上方の方の古い言葉に「いらち」という言葉がある。
すぐイライラする人せっかちな人のことを言うらしい。
落語の世界にもこんな「いらち」な人が、マイペースな人に極端にイライラしていると言う構図で笑いを取るというパターンは多い。
で、今日の話はそんな「いらち」のことで。
私という人間は本当にこの「いらち」な人間だと思う。
例えば、券売機やATMで操作に手間取ってる人がいるとものすごくイライラする。
電車を一本逃すと2分後に来るとしても腹がたつし、バスの乗り降りで小銭がなくて手間取る人がいると蹴飛ばして先に降りてしまいたくなる。
「両替くらい先にしとけよ」と野次を飛ばしたくなる。
でもまあ、見ず知らずの人ならいい。
心の中でイライラが爆発していても少し嫌な顔はするけれど怒鳴り散らしたり文句を言うことはない。
問題は身内である。
例えば家族との旅行で自分の思った通りにいかないと「なんでそんなに動くのが…」と長々文句を垂れ始め不機嫌を丸出しにする。
そしてそのあとそれをものすごく後悔する。
なんでこんなにイライラするんだ私は。
流石に自分でもひどいと思って考えてみたときに、さらに私をイライラさせる事態が立て続けに起こった。
なにかというと、全て私の中国でのインターンがらみである。
①大学に提出しないといけない証明書の名前が間違ってる。
②ビザが降りるかわからない。
③北京まで山東省の職員が迎えに来ることになっているが、いつ来るかわからないから数日北京でなんとか待機してくれ。
書いてたらまたイライラしてきたぞ。
とにかく、中国がらみで一つ一つに私は苦労し翻弄される羽目になった。③に至っては絶対に許さんからな!なんだそれは!異国でそんなの怖すぎるだろ!(がんばります。)
インターンのためのいざこざについてはまた次回書こうと思ってるからこれくらいにしておこう。
思った通りに進まないし、交渉相手の中国人は綺麗な日本語を話すが話が全く通じない。
もし、日本なら。
禁断のワードが頭の中を駆け巡る。
もし日本なら、証書の名前が間違えることなんてないだろう。
もし日本なら、いつ迎えに来るか分単位で決めてくれてぴったり迎えにきてくれるだろう。
もし日本ならビザが降りるかどうかなど一瞬でわかるだろう。
そうしてまたまたイライラを貯めまくってる私に、担当の中国人の先生は涼しい顔で、
「日本人の頭は中国でコンクリートって言われてますね。とても硬くて柔らかくできない」
という。
日本の頭、コンクリート。
人がイライラしてる時になんつー呑気かつ失礼なことを言うんだ!とまたイライラしてきたところではたと立ち止まり考えた。
分単位でずれずに来る電車。
丁寧な接客、賄賂や不正が大々的なニュースになる程ありえない警察官。
その全てが素晴らしい。
便利、そしてそれがあまりに素晴らしく私たちの予定を思う通りに運んでくれるから目の前のイレギュラーや、それが狂った時猛烈な混乱がイライラになって暴れ出す。
そして、日本人の頭は予定通りが前提のコンクリートになったのかなあ。
私はここで日本礼賛をしたいわけではない。
ただ、大学に入って1人の快適さ。学生の身分という快適さ。京都という都会の快適さ。そして空気のようにそこにある日本の快適さに酔いしれて辛抱強さを失ってしまっていたなあ、と思ったわけである。
そして私が辛抱強さを失った代わりに周りの人にイライラをぶつけたり自分の中に巨大なイライラを育て上げたり。
なんということでしょう。
こんなマインドでは中国ではイライラで死んでしまう。
コチコチのコンクリートが固まって割れてしまう。
そういうわけで、怒らない人になろう、と。
怒らない、というよりは目の前のイレギュラーに混乱してらそれをイライラに変えてしまうという癖をやめたい。
例えば、友達が約束に遅れたときそこでイライラを貯めて立ったままスマホをいじりながらツイッターに愚痴をばら撒き散らかす、のではなくカバンに入れてた本を読み進めたりカフェに入って一息つくようなそういう人間になりたいのだ私は。
イライラは疲れる。
あとで自己嫌悪にもなる。
今回の渡航はそんな自分の悪癖を治す機会にもしたいなあと思った。
ああ、ちなみに今日の記事の画像がどうして人力車なのかわかったあなた。
あなた落語好きでしょ?お話ししましょうよ。
ではでは。