紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

電話越しの中国語

 

 中国に行く前と後で変わったことはいっぱいあるけど、一番大きな変化は電話をかけるようになったことだと思う。

 

中国人は電話が好きだ。

というか極度のめんどくさがり屋さんである。

 

その電話好きといったら人様のツイートを引用してしまうのだけど、まさにこんな感じだ。

 

 

このツイートを見たときは100回くらい頷いて首がもげだ。

 

で、もげた首を拾いながら言語パートナーの中国人とwechatしてたら始まったのだ。

 

「可以打给你吗」(電話していい?)

 

中国人は電話が大好きだ。

棗庄にいた頃、私はよく中国人にwechatを教えるとき、

「私は電話無理だよ?聞き取れないんだからね!」

と釘を刺した。

 

が、みんなそれを無視してガンガン電話をかけてくる。

 

それまでなければ何度でもかけてくる。

 

仕方なく、電話を取る。

 

「喂,你好......」(はいもしもし)

 

私は仕方なく電話を取る。

 

「喂你好◯××△…………………」

 

お手上げである。

特に棗庄は方言がきつくて何言ってるのか全くわからない。

 

が、重要な知らせに限って電話で知らせる。

 

勘弁してくれ…………………。

 

私は途方に暮れながら同居人に電話を渡したものだった。

 

しかしまあ、電話をかけるという習慣にはすっかり馴染んだ私は、日本に帰っても打つのがめんどくさくなるとすぐ電話をかけるので日本の友達からは、「今電話は無理だからね!」と釘を刺されるようになってしまった。

 

 とにかくこの電話は中国人とやりとりするなら不可欠で、絶対必要なツール。

 

私はこれを克服できず帰国してしまったので、

これを克服するべくインターネットでランゲージパートナーを募集した。

 

 

どっかの出会い系アプリと酷似したアイコンではあるが、これは外国語を勉強してる人がネイティブと繋がるためのちゃんとした勉強アプリである。

 

帰国して話す機会が極度に減ったのだから、努力しなければあんなしんどい思いをして身につけた中国語はすべて水の泡だ。

 

ここで中国人の言語パートナーを作って何とか毎日中国語を話すようにしようという目論見である。

 

たくさんの人から「你好」とメッセージが来た。

 

 中国人と話すのは中国語以外ではかなり楽である。

 

日本人ならどうしても会話をリードする側に行きがちな私だけど、中国人相手なら最初から最後まで相手のペースに乗っかればいいから楽だ。

 

話題が途切れて黙ることなんてないし、

よく笑いよく怒る彼らと話してると疲れて消耗して死んだ自分の感情が水を得たように働き出す。

 

何回もいろんな人とメッセージのやり取りをして私は結果的に4人のランゲージパートナーに出会うことができた。

 

で、毎日電話をかける。

 

散々中国語はまだ下手だから許してくれーと釘を打って始めたのだけれど、彼らは優しくて根気強く付き合ってくれる。

 

前から思っていたことだけど、中国人の人たちは、中国語を学ぶ外国人にとことん甘い。

 

間違えたり言葉に詰まっても、

 

「你别着急。慢慢说吧,我听得懂。你的汉语很好呀」(あせらなくていいよ。ゆっくり話してよ。聞き取れてるから。君の中国語はすごく上手だよ)

 

の始末である。

 

こ、こんなに優しくされていいのかーーーー!

 

と私は天を仰いだ。

 

発音やら、言い回しを習う。

真似する、覚える。

 

毎日30分から1時間しか話せないから、頑張って準備をする。

 

どうやって話すか参考書を開いて、辞書を引いて、今日会ったことを伝えるために中国語にしていく。

 

 そして毎日の終わりに電話してその日の話をして笑うのだ。

 

毎日こんなに平和で幸せでいいのかなあって感じだ。

 

同級生は卒論やら、引越しの準備やらで忙しいから寂しい毎日だけど、毎日こうやって友達と話せるのはそれがたとえ中国語でも日本語でも嬉しい。

 

そんな中でも私を最もぶち抜いたのは深センの男の子だった。

 

ここで押さえておきたいのは中国人の出生地、どこに戸籍があるかのこだわりである。

日本にも少しあるけど中国の出生地マウントはかなりすごい。

 

何てったってどこ生まれかどこに自分の戸籍があるのかで、子供の入試の難易度、義務教育が受けれるか受けれないかが決まる世界に彼らは生きてる。

 

本地北京人、本地上海人、本地深セン人は結婚相手としても大人気だ。

 

ちなみに本地とは本物、正真正銘の、という意味である。

それらの都市の戸籍を持ちだいたい三代にわたってその地に住んでいるということがポイントである。

 

故にこれらの大都市の男の子は女の子を口説く時にしきりに、

「我是一个本地上海人」

「我是老北京」

などとガンガン自慢する。

 

ちなみにボスは金で北京戸籍を買った。

札束で殴っていくスタイル。三億の家。

 

話を戻す。

 

さてこの深センボーイと出会って深センボーイはすぐに電話をかけたがった。

 

私は「ごめんまじで中国語の発音悪いから、がっかりしないでね!」と念を押して聞き取れるか不安満載でかけたんだけど、とにかく綺麗な普通語を話してくれて本当に聞き取りやすかった。

 

私は男の人の話す中国語が好きだ。

低い声で歌うように重たいアクセントが散りばめられた中国語を自由自在に操って愉快に楽しそうにおしゃべりしてる中国男子を見てるだけでクラクラする。

一種のフェチズムなのかもしれない。

 

ちなみに本日2回目の登場にはなるけれどボスの話す中国語は優雅で軽快で美しい。私の憧れだ。いつかあんな普通語を話せるようになるなら死んでもいい。

 

ちなみに次に好きなのは張くんの話す中国語。

大胆な声調の上がり下がりがすごく男らしい。

張くんは、中国人たちに言わせるととにかく口が上手いらしい。

電話だけで女の子をものにしてしまうレベルで上手いらしい。

それも納得するほどに張くんの語り口調は愉快で元気が出る。

 

殷くんの話す中国語はthe山東男子という感じで、ドスが効いてて早くて滑舌がいい。

性格の良さがにじみ出ている、効いてたら安心する幸せな気持ちになる。

 

 

話を戻す。

 

 

その深センボーイの普通語は綺麗だった。

 

聞き取りやすくて、綺麗。

夏休み福建省の友人の家に遊びに行った時その家族の話す中国語はほとんど聞き取れなかった故に南の中国語に恐怖を持ってる私の不安を打ち砕く、彼の中国語は聞き取れる。

 

そんなある日、いつものように電話で話していた際にいきなり彼がきいたこともない言葉を話し始めた。

 

どうやらレストランからかけてきていたようだ。

 

「ねえねえ!今の何?方言?」

とすかさず聞いてみると、

「ああ、さっきのね中国語じゃなくて僕の母語だよ。」

「ええ?どういうこと?!」

「君は、広東語を知ってる?」

 

広東語!!!!

 

そう、広東語とは中国のごくごく一部の地域と香港でのみ話される言葉。

中国人にとっても全くの外国語らしく聞き取ることができない、文法から中国語とは違う言葉。

 

「僕は深セン人だから、家族や馴染みのレストランとか普段の生活では広東語を使うことが多いよ」

 

ああああああ!

 

広東語を操る深セン人!

中国好きにはたまらない、面白いことの詰まったような人。

 

そして最初から「俺は本地深セン人だぜ!」と言わずにこうやってさらっと出してくるところがスマート!素晴らしい!

 

「あのね!私は広東語を話す人と知り合ったのは初めてだから、よかったらもう少しいろいろ教えてくれる?」

 

というと、彼は快くいろいろ教えてくれた。

 

深センは今あまりにも豊かになって深センに居住する人の90パーセントが外の地方から来た出稼ぎ労働者だという。

 故に広東語を話す深センの人は10パーセントほどしか存在しないらしい。

 

 今まで大都市にはあまり行かずに地方ばかりを旅してきた私。

正直大都会に興味がなかったんだけど…

深センは、夜景が綺麗で中国の経済成長の最先端で独特の空気があるし、広東料理は美味しいし香港も近いから絶対楽しいよ!君は絶対来るべきだよ!深セン人の僕の名誉にかけて後悔はさせないよ!」

と熱烈宣伝されてしまい、

「い….いきてえ!」

と単純な私はついついその気になってしまった。

 

まあてなわけで愉快な深センボーイや台湾男子に中国語を習いながら殷くんや張くんの家に入り浸り、中国語を忘れないように磨きをかけて、就活が終わったらいつでも中国に行ける準備は万端!

 

取り敢えず今年の目標は、深センと香港と台湾とハルビン雪祭りに行くことだよ!

 

 

おやすみなさい。

 

 

「面白い奴」になろうとする大学生へ

 

現代社会はみな笑いに飢えているように思う。

だから、ひな壇に登ってるアイドルの女の子も面白いコメントが求められる。

 

一昔前なら顔が可愛ければ笑ってるだけで許されたというのに生まれる時代が違うだけで求められるものは増える一方でアイドルのみなさんにおかれましてはお疲れ様って感じだ。

 

まあ遠い芸能界のことは置いといて、話題をもっと近くに寄せて話をしよう。

 

物心ついた頃にはすでにどうやら親戚の中ではお姫様の自分が一般社会にぶち込んだら、

「まじブス」

の一言で片付けられるようなランクの女だと気がついた私。

 

 が、諦めの悪い幼き日の私はどうにかして男子のそばにいたかった。

 

結果私が取った路線が「面白い奴」だった。

 

小中高浪人、とこれで生き抜いて、大学時代は落語研究会に入部して、人並み以上に「面白さ」に関しては注力して来たつもりだ。

 

幼稚園は好き嫌いがなくて炭酸飲める奴がモテる。

小学校は足の速い奴がモテる。

中学はヤンキーがモテる。

高校は正統派イケメンがモテる。

 

じゃあ、大学は?

これは独断と偏見に満ちてる超個人的見解なんだけど、多分友達が多いやつがモテる。

顔が広い奴。

 

大学生のモテはコミュ力なのだ。

 

社会人は知らん。

私は社会人やったことねーからな!

そして社会人になった暁にはこんなクソブログやめてインスタに移住してキラキラインスタグラマーになるからな。丸の内OLになって誰かのハートを撃ち抜くんだよ。

そこんとこよろしくな。

 

まあそれは置いといて話を戻す。

 

さて、大学生で交友関係が広い人間は三種類に分かれるように思う。

 

1.意識が高く、様々な団体に所属し、それなりの力量やスキルを持ち、必要に迫られて交友関係が自然に広がってるタイプ

2.美人、イケメン。

若い美形は洋の東西を問わず今も昔も周りがほっとかない。この世は地獄。

3.面白くてフットワークが軽い奴。

 

さて。この三つの中に「俺でもなれそうなの」が混ざってる。

 

これが罠だ。

 

「面白さ」というものは簡単に見えて結構難しいものだと思う。

 何気ないエピソードを笑いに変えていくにはそれなりの話術が必要だし、常に意識しとかないといけない。

なんとなく日々これ面白いなーなどと思ったものを引き出しに入れておいて、

ここぞというタイミングで出してくる。または絶妙に外して出す。

これを呼吸するようにできるやつは天才。

これが出来てないのに面白く感じるやつは神に愛されてる。

少なくとも私はそう思ってる。

 

ここで私が何を言いたいのかというと、凡人が面白くなろうと思ったら相当疲れるし、から回る可能性も高い。

 

で、ここでから回ってるやつは高確率で周りから「痛い」とか「寒い」と言われる。

 

そりゃそうだ。

 

高校時代まで部活の集団のなかで何人かのずば抜けたやつの周りでたむろしてるだけで渡って来た奴にはわからない。

「面白い」は1人勝負。

高校時代中学時代冴えなかった運動部の人柄だけのデブに大学入った途端可愛い彼女ができるのはそのデブの中高の「面白い」ということに費やした時間が芽を出したに過ぎない。

 

話を戻そう。

 

「面白い奴」として大学デビューを夢見た人間というのはなかなか諦めることはできない。

 

小学生で冴えないなら中学デビュー

中学陰キャラなら高校デビュー

高校ダメなら大学デビューがある。

 

が、大学にはその先がないのだ。

 

もう次のデビューはない。

 

学生時代のうちに積もり積もったルサンチマンは学生時代に消してしまいたい。

 

故に大学デビュー戦線は熾烈を極める。

 

だから、みんな簡単に「面白い」を諦められない。

 

人気者になりたい。

認められたい。

 

だからこそフットワーク軽めで交友関係広めれば外見が普通でもチャンスはある。

 

そこで、「面白い」やつになろうとする。

これが女ならやたら姉御キャラなど気取りだすが、これを書くと私の心臓から出血が止まらず出家騒ぎになりそうだから今回はネバーライト。

 

 

が、ここまで持ち上げた「面白い」には裏技がある。

 

「素材の暴力作戦」だ。

 

大学生で落研とか芸人志望の変態でもない限りは「面白い」はカースト確立のための手段に過ぎない。

要は自分の話に食いついてもらうために、

自分に注目してもらうために、

面白い人間になろうとする。

 

で、こんなこと言い始める。

 

「俺、今期2単位しかとれてないんよねー。

授業より競馬の方が面白いんよー。」

 

「東南アジアヒッチハイクしてくるわ」

 

「大学やめようかなあもう。学ぶことねーし。クリエイティブなことがしたい。」

 

大学やめるとか言いだすやつに限っては具体的なプランがない!

ホントにやめるやつはある日突然やめる。そして落語家になる。(実話)

 

とにかく、ぶっ飛んだことをやってみる、言ってみる。

 

だって。素材(話題が)ぶっ飛んでたら別に話術やカリスマなくてもみんな話を聞きたくなるでしょ。

見出しが派手なフェイクニュースと本質は一緒。

 

みんなが聞きたくなるような。

誰かの「なんで」「どうして?」が引き出せるような。

 

そして、ここでうまくいって仕舞えばあとは奈落の底だ。

 

「やばー、お前って本当ヤバいやつだよな。」

「◯◯先輩って本当ぶっとんでますよね。」

「お前は普通じゃないよ」

 

ああ、五臓六腑ならぬ承認欲求に沁み渡るそんな言葉は大学生には甘すぎる。

 

 そして、勘違いが始まる。

 

「自分は周りとは違う、ぶっ飛んでてクールな人間なんだ。」

 

という自意識が生まれる。

そして、さらなる承認欲求を満たすために、もっともっと「やべー」とまわりに言われることをする。

 

そして、その夢に浸ってる束の間の間はみんなからもてはやされて、もしかしたら彼女とかできたりして最高のキャンパスライフが始まる。

 

……が、それも三年の前期が終わるまで。

 

就活の始まりとともに、最高のキャンパスライフは幕を閉じる。

 

今までは、特に何もせずにのんびりだらだらとつまらない生活をしながら(そのように見えている。)同級生がいきなり現実にシビアになる。

 

インターンがどうとか、選考が…TOEICが…と始めるのだ。

 

しかーし!

悲しいかな最高のキャンパスライフを手に入れたあなたは!

友人と同じように現実に生きることができない!

 

 

だってまともになることは、自らのカーストの崩壊を意味するんだから。

 

それで今までサボり倒してた授業なんかにこっそり出てみる。

合同説明会に出てみる。

 

が、授業はわからない、恐ろしいほどつまらない。周りがバカに見える!

合同説明会に行っても企業のおじさまは、特別なはずのあなたに興味を持たない!

 

 

なぜ!自分は特別で優れててぶっとんでてクールな最高にクレバーな人材なはずなのに!

 

 

そして、もとの路線に戻る。

 

パチンコを打ち、東南アジアもしくはインドか台湾に旅に出る。

 

4回生なのに残ってる単位は50単位以上ある。

 

 

オッケー、当たり前のことを言うよ。

 

特別なことだとか、ぶっ飛んだことをするよりも、毎日の授業にコツコツ出て、めんどくさい説明会に通い、日々のタスクをこなしていくほうがよっぽど難しい。

 

私は中国のど田舎で1年間働いたんだから間違いない、どう考えても日本で日々の地味なタスクを片付けながら地道に生活するほうがよっぽどストレスがあるし、つまらないのだ。

 

だが、特別で「面白いやつ」になったあなたにはそれがもうわからないの。

 

だから、私が言うよ。

 

周りの人と闇雲に違うことやったり、アウトローにそれてなれる「特別」は特別じゃない。

 

まわりに消費されてるだけ。

 

飲み会のネタになるから、話の種になるから。

 

あなたの周りの人はあなたが思うよりもずっとずっと大人で賢い。

 

未来とか将来のことを一生懸命考えてる。

 

考えた結果やりたいことを少しずつ諦めてる。

 

でも、そんなときなんでもやりたいことをバカみたいにやってるあなたを見たら、面白いって思うじゃない。

見ていたいと思うじゃない。

 

そう、貴方はどこでも通用する面白くて特別な人間になったんじゃないの。

 

まわりに消費されるためのピエロなのよ。

 

だから、あなたが何もうまくいかず四年の大学生活棒に振ったのに、

その間誰もあなたに警告してくれなかったんじゃないの?

 

一浪一留、そんな悲惨な成れの果てをたくさんたくさん見てきた。

 

だから言いたい。

 

あなたは本当にモテるために大学生活捨てるの?

高校の同級生にむけてツイッターリア充アピールするためにまわりにピエロとして消費されることを選べるの?

 

もう一度考えて欲しい。

踏みとどまって欲しい。

 

 

何もバックパックするなと言いたいわけじゃない。

パチンコするなとも言わない。

大学もまあやめたきゃやめちまえって思うし休学もしたけりゃすればいい。

 

私はバックパックも休学もやった。

 

ただ、それが自分のためなのか自分で選んで自分の人生に必要なのか、幸せは自分で決めようよ。と言うことが私が言いたいことなのだ。

 

自分の幸せは自分で決めなければならない。

自分の人生は自分のものでその一部でも他人に消費されるものであってはならないと思うから。

 

それでもどうしても立ち行かなかくなったら相談してくれ。

Twitter→@sunichanman

 

そして、違ーんだよ。

俺は本当に面白くて聪明(賢い)で話術だけで登っていくんだ。

 

ってひとは、立命館大学落語研究会はいつでも門戸を開いてるので是非扉を叩けばいいんじゃないかな?

 

まあ私は引退したからいねーけどな!

会いたきゃDMくれ。頼む!

 

 

 

 

ちなみに今日からちゃんと毎日更新する。

楽しいこともかくからみんな。見てくれ!

 

 

以上!

 

 

 

 

 

 

 

 

ラブを失いつつある毎日。

 

ラブが尽きてきてる。

ドキドキする瞬間がない。

帰国してからの毎日はとにかく忙しくて、感受性が死につつある。

 

どんなドラマを見ても面白くない。

音楽を聴いても素晴らしいと思えない。

お笑いを見ても笑えない。

 

暇ができれば明かりを消して眠る。

 

どんどん自分の感受性がふやけてブヨブヨになってつまらない人間になってるのがわかる。

 

そしてその疑惑は今日決定的なものになった。

 

なんとなしに恋愛小説を読んでいながら、

「めんどくせーな」

と呟いてしまったのである。

 

おわり、だ。

 

ちなみにこの時読んでた小説は私が高校の時から好きなエッチ系乙女ノベルである。

大学入ってからも好きで読み直してた。

エッチ系乙女ノベル舐めんな、いい話多いんだよ。

 

とにかくそのエッチ系乙女ノベル読みながら、女の子の感情描写に全く共感できずに、

「怠いな…」

とつぶやいた自分にめまいがした。

 

怖くなって少女漫画を読んだ。

次に口から出てきた言葉は、

「甘えんな」

だった。

 

私は己のラブパワーの枯渇気味に本気で引いてしまった。

 

私は、馬鹿げた少女漫画や恋愛小説に共感してドキドキするのは大切なことだと思う。

なぜなら、ラブパワーがチャージされるからだ。

 

このラブパワーを脳みそに満たしておくと、三次元でラブが襲いかかってきても瞬時に脳みそをラブモードに切り変えて迎え撃つことができる。

 

しかし、ラブパワーが脳内になければ向かってきたラブに気づくことすら出来ない。

 

ラブパワーを失えば失うほど恋愛からとおざかる。

 

おい、今日のブログはえらくスピリチュアルだな、とかおもったお前らも真剣にラブに向き合えよ。

 

最悪死ぬぞ。

 

なぜ私はラブパワーをこうまで枯渇させてしまったのだろうか。

 

まずは疲れ、そして忙しさがあるだろう。

休学中でバイトと就活以外は図書室でESかいたり本読んだりしてる。

 

そして次にあるのが妙なリアリストになってしまったことだ。

私は知っている。

大半の男が何よりもめんどくさいことが嫌いで、他人のために手を煩わせてはくれない。

そのくせに承認欲求を満たしたいから、男より優れてしまえば攻撃対象になる。

満たされることにしか興味がなくて、満たしてやることを極力嫌がる。

これは男だけでなく日本人の持つ共通の病だ。

 

ならば同じ性質を持つもの同士で一緒にいたところで互いに満たされない怒りを抱えてぶつかって傷ついて終わる。

 

そんな恋愛の結末を見続けてきた。

 

そして、悲劇のヒロインぶってキモいと痛いと言われることを覚悟で言う。

 

私は疲れたのだ。

 

かつては恋愛感情など抜きにして幸せにしたい、と真剣に友情を信じた同級にはとんでもない裏切りを受けたし、

「お前面白いよな。お前みたいなやつといれたら人生楽しいわ」と好みの男性に言われて心踊らせてるうちに、その男性がおっぱいが大きくて脳みそが3グラムしかなさそうな女の子と腕を組んで歩いてるのをみて絶望するという惨劇を幾度となく経験した。

 

私は私なりにこれまでの人生、ラブを追い求めて努力してきた。

そして幾度となく失敗し絶望を味わった。

上記に書いたのは書ける範囲、もっとひどい目にもあってきた。

ラブは簡単に捕まる人にとっては落ちてる石を拾うようだが、私にとっては画面の中の花だ。

見えてるのに届かない。

ラブを得ようとラブをばらまいても、楽してラブを得たい妖怪だけを釣り上げて終わった。

 

 

 

男性に、異性に、期待することに疲れた。

 

恋愛ドラマや漫画に出てくる異性は男女問わず虚構だ。

俺だけが気づいてるクラスの隅の美少女も、

私だけに優しくて他の女子をゴミのように扱ってくれるイケメンも、

 

そんなものは全部虚構だ。

 

クラスの隅にいる美少女には彼女なりの問題があるから端っこに追いやられたのだ。

男性諸君が思うほど女子社会は理不尽ではない。彼女たちは案外義理堅く、男子よりも情に熱いときもある。

クラスの真ん中にいるイケメンは敵を作らないから真ん中にいるだけで性格に難があることはない。

性格に難があったとしたらそいつは顔がいいからクラスからの支持は得たとしてもクラスの真ん中にはいないだろうし、そんな人格破綻者が向けるラブには欠陥があるからお花畑ハッピーエンドとはならないだろう。

 

病んだイケメンや美少女を癒したいとももはや思わん。

私の両腕は自分の将来と疲れた自分を抱きしめるだけで精一杯だ。

 

もう疲れたのだ。

 

他者に甘えたいという願望だけが濃縮された恋愛ドラマや映画が、まるで自分の欲望まで映す鏡のようで、腹が立って悲しくて、付き合ってられない。

 

でもこれではダメだと思う。

 

ラブを失った果てに何があるんだ。

人はラブから生まれラブにより死ぬのだ。

ラブを失ったらそれはもはや人ではない。

 

三食食べても満たされないから食べる。

それは体のどこかに満たされない場所があるからだ。

きっとラブが足りてない。

 

ラブは生きる上に不可欠だ。

 

そしてラブを失いつつある私に私の体が生存本能に則って何か物質を体に取り込もうとしてる。

 

でも、私は自分の生存本能に、「そこにラブはないよ」と言いたい。

 

ラブが足りてない。

 

ラブを補填するにはどうすればいいんだろう。

 

明日はクリスマスだけど、私は明日は終日バイトである。

足りないラブを埋めるように餃子に埋もれる。

 

餃子や、ラブになってくれ。

 

サンタさん、ラブをください。

 

溢れるようなラブの暴力で私の脳みそを吸い取って、脳みそが3グラムしかないほどアホな女にしておくれ。

 

おしまい。

 

中国旅行のコツ

 

にーはお。

私です。紋浪です。

今日は忙しくてきき湯が買えなかったからまたバブです。

 

最近ブログが面白くなくてごめんなさい。

本当に毎日何にも時間がない。

つまらん。

 

こういうつまらんときこそ溜めてたネタを放出したい。

 

てなわけで今回のお題は、

中国旅行で役に立つテクニック

です!

 

私はインターンしてる間に、17の都市を旅行したんだけど、中国旅行には知っておくと便利なことがたくさんあるよ。

 

てな訳でレッツゴー。

 

アプリ編

 

高鉄というのは中国の新幹線のこと。

この高鉄や、私よくバタバタと文句言いながら乗っていた寝台車

は、基本アプリで予約するよ!

 

ボスみたいな年寄り…間違えた。おじ様は店頭で買うけど、それだと希望の時間は手に入らないことが多いんだね。

 

だいたい乗りたい日から逆算して一週間くらい余裕を持って取ると確実。

ただし中国の連休のときは高鉄はもはや取らないと思った方がいい。

無理。

 

中国旅行するときは大型連休を外しましょう。

 

9月下旬から10月上旬は大型連休ラッシュ。

お気をつけて。

 

話を戻して、ネットでチケットを予約するとき使うのが、ctripというアプリ。

中国語がわからなくても日本語版もあるから便利だよ。

支付宝ある人は支付宝と紐付けして決済できるし、クレジットカードと紐付けも出来るから簡単に使える。

 

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ただ、気をつけなきゃいけないことが一つ。

このアプリ、外国人はバスの予約ができないよ!

色々頑張って調べたけど外国人は今の所バスのチケットは窓口で買うしかないみたいだから、前日に買っておこうね。

 

これも一回私はやらかしてるよ。

 

 

さて電車の切符を予約したら次にやることは、

ホテル。

 

ホテルもさっきのctripで取れるんだけど、ここで気をつけなきゃならないのが、

中国、外国人が泊れるホテルと泊まれないホテルがあるよ。

ってこと。

 

これで私が酷い目にあったのが長沙。

 

 

ctripは基本中国の中国人のためのアプリだから、外国人がとまれるかどうかの判断は出来ない。

 

ここでホテルに電話をかければ一発なんだけど、それも難しいよね。

 

 

で。使うのがbooking com

 

 

これを何にどう違うかというと、

泊まりたいホテルを見つけたらレビューの欄を開く。

 

そしてこのように中国人以外のレビューがあれば、そこは外国人が泊まれるホテルだと判断できるよ!

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さて、ここまできたらとりあえずは旅行できるね!

 

あとは覚えとくといいこと。

 

中国旅行には必ず学生証をもっていこうね

 

なぜかというと、学生証があると大抵の観光施設が半額で入れるという素晴らしい特典があるから。

 

例えば武陵源なんかはチケット260元もする高額だけど、学生証つかうと130元だよ!

 

日本の大学の学生証でOKだから必ずもっていこう。中国の観光地とにかく高いから半額は大きいよ。

 

次。

 

スマホの蓄電器は必須

 

中国、電車の中は高鉄以外基本は充電はできないよ!

長距離かつ長時間の移動でスマホなしはなかなか厳しいから必ず蓄電器を手に入れましょう。

 

ちなみに中国の蓄電器は日本の三分の一の価格で日本よりモノが良いので中国で買うのをお勧めするよ!

 

次。

 

スーツケースよりはバックパックを!

 

スーツケースでもバックパックでも旅行した立場から言う。

断固バックパック

まず両手が空く。

これでスマホで地図見ながら歩ける。

そして、中国の道路は地方都市に行くと舗装がかなり荒いからスーツケースはめちゃくちゃ動きにくい。

さらに、高鉄の駅でさえエスカレーターがなかったりするのでスーツケースだとその度にしんどいけど背中に背負ってしまえるバックパックは動きやすくて最高。

 

バックパックで行くときは必ずカバーをつけましょう。

防犯上とてもいいですし、何より万一チャックが開いて荷物が漏れても簡単に紛失しない。

 

私は1ヶ月のバックパックだったけど、バックパックのサイズは45リットルもあればいいと思う。

 

あとは持って行ったほうがいいものとかはない。サンダルとかは現地で買ったほうが安いから現地で買えばいいと思うけど、

シャワー用なら宿の人に言ってみれば貸してくれる可能性が高いので聞いてみればいいと思う。

 

次。

 

タクシーに乗る。

 

中国語はカタカナで通じる言語ではありません。声調という発音規則を正確にきちんと発音できなければ絶対に通じません。

故にタクシーに乗る際に、片言の中国語なんて言ってもまず連れて行ってもらえないから、どうするかというと、百度地図というアプリを使うよ!

百度地图-路线规划,出行必备

百度地图-路线规划,出行必备

  • Beijing Baidu Netcom Science & Technology Co.,Ltd
  • ナビゲーション
  • 無料

 

これで行きたいところを入力して地図を出してきて運転手さんに見せて連れて行ってもらうのが確実。

中国のお年寄りの運転手さんは老眼だからスマホの画面見てくれないから、出来るだけ若い運転手さんを選ぼうね!

 

 

中国旅行は中国語ができないなら結構難しいけど、ちょっとでも出来るならその中国語を大きく伸ばす大チャンスだよ。

留学中の人、日本で中国語勉強してる人、是非是非中国旅行にチャレンジしてみてね!

 

ではではサヨナラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

かえってきなっせ。

 

にーはお。

今宵もバブ(冬季限定すだちの香り)の香りに包まれる風呂場でこれを書いている。

 

帰国してからというもの就活とその準備に追いかけ回されていて、本当に毎日が単調だ。

 

そんな退屈な私だけど、今日一番の事件は父親から電話がかかってきたことである。

母親とはよく連絡を取る。

LINEの既読も早くてとにかくマメな母親は辛いこととかめんどくさいことがあればすぐギャーギャーと電話してくるし、私もよく電話をかける。

 

 が、父親はダメだ。

 

これは別にうちの父親が口煩いとか喧嘩になるとかそういうわけではなく、

父親はいつも家の中で私と弟たちや、母の会話をニコニコ聞いてるタイプで会話が得意ではないのだ。

正確にいうと話すのは好きだが、つまらないからいつも話し始めると適当にあしらわれている。

 

「そもそも三国志諸葛亮孔明は…」

武田信玄は…」

 

とうんちくを語りたがるのでよっぽど暇な時以外はあまりみんな真剣に聞いていない。

 

が、別に邪険に扱われてるわけではない。

我ら家族は我ら家族なりに我が家の大黒柱である父親を尊敬しているし大事にもしているのだ。(多分)

 

父親の好きなもの。

お酒、ものまね番組、お母さん、私ら子供、そして熊本である。

 

これと言った趣味もない。

仕事が休みなら、ゴミを捨てたり、トイレや風呂場を掃除している。

綺麗になったら家族に見せびらかす。

 

それが終わったら、亡き父の両親の家に行って草を抜いたり手入れをしたりする。

 

彼の毎日は静かで楽しくて忙しくて平凡だ。

 

我ら三人兄弟が小さかった頃は、毎週週末必ず自転車にみんなを乗せて、湖や動物園やプールや山登りに連れて行ってくれた。

 

三人ともいまでも覚えている。

 

スーツを着こなして海外を飛び回るようなかっこいい姿は見せてくれないけど凪のように穏やかでいつもご機嫌だ。

 

京都で大学に進学して実家を離れると劇的に父親との会話は減った。

 

電話は苦手らしくすぐに切ってしまうし、

仕事は忙しく京都にはなかなか来れない。

 

そんな父親と人生最大に揉めたのは中国渡航のことだった。

 

遠い昔彼の学生時代の同級生が中国に公衆衛生の仕事に出張した後、癌でボロボロになって死んだ話を父は必死に何度も私にした。

 

「台湾はどがんね?」

「世界の共通語はやっぱり英語ばい。すみちゃんアメリカとかカナダじゃいかんとね?」

シンガポールでは英語も喋るばってん中国語も喋らすらしいけん。シンガポールはどがんね?」

 

 生まれてこのかた熊本から出たことがほとんどない父にとって海外は未知の世界で、中国なんて想像もしたくない世界だったのだろう。

 必死に一生懸命調べながら喋ってる父の熊本弁を聞いていたらなんだか泣きそうだった。

 なんで泣きそうになったかはわからないけど。

 

父のこだわりの一つに食育があって、職業柄健康にうるさい父親は徹底して我ら家族の口に中国産を入れないように頑張っていた。

だから我ら兄弟とが風邪をひいたとき食べる桃缶は中国産の100円のものではなく国産の400円もする桃缶だった。

 

進路も部活もやりたいことを尊重してくれたけどそこだけは父親にとって譲れないものだった。

 

私の中国行きはそんな父親のこだわりを真っ向からぶった切りに行くものだったのだ。

 

が、私は父の制止を無視して中国に行った。

 

父には私が熊本を出てからというもの、口癖にしている言葉がある。

 

「かえってきなっせ。」

 

である。

 

帰っておいで、という意味である。

 

辛いことがあり泣きながら実家に電話をかけると、喋る母親の横で

 

「そぎゃん辛かったとだら、さっさと帰ってきなっせ。パパァ待っとるばい。」

 

そんなに辛いのならさっさと帰っておいでよ。パパは待ってるよ。

この言葉が出るともうダメだ。

帰りたくて帰りたくてしょうがなくなる。

 

中国にいた時もこの「かえってきなっせ」を何回かやられてワンワン泣いたものであった。

 

そう。

父親は昨日も今日も明日もずっと熊本で毎日毎日を過ごしながら私たち家族の家を、私たち家族の帰る家にしているのだ。

 

だから、ふと寂しくなっても父が今日も熊本で楽しく生活をしていることを考えるとなんだか笑いだしたくなる気持ちになるのである。

 

そんな父親が最近YouTubeを覚えたらしく、おすすめの動画を家族に見せて喜んでるらしい。

 

ものまね番組とか昭和歌謡を見ながら晩酌をしているという。

 

で、母親からこんなラインが来たのだ。

 

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どうやら父は動画のURLをLINEで共有する事は出来ないようだ。

母親が感想を送れと言っているということは多分父親が感想を聞きたくて母親の隣で待っているのだろう。

 

父親にラインで感想を送ってみた。

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そしたら電話がかかってきた。

どうやらスマホ入力が苦手らしい。

 

就活のことを心配しているらしいが母親の心配とはまた質が違っている。

 

母親の場合は、

「あんた!どこどこ受けるって言ってたけど締め切り大丈夫なの?」

「そんなあちこち行く予定立ててるけど交通費は足りるの?」

 

などと具体的なんだけど、父は違う。

 

「あんまきつかとかァやめなっせよ。」

(あまりしんどいところはやめておきなよ)

 

「給料高か安かは大事じゃなかばい。やり甲斐ある仕事ばせんちゃならん。」

(給料が安いか高いかは大事じゃないよ。やり甲斐のある仕事をしなきゃダメだよ。)

 

「でも、お金稼がな暮らしていけんけんね。」

 

「金のことは心配せんちゃよか!女の子は結婚して子供産んで仕事はそん次でよかとよ。」

(お金のことは心配しなくていいよ。女の子は結婚して子供産んで仕事はその次でいいんだよ。)

 

若干時代錯誤なところはあるけれど、父親の心配はやはりいつも体のことである。

 

「すみちゃん、勉強ばせないかんけんね。

自分のために時間ば全部使えるとは今だけばい。パパすみちゃんに英語ば勉強してほしか。

英語ができっとはやっぱよかばい。」

 

(すみちゃん、勉強しないといけないよ。

自分のために時間を使えるのはいまだけだよ。

パパはすみちゃんに英語を勉強してほしいなあ。英語ができるのはやっぱりいいよ。)

 

嬉しそうにそんな話をしている。

 

子供が英語が話せるようになるのは長らく父親の憧れだった。

何をトチ狂ったのか彼の娘は中国に夢中になってしまったけれど。

 

故に最近ちょっとだけ英語を勉強している。

 

嬉しそうな声でそう言われるとなんだか喋れるようになりたくなってしまった。

 

電話を切る前にいつもの台詞。

 

「いつでん帰ってきなっせね。パパ待っとるばい。」

(いつでも帰っておいでね。パパは待ってるよ)

 

12月25日に帰省する。

 

父親に会うのは半年ぶりである。

30日には弟も帰省して、久しぶりに家族5人が揃う。

 

父親はひどくそれを楽しみにしていて、河豚か蟹かの大騒ぎらしい。

 

かえってきなっせ。

 

かえってきなっせ。

 

私が熊本弁を話すのは、熊本弁が父の言葉だからである。

私を育てた熊本の言葉。

日本、そして世界のどこにいても熊本弁を口に出せば父がそばにいるように感じていつでも熊本に帰れる気がするのだ。

 

 

かえってきなっせ。

 

 

父が元気にそう言えるうちに、しっかり自立して、胸張って帰省できるように立派な職にありつくために明日も就活を頑張ろうと思う。

 

 

なんだか真面目なことを書いてしまった。

 

こんなに誉めてるのに父は老眼だし、インターネットに疎いからこのブログは父には読めないのである。

 

 

 

 

HSK6級に合格しました。

 

 

にーはお。

 

突然ですが、

HSK6級に合格しました!

いやー、嬉しい。

 

てなわけで紋浪です。

 

今日は私がHSK6級合格した上で、対策のこととかをかいていきたいと思います。

 

①試験対策について

 

HSK6級は5級までと違って難易度が段違いに上がります。

からしっかり対策を立てましょう。

 

まず、听力

 

これはとにかくつべこべ言ってないで早くから過去問に触れたほうがいい。

といて、スクリプトみて知らない単語があれば調べる。

そして何度も同じ問題を聞き直す。

 

そして、必ずHSKの対策本を読むこと。

 

HSKのリスニングには決まりの型とパターンがあります。

それをしっかり知ることが必要ですよ。

 

例えば、私が1番苦労したのはユーモアとかいう分野でした。

 

男「さっきから僕をみてらっしゃるみたいですなどうされましたか?」

女「いいえその、あなたが私の三番目の夫によく似ているものですから。」

男「ええ?あなたは三回も結婚したことがあるんですか?」

女「いいえ。二回だけよ。」

 

とアナウンスされて、

 

a.女の人は三回結婚したことがあります。

b.女の人は夫がいます

c.男の人は女の人の夫です

d.女の人は男の人と結婚したいです

 

という風なもの。

ユーモアのセンスが根本的に違うし、

この選ぶ時間は5秒ほどしかない。

 

HSKはあくまで検定。

中国にいて中国人と話してりゃ自然に、というのを否定はしないですが、大量に時間がかかるし限られた時間しか中国にいられない留学生や早急に資格が欲しい人には難しいと思う。

 

リスニングは全部で三つのブロックに分かれてるんだけど、第2部はインタビューで普段からニュースなんかを聞いてれば語彙や感覚はカバーできると思う。

3部もいたって普通の問題である。

 

ただ、第1部はユーモアありの雑学ありの中国文化ありの、怒涛に連なる問題でコロコロ話題が変わるから1番練習が必要な箇所だと思う。

 

ちなみに私が使ってたのはこれ。

現地で買った教材だけど、問題の型についてしっかり書いてあって練習問題も豊富でとても良かったと思う。

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そして、阅读

 

すなわち読解な。

これは本当になめたらダメ。

とくに5級まで無対策でやった人たち、あなたですよ!

HSK6級最大の難関はここといっても過言ではないと思っている。

 

さあ今から私は真面目に勉強した人たちがスリッパでタコ殴りにしに来そうなことを言います。

 

いいかよく聞け。

 

病句の問題まるっと捨てろ。ロトだ。

 

読解最初の10問は間違い探し。

四つずつ中国語の短文が並んでて文法上の誤りがあるものを選び出すという方式。

 

最初は真面目に対策しようとしたよ。

 

でもどうにもならんくて中国人の友達たちに解かせたら全員失敗しやがったので諦めることにした。

 

6級の読解はとにかく量が多い。

ここで大量の時間を取られると後半に来る怒涛の読解ラッシュに間に合わない。

そしてその読解ラッシュのほうが点が取れる可能性がよっぽど高いのである。

 

さて、ロトで病句を片付けたら次に何するのかというと、

 

類義語識別である。

 

ここで問われるのは中国語の似た単語を厳密に区別できているか否か。

 

例えば、珍贵宝贵を君は区別ができるかな?

 

これはもう覚えるしかない。

が、類義語事典など使ってたら日が暮れる。

 

対策本をかえ。

私は5.6冊買った。

そしたら覚えなきゃならない単語リスト載ってるからそれをひたすらノートにまとめて頭に叩き込むんだ。

 

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こんな感じな。

多分全部で300くらいだから、頑張れ。

人は死なない。

 

ただ真面目な話、類義語について聞いてくるとき、動詞のはずなのに名詞として使われてる!とか品詞の配置で引っ掛けてくることが多いから普段から品詞分解したり品詞の配置に気をつけて中国語にふれていれば楽だったのかなあ、と私はちょっと後悔をしている。

 

あと単純な長文読解の対策についてはここに書いた。

とにかく量を読むしかない。

このやり方は正しかった。

 

http://tokyosb.hatenablog.com/entry/2018/11/06/023122%20

 

そして、最後が写作

すなわち作文。

 

これに取り組む前に考えて欲しいのは、自分の日本語力についてである。

 

形式としては1000文字程度の長文を配られて30分経ったら回収されて、制限時間以内に400文字に自分の言葉で要約するというものだ。

 

日本語でできるか?

 

というお話。

 

母語でできないことは外国語でもできない。

 

だから最初は、時間とか気にせずとりあえず日本語で要点を書き出して中国語に直すなどして慣れてから時間を計ったりしたらいいと思う。

 

これに関してはとにかくたくさん書いてたくさんネイティブチェックを入れること。

 

私は自分で言うのもなんだけど国語得意だし日本語能力が高いので、文法ミスだけが怖かった。

 

あと、意外と日本人がやらかすミスが漢字間違え。

 

ちゃんと簡体字で書かないと減点対象になるよ。

繁体字簡体字の混合は絶対にダメだよ。

 

 

しっかり漢字の勉強しようね!

 

②参考書

 

HSKに関して5.6級の人は中国に売ってある中国語の本で勉強することをお勧めします。

とくに6級に関しては本土の参考書の方が安価で質が良かったように思います。

この時解説が中国語であるものを選びましょう。

1番わかりやすくてしっくりくることが書いてあるし、なんてったって解説読んでる時ですら中国語で勉強になるじゃないですか。

 

 

最後に。

 

 

最後だから書くけど、どこの語学堂がいいかとか、精神状態とか環境とかそんなの全部関係ないよ!

私がこの試験受ける一週間前と二週間前。

死ぬほどしんどくて大切な試験だとみんなに言ったのに、トラブルはアホみたいに起こるし、みんな私を巻き込むし、本当に辛かった。

 

そして、私のいた場所は学習環境わるくてレベルが低い授業しかなくて6級レベルの授業なんて皆無だった。

 

いい授業もなく、アクシデントの中で劣悪な環境下で参考書と向き合い隙間時間を使って1人でガリガリ頑張って合格したから思う。

 

周りがなんと言おうと、

どこにいようと、

結果を出す奴は出すし、出せない人はいつまでたっても、どんな素晴らしい環境にいてもダメ。

 

待ってても誰も立ち止まってくれないから、

私はでかい声で「6級受けるんだー!ワーワー!」と大騒ぎして作文を添削に持ち込んだし、読解のわからないところを中国人と一緒に考えるように要請したりした。

 

結果が欲しくて、誰もが認める6級と言う肩書きと資格が欲しくて必死だった。

 

HSKを初めて受けたのは二年前。

天津でうけた3級。

 

そのあと4級に3回落ちたこともあった。

 

今回の6級だって2回落ちて3度目の正直だった。

 

人は、結果にしか目を向けないけど、今回の合格を勝ち取るために本当にたくさんの失敗があって大量の受験料を払った。

 

私が大学に入学したころ、周りのたくさんの人が「中国語極める」とか意気込みを語っていた。

 

中国語できたら就活に有利だとか、

中国語できたら下手な資格よりいいとか、

 

いろんな思惑をみんな持ってたけど、

1人2人といなくなっていつのまにか1人になってしまった。

 

続けること。

環境や条件に文句をつけずひたむきに努力出来ること、語学にはそれが1番大切なのだと思います。

 

そして何より何回かの失敗くらいで投げないこと。

 

肩書きとか地位とか権力とか、たくさんの人がそんなものしか見てなくてそんなものを大切にしている世の中に私たちは生きている。

生きていかなければならない。

 

だからこそ、私は肩書きと地位と権力を追い求めて行きますよこれからも。

 

辿った道が地獄でも、、

最後に手にした華やかな結果を誇らしげに掲げる姿だけを他人の目に焼き付けてこれから先も戦っていける、とそんな強い気持ちになれました。

 

検定の勉強はこれにて終了ですがこれから先も私の中国語の勉強は続くし、むしろこれでやっとスタート地点に立てたと思ってるので、しっかり気を抜かずにさらに頑張りたいと思います。

 

それではみなさんさようなら。

 

 

 

 

 

 

中国人民抗日戦争紀念館に行った話

 

にーはお。

私です。

帰国を控えて準備してるものの一向にパッキングが進まず死にそうになってる紋浪です。

 

さてさて、今回のお話は私がバックパックを終えて北京で三日間暇を潰していた頃のお話。

 

46時間に及ぶ大移動を終えてふらふらになって北京について宿に着いた私は死んだように懇々と眠った。

 

宿は素敵なところだった。

 

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こんな感じの、中国の古民家である四合院を改造して作ったというドミトリー。

本当に素晴らしかった。

 

1日目は眠り続けて2日目も死んでいて、3日目にようやく回復したので暇で暇でしょうがない私はどこにいくか考えていた。

 

いや、正確にいうと迷っていたのだ。

 

私は兼ねてから行ってみたい場所があった。

 

その場所の名は、盧溝橋

日中戦争、中国語で抗日戦争開戦の地である。

 

軽い気持ちで行こう行こう、とバックパックを計画していた当初は考えていたが、

旅の間中国人の優しさや温もりに触れるたびに行きたくなくなってきた。

 

この優しさの根元に、この優しさを投げ出してくれた人たちと私の国との血濡れた歴史があることを忘れてなかったことにしてしまいたい。

 

大好きな北京で頤和園とか天安門広場とか万里の長城とか故宮とかそんな大好きな場所だけ抱きしめていたい。

 

同じ北京にある、中国最大の反日施設、中国人民抗日記念館、そんなもの見たくなかった。

 

でも。どうあがいても行かなければならないと思って、緊張した気持ちで地下鉄を乗り継いでバスに乗った。

 

最寄りの駅に着いた時から自分が日本人だとバレないように口をつぐみ足早に歩いてバスに乗り込んだ。

 

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中国人民抗日紀念館、そして盧溝橋につながる大きな門。

 

気のせいか空気が静かでお土産物屋さんには旧日本軍の人形や無数の中国国旗がはためいている。

 

写真を撮るのも忘れて歩いて、歩いていくとどっしりとした博物館にぶつかった。

 

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入っていくと、

 

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犠牲になった人を悼むモニュメントや、


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中国の歴代の指導者たちの日中戦争に対する思いが記されていた。

 

 

そこから先は、写真を撮ることができなかった。

 

とにかく怖かった。

あまりにも残酷な写真や、記述が多すぎて、耐えられなくなった中国人は大きな声で日本人を罵っていたし。

 

泣き出す人もいた。

 

 

本当に悲惨なことが多かった。

 

お母さんを殺されて、それを知らずにお母さんに寄り添う赤ちゃん。

 

暴行された後の女の子の虚ろな顔。

 

ぐちゃぐちゃにされた遺体。

 

書けばきりがなくて。

 

でも、私が1番心に残ったのはこの写真だった。

 

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日中戦争当時、日本での発表を許可されなかった不許可写真である。

 

私が学校で習った時、この写真は日本人捕虜の写真とされていたが、

この資料館では、日本人が上海で中国人を処刑している写真とされていた。

 

多分それが全てだと思う。

 

日中戦争収束の後、中国は国民党と共産党による泥沼の内戦状態から、毛沢東による大躍進政策の失敗、文化大革命と混乱の時代に入ってきちんとした調査がされて蓋がされた歴史、それこそが日中戦争

 

時間が経ちすぎて、もはや何が本当なのか何が嘘なのかわからなくなってしまって悲しみと痛みだけが残ってる。

 

だから、私はこの資料館の全ては信じはしない。

 

だけど、東京大空襲や原爆投下を見る私たちの痛みや恐怖は海の向こうからやってきた存在が自分の国を焼いて沢山の人を殺したというもので。

 

でも場所を変えたら、あの頃の中国人にとっては海の向こうからやってきて自分の国をめちゃくちゃにして大切なものを沢山奪った存在は日本人だったのだ。

 

明日明後日と続いていくと信じていた退屈で でも平和で優しさに満ちた誰かの日常をめちゃくちゃにして心に忘れられない傷を刻み、何もかもを奪い去ったのだ。

 

日本人が来なければ。

続いていった幸せな人々の生活があったのだ。

 

日本人はあの戦争を語る時、

大事な人が死んでしまった話、故郷が燃えた話。

 

その全てを被害者として語るけれど、ここ中国ではその歴史の上で私たちはまぎれもない加害者だった。

 

 

そしてあの戦争は中国では、中国が多大な犠牲を払い満身創痍になりながらも決して諦めず日本を筆頭としたファシズムを打倒した誇り高き勝利の歴史として存在している。

 

そこに存在する圧倒的加害者のファシズム国家こそが、中国人から見た当時の日本なのだ。

そして現在も愛国教育の名の下に脈々と受け継がれる根底にある常識なのだと思った。

 

 

資料館をでて盧溝橋に向かった。

 

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大きな大きな立派な橋をゆっくりゆっくりと渡った。

 

1972年、日中友好条約締結の際当時の中国外交代表の周恩来はこう言った。

 

日本と中国の間に一時的に不幸な時代はあったが、我々両国の間には2000年の友好な歴史があるのだ。それを思えばその時代はほんの一瞬に過ぎないのだから、

 

と。

 

バスに乗り地下鉄に乗り、いろんなことを考えた。

 

 

本当にたくさんの優しい中国人に出会ってきた。

同居人や殷くん張くん、旅行学部のみんなに日本語学科のみんな。ボス、チャンさん。

 

その全ての人をとても遠くに感じた。

 

幸せな夢を見て眠っていたところに冷水を被せられて叩き起こされたみたいな気持ちで。

 

私と彼らの間にいきなり大きな大きな大きな川が現れて、渡ることができないような感覚。

 

それは、この中国生活が終わる間際の今になっても消えない。

 

どうしたらいいんだろう。

 

と、これからも考え続けなきゃならない。

この大きな川をなんとか漕ぎ出し、いったり来たり、沈没したりを繰り返しながら限りなく近づきたい。

 

私は許されたいわけではない。

謝りたいわけでもない。

自国の歴史を恥じて自己嫌悪に陥ってるわけでもない。

 

ただ、中国側のみんなが痛み乗り越えて、こちらに歩み寄ってくれてるのに何も知らずに乗っかるだけな生き方をこの先に絶対にしたくない。

 

私も同じように傷を負って、痛みを知り、両方の川岸からお互い手を伸ばし合うように共に努力をし続ける日本人でありたいのだ。

 

 

そんなことをぐるぐると1人で考え続けた1日だった。