紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

中国人の適当さと寛大さ

你好你好。

私です。

昼ごはんを食べそびれた今日に限って夕飯が少なくて死にそうになってる私です。

明日朝になったら死ぬほど饅頭を買って貪ろうと思う。

 

ああお腹が空いてしんどいよ。

 

まあそんなこと置いといて。

腹が減ってるから先に食べ物の話するね。

 

今日の少なすぎる夕飯のおかず。

 

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魚肉のスープかと思ったら、

 

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中まさかのゴマの甘いあんこみたいな感じ。

 

そんな大量に食べられるわけなくて、お腹ペコペコ。困った。

 

昨日中国人恐怖症とかいってレストラン入らないとかほざいてたけど、そんなこといってる場合じゃない。

明日絶対私はレストランでラーメン食べるからな。みてろよ。

 

 まあそんなこと置いといて。

 

今日は私に中国に来てから何回めかの大事件が起きた。

 

そもそも最初の予定では1週間北京にいる予定だった。

 

それがなんでこんなにダラダラ北京にいるのかというと、

勤務先の山東省のものすごい片田舎だから二つの重たい重たいスーツケースを持って一人で行くにはあまりに危険ということで職員さんが迎えに来るっていう段取りになってたんだけどこれが遅れてるからいつまでも北京にいないといけなくなったという話。

 

それも、最初は28に迎えに来ることになってて、それが3月2日になって、今日それが4日になるって連絡が来たんだよ。

 

書いてしまえば「あ、そう?」で済まされそうだけど想像してほしい。

 

異国でホームステイしながら、何回も迎えが先延ばしにされてその度にホームステイ先に

 

「すんません、もうすこしいさしてくだせえ」

 

っていうのはすごく怖いし、心細い。

 

ここ、中国に自ら来ることを選んでる身としては、

 

もしもここが日本なら…

 

から始まるタラレバは禁止だし、やるだけ不毛なことだから百害あって一利なしだからやめようと決めてたけど、今日だけは死ぬほどこれをやった。

 

もし日本なら全ての段取りを整えてから予定通りに進めるだろう。

もし日本人相手なら異国にいる私の心情を慮ってなんとしても決められた日に迎えに来てくれるだろう。

 

もし、日本なら。

もし日本人なら?

 

でも、今から私の命も身の振り方も全て勤務先の中国人上司や責任者の手の中にあって、

私がこの国にいる限りは中国式に従うしかない。

 

いくら私が日本式を訴えようとも仕方がないことなのである。

 

 

中国人は適当

中国人は時間を守らない

 

こんな言説は日本には溢れてるけど、端的にいうとこれは正しい。

 

でも、これは別に悪いことだけではなくて恩恵もある。

 

例えば、

「10時から中国語の個人レッスンがあります。

15分以上の遅刻はキャンセルとみなします」

 

という規則があったとき電車を1本のがして20分の大遅刻をしてしまったとき、許してくれるのは高確率で中国人の先生であった。

 

つまり、ここで私をはじめとして日本人が覚えとかないといけないのは彼らは遅刻をするけどかといって日本人の考え方で遅刻を責めないということである。

 

 

故に、ホームステイの家族もどんどん滞在を延長する私に対して、

「ああ、あと1ヶ月くらいいても問題ないよ。」

 

とおおらかに答えてくれた。

 

これは別に社交辞令ではなくて、同居人のイタリア人はここになんと2ヶ月居着いてるらしい。

 

しかも、私が山東省に行く1日前にあと一人ホームステイが来るらしく、部屋が足りないのでは?私はいても大丈夫なのか?

 

と思ったらなんとその時は、マンションの隣の部屋の自分の親戚の家に居候になるらしい。

 

うーん、この柔軟さというか寛大さはすごい。

絶対に日本人にはないなあと思う。

 

というわけで山東省のまだみぬ事務方の人たちの仕事に翻弄されて不安や不満を募らせた私は今日1日で中国、もとい中国式のやり方にだいぶんヘイトを溜めていたけど、それも1日の終わりにホームステイの家族に言われた一言でぶっ飛んだ。

 

延長につぐ延長に「ごめんなさい」の意味の中国語を連発するおばさんとおじさんは、

 

「あなたは自分のお母さんやお父さんの家にいる時そんなにお礼を言ったら謝ったりするの?ここはあなたの北京の家なの。北京に来た時あなたはここに来るのではなく帰って来るのよ。ここはあなたの家。ただいていい場所なのよ?」

 

一つ一つの発せられる中国語を後で受け止めて頭の中で日本語に直して行くにつれてその言葉の意味を噛み締めてやっぱり泣きそうになるのを必死にこらえて何回もありがとうを繰り返した。

 

「あー、またありがとうっていってー」

 

という限りなく優しい笑顔がたまらなく暖かかった。

 

 

 日本には、中国人は適当、中国人は約束を守らない、という言説が流布してる。

 

でも、ここ中国では日本人の頭はコンクリートといわれている。

 

柔軟性や寛大さがない硬い硬いコンクリート

 

手厳しいけど、一連の予定変更にものすごくイライラして見通しの立たない毎日に憤っていた自分のことを思い返すと苦笑いするしかないほど的を得ている。

 

 

 言いたいことは月並みだけどお互い様ということ。

 

日本人の心の中に日本で暮らすうちに知らずの間に育てた日本人としてのはかりやモノサシがあるように、

中国人の心の中にも同じものがある。

 

 

 どちらがいいとは言えないし、今の私はあまりに来て日も浅く知らないことがまだまだたくさんあると思うから大きなことは言えないけど、

 

隣の国で、漢字という文字をはじめとして文化の根元で深く深く繋がってるのにこんなに違うのはなんでなんだろう、と心底不思議に思って今日はおしまい。