハッキングの火遊びが過ぎてFBIを怒らせたベニー。
またソ連の精鋭特殊部隊という超絶エリート集団でありながら、ソ連解体によりなかったことにされ闇に葬られたソ連軍たち。
ルーマニアの独裁者チャウシスクの中絶禁止法によって生まれて、育てきれない親により闇に売られた双子の子供。
日本赤軍の男。
そして全てのカギを握るチャイニーズマフィア。
そのバックグランドにより様々な傷を追いながらも復讐もこの世に存在することも叶わないものたちがロアナプラを舞台に血で血を洗う抗争を繰り広げる。
彼らの暴言や発言がどうして視聴者の胸をえぐり落としに来るかというと、やはり彼らのバックグラウンドからくる切なさだ。
ズタボロの心を銃と暴言で隠して懸命に虚勢を張って生きている。
その上でこそ言葉は力を持つ。
アメリカ軍がテロリストを追いかけてロアナプラに流れ込んだとき、アメリカ軍と鉢合わせる元ソ連軍のロシアンマフィアたち。
東西冷戦の際、アメリカと戦うためだけに鍛え上げられ全てを犠牲に兵士として国に命を捧げる覚悟を固めていたのに母国は彼らを捨てた。
彼らは軍人であることかなわず、母国から遠く離れた東南アジアの小さな町で抗争するマフィアに身を落とした。
そんな自分たちの前に、国に守られ国を背負うことを許されたかつてのライバル米軍たちが現れるのだ。
米軍に対峙し、ロシアンマフィアのボス、バラライカの放つ言葉は何度見ても聞いても切ない。
「…少佐。死人というものはいつまでも生者が羨ましく、妬ましくて堪らない。貴方の部隊と私の部隊のどこに違いが?国だったのですか?時代だったのですか?それとも…思想だったのでしょうか?」
答えのない問いかけを、泣きそうになりながら叫ぶロシアンマフィアの姿は考えれば考えるほど切ない。
自らを死人とまで極端に言い切るからこそ、このセリフは胸を打つ。
そう、ブラックラグーンの魅力とはこの暴言とまで言えるほどの強烈な言葉を絶え間なく打ち込み続けることで、我々視聴者の心に言葉を確実に全力で届けてくるところにあると言える。
そして、これらの暴言は我々の生きるリアルの世界では厨二病だの、痛いだのの一言で片付けられてしまうほどに無力な言葉だ。
その事実の上に成り立つ圧倒的な作品世界と私たちの生きる世界の距離感がこの作品を不可侵領域として固く守っている。
そして、なぜここまでブラックラグーンという作品が私にとって特別なのかというと、2つ目の話に入る。
断言しよう、ブラックラグーンという作品無くして私は中国にはいかなかったと。
東南アジアのどこかにありそうな、絶妙なリアリティをもつ、架空都市ロアナプラ。
それまで海外を意識したことはなかった。
でも、このアニメを見た時、私が今いる日本の外には、こんなぶっ飛んでいて危険な世界があると強烈に自覚したのだ。
そう、このアニメは私と多民族社会の出会いとも言える。
チャイニーズマフィア、ロシアンマフィア、ベトナム戦争の敗残兵、スペイン系貴族、コロンビアマフィア、CIA、ルーマニアの孤児たち、そして日本人サラリーマン。
バックグラウンドも境遇も違うもの達がしのぎを削る世界がこの地球にあることにうっとりした。
ワクワクした。
究極の単一民族国家日本で生きる私にとってこれは物凄い衝撃だった。
それは日本人同士の戦いよりもよっぽどぶっ飛んでて、困難で、無慈悲。
私はそこに自分の身を投げ捨ててみたかった。
銃を握ることは出来なくても、
その圧倒的な競争社会であり生存競争とも言えるロアナプラに、物語の主人公のロックのように身一つで飛び込んでいって自分の居場所を築き上げてみたかった。
強烈に目が覚めた思いだった。
それから、一つ一つブラックラグーンの登場人物のバックグラウンドのモチーフとなった事象を丹念に調べて頭に入れていった。
ロシアンマフィアの悲劇を生んだ、東西冷戦とはなんだったのか。
殺伐としていつも抗争の舞台となる、バー、イエローフラッグの頼もしい店長のバオが戦ったベトナム戦争とはなんだったのか?
ルーマニアの双子を生んだチャウシスクとは何者なのか。
日本政府に指名手配されていて、東南アジアの紛争地帯をさまよう元日本赤軍のタケナカの人生を狂わせた学生運動とはなんだったのか。
世界を知らなかった私にとって、こんな歴史や事象がまだまだ世界にはたくさんある。
私の知らないことはたくさんあったのだ。
一つ一つ知れば知るほどワクワクした。
そして、それが繋がって繋がってその果てに中国があった。
ブラックラグーン見よう、みんな。
きっとあなたの世界が広がる。
そして、貴方を見てる間だけでも別の世界に連れ出してくれる。
麻薬のように貴方の脳みそを支配する。
その麻薬が抜けきらなければ貴方は海を越えることになる。
ブラックラグーンとは私にとってそんなアニメだった。