紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

リベンジ済南!

にーはお。

 

先々週の金曜土曜とHSKに参加するために済南に行ってきた紋浪です。

 

いやー、済南といえば思い出深い場所。

 

6月にみんなで試験を受けに済南に行ったのがもう遠い昔のよう。ほんの4ヶ月前の話なんだけどね。

 

あの頃の私は本当になにもわからず劉ちゃんと張くんと殷くんの背中にくっついて右も左もわからなかったけど、中国横断バックパックやら連続上海就活ツアーやらを経て、成長した自分ならば、きっといけるはずだ!

 

という思いを胸に今回のHSKは1人で頑張っていくことにした。

 

まず、高鉄。

これはもう余裕。

1時間で済南に着くともう夜だった。

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あいも変わらず大きくておしゃれな駅である。

 

ここから宿まではバス。

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外を見ると、おお!渋滞じゃん!

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流石は省都

棗庄とはスケールが違う。

 

そこから歩いたらすぐ宿。

今回こんなところに泊まった。

 

 

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試験前ということでドミトリーではなく個室をとったけどそれでもダブルルームで一泊1200円ちょっと。安い!

 

で、チェックインしたところでそこのドミトリーのお姉さんにとっつかまってしまった。

 

日本が大好きだという日本オタクのお姉さんのマシンガントークに圧倒される私。

次の日は試験だから早く部屋に引っ込もうかと思ってたけど話してたら楽しくて楽しくておしゃべりしてたら、

 

「なに盛り上がってんの?」

 

とヒッピーみたいな編み込みヘアスタイルのお姉さんが話しかけてきた。

 

お姉さんは気のいい人で私と宿のお姉さんにチベット仕入れてきたというミサンガとペンダントをくれた。

 

チベットでいろんな雑貨を仕入れてあちこちに下ろす仕事をしているというお姉さんの話はすごく面白くて、私もいつか絶対にチベットにいこうと思った。

 

その日は結局夜の12時ごろに眠った。

 

次の日は朝の6時に起きた。

 

試験会場の済南大学の近くにホテルが取れなかったので朝早くにバスに乗って行くためである。

 

準備と朝食を済ませて外に出ると、外は寒くて吐いた息が白くなってびっくりしてしまった。

 

 バス停までとことこ歩いていると、タクシーのおばさんが、話しかけてきたのでいくらか聞くと安かったので乗ることにした。

 

前回、 劉ちゃんと済南に来た時はタクシーがとにかく捕まらなくて困ったのが印象深かったので今回はハナからタクシーを諦めてバスに乗るつもりだったのだけど、すんなりタクシーが捕まったのでラッキーだなあ、と思った。

 

 てなことを噛み締めてたらタクシーのおばさんが、

「你是哪里人(どこのひと?)」

と言ってきた。

戦闘開始である。

「外国人です………」

 

私は絶対自分から日本人とは言わない。

それは別に反日怖いとかそういう意味ではなくて、ちょっとでも中国語かじったことある人ならわかると思うけど、

 

「日本人」って発音がとにかく難しくて高確率で伝わらないからである。

 

故に私は極力「外国人」で逃げ切りを測るんだけど、高確率で

 

「哪国的?(どこの国だ?)」

 

とくるので、観念して

 

「日本人!ribenren!」

 

と口を大げさに開けて言い放つとあっさり通じたので拍子抜け。

 

なんだかんだで予定よりもずっと早くに済南大学に着いてしまった。

 

が、ここで大きな問題に直面した。

 

試験会場どけあっとね!(どこだよ)

 

受験票見ても、済南大学としか書いてないよ。

 

まあここで泣いてても仕方がないのでトボトボ歩くことにした。

だいたいhskなんてものは大学の国際系の建物が中文学科で実施されると相場が決まってるのでその辺を当たっていくことにした。

 時間もたっぷりあるし焦らない焦らない、と脳内一休さんになだめてもらってレッツゴー。

 

適当な学生に国際課の建物を教えてもらって歩いて行くとあっけなく見つかった。

 

その建物の中になんとなしに入ってみると白人やら黒人が大勢で溜まっていた。

 

およそ棗庄ではまず見ることのできない光景に愕然とする私ではあったが、これだけ留学生がいるならきっとこの建物でHSKは実施されるはずだと考えた。

 

 というわけでそのへんをうかがいながらちょろちょろしていると、留学生の群れのアフリカ人が話しかけてきた。

 

続いてヨーロッパ系の学生さんも話しかけてくる。

 

彼らに言わせれば、今日は私以外の受験生は全員この学校の学生だから外部の学生を見つけたら教えてあげてね、とのこと。

 

なるほど、受験生のほとんどがこの学校の学生だからこそ横断幕など必要なかったのか。

 

それにしてもアバウトな国。

もしも私が国際科と見当つけて国際科に辿り着かなければ私は留学生に出会えなかったし、

留学生が私に気づいてくれなければ私はHSKの会場がどこかわからなかった。

 

勘弁してくれよ…って感じだ。

 

でも、試験が始まるまで時間があったから、留学生たちといろんな話をした。

 

北京とか上海なんかの大都会に留学している留学生がよくアメリカ人の友達、とかガーナの友達、とか言ってるのが羨ましかった。

 

 遠く離れた国の人と中国語を学ぶ仲間として出会えるなんて素敵なことだなあと思っていたのだ。

 

もちろん自分が今いる大学の韓国人留学生たちはいるが、正直会話になるわけではないので厳しいものがある。

 

 最後に憧れだった国際交流が少しだけできて嬉しかった。

 

それにしても驚いたのが私と話していた人たちはその日4級に参加することになっていたのだけど、4級なのにちゃんとした中国語を話していた。

 

私が4級に合格した頃は全く話せなかったし、もっというなら私の大学の韓国人留学生たちも4級はもってるんだけど全く話せてない。

 

今回HSKが実施された済南大学は中国でも有名な大学なんだけど、やはり有名大学になるとカリキュラムとか教育が違うのかなあ、と思った。

 

で、今回も受験生1人でHSKを受け終わって、

 

タクシーにのって高鉄の駅に向かう。

本当はこの日も済南に泊まって遊ぼうと思っていたんだけど、同居人が11月11日のネットショッピングを一緒にやろうと言ってきたので帰ることにしたのである。

 

まあこれについてはまた今度書くとして。

 

HSKという大きな試験を終えた私はなんだか晴れ晴れとした気分で。

 

4ヶ月前は同居人たちの背中にくっついて何にも出来なかったのに、

今は1人でなんでもできて、大きなトラブルもなく試験を受けにいくことができたし。

 

よかったなあ、としみじみ思った。

 

そしてこの試験の一週間後、私は最後の旅行先の河南省に出かけることになるんだけどそれはまた別のお話。

 

今日はこの辺でおしまい。

 

 

 

 

印象麗江とシャングリラ到着

 

にーはお。

昨日に続き夏の旅行記に区切りをつけるべく頑張る私です。

帰国間近の紋浪です。

 

さて、前回。

 

 

運の良さだけで念願の標高4680メートルを達成した私だったんだけど、この日の私の幸運はこれに止まらなかった。

 

ロープウェイで降りてくると時刻は1時半。

 

目的の4680メートルを突破してウキウキしてた私の目に飛び込んできたのは、

印象麗江という看板。

 

印象麗江、それはここにくる前も電車の駅や、ドミトリーにたくさん宣伝のポスターが貼ってあったから名前を見たことがあった。

 

なんでも少数民族の人たちによる劇らしい。

 

とりあえずなんでも見たい知りたいという気分の私は、受付まで行って公演の時間を聞くと2時からだという。

 

おおお!

 

1日に3度の公演。

なんの下調べもしてなかったのに、今は1時半でバッチリの時間だ。

 

チケットはあるか?

 

と聞くとあるというので、250元と若干高めだけど購入。

 

列に並んで入場を待つことになった。

 

ほどなく入場してみると、まず舞台がすごい!

 

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ちなみにこの写真手前に写ってる掃除のおばさんがいないバージョンもあるんだけど、

 

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思いのほかあっさりした仕上がりになる。

掃除のおばちゃんがいい味出しまくってるよね。

 

注目すべきは奥にそびえる玉龍雪山。

 

この玉龍雪山を背景に添えるために作られた舞台なのである。

 

さて、この印象麗江の監督はなんと、中国映画界屈指の天才张艺谋監督です!

 

日本では、チャン・イーモウという名前で親しまれてる彼の名前を聞いた途端私はもう大興奮。

 

彼が監督してる舞台がまさかこんなところで見られるなんて…とうっとり。

 

うっとりしてるうちに劇が始まった。

 

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写真を撮るのが下手すぎるんだけど、

スモークが出たり、舞台の絶壁を馬が走ったり、いろんな少数民族の衣装を着た人が出てきてとにかく飽きなかった。

 

セリフもほとんどなかったから中国語がわからない人でも楽しめると思う。

 

で、たっぷり感動した後で、

また乗り合いのタクシーに拾われて(懲りない)、宿に帰った。

 

 その日はとにかく昏睡といっても差し支えないほどに深く深く眠った。

 

 そして次の日は大きな荷物をヒイヒイ言いながら運んでバス停に向かったのである。

 

そう、この旅の最後の目的地シャングリラに行くためである。

 

標高3000メートルの街。

チベット族の街。

 

そこにたどり着くには、麗江からはバスで行くしかないのでバス停に向かっていたのである。

 

シャングリラまではバスで4時間ほど。

 

発の高速バスだった私はもうドキドキである。

 

何回も何回も受付で色々聞いて切符を買って、バスのおじさんにも

「これシャングリラいくんだよね??」

としつこく聞いて煙たがられてしまった。

 

まあとにかくシャングリラ行きのバスに揺られて、そのバスでも景色を見ようと思っていたのに、速攻で眠った。

 

で、起きたらそこはもうシャングリラだった。

 

バスから降りて、いつものようにタクシーを拾って宿がある古城まで連れて行ってもらった。

 

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なんだか今までの街とは雰囲気が違う。

 

宿は素敵な場所だった。

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その日は、溜め込んだ洗濯物を洗濯したり、

お土産の整理なんかをしてゆっくり過ごした。
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さて、シャングリラについた私。

 

上海、アモイ、建瓯、武夷山、長沙、張家界、桂林、陽朔、昆明、大理、麗江ときた私の旅行記も大詰めに近づいてまいりましたが今日はこの辺でおしまい。

 

 どうぞもうしばらくおつきあいをお願いいたします。

 

 

 

 

標高4680をめざせ。波乱の玉龍雪山!

にーはお。帰国まで2週間切った私です。

帰国までにちゃんと旅行記をかききろうと決意した紋浪です。

 

さて、遠い昔に書いた前回。

 

 

 

 

麗江にたどり着いた私。

 

さて、麗江での私の目標は玉龍雪山風景名勝区という場所。

 

ここを目指す目的はただ一つ

 

標高4680メートルを体感したい!

以上!

 

バカと煙は高いところに登りたがる、というけど私はバカだから高いところが好きだ。

 

単純だろ?

文句あるか!おおん!!?

 

まあとにかく、そんな軽いノリで私が動くときは大体痛い目にあうのだ。

 

てなわけで、ゆるーく地球の歩き方を読んでゆるーく出かけた私。

 

紅太陽広場とかいうところからバスが出てると書いてあったので目指す。

 

 

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おお!アカだ!

…すいません悪ふざけが過ぎました。

 

で、どっからバス乗れるんだろー、とキョロキョロしてたら愛想のいいおっさんが声をかけてきた。

 

玉龍雪山いくんだろ?乗れよ」

 

乗り合いのバンに客を詰め込んで連れて行く白タクシーである。

 

後一人乗れば発車状態。

 

てなわけで、乗りました。

やめときゃいいのにね!!!!!

 

バンの中にはやっぱり2組の中国人家族がいた。

 

彼らは乗り込んできた私にも話しかけてきてくれて仲良くなった。

 

私たちを乗せたバンは山を登り、どんどん街が遠くなる。

 

もしここで降ろされたら私はどうなるんだろう。

 

などと呆然と考えた。

 

で、そんなこと考えてるうちに白タクのおっさんが

 

「おりろよ」

 

といってきた。

 

まーじで?

ここ山の真ん中ですけど?

 

と思ったけどおっさんにいわせればこのまままっすぐ行けば着くというので渋々歩くことにした。

 

周りはなにもない山道。

 

心細いけどおっさんの言葉を信じてトボトボ歩くこと1時間くらい。

 

断言する。

この1時間は私の中国横断旅行で1番怖かった1時間だった。

だって、すでに標高は3000メートルくらい。

こんなところで迷子になったら私はどうなっちゃうんだろう。

 

ああ、こんなことならちゃんとリサーチしてくるんだった。

ああ、日本のお父さんお母さんそして弟たちよ、お姉さんは遠い異国の高い山で冷たくなって帰国するかもしれませぬ。。。

 

などと考えていたら、大きな門が出てきた。

 

間違いない。

玉龍雪山の入り口の大きな門だった。

 

泣きそうになりながら走っていくと、なんということだ。

 

車でしか入場ができない!!!!

 

そう。

玉龍雪山は入り口は車しか通れないのである。

ゆえにしないでチャーターしたタクシーで行く場合は必ず門まで送ってもらわなければならない。

 

というか、普通は送ってもらえる。

 

つまり、私が乗った乗合タクシーの運転手のおっさんは飛んだ糞爺だったのである。

 

泣きそうになりながら近くを警備してるおっさんのところに行くと、わけがわかってなさそうな外国人の私の身を案じたのか、若いおまわりさんを呼んできて、私の面倒を見るように言った。

 

さながら迷子センターの光景である。

 

お兄さんは次々に入ってくる車に席が空いてるか?と問いかけて、私を乗せてくれる車を探してくれた。

 

で、私はそのお兄さんの後ろでべそをかいていた。

 

なっさけねえなあ!みっともねえ!

 

まあ、なんとか親切な中国人の人たちが車に乗せてくれて私はなんとか玉龍雪山風景名勝区に侵入…間違えた。入場することに成功したのである。

 

どう考えても運だけでのりきっていた。

 

おまわりさんは私が変なところで降ろされたことに怒っていて、私にもちゃんと信用できるタクシーに乗りなさい!

 

と注意していた。

 

私はしょんぼりと、「ごめんなさい…わかりました…」と反省する羽目になった。

 

本当に「旅慣れてきたぜ!私!」とイキリ始めてすぐこれだから神様はよく見てるなあ、と思った。

 

で、玉龍雪山に入ったあとは中国人の人に丁寧にお礼を言って車から降りて兼ねてからの目標だった標高4680メートルにいけるロープウェイを探すことにした。

 

この時の私がなぜこんなに標高4680メートルに至りたかったのかは今なおわからない。

とにかく高揚した気持ちでひたすら標高4680メートルの空気を吸い込むことだけを考えて広い公園の中を歩き回った。

係のおじさんに「4680メートルってどこ?」とトンチンカンな質問をしたけど、おじさんは私を心配して標高4680メートルロープウェイ行きのバスが出るバス停まで私を送ってくれた。

 

私は大喜びでバスに駆け込みロープウェイの乗り場までたどり着いた。

 

そこからチケットを買う前に私は買いだめしていたチョコレートをモサモサと貪った。

 

雲南省の特徴として、とにかくそこらかしこにチョコレートが売ってある。

これには理由があって、標高が高い雲南省では高山病になってしまう人がとても多いという事がある。

そして、この高山病を予防するにはどうすればいいかというと血糖値を上げることが効果的とされていて、その為にチョコレート。

 

というわけである。

 

ゆるーくリサーチした私ですら、玉龍雪山に登る前にはチョコレート大事!

 

という情報をキャッチしていたのでとにかく、これ幸いとばかりにたくさんチョコレートを買って食べた。

 

チョコレートを食べる正当な理由ができる、雲南省は最高だ。

 

で、ぼんやりしてさてチケットでも買おうかなあと思っていたところ、

 

いきなり係員に乗り場に連れていかれてしまった。

まだ酸素ボンベもコートも用意できてないのにあっさりチケットを買わされて待合室へ。

4680メートル。寒いのは良くても酸素ボンベがないなんて絶対無理だ。

 

周りを見回したけど酸素が買えそうな場所はどこにもない。

私は絶望的な思いでロープウェイの順番を待った。

 

と、その時だった。

 

「ちょっとあんた、酸素は?」

 

と大量の酸素を持ったおばさんが話しかけてきた。

酸素売りのおばさんかなあ。

ラッキー。割高でもいいから買おう、と思って、

 

「ないよー。いくら?」

 

と聞いたら、

 

「酸素なくてどうやっていくつもりだったの?!」

 

とすごい剣幕でまくしたてられてしまった。

いやー、勘弁してくれー。買うから、説教はやめてくれよー。

 

と、どんよりしていたら。

 

「はい。」

 

とおばさんは仏頂面で酸素ボンベを押し付けてくるりと私に背を向けた。

 

え?なにこれ。

 

おばさんは家族と思しき人たちの元に戻っていって楽しそうに話している。 

 

え?酸素うりじゃなかった?

ただの心配すぎてたくさん酸素買ってた人だったの?

 

じゃあ、この酸素はおばさんが私のこと遠目に見て心配してくれたものだった?

 

ポロポロと待合室で泣きそうになるのを必死にこらえた。

 

おまわりさん。

車に乗せてくれた中国人家族

バス停のおじさん

酸素のおばさん

 

みんな知らない人。

みんな私のことなんてどうでもいい人。

 

それなのになんでこんなに無条件に優しさを投げ出してくれるんだろう。

 

おばさんがくれた酸素を抱きしめて、ロープウェイに乗って標高4680メートルへ。

 

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徐々に記録雪景色へ変わりゆく風景をぼんやり見ながら、到着!

 

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この日は八月ど真ん中。

真夏なのにみんなレンタルしたこーとをきていてとにかく寒かった。

 

ここを少し登ると頂上の4680メートルに至るんだけど、張り切って登り始めた私はすぐに歩けなくなってしまった。

 

呼吸はできているはずなのに、空気が肺に届いていない感じ。

心臓の音がバクバクといつもの何倍もうるさくて変わった頭に血がのぼる感じ。

 

すぐにおばさんがくれた酸素の封を切って吸い込んで立ち上がって登り始める。

 

ゆっくりゆっくり少し登っては酸素を吸引し、少し登っては酸素を吸引しての繰り返し。

 

頂上にたどり着く頃には酸素も底をつきかけて、私は疲れ果てていた。

 

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頂上には4680メートルの石碑があって、中国国旗がたなびいていてみんな記念撮影をしていた。

調子に乗った私も記念撮影をしたかったけど、一人旅だから自撮りをした。

2枚まで私が頭に掲げてるのはおばさんにもらった酸素ボンベである。

 


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てなわけで標高4680メートルを心ゆくまで堪能した私はロープウェイに乗り込み下まで降りた。

 

下に降りると徐々に体に血が巡り暖かくなっていき呼吸が楽になるのがわかった。

 

よく標高の高い場所出身の人がマラソンが強い、というのを「そんなことあるか?」とイマイチ理解できていなかった私だけど今回わかった。

 

あの標高で普通に生活している人の肺はすごい、と。

 

まあそんなわけで、いろんな人に助けられて謎の願望標高4680メートルに至る、というのを叶えた私の話は今日はここでおしまい。

 

次回で旅行記はいよいよ最終回、シャングリラ編へと移行するよ。

 

またみてね!

 

 

 

 

 

 

 

帰国したらやりたいこと。

 

 最近帰国まで20日を切って、HSKが終わって帰国後のことを考えるようになった。

帰国したらやりたいことがたくさんある。

 

まず、落語

 

やっぱり私は落語が好き。

12月11日には早速卒業公演があるから、大好きな仲間と大好きな落語をやって幸せな時間を過ごしたい。

 

就活

 

中国にいる間にも少しずつはやってたんだけど、せっかく就活生という立場があるわけだからいろんな会社や業界の説明会とか参考に参加したい。

というのも、中国で何社か説明会に参加したんだけどそれがものすごく面白かったのだ。

普段名前知ってるけど何やってるかわからない企業とかできる限り見にいって知ってみたいなあと思ってる。

 

ただ、それとこれとは話が別で就活は怖い。

ここみてる20卒の就活生方がいたら連絡ください。友達になってくれ。

 

バイト

 

大好きな王将バイトに復帰したい。

またホールで王将語を叫びたい。

餃子が焼ける音を聞きながら電話を取りたい。

私が働いてる王将はわりと中国人のお客さんが多かったんだけど、中国語が話せるようになった今ならもっといろいろやれることがあるような気がしてる。

 

 就活が落ち着いたら、中国語を使ったバイトもやりたいし、春節の短期バイトもバリバリ申し込みたい。

せっかく身につけたんだ。

今から元をとってやる。

 

英語

 

以前こんな記事

 

を書いちゃったくらい私は英語が嫌いである。

本当に嫌い。

何回も取り組んで投げ出した。

 

でも、中国に来て中国語を話せるようになって、外国語で会話するのが本当に楽しいことを知って、何か次に外国語をやってみようかなあ…と思った時。

 

あれれ?すでに基礎が出来上がってる外国語があったぞ…!

 

ってなわけででてきたのが英語。

 

やることは中国語と一緒でひたすら音読と単語。

 

音読と、単語。

 

その言葉が中国語をものにするまではすごく嫌いだったけど今はあまりそう感じない。

 

いける。今の私なら英語、いっちゃえるよ!

 

ってなわけで始めることにした。

 

英語を始めようと思った理由はもう一つあって、夏休み中国を旅行してたとき私は

「えっ、ちょっと待って。今中国語話せなかったら私どうなってたん?え?え?え?」

ということが多々あった。

 

わたしは大学在学中に東南アジアを一周したいと思っている。

 

というわけでバックパックに困らない程度の英語力をつけることを直近の目標に頑張ってみたい。

 

実は英語ができないことが大きなコンプレックスになりつつある今。

大学生で時間があって脳みそが若い今のうちに腹くくって潰してしまおうと思ったんだよね。

 

中国語教室に通う!

 

せっかくここまでやってできるようになって楽しくなってきたところの中国語!

ここで終わってたまるか。

孔子学院だけじゃなくて民間のハイレベルな通翻訳のクラスにも参加してみたい。

わたしの中国語の最終目標は社内通訳がこなせるレベル。

HSKは今回か12月に絶対受かるはずだからこれからは多様な分野の単語をたくさん勉強したい。

とはいえ、3月の中国語検定2級には参加したいと思ってるからまだまだ検定ライフは続くんだけどね。

 

中国人の友達を作る!

 

まず、12月8日に殷くんたちに会いに行くことは決まってるんだけど、これから先中国人の友達をたくさんたくさん作っていきたい。

自分と中国をつなぎ続けるためにでもあるし、純粋に中国が好きになっていてもっとたくさんの中国人といろんな話をしてもっと中国のことを知りたい。

 

アラビア語教室に行く

 

三年と少し京都に住んでたんだけど、私の住んでるマンションの近くにモスクがあるらしい。

で、そこで基礎からのアラビア語講座をやってるらしい。

しかもネイティブ教師と日本人教師の2人体制。

授業料もお安い。一年休学したせいで私の友人たちはみなもうすぐ卒業。もともと少なかった友達がさらに減ってほとんどいなくなるということで、何か新しいことを始めてみようと思って行ってみたいと思っている。

中国語を勉強し始めたころ本当に中国のこと何にも知らなかったんだけど勉強すればするほど中国に興味を持ってたくさんのことを知ったし、いろんなものに触れて最後は中国語を使って自分で質問したり会話したりがとても楽しかった。

 

アラビア語もそれ自体を話せるようになるんじゃなくてそれを学ぶことでいろんなことを知れたら楽しいだろうなあとぼんやり思って始めるのである。

だって、アラビア世界って私が1番よくわかってない領域だから。

 

字幕動画を作る

 

中国に来ていろんな中国のコンテンツにふれて、面白いなあって思ったものもたくさん見つけたので、それを紹介するってのをやってみたいなあと思う。

パソコンを勉強したりなんだりで一個は作ってみたい。

 

よしもと新喜劇を見に行く!

 

中国でたくさんたくさん辛いことあったけどその度に私を支え元気付けてくれたのは、よしもと新喜劇

本当に何にも考えずに笑えた。

せっかくお笑いのふるさと、関西に住んでるわけだし、絶対にチケットを買って見に行きたい。

 

落語を見に行く

 

落研だったけど他の部員と比べて全然落語知らないしほとんど見たことないんだけど、落研を引退した今なら他の部員と張り合ったりすることなくのびのび落語を楽しめるような気がするので、いったことのない大阪の常設の寄席やら東京の寄席も見に行きたい。

 

 

てなわけでまだまだやりたいことたくさんあるから、帰国した後もいろんなことに挑戦するしこのブログは続けていくからよかったら末長い付き合いをどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

朋友(ともだち)

 

最近、同居人や生徒たちが棗庄の言葉で早口で何か話してる。

わざと私に聞き取れないように言葉を選んでる。

 

 彼女たちは棗庄の言葉で話せば私が分からないと思ってるみたいだけど、二つか三つ聞き取れてしまう。

 

私は知っている。

 

彼女たちは私の誕生日の相談をしているのだ。

 

なにをあげよう?

なにがよろこぶ?

何か嫌いな食べ物あったっけ?

 

私と付き合った日々のなかで彼女たちはちゃんと私を見ていて、私がなにをよろこぶのか。

一生懸命考えてくれてることに泣きそうになってしまった。

 

私は聞こえないふりをして淡々と洗濯したり、ゴミを捨てたりする。

 

私は大学に入ってからずっと誰かに誕生日を祝われたことはない。

いつも1人でバイトしたり、

ささやかに小さなケーキを買ってきて食べてみたり、

そんな過去三回の誕生日。

 

誰かのために誕生日を祝ったことは沢山あったけど、祝われたことはない。

 

全くない。

 

それを気にしないようにしていたけれど、

やっぱりどこかで傷ついていた。

 

 

誕生日を人に祝ってもらえるのはよっぽど人望がある人で、私と別の種族の人間なんだと思ってた。

 

だから、わざと誕生日に日本に帰らないようにした。

 

そうしたら祝ってもらえないのを友達や自分のせいにせずに中国にいるからと言えるから。

その方が楽だから。

 

私は彼らに誕生日をしっかり教えたことはない。

彼らは授業中に日本語の会話練習に混ぜてそこはかとなく聞き出したようで、私はいつ教えたかは覚えていない。

 

 同居人や生徒たちは最近私をそばに置きたがる。

私が出かけるのを良しとしない。

 

「もうすぐいなくなってしまうから。沢山話そう。沢山一緒にいよう」

 

そうすっぱり言われた。

 

だから、沢山一緒にいろんなものを食べる。

沢山のことを教わる。

いろんな場所に行く。

 

最近外を歩くときはみんなで手を繋いで歩く。

どこへ行く時でも。

なにをする時でも、1人ということはなく誰かと一緒だ。

 

中国に来る前の私には考えられない話だ。

 

もともと私は単独行動が好きで、

誰かと一緒に何かするとか、誰かと過ごすのがとにかく苦手で嫌いな人間だった。

 

でも、中国に来て中国人の家庭に住んで、棗庄に来たら同居人がやってきて否が応でも半径1メートル以内に人がいて。

 そして自分1人では何にもできないから、しょうがなく誰かに頼んで一緒にしてもらって。

何にも分からないから沢山教えてもらった。

 

ある日、なんでも1人で解決しようとする私に同居人たちは本気で怒ったことがあった。

 

「あなたは私たちの友達ではないの?」

 

当時はその言葉が重いと感じて、窮屈だとすら思った。

 

それでも、この国で中国語もままならない私はどんなに1人が好きでも、1人では何にもできなくて結局同居人たちの助けなしでは何もできない。

 

で、最初はしょうがなく同居人や殷くんや張くんに寄りかかり。

後期は王ちゃんや劉くんに甘えた。

 

そしていつの間にか、そばに人がいるのが当たり前になり。

いないと寂しくて退屈だと感じるようになってしまった。

 

最初は五月蝿いとかめんどくさいと思ってたら同居人のおしゃべりも今では楽しくて仕方がなくて、邪魔なときは、

 

「ちょっと口を閉じなさいよ!うるさくて死にそう!」

 

と軽く冗談を飛ばせるようにもなった。

私がそういうと同居人や王ちゃんは笑いながら、

「おしゃべりできないなんて呼吸ができないのと一緒だよー。私たちを殺す気?」

と迎え撃つ。

 

ああ、こんな風になんでも言っていいのか。

 

そう。最近やっとこの近すぎる距離感を心地よいと感じて、好きだと思えるようになった。

 

最近急に寒くなったのに暖房がまだ使えないから寒くてみんなでくっついて座って同じひざ掛けを使って暖をとりながら、教科書を広げても全く勉強せずに、おしゃべりしているとき私は本当に今こうしてるのは自分なのか?

 

と、不思議な気持ちになる。

 

こんな風に女の子とべったり仲良くするのは自分には無理だと思っていたし、

私はものすごく前に女子の中で、生きていくのは無理だと思っていたんだけど。

 

中国で一日中女の子たちと何もかも一緒でも私は何も窮屈と感じないし、人ってこんなに暖いものなんだ、としみじみと感じている。

 

多分、ここが中国で日本とは違う文化である、というのも大きいとは思う。

日本での私と中国での私が違うというのもあると思う。

 

でもそれを差っ引いたとしても、

私は今までの人生でこれほどまでに他者に大切に扱われたことはなかった。

 

だから、最近あまりにみんながよくしてくれるから、堪り兼ねて

「なんでそんなによくしてくれるの。

みんながどんなに私のこと助けてくれても私は何にも返せないよ。」

と言ったことがあった。

そうしたら、

「まだそんなこと言ってんの?友達じゃん。返す返さないそんな計算すら必要ないの。友達なんだから。」

とあっさり切り捨てられてしまった。

 

本当によかった。

人とのつながりの中で人に助けられながら生きていたこの棗庄での日々は本当に本当に暖かくて、一瞬たりとて寂しくなかった。

 

そりゃ、言葉に不自由したときだってあったけど、彼らとのつながりが深くなればなるほど、お礼が言いたい、言いたいこと言いたい、冗談を言いたい、もっとみんなのことが知りたい。

欲が出てきて。

その欲に任せて私は惜しみないエネルギーを中国語に注いでこれたし。

 

 彼らは私の拙い中国語をちゃんと待ってくれた。

 

本当に心から彼らのことが大好きで、

彼らといる一瞬一瞬が私にとっては本当に大切だった。

 

でも、私は本当は彼らに誕生日を祝って欲しくない。

 

だって相談を盗み聞きしただけでこんなに胸がいっぱいになって泣いてしまいそうになってしまうのに。

 棗庄での最後の日に、そんなことされたら私は多分涙が止まらなくて、またみんなに

「あんたは本当に泣くのが好きだな!」

って笑われてしまうだろうから。

 

日本には帰りたい。

帰らなきゃならない。

 

でも、やっと出会えた友達にさよならしなきゃならないのだけは、やっぱり嫌だ。

 

大声で泣きながら嫌だ!って叫びたい。

 

それくらい嫌だ。

 

そんなことを考えてたら今日、殷くんから電話がかかってきた。

 

神戸での状況のこととか、日本語の話をした。

殷くんは少し痩せていて、張くんは相変わらず元気そうだった。

 

「せんせーい、早く帰ってきてー。そして僕たちの学校に遊びにきてー!困ったことたくさん!」

 

と言う殷くんの声を聞いて、なんだかホッとした。

 

そうか、帰ったら殷くんがいるのか。

 

そして、4月には劉ちゃん、王ちゃん、劉くんがやってくる。

 

そしたら、私は今度はたくさん返すことができる。

 

彼らが遠慮でもしようものなら今度は私が言いたい。

 

「ともだちだろ?当たり前だろ!」

 

と、みんなが棗庄で私に言い放ったように私も大胆不敵にそう言いたい。

 

そうすれば、私たちは日本でも「朋友(ともだち)」でいられるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HSKと後期の中国語の勉強まとめ

 

にーはお。

今日過去の日記をなんとなく読み返してたらこんなのが出てきた。

 

中国に来てすぐの悲壮な思いでどうにもならない中国が相手に呆然としている私の心情が書いてある。

 

さて、HSKまであと4日。

 

このHSKに合格するために今までいろんな努力をしてきた。

それについて今回は書いていこうと思う。

 

まず、7月のHSKで私が驚いたことはとにかく読解の成績が悪いことだった。

5級までは特に対策もなく8割がデフォだった読解。

頼みの綱だった読解がギリギリ5割を割ってしまった。

これはかなりショッキングだった。

 

てなわけで。

後期は全面的に読解強化の勉強をひたすら机に向かって行った。

ちなみに前期はリスニングと発音とスピーキングだった。

 

40本800字程度の長文を買ってきてひたすら精読し全訳していた。

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こんな感じのを単語を調べながら。

おもしろい単語は覚えてすぐに同居人や学生との会話に使うように心がけた。

 

とにかく毎日毎日全訳と単語練習に明け暮れて、先日HSKの6級を解いたところ長文読解の箇所は1問から3問ミスに抑えることができるようになった。

大進歩である。

 

ただ、逆にこれに時間を取りすぎて全くダメだったのが単語である。

HSK6級で1番大事なのは類義語の使い分けである。

だから、

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こんなふうに似た意味の単語の使い分けを丁寧に一つづつ覚えていく。

 

まさに試験勉強!って感じで私は大嫌いなんだけど鼻をつまんでやっている。

 

そして、四字熟語。

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もっと早くに対策本を始めればよかったなあと今は少し後悔している。

 

とにかくハプニング続きだった後期はとにかく勉強がおろそかになっていて今更焦っていて困る。

 

 それから、私がHSK6級の受験勉強でなによりも腹を立ててるのがこれな。

 

これが問題。

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んで、これが解説。

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いいか。よく聞け。

この解説読んで理解できるやつは、そもそもこの問題間違えねーんだよ!わかったか!

 

日本にはあまりHSK6級のいい対策本はないので現地で買ってやってるんだけどこれがなかなかオール中国語か、英語なので解説や説明を読むだけでも一苦労で体力を使う。

 

でも、ひとつひとつやっていく。

3月途方に暮れていた自分が、こんなこと意味あるのかなあ、と思いながら少しずつ積み上げてきたから今の私があるわけで。

 

HSKに合格したあとだって私の戦いは続いていく。

 

帰国して就活が終わったら、通翻訳のスクールに通おうと考えているのだ。

そこでさらに専門的で高度な中国語に触れて自分の中国語を伸ばしていきたい。

だから、HSK6級は私にとって上級への入り口であって絶対に通らなければならないんだぞ。(自分に言い聞かせている。)

 

中国語は、大学の専門でもないし。

私にとって必要な言語でもない。

 

私が私の意志で始めて、私の希望でここまできたのだ。

多分だからこそ、ここまで来れたんだと思う。

 

3月、どうなるのかなあ、と途方に暮れてた私もきっと今の私を見たら、大満足とはいかなくともちょっとは安心してくれるんじゃないかなあ、と思っている。

 

 とりあえずなんとか今回及第点を取って、勢いつけてジャンプしたい。

 

てなわけであと4日で過去問あと5回分を解いて直して頑張って済南で試験に参加してまいります。

 

 

 

 

 

 

 

 

サヨナラ梅くん

 

にーはお。

私です、紋浪です。

 

先日、こんな記事書いて爽やかに平和な日々が戻ったことをかみしめていたんだけど、

 

そんなこと言ってるそばからその次の日には私が棗庄に来て史上最大の事件が起きた。

 

勿体つけずに簡潔にいうわ。

 

梅くんが劉ちゃんを殴った。

 

もともとこの2人は折り合いが悪かった。

 

 

でもまあ、ふつーに仲が悪いくらいで殴り合いをするほどではなかったのだ。

 

じゃあなぜこんな事件が起きてしまったのか。

 

それを今から書いていくから読んでね。

下手なホラーより怖いから。

 

まず、事の始まりはこの日、

 

ボスと劉ちゃんと劉パパたちとご飯を食べにいった時のこと。

 

ボスと趙さんは私と劉ちゃんにしきりに梅くんの様子を聞きたがった。

 

だから、私らは正直に言ったのだ。

 

梅くんの素行は決して良くない。

授業中眠るし。

スマホで遊ぶし。

問題を出したら答えを見るし。

 

でも。私はもうそれでいいと思った。

梅くんは私に対する態度はいいし、なすくんのように私を罵ることもなければ、

授業にもまあまあちゃんと参加している。

 

課題の出来も悪くない。

まあ、これも自動翻訳機や答案をこっそり見ていることはわかってるんだけどさ。

 

てなけで。

それらのことをひとしきり報告した後、

 

「いやー。不真面目なことも多いですから、ちょっと先生ちゃんと話をしてもらえませんか?

このままでは試験には通らないと思うし、ちょっと心配ですよー」

 

と言った。

 

で、それから1週間後の事件当日。

梅くんはいつものように私の部屋にやってきていつものように授業を受けた。

私はいつものように授業をしてそのあといつものように教室から出て散歩に行った。

 

私の学生はいつも授業を終えたらトランプやウノなどのカードゲームで遊ぶ。

 

梅くんはカードゲームが嫌いだからあまり参加しないんだけど、その日はなぜか進んで参加。

私はなんだかみんな仲良くゲームをやっていてすごく嬉しかった。

 

しかし、散歩から帰ってくると顔から血を流した劉ちゃんが王ちゃんと一緒に呆然と部屋に座り込んでいた。

 

「先生、梅くんが私を打ったのよ。」

 

思考が停止した。

 

「ほんとです。」

 

と王ちゃんが付け足すように言って、

私の目の前は真っ暗になった。

 

劉ちゃんはすでにお父さんに電話していたらしくお父さんからの着信が止まらない。

 

劉ちゃんのお父さんは娘を溺愛していて

「一回も殴ったことなどなかったのに…!」

 

とわけのわからなくなるほど怒っているようだ。

 

そしてその数分後には梅くんが梅くんのお母さんと一緒に駆け込んできた。

 

ひたすら謝る梅くんのお母さんは、息子の梅くんにも謝るように言ったけど、梅くんは

「てめーを殴った時歯にあたったから俺の手が痛てーんだよ。てめーこそ謝れや」

と言い放った。

 

清々しいほどのクズっぷりに私は目眩がしてきた。

そしてそれだけ言いすてると梅くんはさっさと外に出て行った。

 

私は己の人を見る目のなさを呪った。

劉ちゃんはとにかく梅くんが来た時から、あの子はおかしい。と言い続けてきたのだ。

そして梅くんは特に女性に対する態度がひどいらしく、王ちゃんにも無礼なことをたくさん言っていたらしい。

ただ、私に対する態度は私が先生だからとにかく良くて。

そして梅くんが小声や早口で彼女たちに対していう無礼な言い草は、私には聞き取れないし意味も分からなかった。

 

だから、とにかく分からなくて。

 

劉ちゃんの話をずっと信じなかったのである。

 

その結果梅くんは劉ちゃんを殴り。

 

劉ちゃんが正しかったことが1番悪い方法で証明されてしまったのである。

 

王ちゃんはいつも5時に帰るのに、

今日は梅くんと梅くんのお母さんと、

劉ちゃんと劉ちゃんのパパという冷静でない中国人に囲まれたら先生(私)が辛いだろう、

と気を遣ってそばにいてくれた。

 

そうこうしてるうちにボスから電話がかかってきてだいたいことの顛末がわかった。

 

梅くんが劉ちゃん殴って暴言を吐き捨てて逃走

劉ちゃんがパパに電話

パパがキレまくってボスに電話

ボスが梅ママに電話

梅ママ来る

 

事件が起きた10分前にボスは高鉄に乗り込んだらしく、ボスも自分のタイミングの悪さを呪っていた。

 

ボスの声は明らかに疲れていた。

 

王ちゃんに聞いたところによると、劉パパの怒りは相当らしく、不審な学生(梅くん)を連れてきて娘の部屋で勉強させていたことに怒っていて、

「俺の満足する結果を提示しなけりゃ、二度と棗庄の土を踏ませねーかんな!」

と言い放ったらしい。

 

故にボスは高鉄の中でガクガク震えながら劉パパに謝り続けていたらしい。

 

が、私にしてみれば。

 

なんでてめーはこういう肝心な時にいてくれねーんだよ!私にどーしろってんだよ!

 

という気持ちが溢れてきて、

ボロボロに泣き始めてしまった。

 

梅くんはいい子だったんだ。

梅くんは女の子を殴ってそれも顔面を殴ったんだから悪いさ。

でも、梅くんに対する劉ちゃんの態度だってものすごく悪くて仲間はずれにしたりしててかわいそうだったんだ。

殴った方が悪いけど、梅くんだって梅くんなりに頑張っていたんだ。

 

わかったような口を聞いて、

「もう梅くん退学にしたから来ないから安心してねー」

といってるボスに腹が立った。

 

それから劉ちゃんに対する申し訳なさ。

痛かっただろうに。

私が信じてあげて梅くんのこときをつけてたら。

 

宿舎の前にうずくまり電話をしながら泣きじゃくる私をみて、

何を思ったのか通りすがりの中国人カップルが

「きっともっといい男の人が見つかるよ。元気を出して」

と風船をくれた。

 

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…………どうやら失恋したと思ったらしい。

 

私はしゃくりあげながら頷いてお礼を言った。

 

そばから今度は仲のいい食堂のおっさんがやってきて、

私がボスと電話してる隣から、

「どうしたの?大丈夫かい?」

と聞いてきて、ギャーギャー話しかけてきて

ボスに対して

「この子をいじめるんじゃない!この子は外国人で頑張ってるいい子なんだ!」

とヤジを飛ばす。

 

私は泣くわ、おっさんはヤジを飛ばすわでボスはなんだか分からなくなってきてしまっていた。

 

そうこうしてるうちに、劉パパがやってきた。

 

劉パパはいつも優しいのだ。

 

が、その日は恐ろしい顔つきで現れた。

 

「俺も殴ったことない大事な娘を殴ったやつの顔が見たいと思ってきてみたらなんだそのザマはこのクソガキ!」

 

とのっけからぶっぱなす迫力に私のほうはやっと泣き止んだのにまた泣きそうになってしまった。

 

怖いよ。

 

劉パパは私が怖がってるのがわかったのか、部屋から出て話すことにしたらしい。

 

その間私は王ちゃんと一緒に王ちゃんのパパの事務所に行ってしばらく王ちゃんのパパと王ちゃんのパパの同僚と王ちゃんとお話をしていた。

 

劉ちゃんは病院に行って検査を受けることになって、この検査で異常があった場合には梅くんは警察に突き出されることになった。

 

そして、この病院から帰ってきた劉ちゃんの口から私はさらに恐ろしい真相を知らされる羽目になる。

 

「先生、あのね。梅くんは3日前に退学処分になってたんだって。」

 

劉ちゃんに言わせれば、私たちが梅くんの態度の悪さを告発した次の日に、退学処分になってたらしい。

 

電話でボスから、

「授業態度が悪いし周りの学生に悪影響を及ぼすので以後来ないでくれ。留学の斡旋も出来ない」

と言い渡された梅くんは、こう考えた。

 

一度も授業を見にきたことがないボスが、どうして自分の授業態度を知り得たのか。

 

誰が、裏切ったのか。

 

そして、自分と1番関係が悪く、1番ボスと関係の深い劉ちゃんに目をつけたのだ。

 

退学になった3日前。

私や他の学生が自分の退学処分のことを知らないことを確かめた梅くんは、その次の日も平然とした顔で授業にやってきた。

 

虎視眈々と劉ちゃんに復讐する機会を狙って。

 

そして、その日。

劉ちゃんを殴るためにいつものように授業を受けた後、ゲームに参加し、劉ちゃんがおこるように挑発して、劉ちゃんが

 

「あんたさっきから暴言ばっかり吐いてるけど、なんなの?何がしたいの!?」

 

とりゅうちゃんが言った途端。

 

「俺がしたいことはこういうことだ。」

 

と言って顔面を殴った。

 

だからこれは、衝動的とかそういう問題じゃなくて完全なる計画的犯行だったわけだ。

 

その執念に背筋を凍らせる私に劉ちゃんはさらにもう一つ爆弾を投げつけた。

 

梅くんはもともと韓国に一年留学していたのに、韓国で大学に行く前に韓国から舞い戻った。

この辺の事情はここに書いてある。

 

ああ、この記事を書いてるころはこんなことになるなんて夢にも思わなかったぜ…。

 

まあそんなことは置いといて。

 

梅くんが韓国から戻った理由は韓国語の成績不振だと考えていた私たちだったけど、梅くんが韓国から舞い戻った本当の理由は、

 

彼女持ち韓国人に手を出して韓国人の男を怒らせ殴り合いをしてしまい、強制送還になった。

 

というものだった。

 

いや、お前。

まじお前。

 

常習犯かよ。

 

なんだかなあ。

 

てかなんでそんな危なすぎる事故物件をボスは連れてきたんだ?

 

その夜はなんだか疲れ果ててしまって。

特に頭が痛くなってしまった。

こんなに中国語を話した1日はこれまでになかったし、

こんなわけのわからん事件に巻き込まれたこともなかった。

 

その夜私は夢を見た。

6月のある日、劉ちゃんと梅くんと3人で映画を見に行った。

イタリア映画を中国語の字幕で3人で見た。

 

ポップコーンを食べながら、3人しかお客がいない上映だったから、感想を言い合いながら見たんだ。

 

あの時。あの瞬間はもう二度と帰ってこないのだ。

 

関係は切れてしまったんだ。

 

梅くんはわたしが初めて関係を切った中国人となった

梅くんと連絡を取るということは劉ちゃんを裏切ることになる。

なんにせよ彼は無抵抗の女性を殴ったんだから悪いのは間違いないんだし。

劉ちゃんと喧嘩することは、今の立場とかここでの信頼とかそういうの全てを失うことになる。

じゃあ、劉ちゃんと梅くんを天秤にかけた時、圧倒的に私の天秤は劉ちゃんに傾く。

 

 

だから私は大量に送られてくる梅くんの悲痛なwechatに返信はできない。

 

この先、中国でいきていくにせよ、日本で生きていくにせよ、こういうことが何度だってあるんだと思う。

 

それでも、私の天秤は少しだけまだ梅くん側にも傾いているんだ。

 

それはなぜ?

 

それはまだまだ今回書ききれていない後日のこと、梅くんのお家のことが関わってくるんだけど、そろそろ五千文字を超えるから今日はこの辺でサヨナラしましょう。

 

ではではみなさんおやすみなさい。