数ヶ月前にこんな記事を書いた。
もう疲れたから、
もう嫌だから。
「中華圏とサヨナラしたい」
なんて、そんなことは冗談でも書くべきじゃなかったと今はとても後悔してる。
強制的に突然に、完全に中華圏との縁を物理的に断ち切られてもう三ヶ月が過ぎた。
この三ヶ月の間に、日本で緊急事態宣言だ発動されたり、
社会人としての生活が始まったり、大阪に引っ越したり本当にいろんなことがあった。
だが、私の二つの瞳から涙がこぼれ落ちない日は一日たりとてなかった。
今私は、中華圏に行きたくて行きたくて仕方がない。
香港に、中国に、行きたくて行きたくて毎日地獄の釜の底を這いずり回るような心境だ。
自分を振り返ってみれば、
大学一年生の冬、両親との約束を反故にして台湾に飛び立ち、
この目で中華圏を見て、「私の人生はこれに賭ける」と決めた日から今日まで。
私の中に中華圏はしっかりと根を張り、一番太い樹木となり成長し続けていたのだ。
中華圏を巡っては本当に今までたくさんのことがあった。
私はとにかく元気で、声が大きくて、いつも騒いでいるから
いろんな人からどうしてそんな元気なのか、とか何食べてたらそんなエネルギーが無限に湧いてくるの。
なんて言われることも多かったけど、
その答えを出すとしたらそこには、「中華圏」の三文字しかないのだ。
この三ヶ月本当に苦しんだ。
もう自分の人生から中国や香港は消滅してしまっていて、
この先一生日本で生きていくとしたら、私は残りの人生を生きる意味はあるのだろうか。
私の夢も、
やりたいことも、
会いたい人も、
私の生きる意味の全ては残酷に輝き、海の向こうに取り残されて。
肝心の私自身はその海を越えることは許されない。
ただじっと、毎日大阪の狭い空を睨みつけながら、
政府や専門家の発表に感情の全てを弄ばれている。
時にはこの海に飛び込んで、泳いで行けば誰にバレずにあの場所へ行けてしまうのではないか。
そこで死んだとしても、この先生きる意味なんてないんだから、試してみるのも。。。
なんて冗談みたいなことを本気で海流の動きを眺めながら考えることもある。
なんであんなこと言ってしまったんだろう。
後悔するのはそれだけだ。
中華圏にサヨナラを。
なんて冗談でも絶対に言うべきではなかった。
もうすでに私と中華圏は切ってしまえば生きられないほどに結びついていたのに。
後悔の涙を拭い、部屋の中に目をやると中国語の教材や小説が無残に転がっている。
どんなに発音ができなくても教室に通い。
みんなが飲みにったり食事に行くのに断って家に帰り勉強時間を確保した。
留学ではなくインターンを選び、中国に死にそうになりながら向き合い、
HSK4級は4回落ちて、HSK6級は三回不合格してようやく合格した。
それでも、自分と中華圏のつながりを感じるたびにそれまでの苦労や悲しいことや泣きたいことが全て無になって私のかをはいつも笑っていて溌剌としていたのに。
いっときの感情で。
あんな簡単な感情で「サヨナラしたい」なんて言って。
その言葉が現実になった今、全てを失い抜け殻のようになりながらただ時間が流れ去るのを待っている。
目を閉じれば、色鮮やかに暮らした街や旅した街の喧騒やネオンの彩色、小さな看板全てが
今でも手が届きそうなほど鮮明に鮮やかに蘇る。
私は今本当に、本当にあの場所に行きたい。
再び国境が開き往来がくる日を痛烈な祈り胸に待ち続けている。
もう一度、もう一度。
許される日は近い日に必ずくる。
その時に私はもう一度始まる。
もう二度と、その縁を切らせない。
大好きなものも生きる意味も夢も人も全てを手に入れて、
あの地で根を張って生きていくと決めたのだ。
武漢からこの新型コロナウィルスが始まり、
多くの人から「中国ってどうなの?」「まだ中国が好きなの?」と数多の質問の前に立った。
私の答えは、
「私と中華圏の絆も縁も全て私しか知らず、私と中華圏だけのものだ。
そしてそれがたとえ、未曾有うの パンデミックを引き起こし世界を混乱の底に叩き落とし、
私を絶望の沼に突き落とした新型コロナウィルスであったとしても。
絶対に私と中華圏のその縁を断ち切ることなんてできないのだ。
中国が犯した過ちも。
香港人の苦悩も。
台湾を待ち受ける受難も。
その全てを受け入れて、私は再びあの混沌とした渦の中で生きて行きたいんですよ」
と。
今は毎日涙が止まらない。
でも必ず諦めず、絶対に幸せになってやるんだ中華圏で。
もう二度と、サヨナラなんて言わない。
次に会える瞬間には私は全てを投げ出して
「久しぶりです。愛しています。これからの人生全部、よろしくお願いします」
って、笑ってやると決めている。
諦めない。
まだ頑張れる。
頑張るから、どうかこの場所で一生を過ごしたいと。
そんな思いを込めて今日はおやすみなさい。