にーはお。
今宵もバブ(冬季限定すだちの香り)の香りに包まれる風呂場でこれを書いている。
帰国してからというもの就活とその準備に追いかけ回されていて、本当に毎日が単調だ。
そんな退屈な私だけど、今日一番の事件は父親から電話がかかってきたことである。
母親とはよく連絡を取る。
LINEの既読も早くてとにかくマメな母親は辛いこととかめんどくさいことがあればすぐギャーギャーと電話してくるし、私もよく電話をかける。
が、父親はダメだ。
これは別にうちの父親が口煩いとか喧嘩になるとかそういうわけではなく、
父親はいつも家の中で私と弟たちや、母の会話をニコニコ聞いてるタイプで会話が得意ではないのだ。
正確にいうと話すのは好きだが、つまらないからいつも話し始めると適当にあしらわれている。
「武田信玄は…」
とうんちくを語りたがるのでよっぽど暇な時以外はあまりみんな真剣に聞いていない。
が、別に邪険に扱われてるわけではない。
我ら家族は我ら家族なりに我が家の大黒柱である父親を尊敬しているし大事にもしているのだ。(多分)
父親の好きなもの。
お酒、ものまね番組、お母さん、私ら子供、そして熊本である。
これと言った趣味もない。
仕事が休みなら、ゴミを捨てたり、トイレや風呂場を掃除している。
綺麗になったら家族に見せびらかす。
それが終わったら、亡き父の両親の家に行って草を抜いたり手入れをしたりする。
彼の毎日は静かで楽しくて忙しくて平凡だ。
我ら三人兄弟が小さかった頃は、毎週週末必ず自転車にみんなを乗せて、湖や動物園やプールや山登りに連れて行ってくれた。
三人ともいまでも覚えている。
スーツを着こなして海外を飛び回るようなかっこいい姿は見せてくれないけど凪のように穏やかでいつもご機嫌だ。
京都で大学に進学して実家を離れると劇的に父親との会話は減った。
電話は苦手らしくすぐに切ってしまうし、
仕事は忙しく京都にはなかなか来れない。
そんな父親と人生最大に揉めたのは中国渡航のことだった。
遠い昔彼の学生時代の同級生が中国に公衆衛生の仕事に出張した後、癌でボロボロになって死んだ話を父は必死に何度も私にした。
「台湾はどがんね?」
「世界の共通語はやっぱり英語ばい。すみちゃんアメリカとかカナダじゃいかんとね?」
「シンガポールでは英語も喋るばってん中国語も喋らすらしいけん。シンガポールはどがんね?」
生まれてこのかた熊本から出たことがほとんどない父にとって海外は未知の世界で、中国なんて想像もしたくない世界だったのだろう。
必死に一生懸命調べながら喋ってる父の熊本弁を聞いていたらなんだか泣きそうだった。
なんで泣きそうになったかはわからないけど。
父のこだわりの一つに食育があって、職業柄健康にうるさい父親は徹底して我ら家族の口に中国産を入れないように頑張っていた。
だから我ら兄弟とが風邪をひいたとき食べる桃缶は中国産の100円のものではなく国産の400円もする桃缶だった。
進路も部活もやりたいことを尊重してくれたけどそこだけは父親にとって譲れないものだった。
私の中国行きはそんな父親のこだわりを真っ向からぶった切りに行くものだったのだ。
が、私は父の制止を無視して中国に行った。
父には私が熊本を出てからというもの、口癖にしている言葉がある。
「かえってきなっせ。」
である。
帰っておいで、という意味である。
辛いことがあり泣きながら実家に電話をかけると、喋る母親の横で
「そぎゃん辛かったとだら、さっさと帰ってきなっせ。パパァ待っとるばい。」
そんなに辛いのならさっさと帰っておいでよ。パパは待ってるよ。
この言葉が出るともうダメだ。
帰りたくて帰りたくてしょうがなくなる。
中国にいた時もこの「かえってきなっせ」を何回かやられてワンワン泣いたものであった。
そう。
父親は昨日も今日も明日もずっと熊本で毎日毎日を過ごしながら私たち家族の家を、私たち家族の帰る家にしているのだ。
だから、ふと寂しくなっても父が今日も熊本で楽しく生活をしていることを考えるとなんだか笑いだしたくなる気持ちになるのである。
そんな父親が最近YouTubeを覚えたらしく、おすすめの動画を家族に見せて喜んでるらしい。
ものまね番組とか昭和歌謡を見ながら晩酌をしているという。
で、母親からこんなラインが来たのだ。
どうやら父は動画のURLをLINEで共有する事は出来ないようだ。
母親が感想を送れと言っているということは多分父親が感想を聞きたくて母親の隣で待っているのだろう。
父親にラインで感想を送ってみた。
そしたら電話がかかってきた。
どうやらスマホ入力が苦手らしい。
就活のことを心配しているらしいが母親の心配とはまた質が違っている。
母親の場合は、
「あんた!どこどこ受けるって言ってたけど締め切り大丈夫なの?」
「そんなあちこち行く予定立ててるけど交通費は足りるの?」
などと具体的なんだけど、父は違う。
「あんまきつかとかァやめなっせよ。」
(あまりしんどいところはやめておきなよ)
「給料高か安かは大事じゃなかばい。やり甲斐ある仕事ばせんちゃならん。」
(給料が安いか高いかは大事じゃないよ。やり甲斐のある仕事をしなきゃダメだよ。)
「でも、お金稼がな暮らしていけんけんね。」
「金のことは心配せんちゃよか!女の子は結婚して子供産んで仕事はそん次でよかとよ。」
(お金のことは心配しなくていいよ。女の子は結婚して子供産んで仕事はその次でいいんだよ。)
若干時代錯誤なところはあるけれど、父親の心配はやはりいつも体のことである。
「すみちゃん、勉強ばせないかんけんね。
自分のために時間ば全部使えるとは今だけばい。パパすみちゃんに英語ば勉強してほしか。
英語ができっとはやっぱよかばい。」
(すみちゃん、勉強しないといけないよ。
自分のために時間を使えるのはいまだけだよ。
パパはすみちゃんに英語を勉強してほしいなあ。英語ができるのはやっぱりいいよ。)
嬉しそうにそんな話をしている。
子供が英語が話せるようになるのは長らく父親の憧れだった。
何をトチ狂ったのか彼の娘は中国に夢中になってしまったけれど。
故に最近ちょっとだけ英語を勉強している。
嬉しそうな声でそう言われるとなんだか喋れるようになりたくなってしまった。
電話を切る前にいつもの台詞。
「いつでん帰ってきなっせね。パパ待っとるばい。」
(いつでも帰っておいでね。パパは待ってるよ)
12月25日に帰省する。
父親に会うのは半年ぶりである。
30日には弟も帰省して、久しぶりに家族5人が揃う。
父親はひどくそれを楽しみにしていて、河豚か蟹かの大騒ぎらしい。
かえってきなっせ。
かえってきなっせ。
私が熊本弁を話すのは、熊本弁が父の言葉だからである。
私を育てた熊本の言葉。
日本、そして世界のどこにいても熊本弁を口に出せば父がそばにいるように感じていつでも熊本に帰れる気がするのだ。
かえってきなっせ。
父が元気にそう言えるうちに、しっかり自立して、胸張って帰省できるように立派な職にありつくために明日も就活を頑張ろうと思う。
なんだか真面目なことを書いてしまった。
こんなに誉めてるのに父は老眼だし、インターネットに疎いからこのブログは父には読めないのである。