紋浪ちゃんの覚え書き

気になることとか拙い和訳とか

ラブを失いつつある毎日。

 

ラブが尽きてきてる。

ドキドキする瞬間がない。

帰国してからの毎日はとにかく忙しくて、感受性が死につつある。

 

どんなドラマを見ても面白くない。

音楽を聴いても素晴らしいと思えない。

お笑いを見ても笑えない。

 

暇ができれば明かりを消して眠る。

 

どんどん自分の感受性がふやけてブヨブヨになってつまらない人間になってるのがわかる。

 

そしてその疑惑は今日決定的なものになった。

 

なんとなしに恋愛小説を読んでいながら、

「めんどくせーな」

と呟いてしまったのである。

 

おわり、だ。

 

ちなみにこの時読んでた小説は私が高校の時から好きなエッチ系乙女ノベルである。

大学入ってからも好きで読み直してた。

エッチ系乙女ノベル舐めんな、いい話多いんだよ。

 

とにかくそのエッチ系乙女ノベル読みながら、女の子の感情描写に全く共感できずに、

「怠いな…」

とつぶやいた自分にめまいがした。

 

怖くなって少女漫画を読んだ。

次に口から出てきた言葉は、

「甘えんな」

だった。

 

私は己のラブパワーの枯渇気味に本気で引いてしまった。

 

私は、馬鹿げた少女漫画や恋愛小説に共感してドキドキするのは大切なことだと思う。

なぜなら、ラブパワーがチャージされるからだ。

 

このラブパワーを脳みそに満たしておくと、三次元でラブが襲いかかってきても瞬時に脳みそをラブモードに切り変えて迎え撃つことができる。

 

しかし、ラブパワーが脳内になければ向かってきたラブに気づくことすら出来ない。

 

ラブパワーを失えば失うほど恋愛からとおざかる。

 

おい、今日のブログはえらくスピリチュアルだな、とかおもったお前らも真剣にラブに向き合えよ。

 

最悪死ぬぞ。

 

なぜ私はラブパワーをこうまで枯渇させてしまったのだろうか。

 

まずは疲れ、そして忙しさがあるだろう。

休学中でバイトと就活以外は図書室でESかいたり本読んだりしてる。

 

そして次にあるのが妙なリアリストになってしまったことだ。

私は知っている。

大半の男が何よりもめんどくさいことが嫌いで、他人のために手を煩わせてはくれない。

そのくせに承認欲求を満たしたいから、男より優れてしまえば攻撃対象になる。

満たされることにしか興味がなくて、満たしてやることを極力嫌がる。

これは男だけでなく日本人の持つ共通の病だ。

 

ならば同じ性質を持つもの同士で一緒にいたところで互いに満たされない怒りを抱えてぶつかって傷ついて終わる。

 

そんな恋愛の結末を見続けてきた。

 

そして、悲劇のヒロインぶってキモいと痛いと言われることを覚悟で言う。

 

私は疲れたのだ。

 

かつては恋愛感情など抜きにして幸せにしたい、と真剣に友情を信じた同級にはとんでもない裏切りを受けたし、

「お前面白いよな。お前みたいなやつといれたら人生楽しいわ」と好みの男性に言われて心踊らせてるうちに、その男性がおっぱいが大きくて脳みそが3グラムしかなさそうな女の子と腕を組んで歩いてるのをみて絶望するという惨劇を幾度となく経験した。

 

私は私なりにこれまでの人生、ラブを追い求めて努力してきた。

そして幾度となく失敗し絶望を味わった。

上記に書いたのは書ける範囲、もっとひどい目にもあってきた。

ラブは簡単に捕まる人にとっては落ちてる石を拾うようだが、私にとっては画面の中の花だ。

見えてるのに届かない。

ラブを得ようとラブをばらまいても、楽してラブを得たい妖怪だけを釣り上げて終わった。

 

 

 

男性に、異性に、期待することに疲れた。

 

恋愛ドラマや漫画に出てくる異性は男女問わず虚構だ。

俺だけが気づいてるクラスの隅の美少女も、

私だけに優しくて他の女子をゴミのように扱ってくれるイケメンも、

 

そんなものは全部虚構だ。

 

クラスの隅にいる美少女には彼女なりの問題があるから端っこに追いやられたのだ。

男性諸君が思うほど女子社会は理不尽ではない。彼女たちは案外義理堅く、男子よりも情に熱いときもある。

クラスの真ん中にいるイケメンは敵を作らないから真ん中にいるだけで性格に難があることはない。

性格に難があったとしたらそいつは顔がいいからクラスからの支持は得たとしてもクラスの真ん中にはいないだろうし、そんな人格破綻者が向けるラブには欠陥があるからお花畑ハッピーエンドとはならないだろう。

 

病んだイケメンや美少女を癒したいとももはや思わん。

私の両腕は自分の将来と疲れた自分を抱きしめるだけで精一杯だ。

 

もう疲れたのだ。

 

他者に甘えたいという願望だけが濃縮された恋愛ドラマや映画が、まるで自分の欲望まで映す鏡のようで、腹が立って悲しくて、付き合ってられない。

 

でもこれではダメだと思う。

 

ラブを失った果てに何があるんだ。

人はラブから生まれラブにより死ぬのだ。

ラブを失ったらそれはもはや人ではない。

 

三食食べても満たされないから食べる。

それは体のどこかに満たされない場所があるからだ。

きっとラブが足りてない。

 

ラブは生きる上に不可欠だ。

 

そしてラブを失いつつある私に私の体が生存本能に則って何か物質を体に取り込もうとしてる。

 

でも、私は自分の生存本能に、「そこにラブはないよ」と言いたい。

 

ラブが足りてない。

 

ラブを補填するにはどうすればいいんだろう。

 

明日はクリスマスだけど、私は明日は終日バイトである。

足りないラブを埋めるように餃子に埋もれる。

 

餃子や、ラブになってくれ。

 

サンタさん、ラブをください。

 

溢れるようなラブの暴力で私の脳みそを吸い取って、脳みそが3グラムしかないほどアホな女にしておくれ。

 

おしまい。

 

中国旅行のコツ

 

にーはお。

私です。紋浪です。

今日は忙しくてきき湯が買えなかったからまたバブです。

 

最近ブログが面白くなくてごめんなさい。

本当に毎日何にも時間がない。

つまらん。

 

こういうつまらんときこそ溜めてたネタを放出したい。

 

てなわけで今回のお題は、

中国旅行で役に立つテクニック

です!

 

私はインターンしてる間に、17の都市を旅行したんだけど、中国旅行には知っておくと便利なことがたくさんあるよ。

 

てな訳でレッツゴー。

 

アプリ編

 

高鉄というのは中国の新幹線のこと。

この高鉄や、私よくバタバタと文句言いながら乗っていた寝台車

は、基本アプリで予約するよ!

 

ボスみたいな年寄り…間違えた。おじ様は店頭で買うけど、それだと希望の時間は手に入らないことが多いんだね。

 

だいたい乗りたい日から逆算して一週間くらい余裕を持って取ると確実。

ただし中国の連休のときは高鉄はもはや取らないと思った方がいい。

無理。

 

中国旅行するときは大型連休を外しましょう。

 

9月下旬から10月上旬は大型連休ラッシュ。

お気をつけて。

 

話を戻して、ネットでチケットを予約するとき使うのが、ctripというアプリ。

中国語がわからなくても日本語版もあるから便利だよ。

支付宝ある人は支付宝と紐付けして決済できるし、クレジットカードと紐付けも出来るから簡単に使える。

 

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ただ、気をつけなきゃいけないことが一つ。

このアプリ、外国人はバスの予約ができないよ!

色々頑張って調べたけど外国人は今の所バスのチケットは窓口で買うしかないみたいだから、前日に買っておこうね。

 

これも一回私はやらかしてるよ。

 

 

さて電車の切符を予約したら次にやることは、

ホテル。

 

ホテルもさっきのctripで取れるんだけど、ここで気をつけなきゃならないのが、

中国、外国人が泊れるホテルと泊まれないホテルがあるよ。

ってこと。

 

これで私が酷い目にあったのが長沙。

 

 

ctripは基本中国の中国人のためのアプリだから、外国人がとまれるかどうかの判断は出来ない。

 

ここでホテルに電話をかければ一発なんだけど、それも難しいよね。

 

 

で。使うのがbooking com

 

 

これを何にどう違うかというと、

泊まりたいホテルを見つけたらレビューの欄を開く。

 

そしてこのように中国人以外のレビューがあれば、そこは外国人が泊まれるホテルだと判断できるよ!

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さて、ここまできたらとりあえずは旅行できるね!

 

あとは覚えとくといいこと。

 

中国旅行には必ず学生証をもっていこうね

 

なぜかというと、学生証があると大抵の観光施設が半額で入れるという素晴らしい特典があるから。

 

例えば武陵源なんかはチケット260元もする高額だけど、学生証つかうと130元だよ!

 

日本の大学の学生証でOKだから必ずもっていこう。中国の観光地とにかく高いから半額は大きいよ。

 

次。

 

スマホの蓄電器は必須

 

中国、電車の中は高鉄以外基本は充電はできないよ!

長距離かつ長時間の移動でスマホなしはなかなか厳しいから必ず蓄電器を手に入れましょう。

 

ちなみに中国の蓄電器は日本の三分の一の価格で日本よりモノが良いので中国で買うのをお勧めするよ!

 

次。

 

スーツケースよりはバックパックを!

 

スーツケースでもバックパックでも旅行した立場から言う。

断固バックパック

まず両手が空く。

これでスマホで地図見ながら歩ける。

そして、中国の道路は地方都市に行くと舗装がかなり荒いからスーツケースはめちゃくちゃ動きにくい。

さらに、高鉄の駅でさえエスカレーターがなかったりするのでスーツケースだとその度にしんどいけど背中に背負ってしまえるバックパックは動きやすくて最高。

 

バックパックで行くときは必ずカバーをつけましょう。

防犯上とてもいいですし、何より万一チャックが開いて荷物が漏れても簡単に紛失しない。

 

私は1ヶ月のバックパックだったけど、バックパックのサイズは45リットルもあればいいと思う。

 

あとは持って行ったほうがいいものとかはない。サンダルとかは現地で買ったほうが安いから現地で買えばいいと思うけど、

シャワー用なら宿の人に言ってみれば貸してくれる可能性が高いので聞いてみればいいと思う。

 

次。

 

タクシーに乗る。

 

中国語はカタカナで通じる言語ではありません。声調という発音規則を正確にきちんと発音できなければ絶対に通じません。

故にタクシーに乗る際に、片言の中国語なんて言ってもまず連れて行ってもらえないから、どうするかというと、百度地図というアプリを使うよ!

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これで行きたいところを入力して地図を出してきて運転手さんに見せて連れて行ってもらうのが確実。

中国のお年寄りの運転手さんは老眼だからスマホの画面見てくれないから、出来るだけ若い運転手さんを選ぼうね!

 

 

中国旅行は中国語ができないなら結構難しいけど、ちょっとでも出来るならその中国語を大きく伸ばす大チャンスだよ。

留学中の人、日本で中国語勉強してる人、是非是非中国旅行にチャレンジしてみてね!

 

ではではサヨナラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

かえってきなっせ。

 

にーはお。

今宵もバブ(冬季限定すだちの香り)の香りに包まれる風呂場でこれを書いている。

 

帰国してからというもの就活とその準備に追いかけ回されていて、本当に毎日が単調だ。

 

そんな退屈な私だけど、今日一番の事件は父親から電話がかかってきたことである。

母親とはよく連絡を取る。

LINEの既読も早くてとにかくマメな母親は辛いこととかめんどくさいことがあればすぐギャーギャーと電話してくるし、私もよく電話をかける。

 

 が、父親はダメだ。

 

これは別にうちの父親が口煩いとか喧嘩になるとかそういうわけではなく、

父親はいつも家の中で私と弟たちや、母の会話をニコニコ聞いてるタイプで会話が得意ではないのだ。

正確にいうと話すのは好きだが、つまらないからいつも話し始めると適当にあしらわれている。

 

「そもそも三国志諸葛亮孔明は…」

武田信玄は…」

 

とうんちくを語りたがるのでよっぽど暇な時以外はあまりみんな真剣に聞いていない。

 

が、別に邪険に扱われてるわけではない。

我ら家族は我ら家族なりに我が家の大黒柱である父親を尊敬しているし大事にもしているのだ。(多分)

 

父親の好きなもの。

お酒、ものまね番組、お母さん、私ら子供、そして熊本である。

 

これと言った趣味もない。

仕事が休みなら、ゴミを捨てたり、トイレや風呂場を掃除している。

綺麗になったら家族に見せびらかす。

 

それが終わったら、亡き父の両親の家に行って草を抜いたり手入れをしたりする。

 

彼の毎日は静かで楽しくて忙しくて平凡だ。

 

我ら三人兄弟が小さかった頃は、毎週週末必ず自転車にみんなを乗せて、湖や動物園やプールや山登りに連れて行ってくれた。

 

三人ともいまでも覚えている。

 

スーツを着こなして海外を飛び回るようなかっこいい姿は見せてくれないけど凪のように穏やかでいつもご機嫌だ。

 

京都で大学に進学して実家を離れると劇的に父親との会話は減った。

 

電話は苦手らしくすぐに切ってしまうし、

仕事は忙しく京都にはなかなか来れない。

 

そんな父親と人生最大に揉めたのは中国渡航のことだった。

 

遠い昔彼の学生時代の同級生が中国に公衆衛生の仕事に出張した後、癌でボロボロになって死んだ話を父は必死に何度も私にした。

 

「台湾はどがんね?」

「世界の共通語はやっぱり英語ばい。すみちゃんアメリカとかカナダじゃいかんとね?」

シンガポールでは英語も喋るばってん中国語も喋らすらしいけん。シンガポールはどがんね?」

 

 生まれてこのかた熊本から出たことがほとんどない父にとって海外は未知の世界で、中国なんて想像もしたくない世界だったのだろう。

 必死に一生懸命調べながら喋ってる父の熊本弁を聞いていたらなんだか泣きそうだった。

 なんで泣きそうになったかはわからないけど。

 

父のこだわりの一つに食育があって、職業柄健康にうるさい父親は徹底して我ら家族の口に中国産を入れないように頑張っていた。

だから我ら兄弟とが風邪をひいたとき食べる桃缶は中国産の100円のものではなく国産の400円もする桃缶だった。

 

進路も部活もやりたいことを尊重してくれたけどそこだけは父親にとって譲れないものだった。

 

私の中国行きはそんな父親のこだわりを真っ向からぶった切りに行くものだったのだ。

 

が、私は父の制止を無視して中国に行った。

 

父には私が熊本を出てからというもの、口癖にしている言葉がある。

 

「かえってきなっせ。」

 

である。

 

帰っておいで、という意味である。

 

辛いことがあり泣きながら実家に電話をかけると、喋る母親の横で

 

「そぎゃん辛かったとだら、さっさと帰ってきなっせ。パパァ待っとるばい。」

 

そんなに辛いのならさっさと帰っておいでよ。パパは待ってるよ。

この言葉が出るともうダメだ。

帰りたくて帰りたくてしょうがなくなる。

 

中国にいた時もこの「かえってきなっせ」を何回かやられてワンワン泣いたものであった。

 

そう。

父親は昨日も今日も明日もずっと熊本で毎日毎日を過ごしながら私たち家族の家を、私たち家族の帰る家にしているのだ。

 

だから、ふと寂しくなっても父が今日も熊本で楽しく生活をしていることを考えるとなんだか笑いだしたくなる気持ちになるのである。

 

そんな父親が最近YouTubeを覚えたらしく、おすすめの動画を家族に見せて喜んでるらしい。

 

ものまね番組とか昭和歌謡を見ながら晩酌をしているという。

 

で、母親からこんなラインが来たのだ。

 

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どうやら父は動画のURLをLINEで共有する事は出来ないようだ。

母親が感想を送れと言っているということは多分父親が感想を聞きたくて母親の隣で待っているのだろう。

 

父親にラインで感想を送ってみた。

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そしたら電話がかかってきた。

どうやらスマホ入力が苦手らしい。

 

就活のことを心配しているらしいが母親の心配とはまた質が違っている。

 

母親の場合は、

「あんた!どこどこ受けるって言ってたけど締め切り大丈夫なの?」

「そんなあちこち行く予定立ててるけど交通費は足りるの?」

 

などと具体的なんだけど、父は違う。

 

「あんまきつかとかァやめなっせよ。」

(あまりしんどいところはやめておきなよ)

 

「給料高か安かは大事じゃなかばい。やり甲斐ある仕事ばせんちゃならん。」

(給料が安いか高いかは大事じゃないよ。やり甲斐のある仕事をしなきゃダメだよ。)

 

「でも、お金稼がな暮らしていけんけんね。」

 

「金のことは心配せんちゃよか!女の子は結婚して子供産んで仕事はそん次でよかとよ。」

(お金のことは心配しなくていいよ。女の子は結婚して子供産んで仕事はその次でいいんだよ。)

 

若干時代錯誤なところはあるけれど、父親の心配はやはりいつも体のことである。

 

「すみちゃん、勉強ばせないかんけんね。

自分のために時間ば全部使えるとは今だけばい。パパすみちゃんに英語ば勉強してほしか。

英語ができっとはやっぱよかばい。」

 

(すみちゃん、勉強しないといけないよ。

自分のために時間を使えるのはいまだけだよ。

パパはすみちゃんに英語を勉強してほしいなあ。英語ができるのはやっぱりいいよ。)

 

嬉しそうにそんな話をしている。

 

子供が英語が話せるようになるのは長らく父親の憧れだった。

何をトチ狂ったのか彼の娘は中国に夢中になってしまったけれど。

 

故に最近ちょっとだけ英語を勉強している。

 

嬉しそうな声でそう言われるとなんだか喋れるようになりたくなってしまった。

 

電話を切る前にいつもの台詞。

 

「いつでん帰ってきなっせね。パパ待っとるばい。」

(いつでも帰っておいでね。パパは待ってるよ)

 

12月25日に帰省する。

 

父親に会うのは半年ぶりである。

30日には弟も帰省して、久しぶりに家族5人が揃う。

 

父親はひどくそれを楽しみにしていて、河豚か蟹かの大騒ぎらしい。

 

かえってきなっせ。

 

かえってきなっせ。

 

私が熊本弁を話すのは、熊本弁が父の言葉だからである。

私を育てた熊本の言葉。

日本、そして世界のどこにいても熊本弁を口に出せば父がそばにいるように感じていつでも熊本に帰れる気がするのだ。

 

 

かえってきなっせ。

 

 

父が元気にそう言えるうちに、しっかり自立して、胸張って帰省できるように立派な職にありつくために明日も就活を頑張ろうと思う。

 

 

なんだか真面目なことを書いてしまった。

 

こんなに誉めてるのに父は老眼だし、インターネットに疎いからこのブログは父には読めないのである。

 

 

 

 

HSK6級に合格しました。

 

 

にーはお。

 

突然ですが、

HSK6級に合格しました!

いやー、嬉しい。

 

てなわけで紋浪です。

 

今日は私がHSK6級合格した上で、対策のこととかをかいていきたいと思います。

 

①試験対策について

 

HSK6級は5級までと違って難易度が段違いに上がります。

からしっかり対策を立てましょう。

 

まず、听力

 

これはとにかくつべこべ言ってないで早くから過去問に触れたほうがいい。

といて、スクリプトみて知らない単語があれば調べる。

そして何度も同じ問題を聞き直す。

 

そして、必ずHSKの対策本を読むこと。

 

HSKのリスニングには決まりの型とパターンがあります。

それをしっかり知ることが必要ですよ。

 

例えば、私が1番苦労したのはユーモアとかいう分野でした。

 

男「さっきから僕をみてらっしゃるみたいですなどうされましたか?」

女「いいえその、あなたが私の三番目の夫によく似ているものですから。」

男「ええ?あなたは三回も結婚したことがあるんですか?」

女「いいえ。二回だけよ。」

 

とアナウンスされて、

 

a.女の人は三回結婚したことがあります。

b.女の人は夫がいます

c.男の人は女の人の夫です

d.女の人は男の人と結婚したいです

 

という風なもの。

ユーモアのセンスが根本的に違うし、

この選ぶ時間は5秒ほどしかない。

 

HSKはあくまで検定。

中国にいて中国人と話してりゃ自然に、というのを否定はしないですが、大量に時間がかかるし限られた時間しか中国にいられない留学生や早急に資格が欲しい人には難しいと思う。

 

リスニングは全部で三つのブロックに分かれてるんだけど、第2部はインタビューで普段からニュースなんかを聞いてれば語彙や感覚はカバーできると思う。

3部もいたって普通の問題である。

 

ただ、第1部はユーモアありの雑学ありの中国文化ありの、怒涛に連なる問題でコロコロ話題が変わるから1番練習が必要な箇所だと思う。

 

ちなみに私が使ってたのはこれ。

現地で買った教材だけど、問題の型についてしっかり書いてあって練習問題も豊富でとても良かったと思う。

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そして、阅读

 

すなわち読解な。

これは本当になめたらダメ。

とくに5級まで無対策でやった人たち、あなたですよ!

HSK6級最大の難関はここといっても過言ではないと思っている。

 

さあ今から私は真面目に勉強した人たちがスリッパでタコ殴りにしに来そうなことを言います。

 

いいかよく聞け。

 

病句の問題まるっと捨てろ。ロトだ。

 

読解最初の10問は間違い探し。

四つずつ中国語の短文が並んでて文法上の誤りがあるものを選び出すという方式。

 

最初は真面目に対策しようとしたよ。

 

でもどうにもならんくて中国人の友達たちに解かせたら全員失敗しやがったので諦めることにした。

 

6級の読解はとにかく量が多い。

ここで大量の時間を取られると後半に来る怒涛の読解ラッシュに間に合わない。

そしてその読解ラッシュのほうが点が取れる可能性がよっぽど高いのである。

 

さて、ロトで病句を片付けたら次に何するのかというと、

 

類義語識別である。

 

ここで問われるのは中国語の似た単語を厳密に区別できているか否か。

 

例えば、珍贵宝贵を君は区別ができるかな?

 

これはもう覚えるしかない。

が、類義語事典など使ってたら日が暮れる。

 

対策本をかえ。

私は5.6冊買った。

そしたら覚えなきゃならない単語リスト載ってるからそれをひたすらノートにまとめて頭に叩き込むんだ。

 

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こんな感じな。

多分全部で300くらいだから、頑張れ。

人は死なない。

 

ただ真面目な話、類義語について聞いてくるとき、動詞のはずなのに名詞として使われてる!とか品詞の配置で引っ掛けてくることが多いから普段から品詞分解したり品詞の配置に気をつけて中国語にふれていれば楽だったのかなあ、と私はちょっと後悔をしている。

 

あと単純な長文読解の対策についてはここに書いた。

とにかく量を読むしかない。

このやり方は正しかった。

 

http://tokyosb.hatenablog.com/entry/2018/11/06/023122%20

 

そして、最後が写作

すなわち作文。

 

これに取り組む前に考えて欲しいのは、自分の日本語力についてである。

 

形式としては1000文字程度の長文を配られて30分経ったら回収されて、制限時間以内に400文字に自分の言葉で要約するというものだ。

 

日本語でできるか?

 

というお話。

 

母語でできないことは外国語でもできない。

 

だから最初は、時間とか気にせずとりあえず日本語で要点を書き出して中国語に直すなどして慣れてから時間を計ったりしたらいいと思う。

 

これに関してはとにかくたくさん書いてたくさんネイティブチェックを入れること。

 

私は自分で言うのもなんだけど国語得意だし日本語能力が高いので、文法ミスだけが怖かった。

 

あと、意外と日本人がやらかすミスが漢字間違え。

 

ちゃんと簡体字で書かないと減点対象になるよ。

繁体字簡体字の混合は絶対にダメだよ。

 

 

しっかり漢字の勉強しようね!

 

②参考書

 

HSKに関して5.6級の人は中国に売ってある中国語の本で勉強することをお勧めします。

とくに6級に関しては本土の参考書の方が安価で質が良かったように思います。

この時解説が中国語であるものを選びましょう。

1番わかりやすくてしっくりくることが書いてあるし、なんてったって解説読んでる時ですら中国語で勉強になるじゃないですか。

 

 

最後に。

 

 

最後だから書くけど、どこの語学堂がいいかとか、精神状態とか環境とかそんなの全部関係ないよ!

私がこの試験受ける一週間前と二週間前。

死ぬほどしんどくて大切な試験だとみんなに言ったのに、トラブルはアホみたいに起こるし、みんな私を巻き込むし、本当に辛かった。

 

そして、私のいた場所は学習環境わるくてレベルが低い授業しかなくて6級レベルの授業なんて皆無だった。

 

いい授業もなく、アクシデントの中で劣悪な環境下で参考書と向き合い隙間時間を使って1人でガリガリ頑張って合格したから思う。

 

周りがなんと言おうと、

どこにいようと、

結果を出す奴は出すし、出せない人はいつまでたっても、どんな素晴らしい環境にいてもダメ。

 

待ってても誰も立ち止まってくれないから、

私はでかい声で「6級受けるんだー!ワーワー!」と大騒ぎして作文を添削に持ち込んだし、読解のわからないところを中国人と一緒に考えるように要請したりした。

 

結果が欲しくて、誰もが認める6級と言う肩書きと資格が欲しくて必死だった。

 

HSKを初めて受けたのは二年前。

天津でうけた3級。

 

そのあと4級に3回落ちたこともあった。

 

今回の6級だって2回落ちて3度目の正直だった。

 

人は、結果にしか目を向けないけど、今回の合格を勝ち取るために本当にたくさんの失敗があって大量の受験料を払った。

 

私が大学に入学したころ、周りのたくさんの人が「中国語極める」とか意気込みを語っていた。

 

中国語できたら就活に有利だとか、

中国語できたら下手な資格よりいいとか、

 

いろんな思惑をみんな持ってたけど、

1人2人といなくなっていつのまにか1人になってしまった。

 

続けること。

環境や条件に文句をつけずひたむきに努力出来ること、語学にはそれが1番大切なのだと思います。

 

そして何より何回かの失敗くらいで投げないこと。

 

肩書きとか地位とか権力とか、たくさんの人がそんなものしか見てなくてそんなものを大切にしている世の中に私たちは生きている。

生きていかなければならない。

 

だからこそ、私は肩書きと地位と権力を追い求めて行きますよこれからも。

 

辿った道が地獄でも、、

最後に手にした華やかな結果を誇らしげに掲げる姿だけを他人の目に焼き付けてこれから先も戦っていける、とそんな強い気持ちになれました。

 

検定の勉強はこれにて終了ですがこれから先も私の中国語の勉強は続くし、むしろこれでやっとスタート地点に立てたと思ってるので、しっかり気を抜かずにさらに頑張りたいと思います。

 

それではみなさんさようなら。

 

 

 

 

 

 

中国人民抗日戦争紀念館に行った話

 

にーはお。

私です。

帰国を控えて準備してるものの一向にパッキングが進まず死にそうになってる紋浪です。

 

さてさて、今回のお話は私がバックパックを終えて北京で三日間暇を潰していた頃のお話。

 

46時間に及ぶ大移動を終えてふらふらになって北京について宿に着いた私は死んだように懇々と眠った。

 

宿は素敵なところだった。

 

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こんな感じの、中国の古民家である四合院を改造して作ったというドミトリー。

本当に素晴らしかった。

 

1日目は眠り続けて2日目も死んでいて、3日目にようやく回復したので暇で暇でしょうがない私はどこにいくか考えていた。

 

いや、正確にいうと迷っていたのだ。

 

私は兼ねてから行ってみたい場所があった。

 

その場所の名は、盧溝橋

日中戦争、中国語で抗日戦争開戦の地である。

 

軽い気持ちで行こう行こう、とバックパックを計画していた当初は考えていたが、

旅の間中国人の優しさや温もりに触れるたびに行きたくなくなってきた。

 

この優しさの根元に、この優しさを投げ出してくれた人たちと私の国との血濡れた歴史があることを忘れてなかったことにしてしまいたい。

 

大好きな北京で頤和園とか天安門広場とか万里の長城とか故宮とかそんな大好きな場所だけ抱きしめていたい。

 

同じ北京にある、中国最大の反日施設、中国人民抗日記念館、そんなもの見たくなかった。

 

でも。どうあがいても行かなければならないと思って、緊張した気持ちで地下鉄を乗り継いでバスに乗った。

 

最寄りの駅に着いた時から自分が日本人だとバレないように口をつぐみ足早に歩いてバスに乗り込んだ。

 

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中国人民抗日紀念館、そして盧溝橋につながる大きな門。

 

気のせいか空気が静かでお土産物屋さんには旧日本軍の人形や無数の中国国旗がはためいている。

 

写真を撮るのも忘れて歩いて、歩いていくとどっしりとした博物館にぶつかった。

 

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入っていくと、

 

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犠牲になった人を悼むモニュメントや、


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中国の歴代の指導者たちの日中戦争に対する思いが記されていた。

 

 

そこから先は、写真を撮ることができなかった。

 

とにかく怖かった。

あまりにも残酷な写真や、記述が多すぎて、耐えられなくなった中国人は大きな声で日本人を罵っていたし。

 

泣き出す人もいた。

 

 

本当に悲惨なことが多かった。

 

お母さんを殺されて、それを知らずにお母さんに寄り添う赤ちゃん。

 

暴行された後の女の子の虚ろな顔。

 

ぐちゃぐちゃにされた遺体。

 

書けばきりがなくて。

 

でも、私が1番心に残ったのはこの写真だった。

 

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日中戦争当時、日本での発表を許可されなかった不許可写真である。

 

私が学校で習った時、この写真は日本人捕虜の写真とされていたが、

この資料館では、日本人が上海で中国人を処刑している写真とされていた。

 

多分それが全てだと思う。

 

日中戦争収束の後、中国は国民党と共産党による泥沼の内戦状態から、毛沢東による大躍進政策の失敗、文化大革命と混乱の時代に入ってきちんとした調査がされて蓋がされた歴史、それこそが日中戦争

 

時間が経ちすぎて、もはや何が本当なのか何が嘘なのかわからなくなってしまって悲しみと痛みだけが残ってる。

 

だから、私はこの資料館の全ては信じはしない。

 

だけど、東京大空襲や原爆投下を見る私たちの痛みや恐怖は海の向こうからやってきた存在が自分の国を焼いて沢山の人を殺したというもので。

 

でも場所を変えたら、あの頃の中国人にとっては海の向こうからやってきて自分の国をめちゃくちゃにして大切なものを沢山奪った存在は日本人だったのだ。

 

明日明後日と続いていくと信じていた退屈で でも平和で優しさに満ちた誰かの日常をめちゃくちゃにして心に忘れられない傷を刻み、何もかもを奪い去ったのだ。

 

日本人が来なければ。

続いていった幸せな人々の生活があったのだ。

 

日本人はあの戦争を語る時、

大事な人が死んでしまった話、故郷が燃えた話。

 

その全てを被害者として語るけれど、ここ中国ではその歴史の上で私たちはまぎれもない加害者だった。

 

 

そしてあの戦争は中国では、中国が多大な犠牲を払い満身創痍になりながらも決して諦めず日本を筆頭としたファシズムを打倒した誇り高き勝利の歴史として存在している。

 

そこに存在する圧倒的加害者のファシズム国家こそが、中国人から見た当時の日本なのだ。

そして現在も愛国教育の名の下に脈々と受け継がれる根底にある常識なのだと思った。

 

 

資料館をでて盧溝橋に向かった。

 

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大きな大きな立派な橋をゆっくりゆっくりと渡った。

 

1972年、日中友好条約締結の際当時の中国外交代表の周恩来はこう言った。

 

日本と中国の間に一時的に不幸な時代はあったが、我々両国の間には2000年の友好な歴史があるのだ。それを思えばその時代はほんの一瞬に過ぎないのだから、

 

と。

 

バスに乗り地下鉄に乗り、いろんなことを考えた。

 

 

本当にたくさんの優しい中国人に出会ってきた。

同居人や殷くん張くん、旅行学部のみんなに日本語学科のみんな。ボス、チャンさん。

 

その全ての人をとても遠くに感じた。

 

幸せな夢を見て眠っていたところに冷水を被せられて叩き起こされたみたいな気持ちで。

 

私と彼らの間にいきなり大きな大きな大きな川が現れて、渡ることができないような感覚。

 

それは、この中国生活が終わる間際の今になっても消えない。

 

どうしたらいいんだろう。

 

と、これからも考え続けなきゃならない。

この大きな川をなんとか漕ぎ出し、いったり来たり、沈没したりを繰り返しながら限りなく近づきたい。

 

私は許されたいわけではない。

謝りたいわけでもない。

自国の歴史を恥じて自己嫌悪に陥ってるわけでもない。

 

ただ、中国側のみんなが痛み乗り越えて、こちらに歩み寄ってくれてるのに何も知らずに乗っかるだけな生き方をこの先に絶対にしたくない。

 

私も同じように傷を負って、痛みを知り、両方の川岸からお互い手を伸ばし合うように共に努力をし続ける日本人でありたいのだ。

 

 

そんなことをぐるぐると1人で考え続けた1日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

累計、46時間!?目指すは北京。

 

にーはお。

私です。

河南省から舞い戻ってきて疲れ果てて死んでいる紋浪です。

 

今回も旅行記です。

とうとうこの旅行記も最終回ということで書いた私も疲れたけど、根気強く待ちながら読んでくれた皆さんにも感謝ですよー。

 

てなわけで行きましょうか。

 

前回、

 

シャングリラでゆったり過ごして幸せな私だったけどこの次の日には私の人生最大の大移動が待っていた。

 

 まずシャングリラは周りの都市とバスでしか繋がっていないのできた時と同じバスに乗って4時間。

 隣の都市の麗江にうつる。

麗江から雲南省省都である昆明に移る為に寝台車に9時間乗る。

そして昆明から最終目的地の北京まで寝台車に32時間という大移動。

 

とってもとっても優しいお母さんと、すぐにお金で解決しようとするお父さんは私に、

「もうお父さんもお母さんもお前が頑張ったのはよくわかった。悪いことは言わないから飛行機で帰りなさい。お金はあげるから」

と半ば懇願していたが、

飛行機で北京まで行くとなると移動費は1200元。(約2万円)

 

対して寝台車ならなんとお値段500元!(約8500円)

 

すっかりバックパッカー気取りの私は何をトチ狂ったのか安さに目が眩んで寝台車を選択。

 

てなわけでおよそ45時間に渡る大移動劇が幕を開けたのである。

 

ちなみにこの45時間に駅で待たされたり乗継の時間は含まれていないから実際は丸2日以上かかる大移動だった。

 

シャングリラから私の移動経路はこんな感じ。

 

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まず、この大移動の初っぱなから私がやらかしたのは、シャングリラから麗江に戻るチケットを前日のうちに買っておかなかったということである。

 

 ソンツェリン寺に行ってゆったりした私は脳みそまでゆったりしてしまってチケットを買いにバスターミナルに行くのがめんどくさくなってだらけていたんだけどこれが間違いだった。

 

余裕をぶっこいていた私は長距離バスのチケットも高鉄や寝台車のようにネット予約できるだろう、とタカをくくっていたんだけど。

 

我々外国人は長距離バスのチケットはネット予約ができない。

 

ということを知ったのは、私が余裕綽々シャワーを浴びてベットの上に横たわった夜10時過ぎのことだった。

 

一気に眠気が吹き飛んでガタガタと体が震える。

 

もしもバスのチケットが取れなかったら麗江に戻れず、麗江に戻らなければ昆明に戻れず、昆明に戻れなければ北京行きの電車に乗ることができない。

 

このころ中国の電車のチケットが簡単に払い戻しができるということを知らなかった私は大量のお金を無駄にすら恐怖に震えた。

 

そしてもしバスが取れなかった時のために恐る恐る次の日の電車を調べると、3日先まで全ての電車が売り切れと出ている。

 

つまりバスのチケットが取れなければ私は少なくともあと3日はシャングリラに足止めということになる。

 

シャングリラに3日足止め。

ぼーっと何にも考えずにゆるゆるの脳みそでポンコツに過ごす三日間を思うとそれはそれでいいかもなあ…などと考えたけど現実はそうはいかない。

 

私が北京に着く予定の日の三日後には家族や親戚が日本から北京に到着する。

 彼女たちは中国語が全くできないので私がいなければどうにもならない。

故に私はなんとしてでも予定通りに北京に到達しなければならなかったのである。

 

てなわけで明日から移動開始…と思って張り切ってた夜に発覚した大ポカに私は大パニック。

 

ろくすっぽ眠りもせずに、バスターミナルの開く時間を待って駆け込んだが、すでにたくさんの人が並んでいた。

 

どんどん麗江行きのチケットが売れていく声を絶望的な気持ちで聞いていたら私の前に並んでいたおっさんがなにやらバスターミナルの受付のおばさんと揉めている。

 

どうやらおっさんは家族の分も買いたいらしいが家族全員の分のチケットはもう残ってないとのこと。

 

おっさんはあれこれ聞いて、なにも買わずに窓口を去った。

 

そして、私の番になったと同時に私は、

麗江麗江麗江!」

と3回くらい半ば怒鳴るように言った。

 

受付のおばさんはあっさり麗江のチケットを発行してくれた。

 

私は全身の力が抜ける思いでそのチケットを受け取ったんだけど…、次の瞬間私が買ったチケットが電光掲示板に「売り切れ」と表示された。

 

もしも、あの揉めてたおっさんが家族連れではなく1人だったら、私はチケットを買えていなかったのである。

 

私は己の強運に心底感謝した。

 

今回買いたくて買ったのは午前のチケットだったんだけど、売り切れになった後は午後のチケットしか残っていなかった。

 

しかしながら午後のチケットでは麗江から昆明にいく電車の時間に間に合わなかった。

 

と、いうことで。首の皮一枚で繋がった大移動計画。

 

バスに乗った途端スイッチが切れたように眠った。

 

 で、あっという間に麗江について、そこから路線バスに乗り換えて列車の駅に移動。

 

なんと待ち時間3時間。

 

長いよ!

 

駅でカップラーメンかってお湯いれて食べて暇だから駅の周りを散歩した。

 

良い天気だった。

 

これが麗江の駅。

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近くに公園があったからボーッとして、


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駅の周りを歩き回った。

 

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これ面白くて、漢字とアルファベットの下にある変な文字は、麗江発祥の古い古い「トンパ文字」という有名な文字。

 

麗江では至る所で目にするしお土産でも人気。

 

そうこうしてるうちに電車の時間になったから乗り込んでさっさと眠りについた。

 

午後7時37分発の列車に乗って、翌日の5時に着く予定。

 

そこから朝の8時発の北京行きの寝台車に乗り換える予定。

 

しかし、ここは中国。

 

寝台車でスヤスヤと寝ていた私は夜中の3時突如、列車の職員のおばさんの罵声で叩き起こされた。

 

外は真っ暗なのに列車の電気がパアッとついて周りの中国人も混乱していた。

 

寝ぼけた脳みそに飛び込んでる中国語が私の聞き間違えであることを願った。

 

「ついた!列車から降りろ!」

 

と聞こえたからである。

 

が、聞き間違えではなかった。

 

2時間前だぞ…!

 

てなわけで夜の3時に列車から降ろされてしまった私は、次の列車を駅の中で待とうと思い一回駅から出てもう一回駅に入ろうとすると、

 

駅は五時半からしか開かない!

 

という現実に打ちひしがれた。

 

 

オーマイガッド!

 

なんということでしょう。あと2時間どうしろってんだよ。

 

案の定駅の前はこんな状態。

 

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駅に入れない人たちがそこら中に座り込んでる。

 

私もためらいなく座り込んでバックパックをだきしめながら目を閉じた。

 

雨が降ってきたから傘を開いたら知らないおばさんが傘に入り込んできた。

 

代わりにおばさんの持ってたレジャーシートのようなものに座らせてもらった。

 

そんな風に3時から5時までの2時間をやり過ごして駅に入ったとき私は、駅の椅子と屋根のありがたさを骨身にしみて感じることができた。

 

 知らないおっさんに荷物を見ててもらって朝ごはんを食べに行って食料を買いに行った。

 

なんてったってここから乗る北京行きの列車は33時間もある。

 

少なくともまる丸一日分の食料が必要だ。

あと水も。

 

私が食料を買い終わると今度は知らないおっさんの荷物を私が見張りおっさんが買い物に行った。

 

ちなみに、おっさんは私が「日本人だぞ」と言ったらすんなり荷物を私に手渡した。

 

おそるべし日本人の信頼度。

 

そんなわけで3時に列車をつけられて、今度は北京行きの列車が1時間遅れてきやがったので総計した時間の待ち時間をやり過ごして列車に乗り込んだ私の列車のベッドには知らないおっさんが座ってた。

 

疲れ果てて若干ご機嫌斜めの私は、迷いなくおっさんに抗議を行ったところ、

 

おっさんは素直に謝って私を横にならせて、私の足元に座り込んで私の向かいのベッドのおっさんとおしゃべりを続行した。

 

が、もう何もかも諦めた私はもうそれで良いやと思ってこんこんと眠った。

 

5、6時間眠って起きたらおっさんがラーメンを食べていたので私も食べたくなっておっさんにお湯の場所を教えてもらってラーメンに湯を入れてラーメンを作る。

 

今までまずいとしか思えなかった中国のカップラーメンがめちゃくちゃおいしいと思った。

 

多分死ぬほどお腹が空いていたのだと思う。

 

そしてまた眠った。

 

33時間持て余すかなあと思っていたのだけど、とにかく私は疲れていたようなので、食べるのと飲むのとトイレに行くのとおっさんが暇になって話しかけてくる時以外はアニメとか本とかそういうものを見ることなくとにかく眠っていた。

 

ガタンゴトンと列車の音と中国人の声に揉みくちゃにされながら、

一つ一つ丁寧に何もかも思い出そうとした。

 

何回も思い出そうとして、何回も眠ってしまった。

 

上海の夜景、

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アモイの海

 

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建甌の古い町並み
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武夷山の竹の船


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体調を崩して道に迷って、ホテルに拒否された長沙
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絶景の武陵源
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悪徳ガイドと駆け抜けた桂林
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岩が倒れてきそうで怖かった石林
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雨の中ずぶ濡れになって歩き回った大理

 

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八月の雪に包まれた玉龍雪山
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この世の果てのシャングリラ
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この夏、全部で13の都市を巡った。

 

7月14日から8月18日まで。

全部で35日間の旅。

 

長距離電車が北京について、その旅は幕を下ろし、ここまで書いてようやく私の長い長い旅行記もおしまい。

 

やっと旅行を終えられた気がする。

 

そしてこの記事がちょうどこのブログ100個目の記事なのである。

 

何時間、何千キロ。

中国はやっぱり大きかったね。

中国人はうるさいしせっかちで、でも本当に親切で泣きたいほど素直な優しさを投げ出してくれたよね。

 

 

ああ、楽しかった。

 

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆるゆかなるシャングリラ

 

にーはお。

河南省なうの私です。

旅に疲れてる紋浪です。

 

 

さてさて、今日もバシバシ書いていきます。

 

前回

シャングリラにたどり着いた私。

 

街をぶらぶら歩いた。

 

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色使い、そしてどこにも必ず併記されてるチベット文字が、この場所が漢民族ではなくチベット民族の場所であることを教えてくれる。

 

ぼんやり歩いてたらこんなのが目についた。

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ヤクという山ヤギのミルクとヨーグルトである。

こんなところで乳製品なんて食べて大丈夫だろうか…とも思ったけどもう一度気になってしまったらしょうがない。

好奇心に勝てずに購入。

 

ミルクは甘くて優しい味がして美味しかったし、ヨーグルトはプルプルしていてスッキリしていた。

 

 そしてこの日の夜ご飯は、

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そう!

ヤク鍋!

ヤクのお肉がたくさん入ったお鍋。

 

一人旅をしているととにかく毎日麺か、ご飯になにかばっか買ってる料理かどちらかになるんだけど、この日だけは贅沢した。

 

 1人で2人分のお鍋を頼んでガツガツ食べた。

 

ヤクのお肉は臭みもなくて美味しかった。

 

この旅行で食べたものの中でもかなり美味しい部類に入ったような気がする。

 

で、この日はゆっくり眠って次の日がシャングリラ本番。

 

この日の目的地は、チベットのお寺、ソンツェリン寺

中国でもポタラ宮の次に大きなチベットのお寺であるということで向かう。

 

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おお、見えてきた!

 

奥に見えてる金色に眩しいお寺こそが目的地のソンツェリン寺である。

お寺に参拝するその前にお寺の周りのハイキングコースを散歩した。

 

この日はいい天気で、標高3000メートルの空気は真夏なのに春のようにひんやりとしていて気持ちが良くて。

 

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緑いっぱいの道を、
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途中ヤクを見つけながらゆったりと歩いた。

 

とにかくこの旅行。

ずっとずっと人混みに揉まれたり、長蛇の列に並んだりの連続だったけどシャングリラは人が少なくて、本当にゆっくりしたいい気持ちになった。

 

あまりにも気持ちがほぐれていくからなんだか自分でも不思議になって、

 

「ああ、ここが世界の果てか。」

 

などと感傷に浸ったりしてバックパッカーらしいことをして喜んだりした。

 

リラックスしすぎた私は自撮りでも目を瞑る。

 

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なんで私がこんなところで自撮りしてるのかというと、

 

ここから見えるお寺がすごく綺麗だったからなのだ。

 

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そんなわけでしばらくここにあったベンチに座り込んでスマホをいじるでもなく本を読むでなくぼーっとしていた。

 

で、そのままゆっくりゆっくり歩き出してお寺に参拝。

 

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この入り口から、

 

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こんな階段を延々と登っていく。

 

途端に呼吸が苦しくなった。

 

そう、ここは標高3000メートル超えているのである。

 

走ったり、階段を登ったりするとすぐに息が苦しくなってしまう。

周りの中国人もなんだか苦しそうだ。

 

でも、こんな素敵な写真も撮れた。

 

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息苦しくて喘いでる観光客の横をスタスタと慣れた足取りで抜き去っていくチベット仏教のお坊さん。

 

みんな筋骨隆々でいい体をしている。

 

ゼハゼハいいながらようやく頂上にたどり着いた。

 

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垂れ幕と言うのかなあ?

黒い布に見たこともない白い文字が刺繍されていて異様な空気。

 

中にはいることはできたんだけど、密教のお寺ということで中は真っ暗。

ギリギリ足元が見えるか見えないかというところ。

 

どの観光地でもうるさい中国人もこのお寺の中ではやたら神妙な顔をしている。

 

お寺の中は撮影厳禁だったので残念ながら写真はない。

 

お坊さんがお経を唱えてるところにお布施の箱があったから10元札を入れたところ、数珠を握らせてくれた。

 

どうやらお布施をしたらくれるらしい。

 

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すぐに壊れそうな作りだったから大切にポケットにしまい込んだ。

 

このお寺は本当に不思議な場所でいるだけで心が静かになって何も考えたくなくなる。

本当に静かで、ゆったりとした場所で何にもしてないのにぼんやりと過ごした。

 

その日はそのままタクシーで宿に帰って疲れていたのか、3時間くらい眠った。

 

で、起き出したらもう夜の7時だったし猛烈に腹が減ったのでのそのそもそもそと布団から出て食べ物を探しに行った。

 

で、色々考えた結果またしても麺を食べることになった。

 

ただ、この日入った店はやはり今まで行った店とは雰囲気が違った。

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やはりチベット風の飾り付け。

そしてここで食べた麺がこれ!


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これが本当に本当に美味しかった。

 

今回の旅行でほぼ毎日麺だったけど、麺の中ではぶっちぎりの一位だった。

 

8日ごとオーブンにぶっ込んで作られたような熱々の麺をハフハフしながら食べているあの瞬間、私は世界で1番幸せな人間だったと思う。

 

そんなわけで、たっぷりとシャングリラを謳歌した私は、次の日の大移動に備えてさっさと宿に戻った。

 

そう、その大移動こそがこの度を締めくくる46時間の最後の峠である。

 

てなわけで、次回はシャングリラから北京まで私がボロボロになりながらたどり着くまでのことを書いていくよ!

 

そんなわけで皆さん今日はこの辺で、おやすみなさい。